第36話 シナリオ修正
──セレナ・ディモール視点──
王都へ戻った翌日、私はルッツ殿下に伴われ、レブリック子爵の屋敷を訪れていた。
案内されたのは、普段から来客を迎えている応接室ではない。母屋から渡り廊下で隔てられた、小さな別棟の会議室だった。
窓は厚いカーテンで閉ざされ、扉の外には子爵家の使用人ではなく、ルッツ殿下の近衛が立っている。用意された茶器は一級品でありながら、そこへ注がれた紅茶を楽しむために集まった者など、ここには一人もいなかった。
「お待ちしておりました、ルッツ殿下」
レブリック子爵が恭しく頭を下げる。
五十代半ばの痩せた男性で、綺麗に整えられた髭と穏やかな微笑は、実直な貴族という印象を与える。何も知らない者が会えば、領民の悩みに親身になって耳を傾ける人物だと思うかもしれない。
ゲームを遊んでいた私は、その笑顔が誰のために作られたものかを知っている。
子爵の両隣には、聖職者の礼装をまとった大柄な男性と、商人らしい身なりの小太りな男性が座っていた。
「ご紹介いたします。こちらは《聖霊協会王都本部》のゲイリー大司教。そして、状態異常治療薬の販売を取りまとめておられるカーム・ヒルズ殿です」
名前を呼ばれた二人が立ち上がり、順に礼を取る。
ゲイリー大司教もカーム・ヒルズも、《レガリアミィス》に登場していた。ただし、自ら武器を取って主人公たちの前へ立ちはだかる人物ではない。
ゲイリー大司教は《聖霊協会》の権威を利用し、浄化や治療を求める者から金を集める。カーム・ヒルズは治療薬を扱う商人たちへ影響力を持ち、複数のイベントで薬価の高騰を引き起こしていた。
ゲームでは、それぞれ別の事件に登場する脇役だった。
その二人が最初から同じテーブルについている。
画面に描かれなかった場所では、こうして利益を分け合っていたのだろうか。
「急な申し出に応じてもらい、感謝する」
ルッツ殿下は礼を述べながらも、機嫌を取り繕おうとはしなかった。
バーガサレルを出て数日が経過している。それでも楓への怒りは消えておらず、王都へ近づくにつれて、殿下の中で都合のよい形へ整えられていた。
自分は《エンプレスティア》へ新たな選択肢を与えようとしただけ。それを楓の周囲にいた女たちが、王族としての振る舞いにまで話を広げ、大勢の前で恥をかかせた。
今の殿下にとって、あの日の出来事はそういうものだった。
「《Hi-end》というクランについて調べてもらいたい。バーガサレルでは急速に名を上げているようだが、その実績の多くは、所属するパーティーと偶然得た人材に依存しているように見える」
楓を潰せとは言わない。
それでも、声の端々には隠し切れない敵意が滲んでいた。
「一時の幸運で膨らんだ組織なら、相応の負荷を与えれば実態が明らかになる。王族の名で圧力をかけるつもりはない。あくまで、あの者たちが評判に見合うクランなのか確かめたいだけだ」
レブリック子爵は否定も肯定もせず、穏やかな微笑を保ったまま私へ視線を移した。
「その方法について、セレナ様にはお考えがあるとうかがっております」
「大がかりなことをする必要はありません。《Hi-end》は複数のパーティーを抱えています。活動を続けるには治療薬や消耗品が欠かせませんし、所属するハンターへ現在より好条件の仕事が示されれば、全員が残るとは限らないでしょう」
私が提案したのは、ゲームで悪役令嬢アキラが行うはずだった妨害の一部だ。
本来なら、婚約を破棄されたアキラはバーガサレルの不動産業者へ身を寄せ、その伝手を使って主人公たちの活動を妨害する。
ところが、現実ではアキラが到着するより先に不動産業者が摘発された。楓と、その傍らにいるフレイアという女が、ゲームでは中盤まで残っているはずの組織を潰してしまったからだ。
拠点を失ったアキラは消息不明となり、イベントも発生しなかった。
ならば、その筋書きを利用して、別の場所から同じ状況を作り出せばいい。
レブリック子爵は僅かに考える素振りを見せたあと、カーム・ヒルズへ顔を向けた。
「バーガサレルへ送られている治療薬について、現在の供給状況はいかがですかな」
「需要は年々増えております。一方、原料となる薬草の品質には、かなりのばらつきが見られます」
カームは困ったように眉尻を下げた。
人を困窮させる話をしているはずなのに、表情だけを見れば、薬を必要とする人々のために心を痛めている善良な商人だった。
「状態異常治療薬は、配合を僅かに誤るだけでも効能に影響いたします。今後は王都本部で原料をまとめて確認し、成分規格へ適合したものから各地へ送る形が望ましいでしょう。安全性を優先すれば、これまでと同じ量をすぐには用意できない地域も出てまいります」
「つまり、バーガサレルへ送る薬を減らすのか」
ルッツ殿下が結論を口にした途端、室内へ僅かな沈黙が落ちた。
カームは笑顔を崩していなかったが、膝の上で組んでいた指が止まっている。
「殿下。減らすのではございません」
レブリック子爵が、聞き分けの悪い子供へ作法を教えるような穏やかさで訂正した。
「品質を保証できる範囲で、地域別の供給量を適正化するのです」
「言い方を変えただけで、結果は同じではないか」
「同じ結果へ至る場合でも、その理由と記録が異なれば、社会における意味も変わります」
殿下は納得していないようだった。
しかし、バーガサレルで王族の振る舞いを説かれたばかりだからか、それ以上は口を挟まず、不機嫌そうに椅子へ背を預けた。
この部屋では、誰も違法行為について話していない。
薬草を買い集めるのは、原料の品質を確認するため。治療薬の配合を変更するのは、安全な規格へ統一するため。地方への出荷が遅れるのも、供給量を適正化した結果に過ぎない。
それによって価格が上がり、必要な者へ薬が届かなくなっても、書類の上では全員が正しい仕事をしている。
ゲームで何度も見た悪事だった。
けれど、画面の外でこれほど丁寧に言葉を着替えさせていたとは知らなかった。
「《Hi-end》だけへ販売しないとなれば、かえって不自然です」
カームが私の懸念を先回りした。
「バーガサレル全体への供給を調整し、長く取引を続けてきた顧客へ優先的に商品を回します。新興のクランが必要な量を確保できなかったとしても、それは実績と信用の差でしかありません」
カームはそこで言葉を切り、ゲイリー大司教とレブリック子爵の顔を順番に確認した。
「もっとも、正規の価格へ多少の手数料を加えてもよろしければ、別の商会を通じて融通を受けられる可能性はございます。薬を必要としている方を見捨てるわけにもまいりませんので」
供給を絞った本人たちが、別の商会を通して高値で売る。
不足させるところまでは私も想定していた。だが、彼らの間では、その後の利益まで含めて実行可能な仕組みが出来上がっているらしい。
私はゲームの筋書きを教えただけだった。
舞台装置まで既に用意されているとは聞いていない。
「人の方はいかがでしょう」
レブリック子爵が話題を移すと、ゲイリー大司教が胸元の聖印へ指を添えた。
「所属先を変えるよう強制することは許されません。しかし、より良い就業の機会を紹介することは、人々の生活を支える行いでもあります。バーガサレル支部を通じ、経験あるハンターを求めている商会や護衛団があると周知する程度なら、何も問題はないでしょう」
「《Hi-end》の者へ直接声をかけるのか」
「いいえ。募集そのものは広く行います」
ゲイリー大司教が、慎重に言葉を選んだ。
「その条件に合う方が、たまたま《Hi-end》や関係するパーティーに多く所属しているだけです。報酬、装備の貸与、治療薬の優先購入。現在より安定した環境を示されたとき、どちらを選ぶかは本人の自由でございましょう」
薬を不足させたうえで、その薬を優先的に買える仕事を紹介する。
どちらを選ぶのも本人の自由。ただし、一方を選ばなければ不利益を受けるよう、最初から道を傾けてある。
バーガサレルでルッツ殿下が《エンプレスティア》へ行った勧誘と、根本はそれほど変わらない。
その事実へ殿下が気づいた様子はなかった。
「それで構わない」
短く答えたルッツ殿下の顔には、ようやく僅かな満足が浮かんでいた。
「楓が本当に優れたクランマスターなら、薬が不足しようと、所属する者へ別の誘いがあろうと、組織を維持できるはずだ。できないのであれば、《エンプレスティア》を受け入れる器ではなかったということになる」
これは報復ではなく、《Hi-end》の実力を確かめるための試験である。
そう言い換えたことで、殿下の中では王族としての正当性まで整ったらしい。
レブリック子爵たちも訂正しなかった。彼らにとって必要なのは殿下の納得であって、動機の正しさではない。
「では、供給の適正化と就業機会の周知から始めましょう。急激な変化は不自然です。最初は小さな不足と、少しばかり魅力的な誘いだけでよろしい」
子爵は今後の段取りを確認してから、テーブルに置かれていた書類を閉じた。
これで話は終わった。
そう思ったとき、ゲイリー大司教が書類の端へ指を置いた。
「バーガサレルといえば、先日摘発された不動産業者が所有していた土地について、処分が進められているそうですな」
「ええ。権利関係の確認が終わったものから、町が新たな所有者を探すことになるでしょう」
レブリック子爵の笑みが、ほんの少しだけ深くなった。
「立地に恵まれた土地もございます。ただ、長く使用されていない理由まで含めて考えなければ、思わぬ出費を抱えることになるかもしれません」
「取得や使用に、何か制限があるのですか」
私が尋ねると、ゲイリー大司教はゆっくりと首を横へ振った。
「土地に魔力溜まりや瘴気が残っていたとしても、所有者が承知のうえで使われるのであれば、我々が口を挟むことではございません。購入も利用も、本人の判断に委ねられております」
それだけ聞けば、安価な土地を自由に使えるだけの話だった。
だが、大司教はそこで終わらせなかった。
「ただし、そこで商売を営み、働いている者や訪れた客に何かあれば、責任を負うのは土地の所有者です。体調不良、商品の汚染、設備への悪影響。土地に問題があると知りながら営業していたとなれば、信用を取り戻すのも容易ではないでしょう」
使用を禁じる必要などない。
土地を買わせ、店や工房を造らせてから、そこで働く者や客に何か起きた場合の責任を理解させればいい。
高い金を払ってでも、事前に浄化を頼むしかなくなる。
「無論、我々も不幸を望んでいるわけではございません」
ゲイリー大司教は胸元の聖印へ手を添え、慈悲深い表情を浮かべた。
「所有者からご相談があれば、《聖霊協会》として土地の状態を調べ、必要な浄化を行います。費用は土地の広さと状態によって異なりますが、人命や商売の信用には代えられません」
レブリック子爵は何も言わず、冷めかけた紅茶へ口をつけていた。
けれど、私には分かる。
かつて不動産業者が安く買い集めた土地へ問題があることを、この二人は以前から知っている。
業者が土地を売り、購入者が異変に気づき、《聖霊協会》へ高額な浄化を依頼する。あるいは費用を惜しんで商売を始め、客や従業員へ被害が出たところで、所有者の責任としてさらに追い詰められる。
不動産業者だけが摘発されても、その前後で利益を得ていた者たちは残っている。
「その土地も、《Hi-end》に関係があるのか」
ルッツ殿下が尋ねた。
「今のところは、何もございません」
レブリック子爵は、曖昧な笑みを返した。
「ただ、組織が大きくなれば、いずれ新しい施設や土地が必要になります。選択肢が少なくなった頃に、手頃な物件が現れることもあるでしょう。それを選ぶかどうかは、あくまで先方の自由でございます」
また自由だった。
この部屋では、誰も他人へ何かを強制しない。
薬を買えなくても、別の商会から高値で買う自由がある。現在の所属先へ不満があるなら、別の仕事を選ぶ自由もある。問題のある土地を安く買い、浄化せずに使う自由まで認められている。
ただし、どの道を選んでも彼らへ金や利益が流れるよう、選択肢そのものが作られていた。
「まずは薬と人からだ」
ルッツ殿下は、土地の話にさほど関心を示さなかった。
「それで《Hi-end》が揺らぐなら、余計な手間をかける必要もない。楓には、自分が抱え込んだ者たちを守れるのか試してもらおう」
殿下は最後まで、自分の非を認めなかった。
バーガサレルで王族としての振る舞いを教えられたことも、他所のクランで勝手に勧誘を始めたことも、今では楓の器量を測る理由へ置き換えられている。
レブリック子爵たちにとっては、その方が扱いやすいのだろう。
供給の適正化。
就業機会の紹介。
土地を購入する者への善意の忠告。
これから行われることには、どれも立派な名前が与えられていた。
話し合いが終わり、給仕が新しい紅茶を運んでくる。
先ほどまでの会話を知らない使用人の前で、ゲイリー大司教は信仰の大切さを語り、カームは地方の患者を案じ、レブリック子爵はバーガサレルの発展を願ってみせた。
誰も嘘はついていない。
信仰は彼らにとって大切で、患者は薬を高く買ってくれる存在であり、町が発展すれば新しい土地と商売が必要になる。
ただ、言葉へ込めている意味が、一般の人々とは少しばかり違っているだけだった。
私は冷めた紅茶を口へ運びながら、バーガサレルにいる楓を思い浮かべる。
ゲームでは、悪役令嬢アキラが不動産業者へ身を寄せたことで始まるはずだった妨害イベント。
アキラは消息不明となり、不動産業者も既に潰れている。それでも私は、失われた筋書きを別の配役で動かすことができた。
ゲームに存在しなかった楓を、ゲームの知識で押さえ込む。
それができれば、ルッツ殿下にとって私の価値はさらに高くなる。
窓を塞ぐ厚いカーテンの向こうで、雨音が強くなっていた。
本人の知らないところで、バーガサレルへ流れる薬と金、そして人の行き先が、ゆっくりと形を変え始めている。
悪役令嬢がいなくても、悪役令嬢のイベントは再現できる。
その考えだけは、間違っていないはずだった。
私は冷めた紅茶を口へ運びながら、バーガサレルにいる楓を思い浮かべる。
ゲームでは、悪役令嬢アキラが不動産業者へ身を寄せたことで始まるはずだった妨害イベント。
アキラは消息不明となり、不動産業者も既に潰れている。それでも、イベントを構成していた仕組みまですべて消えたわけではなかった。
薬を押さえ、人を揺さぶり、必要になった土地には別の罠を残す。
配役が欠けているのなら、残された者たちを動かせばいい。
ゲームに存在しなかった楓を、ゲームの知識で押さえ込む。それができれば、ルッツ殿下にとって私の価値はさらに高くなる。
窓を塞ぐ厚いカーテンの向こうで、雨音が強くなっていた。
本人の知らないところで、バーガサレルへ流れる薬と金、そして人の行き先が、ゆっくりと形を変え始めている。
消えたはずのイベントは、もう一度動き出した。
今度こそ、私の知っている筋書きから外れさせはしない。




