第35話 レガリアミィスを知る者
──セレナ・ディモール視点。
バーガサレルの城門を出てから、ルッツ殿下はほとんど口を開かなかった。
王都へ戻る馬車の中でも、腕を組んだまま窓の外を睨んでいる。舗装されていない道を車輪が踏むたび、車内へ小さな振動が伝わってくるものの、その姿勢は崩れない。
平静を保っているわけではなかった。
眉間には深い皺が刻まれ、指先は何度も肘掛けを叩いている。
《エンプレスティア》の勧誘を断られたことだけが原因ではない。
ルッツ殿下が最も腹を立てているのは、辺境で設立されたばかりのクランから、王族としての振る舞いを教えられたことだった。
「楓は、最後まで私を侮辱する言葉を口にしなかった」
長い沈黙の末、殿下は感情を押し殺した声で話し始めた。
「それでいて、周囲の女たちは、私が無礼を働いたかのように責め立てた。本人は黙ったまま、最後には肉を持って出直せとまで言わせている」
ルッツ殿下の中では、肉の手土産まで楓の要求になっているらしい。
本人は即座に否定していたが、その直後にロキが《だいたい合っている》と認めていた。何度も同じやり取りを見せられたせいで、殿下にとっては楓の言葉より、ロキによる代弁の方が信用できるものになっていた。
「殿下が直接足を運ばれたことを、あの者たちは軽く考えすぎています」
私は殿下の怒りを否定しなかった。
無断でクランハウスへ入り、加入手続きの最中に勧誘を始めれば、訪問先が不快に思うのは当然である。王城で同じことをされれば、殿下も相手を無礼者として追い出しただろう。
だが、今それを口にしたところで、殿下の怒りが私へ向くだけだった。
「ただ、《エンプレスティア》が誘いを断った理由は、楓のクランが殿下より優れているからとは限りません。あの場では、既に加入についての話が進んでいました。彼女たちも、一度決めたことを好条件だけで覆したと思われたくなかったのでしょう」
「私が訪れる前に、既に取り込まれていたということか?」
「加入を申し込むほどには、楓たちを信用していたのでしょう。場所と順序が違えば、結果も変わっていた可能性があります」
失敗の原因を、殿下自身ではなく手順へ移す。
それだけで、肘掛けを叩いていた指先が止まった。
私は窓の外へ視線を向け、遠ざかっていくバーガサレルの城壁を眺めた。
《エンプレスティア》が断った理由など、本当はどうでもよかった。
問題は、彼女たちが楓を選んだという結果である。
あの5人は、《レガリアミィス》に登場するパーティーだった。
《レガリアミィス》には、主要人物だけでも相当な数が存在した。その周囲には仲間候補、敵対者、各地域で依頼に関わる者、特定の分岐でしか現れない人物までいる。
《エンプレスティア》も、その中の一つだった。
どの物語でも必ず王族へ仕えるわけではない。それでも、早い段階で味方へ加えられれば、後の戦いで役に立つことを私は知っていた。
だからこそ、アーマードベヒーモスを足止めしたという報告を聞き、ルッツ殿下へ勧誘を勧めた。
全員が美しいハイエルフであり、殿下も直属へ迎えることへ強い関心を示した。装備、住居、王都での役職まで用意すれば、少なくとも新設クランより優位に立てるはずだった。
それなのに、《エンプレスティア》は《Hi-end》を選んだ。
私の知る《レガリアミィス》に、そのような名称のクランは存在しない。
嵯峨楓という人物にも、はっきりとした記憶がなかった。
登場人物の多いゲームだった。街の通行人や、依頼の説明だけをするハンター、背景へ一度だけ映る人物まで含めれば、全員を覚えているはずもない。
どこかの場面に、似た顔のモブがいた可能性はある。
しかし、名も覚えられていないような人物が、複数のパーティーを集め、ゲームに登場した仲間候補まで加入させることなどあるだろうか。
楓の周囲にいた女たちも同様だった。
フレイア。
ロキ。
オティヌス。
そして、メーガナーダ。
いずれも《レガリアミィス》の登場人物として記憶にない。
転生前の世界で聞いた神話を思わせる名前ばかりなのも気になった。
単なる神話由来の名前なのか。
私が到達できなかった分岐に登場する隠しキャラクターなのか。
あるいは、《レガリアミィス》の外側から現れた存在なのか。
今の段階では判断できない。
それでも、楓を中心として、私の知る物語が変わり始めていることだけは確かだった。
「楓を、このまま放置するつもりはない」
ルッツ殿下の声で、意識を馬車の中へ戻す。
「王族の誘いを断ったことが、どれほど愚かな判断だったのか、《エンプレスティア》にも理解させる必要がある。《Hi-end》が立ち行かなくなれば、彼女たちも自分から私のもとへ来るだろう」
怒りに任せ、王家の権限で圧力をかけるつもりなのだろう。
それは避けなければならない。
《Hi-end》に明確な違法行為はない。王族の誘いを断ったという理由で処分すれば、楓ではなく殿下の方が立場を悪くする。
その判断へ私まで関与したと知られるのも困る。
「公に処罰する必要はないと思います」
私は殿下の怒りを否定せず、別の方向へ導くことにした。
「クランを維持するには、戦力だけでなく、薬、装備、日々の消耗品が必要です。所属するハンターたちも、楓への忠誠だけで生活しているわけではありません。《Hi-end》より安全で、待遇のいい場所があると分かれば、全員が残るとは限らないでしょう」
「物資を絞り、所属する者たちを引き抜くということか」
「奪うのではありません。新設クランが、所属するハンターを守れるだけの力を持っているか確かめるのです。十分な備えもないまま人を集めているのであれば、早いうちに現実を知った方が、彼らのためにもなります」
言葉を変えれば、私怨も試練になる。
殿下は《Hi-end》を潰すのではなく、その実力を確かめる。耐えられず所属者が離れるなら、楓に人を預かる資格がなかっただけ。
そう考えれば、自分の行動を正当なものとして受け入れられる。
「何か方法を知っているようだな」
探るような視線を向けられ、私はすぐには答えなかった。
知っている。
本来なら、別の人物が起こすはずだった事件を。
婚約を破棄され、王都を追放された悪役公爵令嬢が、辺境から主人公たちへの復讐を始めるイベント。
ゲームでは、アキラ・リザトーエルがバーガサレルの悪徳不動産業者へ身を寄せる。
その不動産業者を通じてレブリック子爵と接触し、《聖霊協会王都本部》が握る浄化と治療薬の利権を利用する。主人公側へ流れる医薬品や消耗品を絞り、所属するハンターを引き抜き、拠点として必要な土地へまで妨害を仕掛けてくる。
アキラが悪役として本格的に動き始める、物語中盤のイベントだった。
だから私は、婚約を破棄させるための証拠を用意した。
ゲームの中でアキラが悪役だった以上、現実でもいずれ同じ行動を取る。
今は罪を犯していなくても、やがて私とルッツ殿下を憎み、ゲームと同じ方法で復讐を始める。
それなら、先に立場を奪っても結果は変わらない。
むしろ、将来起きる被害を防いだことになる。
そう自分へ言い聞かせた。
婚約を破棄されなければ、アキラが復讐を始める理由も生まれない。
その矛盾には、考えが及ばないふりをした。
私は、ゲームで悪役だったアキラを排除したのではない。
自分がルッツ殿下の隣へ立つために、悪役という役目を利用しただけなのかもしれない。
それでも、今さら認めるつもりはなかった。
ところが、アキラによる妨害イベントは発生しなかった。
王都を追放されたあと、彼女がバーガサレルへ送られたことまでは知っている。その後、どこで何をしているのかは分からない。
最初は、現実の世界では行動を変えたのだと思った。
復讐を諦めたのか、ゲームとは異なる人物を頼ったのか。あるいは、イベントが始まる前に命を落とした可能性すらある。
だが、バーガサレルで情報を集めるうち、本当の理由が分かった。
アキラが身を寄せるはずだった悪徳不動産業者は、彼女がこの街へ来るより先に摘発されていた。
きっかけとなったのは、《Hi-end》が現在使用しているクランハウスである。
問題のある物件を不当な条件で売りつけようとしたところ、フレイアが契約の不正を看破した。その後の調査によって、所有地の違法な取得や別の犯罪まで発覚し、業者は捕らえられた。
表向きには、フレイアが不正を見抜いたことになっている。
しかし、彼女は楓をクランマスターとして扱い、全てが彼の意向であるかのように動いていた。
アキラが姿を消したから、イベントが起きなかったのではない。
彼女が身を寄せるはずだった場所を、楓が先に消していた。
偶然だと考えるには、出来すぎている。
《エンプレスティア》の加入先まで変えた楓なら、悪役公爵令嬢イベントの発生条件を知っていてもおかしくない。
もし、楓も《レガリアミィス》を知っているのだとすれば、私がアキラを排除した理由も、今後起きるはずだった事件も把握している可能性がある。
それでも、まだ断定はできない。
私の記憶にない隠しキャラクターが、偶然複数のイベントへ干渉しただけかもしれない。
だから、確かめる必要があった。
「レブリック子爵へ相談してみてはいかがでしょうか」
私が提案すると、ルッツ殿下は聞き覚えのある名前を探すように目を細めた。
「領地経営より、商会や不動産業者との付き合いを好む男だったな。なぜ、あの子爵が出てくる?」
「以前、王都の医薬品やハンター向け消耗品の流通へ顔が利くと耳にしました。辺境で活動するクランの実力を確かめるのであれば、正面から圧力をかけるより、必要な物資を自力で確保できるか見た方がよろしいかと」
ゲーム知識から得た情報だとは言えない。
あくまで、貴族社会で耳にした噂として話す。
「《Hi-end》の所属者へ、殿下の直属となった場合の待遇を個別に知らせることもできます。楓を本当に慕っているのか、それとも、ほかに行き場がないから従っているだけなのか。それで見極められるでしょう」
ルッツ殿下は黙り込み、窓の外へ視線を向けた。
怒りに任せた報復より、自分が選ばれなかった理由を確かめる方法として気に入ったらしい。
「王都へ戻り次第、レブリック子爵を呼ぶ。《Hi-end》が王族へ逆らうに値するクランなのか、確かめてやろう」
「承知いたしました」
私は頭を下げ、表情を隠した。
本来ならアキラが起こすはずだった妨害イベントを、私たちが利用する。
悪徳不動産業者という窓口は、既に楓によって潰されている。
それでも、イベントの裏側にいた者たちは残っていた。
レブリック子爵。
《聖霊協会王都本部》のゲイリー大司教。
状態異常治療薬の販売責任者であるカーム・ヒルズ。
彼らへ直接つながれば、悪徳不動産業者がいなくても、同じ仕組みを動かせる。
楓が本当にゲームの流れを知っているなら、次に起きることも予想するだろう。
知らないのであれば、《Hi-end》は物資と人材を失い、設立されたばかりのクランは崩れていく。
どちらに転んでも、楓の正体へ近づける。
そう考えていた。
◇
王都へ戻るまでには、数日を要した。
道中も、ルッツ殿下の機嫌が完全に直ることはなかった。
宿場へ到着するたび、《エンプレスティア》の判断が理解できないと繰り返し、楓の周囲にいた女たちについても調べるよう命じてくる。
しかし、フレイア、ロキ、オティヌス、メーガナーダについて得られた情報は、いずれも表面的なものばかりだった。
4人が楓と行動し、既存の常識では測れない力を持っている。
分かったのは、その程度である。
重要なのは、4人とも私のゲーム知識に存在せず、その全員が楓の周囲へ集まっていることだった。
王都へ到着した翌日、ルッツ殿下はレブリック子爵を王城の一室へ呼び出した。
五十代半ばほどの男は、突然の呼び出しにも動揺を見せず、恰幅のいい身体を折って恭しく一礼する。
「殿下からお声がけいただけるとは、光栄にございます。本日は、どのようなご相談でしょうか」
ルッツ殿下は、《Hi-end》という新設クランについて説明した。
王族直属の誘いを断ったこと。
《エンプレスティア》を加入させたこと。
そして、辺境の新設クランが所属者を守り、運営を維持するだけの力を持っているか確かめたいこと。
レブリック子爵は、最後まで口を挟まずに聞いていた。
ただし、《Hi-end》が使用しているクランハウスへ話が及んだ瞬間、その目に僅かな警戒が浮かんだ。
「あの不動産業者を摘発に追い込み、結果として所有地まで町の管理下へ移させたクランでございますか」
「知っているのか?」
「以前、多少の付き合いがあった者です。もっとも、法に背く行為まで承知していたわけではございません」
滑らかな返答だった。
ゲームで事情を知っている私でなければ、その言葉を疑わなかったかもしれない。
レブリック子爵は、不動産業者が何をしていたか知っている。
その背後で、どのような利益が動いていたのかも。
「殿下が望まれているのは、露骨な処罰ではなく、そのクランが存続するに値する力を備えているか確かめること。そう理解してもよろしいでしょうか」
「その通りだ。王家へ逆らったことだけを理由に潰すつもりはない。ただ、楓が自らの力を過信しているのであれば、現実を教える必要がある」
レブリック子爵の口元へ、薄い笑みが浮かんだ。
「でしたら、まずは医薬品から試されるのがよろしいかと存じます。ハンターは剣が折れても別の武器を取れますが、状態異常に侵された身体は、意志だけでは動きません」
子爵はそこで言葉を切り、私へ一度だけ視線を向けた。
偶然の提案ではない。
私がこの男へ辿り着いた理由を、向こうも探ろうとしている。
「《聖霊協会王都本部》には、私と懇意にしていただいている方がおります。ゲイリー大司教。そして、状態異常治療薬の販売を任されているカーム・ヒルズ。お二人であれば、辺境への供給について、有意義な助言をくださるでしょう」
ゲームで知っていた名前が、現実の言葉として子爵の口から告げられた。
消えたはずの悪役公爵令嬢イベントが、再び動き始める。
その中心にいるのは、アキラではない。
彼女を悪役として断罪した、私たちだった。




