第37話 職員加入
朝食を終えたあと、俺はアキラさんとフレイアさんを伴い、ハンターギルドへ向かっていた。
オティヌスにはクランハウスで留守番を頼んである。
本人は同行するつもりだったらしいが、ギルドへ行っても食べ物はもらえないと説明した途端、興味を失って食堂へ戻っていった。留守を任せたというより、食料庫の近くへ危険物を置いたまま外出したと言った方が正しい。
それでも連れてくれば、道中の屋台が危険に晒される。
被害範囲をクランハウスの中だけに留めたのだから、今日の俺は都市の治安維持へ貢献しているはずだった。
「新規登録と同時に、《Hi-end》への所属を申請するのですね」
隣を歩くアキラさんは、今回の手続きが持つ意味を正確に理解していた。
「所属先が明確であれば、身元確認が終わるまでの活動制限も軽くなります。ギルドを通した仕事だけでなく、《Hi-end》の事務職員として働いた記録も残せる。今の私が信用を作り直す方法としては、最も確実でしょう」
「詳しいんですね」
「国内の経済と雇用制度については、一通り学んでおります。商会や工房で働く場合も、能力だけで採用されるわけではありません。金銭や商品を扱う職種ほど、本人の経歴と保証人が重視されます」
アキラさんが仕事を得られなかったのは、雇用制度を知らなかったからではない。
必要なものを理解していながら、それを証明する手段だけを失っていた。
「ただし、昨日出会ったばかりの私について、《Hi-end》が身元を保証するべきではありません。確認できていない事実まで証言すれば、後から問題が発覚した場合、クランの信用まで損なわれます」
「身元そのものを保証するつもりはございません」
フレイアさんが、用意していた書類を差し出した。
「《Hi-end》が保証するのは、アキラさんを事務職員として雇用し、所属者として受け入れるという事実です。出身や過去については、ギルドの担当者へ御自身で説明していただきます」
アキラさんは歩きながら書類を開き、仕事内容、報酬、住居、守秘義務、契約解除に関する項目まで順番に確認していく。
「住居として、クランハウスの客室を継続して使用できるのですか?」
「現在は空室がございます。正式な居室を用意するまでは、そちらをお使いください。食事についても、食堂で提供いたします」
「その二つを現物支給として含めても、報酬が相場より高く設定されています」
「アキラさんには、一般的な書類整理だけでなく、収支記録や備品目録の確認もお願いする予定です。クラン内部の情報を扱うため、責任に応じた報酬を設定しております」
フレイアさんは、アキラさんの能力を昨日の働きだけで判断したわけではない。
話し方や文字の読み方、食堂で必要な物を数える速さまで見ていたのだろう。俺が夕食の肉を守っている間に、採用試験はほとんど終わっていたらしい。
「契約条件に異存はありません。ただ、実際の働きが期待へ届かなかった場合は、職務と報酬の見直しをお願いします。能力を確かめないまま重要な仕事を任せるのは、《Hi-end》にとっても危険です」
「承知しました。アキラさんの能力を確認したうえで、担当していただく範囲を正式に決めます」
アキラさんはもう一度書類へ目を通し、最後に俺を見た。
「楓さん。昨日助けていただいたことへの恩返しではなく、雇用契約として申し出をお受けしたいと思います。それでもよろしいでしょうか?」
「もちろんです。働いてもらった分は、きちんと報酬をお支払いします」
「ありがとうございます。それでは、《Hi-end》への所属を希望します」
アキラさんが署名し、続いてフレイアさんが雇用責任者の欄へ名前を記す。
最後に渡されたのは、クランマスターの承認欄が残された書類だった。
人を助けたはずの俺が一番最後に採用を知らされている気もするが、本人が納得して選んだのなら問題はない。
俺も署名を終え、正式な雇用契約が成立した。
公園で出会った翌朝には住居と仕事が決まり、ギルドへ着く前に所属先まで決まっている。
フレイアさんは雇用制度を悪用していない。ただ、制度を正しく利用した結果だけが、獲物を逃がさない罠のように完成していた。
◇
午前中のギルドは、依頼へ向かうハンターと、朝の仕事を終えて戻ってきた職員で混雑していた。
掲示板の前では複数のパーティーが依頼票を見比べ、買い取り窓口には魔物素材の入った袋が積まれている。
俺たちが受付へ近づくと、書類を整理していたルノアさんが顔を上げた。
最初に俺とフレイアさんを確認し、その後ろにいるアキラさんと、手に持った書類へ視線を移す。
「先日、《エンプレスティア》の5名が加入手続きを終えたばかりですが、今日はそちらの方でしょうか」
「アキラさんです。ハンター登録と、《Hi-end》への所属手続きをお願いします」
「やはり増えるのですね」
ルノアさんは驚くより先に納得していた。
最近の俺はギルドへ来るたび、新しい所属者を連れている。《Hi-end》の募集窓口がどこにあるのか尋ねられたら、俺の後ろを指さされても否定できなくなってきた。
「アキラと申します。戦闘員ではなく、事務と会計の補助を担当する予定です。身元を証明できる物を所持していないため、必要な聞き取りと照会をお願いします」
アキラさんが雇用契約書と所属申請書を差し出す。
ルノアさんは記載内容を確認し、手元に別の申請書を用意した。
「身分証をお持ちでない場合は、聞き取りを含む仮登録から始めます。出身や家族について、一般の受付では話しにくい事情がございましたら、別室で女性職員がお聞きします」
「ありがとうございます。登録名は《アキラ》のみでお願いします。姓と出身については、担当者へお話ししたうえで、非公開情報として扱っていただけますか?」
「可能です。ただし、虚偽の申告が確認された場合は、登録と所属の承認を取り消すことがあります」
「話したくないことはありますが、虚偽を申し上げるつもりはございません」
アキラさんは制度を理解したうえで、公開する情報と、確認だけを受ける情報を分けていた。
姓を隠すことにも、単に過去を話したくないだけではない理由があるのだろう。
ルノアさんはそれ以上踏み込まず、登録用紙を渡した。
アキラさんは記入欄を一通り確認してから、迷うことなく必要事項を埋めていく。文字は整っており、記載漏れもない。質問したのも、所属職員がクラン外の依頼を受ける場合の申告方法と、収入を得た際の記録についてだけだった。
登録手続きをしているはずなのに、隣にいるフレイアさんの目は、既に事務職員の実技試験を行っていた。
「基礎的な身体能力と魔力量の測定も行います。特別な技能については、御本人が把握している範囲で申告してください」
「剣術と護身術の教育は受けていますが、実戦経験はありません。魔法も基礎的なものに限られます。戦闘技能として評価されるほどではないと考えています」
「承知しました。事務職員として所属する場合、戦闘依頼を受ける義務はありません。街の外へ出る仕事については、実績と能力に応じて制限されます」
「その条件で問題ありません。現在は《Hi-end》での職務を優先します」
担当の女性職員が呼ばれ、アキラさんは聞き取りと測定を行うため、受付の奥へ案内された。
その背中を見送ったルノアさんが、俺とフレイアさんへ向き直る。
「お二人には別件があります。アーマードベヒーモスの査定が終わりましたので、登録手続きの間に確認していただけますか?」
「ようやく終わったんですね」
「装甲部分の解体と素材価値の確認に時間を要しました。支払い額が確定しましたので、クランマスターと会計担当者の署名をお願いします」
アキラさんの所属手続きへ来たはずが、今度は巨大な魔物の精算へ移ることになった。
ギルドへ来た後で用件が増えることには慣れている。
ただし、これまで追加されてきたのは事情聴取や注意事項ばかりだった。報酬が増えるのであれば、初めて歓迎できる寄り道かもしれない。
◇
受付の奥にある応接室へ移ると、ルノアさんが複数の書類をテーブルへ並べた。
討伐報酬、緊急時の防衛協力、素材の買い取り額。装甲、角、骨、魔石についても、査定結果が細かく記されている。
「最初に、《紅蓮の風》はアーマードベヒーモスとの戦闘には参加していません。近隣調査中に対象を発見し、危険を報告した功績については、調査依頼の達成報酬と追加の発見報奨として、討伐報酬とは別に処理しています」
ルノアさんは分配対象を明記した書類を、俺たちの前へ置いた。
「《エンプレスティア》の皆さんには、対象の足止めと周辺防衛への協力報酬として、50万ベルクが支払われます。御本人たちにも確認し、パーティーの共有資金として受け取ることで同意をいただいています」
加入前の功績だから、《Hi-end》ではなく《エンプレスティア》へ支払われる。
それだけでも、並の依頼とは比較にならない金額だった。
「そして、討伐報酬と素材の買い取り額を合わせた残額が550万ベルク。《Hi-end》へ支払われる金額はこちらです」
差し出された支払証明書には、俺が日常の買い物で目にする機会などない数字が並んでいた。
《エンプレスティア》への協力報酬まで合わせれば、総額600万ベルクになる。
これだけあれば、今まで欲しくても我慢していたものを、かなり買えるのではないだろうか。
新しい服と靴。身体に合う寝具。自分の部屋へ置く机や椅子も欲しい。本を買って、値段を気にせず食べたいものを選んでも、まだ十分に残るはずだ。
クランの活動資金であることは理解している。
それでも俺は一人の人間だ。これだけの大金を前にして、欲しいものの10や20くらい思い浮かべても許されるだろう。
「この中から、少しくらい自分の物を買ってもいいですか? 服や靴も新しくしたいし、寝具ももう少し良いものに替えたいんですけど」
「もちろんです。楓さんがお望みでしたら、すぐに手配いたします」
フレイアさんは俺の希望を否定するどころか、支払証明書の余白へ必要なものを書き始めた。
「まず、楓さん専用の衣装室を増築いたします。王都から仕立て職人と靴職人を招き、継続して調整できるよう工房と住居も必要ですね。家具職人にも常駐していただき、寝具については複数の工房へ試作品を発注した後、季節ごとの予備を──」
「待ってください。俺は服を何着か買って、寝具を少し良いものに替えたいだけです」
「楓さんがお使いになる品を、既製品で間に合わせる理由がございません。日用品も専属の職人へ任せれば、今後必要になった際、速やかにご用意できます」
個人的な買い物の相談だったはずなのに、数分も経たないうちに職人街の建設計画へ発展していた。
一瞬だけ、ロキの術式にブレーキを求めたくなる。
直後、エンペラーボアを前にしたあいつが、制動するどころか勢いよく加速していった光景を思い出した。
あれはブレーキではない。術式を積んだプリウスミサイルである。
フレイアさんへロキをぶつければ、止めるどころか二人揃って建設予定地まで突っ込んでいく。
「買い物については、後で俺が考えます」
550万ベルクを前に膨らんだ物欲は、何一つ購入しないまま、一度封印することになった。
欲しいものを諦めたわけではない。
ただ、服を買うために職人の住む街から造るのは、買い物と呼べる範囲を明らかに超えている。まずはフレイアさんへ任せても都市開発へ発展しない品物を探す必要があった。
「承知しました。楓さんがお決めになるまで、資金は大切に管理いたします。残額についても、《Hi-end》と楓さんの将来に役立つ形で運用しましょう」
フレイアさんは残念そうにしながらも、職人街の計画をいったん書類から外した。
完全に諦めた顔ではない。
俺が服を欲しがったという事実だけは記録され、別の機会に衣装室ごと届けられる可能性が残っていた。
ルノアさんは、俺たちの会話へ口を挟まず、査定書類の説明を続ける。
「内容に問題がなければ、こちらへ署名をお願いします。手続きが完了次第、《Hi-end》の口座へ振り込まれます」
俺がクランマスターの欄へ署名し、フレイアさんも会計担当者として隣へ名前を記した。
装甲、角、骨、魔石。解体されたアーマードベヒーモスは、倒されたあとまで余すところなく《Hi-end》の資金へ変えられている。
ルッツ殿下は、本来なら自分たちが倒すはずだったと豪語していた。
もし本当に討伐していれば、この報酬も殿下たちが受け取っていたのだろう。
ただし、服を買いたいと口にしただけで職人街の建設が始まりかける経験だけは、王族であっても羨ましがらないと思う。
◇
受付ロビーへ戻ると、アキラさんの聞き取りと測定も終わっていた。
発行された許可証は仮登録のものだが、街中の仕事を受ける際の身分証として使用できる。一定期間問題なく活動し、追加の確認を終えれば、正式な許可証へ切り替えられるという。
所属欄には、《Hi-end》の名が記されていた。
アキラさんは名前、所属、有効期限、受けられる依頼区分を一通り確認してから、許可証を大切そうにしまった。
「手続きは以上です。所属先が変わった場合や、クラン外の仕事を継続して受ける場合は届け出てください」
「承知しました。まずは《Hi-end》で任せていただいた職務を優先します」
ルノアさんへ礼を述べたアキラさんは、今度は俺たちへ向き直った。
「本日から、よろしくお願いいたします。雇用していただいた以上、報酬と待遇に見合う働きをお見せします」
「こちらこそ、よろしくお願いします。最初から無理はしないでください」
「ありがとうございます。ただ、現在の《Hi-end》には、収支と物資の流れを整理できる方が必要だと考えています。実際の記録を確認したうえで、改善できる点があれば報告いたします」
加入したばかりなのに、既にクランの内部事情を分析するつもりでいる。
フレイアさんは満足そうに微笑み、持参していた別の書類束をアキラさんへ渡した。
「こちらが、最初に確認していただきたい備品目録です。クランハウスへ戻りましたら、支出記録と照合をお願いします」
「概要だけでも、今から拝見してよろしいでしょうか?」
「もちろんです。御不明な点がございましたら、私へお尋ねください」
帰り道で読むには多すぎる書類だったが、アキラさんは嫌な顔をするどころか、最初の一枚を開いて項目へ目を通し始めた。
昨日までは住む場所も仕事もなかった。
今日は身分証を得て、《Hi-end》の所属職員となり、帰宅する前から最初の業務へ取りかかっている。
生活を立て直す足場としては、十分な一歩だと思う。
ただし、歩き始めたアキラさんへ渡された書類の量を見る限り、フレイアさんが用意した足場には、最初から全力疾走以外の速度が設定されていなかった。




