第32話 マッチポンプ
クラン《Hi-end》が正式に設立されてから、数週間が過ぎた。
所属する《紅蓮の風》はAランク、《銀夜行》《ファングドレイク》《黒霧》もBランクへ昇格している。後者の3組も、測定された実力だけならAランク相当らしい。
そして、彼らをまとめる俺は、今日もFランクのハンターレベル1だった。
「代表者を変更されるのが、最も簡単な方法です」
朝食後のロビーで、ルノアさんがクランの登録書類を広げた。
「Aランクのユールさんを代表者とすれば、《Hi-end》は現在より広い範囲の指定依頼を受けられます」
「では、それでお願いします」
俺は迷わず答えた。
ユールさんはAランクであり、仲間からの信頼もある。エンペラーボアを倒した実績まで持っているのだから、書類上の条件だけなら申し分ない。
俺はクランマスターの椅子へ執着していない。
そもそも座ると決める前に、名前と本拠地を用意されていた。返せるものなら、今からでも喜んで明け渡したかった。
「却下いたします」
フレイアさんから返ってきたのは、検討を一切挟まない即答だった。
「《Hi-end》は楓さんを中心として設立されたクランです。代表者を変更すれば、存在する意味そのものを失います」
「受けられる依頼が増えるなら、その方が所属者のためになるでしょう」
「楓が降りるなら、私も抜ける」
長弓の手入れをしていたメーガナーダさんが、手を止めずに告げる。
「うちもや。楓がおらへんのに、ここへ残ってもしゃあないしな」
受付台の奥にいたロキまで続いた。
オティヌスの姿は、朝から見当たらない。
昨日、珍しい虫を探してくると言い残し、そのまま帰っていなかった。本人に確認できないものの、戻ってきた時に食事係を勝手に変更したと騒ぐ姿だけは容易に想像できる。
クランマスターという役職への理解は間違っているのに、変更された時だけ正確に気づきそうなのが厄介だった。
当のユールさんにも確認する必要がある。
そう考えていたところで、正面玄関が勢いよく開いた。
「楓さん!」
ロビーへ駆け込んできたのは、ユールさんとルドベックさんだった。
2人とも依頼用の装備を身につけたままで、額には汗が浮かんでいる。肩や脚には土埃が残り、帰還の報告より先に、俺たちのいる長机へ駆け寄ってきた。
「西の渓谷で、アーマードベヒーモスを確認しました!」
ルノアさんが閉じかけていた書類を開き直す。
「間違いありませんか?」
「はい。街道へ出る手前の狭窄部で、オティヌスさんと5人のハイエルフが足止めしています」
「オティヌスが?」
朝食へ戻らなかった理由は判明した。
虫を追って森の奥へ入ったのだと思っていたが、実際にはAランク魔物の足止めへ参加していたらしい。
もっとも、オティヌスの場合は《巻き込まれた》のか《原因を作った》のかで、現場へ向かう時の心構えが大きく変わる。
今はまだ、前者であることを祈っておいた。
《紅蓮の風》が受けていたのは、西部の渓谷と街道周辺における魔物分布の調査だった。
エンペラーボア討伐によってAランクへ上がったとはいえ、毎回同じ規模の魔物と戦わせる必要はない。まずは周辺の地形や生息する魔物を調べる仕事から始めた方がいいと、俺が勧めた依頼である。
調査中に巨大な足跡と倒された木々を見つけ、追跡した先でアーマードベヒーモスを発見したという。
「ヘンリーとパティは現場へ残しました。ハイエルフの方々と協力し、街道へ人や荷馬車が入らないよう止めています」
以前の4人なら、全員で戻るか、誰が残るか決めるために現場で会議を始めていただろう。
今はユールさんが状況を判断し、現場に必要な2人を残したうえで、自分たちが報告へ来ている。
死亡を3回繰り返した訓練方法は二度と認めたくないが、その経験が判断へ変わっていることだけは認めるしかなかった。
「負傷者はいますか?」
「確認できていません。商隊も、アーマードベヒーモスがいる場所へ入る前に止めています。ただ、いつまで足止めできるか分かりません」
ルノアさんが必要な情報を確認している間に、フレイアさんは西部の地図を広げた。メーガナーダさんは長弓を手に取り、ロキも転送先を探るため空間へ指を滑らせる。
代表者を誰にするかという話は、誰かが保留を宣言するまでもなく、机の端へ追いやられた。
「ロキ。現場の近くまで転送できますか?」
「ユールらが戻ってきた経路を辿れば開ける。ただ、魔物の真横は危ないから少し離すで」
珍しく安全確認が先に出た。
玄関扉を2枚失い、エンペラーボアを屋敷へ射出した経験が、ようやく慎重さへ変換されたらしい。授業料として扉を払う必要があったのかは分からないが、学習したことまで否定するつもりはなかった。
「ユールさんたちは、ここで休んでいてください」
「俺たちも戻ります」
ユールさんは息を整えながらも、迷わず答えた。
「現場の地形と、アーマードベヒーモスの位置は確認しています。商隊の誘導にも人手が必要です」
ルドベックさんも剣の位置を直し、すでに引き返すつもりでいる。
「分かりました。ただし、討伐より商隊の安全を優先してください」
「はい!」
ロキが開いた転送口を抜け、俺たちは西の渓谷へ向かった。
◇
転送先は、街道が渓谷へ入る少し手前だった。
岩壁に挟まれた道には、複数の荷馬車が止まっている。商人や護衛たちは不安そうに奥を見ていたが、混乱は起きていなかった。
先頭の荷馬車より前にはパティさんが立ち、後続の商隊へ状況を説明している。ヘンリーさんは岩壁の上から周囲を警戒し、別の魔物が近づいていないか確かめていた。
ユールさんたちは、そのまま2人へ合流した。
足元へ小さな振動が伝わってくる。
街道から脇へ延びる細い渓谷を進むと、岩壁が左右から迫る場所に、谷を塞ぐほどの巨体が立っていた。
四足で立っているだけでも、旧クランハウスの1階ほどの高さがある。背中から頭部まで続く灰色の外皮は岩盤にしか見えず、前脚が地面を掻くたび、人の頭ほどもある石が後方へ弾かれていた。
その手前には、見覚えのある小さな背中がある。
「遅いぞ、楓!」
オティヌスは首から虫籠を下げ、アーマードベヒーモスと向かい合っていた。
「どうして、ここにいるんだ?」
「私が先に見つけた肉だ。ほかの者へ取られぬよう見張っておった」
責任感ではなく、所有権を守るために残っていたらしい。
周囲では、5人のハイエルフが魔法を維持している。
剣を持つ女性が正面で注意を引き、槍と小剣を使う2人が左右へ分かれていた。後方からは弓と杖を持つ2人が、土壁や蔦を作って魔物の移動を制限している。
装備も動きも悪くない。
しかし、アーマードベヒーモスの外皮には、目立った傷が一つもなかった。
「増援ですか?」
剣を持つハイエルフが、俺たちへ気づいて振り返る。
「クラン《Hi-end》です。アーマードベヒーモスの対処に来ました」
「あなたが、クランマスターですか?」
「はい。嵯峨楓です」
女性の視線が、俺の装備と体格を順番に確かめた。
何も言われなかったが、期待していた人物と違ったことは伝わってくる。
当然だと思う。
Aランク魔物を前にして現れたクランマスターが、魔力も使えず、身体能力も一般人と変わらない17歳の少年である。俺が反対の立場なら、責任者ではなく避難に遅れた住民だと思うだろう。
「Cランクパーティー《エンプレスティア》のセフィです。こちらは私たちが押さえます。戦闘が難しい方は、商隊の避難をお願いします」
丁寧な言葉だった。
それでも、俺を戦力として数えていないことだけは分かる。
「ありがとうございます。ここからは、こちらに任せてもらえますか?」
「危険です。外皮には、私たちの攻撃魔法も通りません」
「倒せる人がいますので」
俺がメーガナーダさんを見ると、セフィさんたちの視線もそちらへ移った。
腹部を露出した服装と、手にしている黒塗りの長弓だけを見れば、巨大な魔物を正面から止められる人物には見えない。
その評価が変わるまで、長い時間は必要なかった。
アーマードベヒーモスが地面を蹴った。
巨体に似合わない速度で、街道のある方角へ向かおうとする。
「メーガナーダさん。正面で止めてください。ただし、投げないでください」
「加減が難しいな」
「商隊まで飛ばさない程度でお願いします」
メーガナーダさんは黒塗りの長弓を片手で地面へ突き立てた。弓身が太く伸び、彼女の背丈を超える巨大な金棒へ形を変える。
衝突の瞬間、渓谷全体へ低い音が響いた。
岩盤に覆われた巨体が、その場で止まる。
メーガナーダさんの靴が土へ僅かに沈んだだけで、後ろへ押されることはなかった。むしろ片腕で押し返され、アーマードベヒーモスの前脚が地面から浮いている。
セフィさんたちが、魔法を維持したまま動きを止めた。
理解できない気持ちは分かる。
俺も最初に、メーガナーダさんが巨大な金棒を片手で振り回した時は、武器の重さではなく、自分の常識を疑った。
アーマードベヒーモスはメーガナーダさんを避け、渓谷の奥へ向きを変える。
「ロキ。逃がさないでください。転送先は地面の上で、進行方向を戻すだけにしてください」
「分かっとる。射出せえへんから安心せえ」
以前なら、その一言で不安が増えていた。
ロキが開いた転送口へ巨体が入り、数歩後方の地面へ戻される。勢いを加えられることも、空中から落とされることもなかった。
転送術式が正常に使われている。
ロキを知らない者には伝わらない成果だが、俺にとっては魔物を止めたことと同じくらい重要だった。
怒ったアーマードベヒーモスの外皮から魔力が広がり、砕けた岩が周囲へ浮かび上がる。
「フレイアさん。商隊と《エンプレスティア》をお願いします」
「承知いたしました」
飛来した岩が、白い障壁へ衝突した。
フレイアさんは必要な範囲だけを守り、余剰の力を岩壁へ広げていない。背後の街道にも被害はなかった。
これで魔物の動きと、周囲の安全は確保された。
「オティヌス。外皮だけを貫けるか?」
「できる。肉を傷つけると思うておるのか?」
肉への配慮を疑われたことが不満だったらしい。
オティヌスが虫籠を俺へ預け、片手を前へ伸ばす。
光が集まり、長い槍へ形を変えた。
狙いを定める視線は、魔物の急所より先に腹部や太腿の肉づきを確認している。食材として価値の高い部位を避けているだけだが、事情を知らない者には冷静に弱点を見極めているように映るだろう。
放たれた槍が、前脚の付け根にある外皮の隙間を貫いた。
アーマードベヒーモスの巨体が内側から揺れ、数歩よろめいたあと、街道を塞がない方向へ横倒しになる。
着地の衝撃で土煙が広がったものの、ロキが崩れかけた岩を安全な場所へ移し、フレイアさんの障壁が商隊への砂埃まで遮った。
戦闘が始まってから、数分も経っていない。
俺がしたことは、4人へ役割を頼み、投げない、射出しない、周囲を壊さないと念を押しただけだった。
それでも討伐対象は確認できる形で残り、渓谷も街道も消えていない。
今回の俺たちにとっては、魔物を倒したことより、壊してはいけないものを数えずに済んだことの方が大きな成果だった。
セフィさんは、倒れたアーマードベヒーモスと俺たちを見比べている。
先ほどまで俺へ向けられていた評価が、明らかに変わっていた。
「全員の力を把握したうえで、被害を出さない範囲へ収められたのですね」
俺としては、過去の被害を参考に禁止事項を並べただけである。
しかし、彼女たちから見れば、規格外の4人へ短い指示を与え、Aランク魔物だけを数分で倒したように映ったらしい。
「皆さんが、街道へ出る前に止めてくれていたおかげです。負傷者がいないか確認しましょう」
「……私たちの働きまで、功績として認めてくださるのですか?」
感謝を伝えたつもりが、別の意味へ進み始めた。
その階段は見なかったことにして、俺はオティヌスへ虫籠を返す。
「それで、どうしてアーマードベヒーモスが街道の近くにいたんだ?」
「私が連れてきた」
オティヌスは、何の迷いもなく答えた。
祈っていた方ではなかった。
「先ほどの方は、やはり楓様のお仲間だったのですね」
セフィさんが、オティヌスへ視線を向ける。
「昨日、渓谷の奥でお会いしました。アーマードベヒーモスが街道へ近づく前に捕らえるため、私たちへ落とし穴を掘るよう指示されたのです」
俺が知らないところで、最高神はAランク魔物を発見し、Cランクパーティーを使った捕獲作戦まで始めていた。
動機を聞くのが怖い。
それでも、聞かずに済ませられる内容ではなかった。
「なぜ、捕まえようとしたんだ?」
「食えるかと思った」
被害が出る前に脅威を発見し、低ランクパーティーだけで移動を封じた理由が、夕食の一言へ収まった。
作戦の規模に対して、目的だけが恐ろしく小さかった。




