第38話 不穏な影
アキラさんが《Hi-end》へ所属してから、数週間が経過した。
事務職員として最初に任されたのは、クランハウスで保管されている備品目録と支出記録の整理だった。
これまで記録をつけていなかったわけではない。フレイアさんが資金を管理し、必要な支出は項目ごとに残している。
ただし、所属するパーティーが増えたことで、購入する物の量と種類が急激に増えていた。
武器や防具の補修材、野営道具、保存食、包帯、消毒薬、各種ポーション。そこへオティヌスが食料として持ち込んだ虫まで混ざり、備品と私物と生鮮食品の境界が、目録の上で激しく争っている。
アキラさんは、その争いを二日で終わらせた。
物資を用途ごとに分類し、購入日、仕入れ先、単価、使用者、残量が分かるよう記録を改める。各パーティーへ渡した消耗品についても、補充の時期を予測できる形へ整理されていた。
俺には項目の増えた帳簿にしか見えない。
フレイアさんにとっては違うらしく、完成した書類を読み始めてから、何度も満足そうに頷いていた。
「想定以上です。これなら、物資が不足する前に追加購入の判断ができます」
「ありがとうございます。ただ、確認していただきたいことがございます」
アキラさんは褒められても表情を緩めず、机の上へ複数の納品書を並べた。
呼び出された俺は、フレイアさんの隣から書類を覗き込む。
品名と数字は読めるものの、どこに問題があるのかまでは分からない。
「状態異常治療薬の納入量が、前回から大幅に減っています。こちらは同じ商会へ追加注文した際の回答です。原料の品質確認と成分規格の変更を理由に、希望数を用意できないと記されています」
「薬草が足りないんですか?」
「それだけなら、仕入れ価格が上昇する前に、薬草そのものの入荷量が減るはずです。ですが、王都方面から入ってくる薬草の買い取り価格は上がっている一方、採取依頼の報酬には目立った変化がありません」
アキラさんが、薬草と治療薬の価格を並べた表を示す。
「市場へ流れる前の段階で、誰かが一定量を買い集めている可能性があります。さらに、こちらの商会からは、手数料を上乗せすれば別の経路で治療薬を用意できると案内されました」
「用意できないと言った直後に、高い物なら出せると言ってきたんですか?」
「販売元は別の商会になっています。書類の上では、双方に関係があるとは確認できません。ただ、供給が減った時期と、代替品の案内が始まった時期は一致しています」
偶然にしては、都合がよすぎる。
通常価格の商品が不足した直後に、高い手数料のついた商品だけが現れている。俺でも不自然だと分かるが、証拠がなければ、商会側は不足した商品を苦労して探してくれたと言い張れるだろう。
「問題は治療薬だけではございません」
アキラさんは、別の書類を取り出した。
「包帯、保存食、武器の手入れに使う油も、これまでの仕入れ先から納期を延ばされています。全てが不足しているわけではありませんが、ハンターの活動に必要な品を中心に条件が悪化しています」
「《Hi-end》だけに対してですか?」
「現時点では断定できません。街全体で値上がりしている商品もあります。ただし、《Hi-end》が定期購入していた品ほど、納入量の減少が目立ちます」
アキラさんは憶測だけで誰かを疑わず、確認できた事実と可能性を分けて説明していた。
フレイアさんもすぐには結論を出さず、納品書に記された商会名と日付を順番に確認する。
「他の仕入れ先から確保した場合、どの程度の費用が必要ですか?」
「現在と同じ量を揃えるなら、少なくともこれまでよりかなり高くなります。離れた地域から運べば輸送費も増えますし、緊急購入を続ければ、相手へ足元を見られるでしょう」
アーマードベヒーモスの報酬を受け取った直後なので、当面の資金には余裕がある。
しかし、値上がりするたびに高値で買っていれば、550万ベルクでも無限には保たない。薬や包帯は一度買えば終わる設備ではなく、ハンターが活動する限り必要になる。
仕入れの話をしていると、執務室の扉が叩かれた。
入ってきたのは、《エンプレスティア》のセフィさんと、《紅蓮の風》のユールさんだった。
二人とも手に封書を持っている。
「楓さん。少し確認していただきたいものがあります」
セフィさんが差し出した封書には、王都に本店を持つ商会の名が記されていた。
「私たち《エンプレスティア》の5人へ、護衛団への所属を勧める案内が届きました。現在より高い報酬に加えて、装備の無償貸与と治療薬の優先購入が保証されています」
「こちらにも似たような話が来ています」
ユールさんも、自分が持っていた封書を机へ置いた。
「《紅蓮の風》全員を雇いたいという商会からです。護衛する荷物や移動先はまだ決まっていないのに、報酬と支給品だけは妙に条件がいい。俺たちは受けるつもりはありませんが、他のパーティーにも声をかけているようです」
二つの書面を読み比べていたアキラさんが、途中で手を止めた。
「差出人は別ですが、雇用条件の並び方と、治療薬を優先的に購入できるという表現が同じです。作成した人物、もしくは募集内容を指示した者が共通している可能性があります」
物資の供給が減った時期に、治療薬を優先購入できる仕事が紹介される。
《Hi-end》に残れば必要な物が手に入りにくくなり、離れれば好条件で用意される。
本人の自由で選べる形にはなっているが、片方の道だけ意図的に歩きづらくされていた。
「私たちは、条件がよくても移るつもりはありません」
セフィさんは迷いのない声で告げた。
「先日のルッツ殿下にもお断りしました。正式に《Hi-end》へ加入した直後に、別の所属先を選ぶ理由はありません。ただ、私たち以外へ同じ話が届けば、迷う方が出る可能性はあります」
「報告してくれてありがとうございます。ユールさんたちも、何かあればすぐに相談してください」
「そのつもりです。俺たちだけで判断して、後からクラン全体へ迷惑をかけるわけにはいきませんから」
二人が退室したあと、机の上には納品書と求人の案内が残された。
薬や消耗品を買いにくくしたうえで、それを優先的に得られる職場へ誘う。
ここまで揃えば、偶然と考える方が難しい。
「何者かが《Hi-end》の活動を妨げようとしている可能性は高いでしょう」
フレイアさんは静かな声で結論を出した。
「ただし、商会が不当な取引を行ったと証明できる資料はありません。求人についても、待遇のよい仕事を紹介しただけだと主張できます」
「全部、表向きは正当な商売になっているんですね」
「はい。こちらが感情的に抗議すれば、《Hi-end》が取引先や所属者の選択を制限していると受け取られかねません」
品物を売らない自由も、高い値段で売る自由も、好条件の仕事を紹介する自由もある。
相手はその自由を、こちらだけが不自由になるよう組み合わせていた。
「別の地域から仕入れ続けることはできます。ただ、長期的には得策ではありません」
アキラさんは、今後必要になる消耗品の予測表を開いた。
「所属者が増えれば、必要量も増加します。相手が輸送経路にまで影響を及ぼせる場合、仕入れ先を変えるだけでは同じことが繰り返されるでしょう」
「自分たちで作れればいいんですけどね」
特別な考えがあって口にしたわけではない。
薬を売ってもらえないなら、自分たちで作る。現代でも聞くような、単純な感想だった。
ところが、フレイアさんは納品書から顔を上げ、俺を真っ直ぐに見つめた。
「承知しました」
その返事に、俺は先日の衣装室と職人街を思い出した。
「待ってください。まだ何を作るかも決めていません」
「まず必要となるのは、状態異常治療薬、消毒薬、包帯、保存食です。原料の確保から加工、保管、品質管理まで《Hi-end》の中で行えるようにすれば、外部から供給を止められても活動を維持できます」
予想どおり、俺の独り言は即座に事業計画へ昇格していた。
服が欲しいと言えば職人街を造ろうとし、薬が作れればと言えば供給網ごと内製化しようとする。
フレイアさんにとって、規模を小さく始めるという考えは、最初から計画書の選択肢に存在しないらしい。
「製造には、薬師と各分野の職人が必要です」
アキラさんまで、フレイアさんの計画へ加わった。
「作業場所、原料倉庫、完成品を保管する設備も要ります。現在のクランハウスだけで全てを行えば、居住区域や訓練場所を圧迫します。ただ、長期的な費用と供給の安定性を考えれば、検討する価値はあります」
「アキラさんまで、作る前提で考えてませんか?」
「楓さんの提案は合理的です。今回のように複数の仕入れ先が同時に条件を変えた場合、購入先を増やすだけでは根本的な解決になりません」
俺は作れればいいと言っただけで、工場を建てろとは言っていない。
しかし、フレイアさんに規模を拡大され、アキラさんに経済的な合理性まで与えられた結果、本人の意図だけが計画から取り残されつつあった。
「すぐに建てるとは言ってませんからね。必要な費用や人材を調べて、本当にできるか確認してからです」
「もちろんです。まずは用地の候補と必要な設備を調査いたします」
返事だけを聞けば慎重だった。
けれど、フレイアさんは既に白紙を取り出し、必要な施設を書き始めている。
状態異常治療薬の製造工房、包帯や衛生用品の加工所、原料と完成品を分ける倉庫。俺が止めなければ、街の中へもう一つ《Hi-end》を建てるつもりなのかもしれない。
アーマードベヒーモスの報酬は、服と寝具を買う前に、工房用地へ姿を変えようとしていた。
物欲を一度封印しただけなのに、資金の方が新しい使い道を見つけて走り出している。
今度こそブレーキが必要だった。
ただし、ロキへ頼めば工房では止まらず、工業都市まで加速する未来しか見えなかった。
◇
──アキラ視点──
楓さんが所属するパーティーの状況を確認するため執務室を出たあと、私はフレイアさんと二人で残った。
机の上には、バーガサレル周辺の地図と、町が処分を予定している土地の一覧が広げられている。
「こちらは、以前摘発された不動産業者が所有していた土地ですね」
「はい。権利関係の確認が終わったものから、町が新しい所有者を探しています。複数の土地をまとめて取得できれば、工房と倉庫を離さずに建設できます」
フレイアさんは、楓さんの前で全てを話していなかった。
用地を調査すると告げた時点で、既に候補となる土地の資料まで取り寄せていたらしい。
昨日受け取ったアーマードベヒーモスの報酬があれば、購入資金は用意できる。
しかし、価格だけで決めるわけにはいかなかった。
「相場よりかなり安く設定されています。摘発された業者が所有していたことを考えれば、権利関係以外にも問題が残っている可能性があります」
「どのような問題が考えられますか?」
「魔力溜まりや瘴気、過去に起きた事件による霊的な影響などです。土地の取得や使用そのものは禁じられておりませんが、そこで商売を行う場合は事情が変わります」
自分だけで使い、異変による被害を受けるなら、所有者の自己責任で済む。
けれど、工房で働く者や、そこで作られた商品を購入した客へ被害が出れば、責任を問われるのは事業者だ。
「商品の汚染や従業員の体調不良が発生すれば、治療費や損害への対応だけでは終わりません。《Hi-end》が危険を知りながら操業したと判断されれば、今まで築いた信用まで失うことになります」
「では、取得前に土地の状態を調べる必要がございますね」
「はい。売却資料へ記載されている内容だけでなく、過去の所有者、周辺の住民、以前どのように使われていたかまで確認するべきです。浄化が必要な場合は、その費用も購入価格へ加えて判断しなければなりません」
私が危険性を伝えても、フレイアさんは土地の取得を諦めなかった。
問題を避けるのではなく、必要な調査項目を増やして計画を前へ進めていく。
「アキラさん。この土地について、詳しく調べていただけますか?」
「承知しました。町が保管している売買記録と、不動産業者の旧帳簿を確認できるよう申請します。周辺の相場と浄化費用も調べ、取得すべき土地を選定します」
「お願いいたします。楓さんが必要とされる工房を、必ず用意いたしましょう」
楓さんは、必要な費用や人材を調べてから判断すると話していた。
フレイアさんも、その言葉を否定してはいない。
ただし、彼女の中では既に、工房を造るかどうかではなく、どの土地へ造るかという段階まで進んでいた。
私は土地の一覧を受け取り、最初の候補へ印をつける。
《Hi-end》で任された、事務職員としての最初の大きな仕事だった。




