Ⅺ. 帰還(ノストス)
しかし、迷宮からの脱出の扉が開いたその瞬間、背後の通路から、あの執念深い男の足音が響いた。
ジャベール警視正であった。彼はドローンによる広域電波追跡を駆使し、地元のサイバー警察よりも早く、この闇の施設へと単身で辿り着いていた。彼の持つ高精度レーザー照準器の赤いドットが、ウーティスの胸元に正確にロックされる。
「ウーティス・バルジャン、動くな。お前がテナルディエの違法アセットを破壊したことは正当防衛の範疇ではない。お前はただの、法の秩序を乱すウイルスだ。その子供を引き渡し、膝をつけ」
ウーティスはコゼットを背中に庇いながら、ジャベールの冷徹な瞳を見つめ返した。
「ジャベール、お前には見えないのか。この施設も、ファンチーヌの死も、すべてはお前が命をかけて守ろうとしている『完璧な法システム』の歪みが生み出した、社会の膿だ。この子には何のデータ的罪もない!」
「法に例外はない。例外を認めれば、社会というマクロ経済の構造が崩壊するのだ!」
ジャベールが引き金に指をかけたその瞬間、ウーティスはコゼットを抱いたまま、あらかじめ計算していたサーバー室の耐火壁の「構造的弱点(建物の梁の接合部)」に向かって、その圧倒的な怪力で鉄製のサーバー重機を投げつけた。
凄まじい轟音とともに、老朽化した旧鉱山の天井が崩落し、ウーティスとジャベールの間を、巨石と鉄骨の山が完全に遮断した。
「ウーティス――!」
ジャベールの叫びが、崩落の砂塵の中に消えていく。
ウーティスはコゼットを背負い、崩れ落ちる施設の間道を抜け、外に待たせていた非追跡型のオフロード車両へと滑り込んだ。
エンジンが始動し、車は監視カメラの存在しない、山あいの未舗装路を抜けて、夜明けの地平線へと疾走を始めた。
こうして、名もなき王と、戸籍を奪われた少女の、現代のデジタル監視社会の目を盗む長い長い「漂流(放浪)の旅」が、その本当の幕を上げたのである。彼らの前方に広がるのは、国家の法の届かない、国境なき電子の海と、いつの日か果たされるべき、精神的な真の故郷への「帰還」の荒波であった。




