Ⅹ. 市場の闇
「市場の闇」というものは、合法的な市場が効率化され、透明度を高めれば高めるほど、その反作用としてより深く、より残虐な構造となって地下に形成される。
ウーティスが目指した場所は、北関東の険しい山岳地帯の旧鉱山跡に建てられた、巨大な「違法データセンター兼・無認可児童労働施設」であった。そこを支配していたのは、テナルディエという名の、ネットの泥の底から這い上がってきた強欲なブローカー夫婦であった。
彼らは、中央の監視網が届かないグレーゾーンにおいて、クレジットカードの不正決済、売買された生体データのマネジメント、そして親の信用スコア低下によって「社会的養護」から零れ落ちた子供たちを監禁し、AIの教師データ作成のための過酷なクリック労働を強いる「サイクロプス(一つ目の怪物)の巣窟」を運営していた。
夜霧が立ち込める深夜二時、ウーティスはその施設の重厚な防爆鉄門の前に、単身で立っていた。
門に設置された一つ目の監視カメラが、ウーティスの顔を検知し、スピーカーからテナルディエの卑俗な笑い声が流れた。
「おいおい、ニュースの主役がお出ましだ。マドレーヌ市長さんよ、いや、ウーティス・バルジャン。お前の暗号トークンのアドレスは、警察に凍結される前に俺たちのウォレットへ全額転送してもらうぜ。さもなきゃ、この小娘の遺伝子データをダークウェブのオークションに全部流しちまうからな」
鉄門の奥の液晶画面に、痩せ細った小さな少女――コゼットが、無数の電極コードに繋がれ、液晶画面の前で意識を朦朧とさせている姿が映し出された。
ウーティスは何も答えなかった。彼の脳裏に、かつてオデュッセウスが怪物ポリュペモスの洞窟に閉じ込められた際、巨石で閉ざされた出口を、知略と圧倒的な膂力で突破した神話のプロットが重なった。
現代の知略とは、物理的な破壊力をも内包する。
ウーティスは背嚢から、高圧の産業用バッテリーと改造したテスラコイルの電極を取り出した。それを門の電子ロックのシリンダーに直接突き刺し、数十万ボルトの過電流を逆流させた。システムが焼き切れる凄まじい火花とともに、防爆門の電磁ロックが強制解放される。
「な、何だと! セキュリティが破られた!? 迎撃しろ!」
施設内から、テナルディエが雇った非合法の武装警備員(ドローンと電磁銃を持った男たち)が飛び出してきた。しかし、ウーティスの肉体は、長年のガレー船労働に匹敵する刑務作業によって、現代の柔弱な人間とは根本的に異なる構造を持っていた。彼は突進してきた男の電磁銃をその怪力でもぎ取り、そのまま警備員ごと持ち上げて、奥のサーバーラックへと投げ飛ばした。
「システムがダメなら、力だ! この怪物を圧し折れ!」
ウーティスは、サーバー室の主電源ケーブルを素手で引きちぎり、施設全体を強制的な「シャットダウン」へと追い込んだ。一つ目の監視カメラの光が、次々と消灯していく。暗黒の迷宮と化した施設の中で、ウーティスは自身の暗視ゴーグルを起動し、最深部の監禁室へと走り抜けた。
そこには、恐怖に震える小さなコゼットがいた。ウーティスは彼女の体を繋いでいた電子の鎖を怪力で引きちぎり、その小さな身体を自らの強靭な胸の中に抱き上げた。
「大丈夫だ、コゼット。もう、お前を縛るアルゴリズムはどこにもない。私と一緒に、本当の海へ帰ろう」




