第31話 シャンバラに嘆く者
エンペラーボアが正面玄関を通過してから、一夜が明けた。
通過という言葉が適切かは分からない。玄関扉を蝶番ごと吹き飛ばし、ロビーの中央まで上半身を突っ込ませた移動を通過と呼べるなら、城門を破壊して侵入する軍勢も、少し急いで入場しただけになる。
巨大な死体は昨日のうちにギルドの解体場へ運ばれたが、扉は戻ってこなかった。
現在は割れた板を床へ並べ、ヤシチたちが使えそうな部材を選別している。その隣では、破壊した張本人であるロキが蝶番へ見慣れない術式を書き込んでいた。
「何を追加しているんですか?」
「安全装置や。次からは急に飛び出さんよう、転送物の速度を落とす術式をな」
昨日の事故を反省しているようには聞こえる。
しかし、修理しているのは玄関扉であって転送口ではない。なぜ蝶番へ安全装置をつければ、別の場所に開く転送口の速度を制御できると思ったのか。
「それ、扉を開けた人の動きが遅くなるだけでは?」
「……せやろか?」
「分からずに書いていたんですか?」
ロキは蝶番と術式を交互に見たあと、何事もなかったように袖で文字を消し始めた。
昨日は次からブレーキをつけると言っていたが、すでに取りつける場所から間違えている。アクセルと踏み間違える以前に、車輪へ玄関の鍵をつけようとしていた。
ヤシチが無言でロキから蝶番を取り上げる。
修理技術を持たないゴブリンから、作業へ参加する資格まで取り上げられた転送神は、玄関脇へ座らされた。
ロキが初めて安全へ貢献した瞬間である。
何もしないという方法で。
俺が扉の残骸を眺めていると、門の方からルノアさんが歩いてきた。
手には複数の書類と、昨日ギルドへ提出した《紅蓮の風》の報告書がある。
「おはようございます。こちらでよろしいでしょうか?」
「扉はありませんが、入口はここで合っています」
以前より開放的になった正面玄関を示すと、ルノアさんは割れた板とロキを順番に見た。
何が起きたのか尋ねなかったのは、すでに聞いているからか、聞けば報告書が増えると察したからだろう。
ロビーへ移動すると、フレイアさんとメーガナーダさんが長机の前に座り、オティヌスは窓際で虫籠を覗いていた。
金色の甲虫には朝食として果物が用意されている。俺たちより食事の時間が早いだけでなく、皿まで専用だった。
この屋敷で最初に待遇改善を勝ち取ったのは、加入したパーティーでも働いているゴブリンでもない。昨日、森から連れてこられた虫である。
「まず、《紅蓮の風》についてご報告します」
ルノアさんは席につき、書類を机へ広げた。
エンペラーボアの死体には、ユールさんたちの武器と一致する戦闘痕が残っていた。壊れた装備についても確認が済み、4人が討伐へ参加したことは正式に認められたらしい。
さらに訓練場で実力を測定した結果、現在の4人は高ランクに相当する能力を示したという。
Fランクからあまりにも急激に成長しているため、正式な昇格は特例審査へ回される。それでも、エンペラーボアを倒したという報告を疑う声は、測定が終わった頃にはほとんど消えていた。
「昨日まで疑われていたんですか?」
「薬草採取へ向かったFランクのパーティーが、4日後にエンペラーボアを持ち帰りましたので」
「それだけ聞けば、俺も疑いますね」
俺の場合は、経緯を知っていても疑いたい。
虫捕りをきっかけに強大な魔物と遭遇し、3回死亡しながら倒したという話は、事実より嘘の方がまだ常識を守っている。
「その影響で、ギルドでは皆さんの団体について尋ねる方が増えています」
正式な募集をしていないにもかかわらず、低ランクでも強くなれるクランが設立されるという噂が広まり始めているらしい。
間違ってはいない。
ただし、成長過程から死亡回数だけが綺麗に取り除かれていた。
薬草を3倍集め、高価な素材を持ち帰り、数日で高ランク相当の実力を得る。そこだけ並べれば、参加希望者が増えるのも無理はない。
広告へ載せられない部分が、参加前に最も知らせるべき内容だった。
「そのため、これ以上《名称未定》のままにしておくことはお勧めできません」
ルノアさんは設立申請書を取り出した。
昨日まで空白だったクラン名の欄は、今日も変わらず白いままである。名前を考えている間に実績だけが先行し、《名称未定》が世間へ定着し始めていた。
「本日中に、クラン名を決めていただけますか? あわせて、楓さんたちのパーティー名も必要になります」
クラン名だけでも決まらなかったところへ、追加でもう1つ求められた。
フレイアさんは楓を王へ導くという意味を込めたがり、メーガナーダさんは軍勢を示す言葉を入れたがる。ロキへ任せれば《しばき隊》になり、オティヌスへ任せれば肉か虫の名前になる。
そして昨日、虫捕りから始まった騒動によって、《紅蓮の風》は3度死亡した。
玄関扉は2度壊されている。
俺は申請書を眺めながら、ここ数日の出来事へ共通する原因を考えた。答えは、それほど難しくない。
「俺たちのパーティー名は、《カミハラ》でいいんじゃないですか?」
「カミハラ、ですか?」
「神を自称する人たちから日常的に受ける、やらかしとハラスメント。略して《カミハラ》です」
誰のことを指しているのか分からせるため、フレイアさん、オティヌス、ロキ、メーガナーダさんへ順番に目を向けた。
全員に思い当たる出来事がある。
彼女たちが本物の神だと説明したところで、ルノアさんに信じてもらえるかは分からない。
ただし、俺へ継続的な被害を与えていることだけなら、壊れた玄関扉を証拠として今すぐ立証できる。
「なるほど。《神原》を《カンバラ》と読ませるのですね」
フレイアさんが納得したように頷いた。
「いいえ、ハラスメントの《ハラ》です」
「神々の原初にして、理想郷を意味する《シャンバラ》への暗喩でしょうか。楓さんを中心として新たな神域を築く私たちに相応しい名前です」
神を自称する側が、自分たちに都合のよい意味だけを拾い上げた。
「今の説明に、俺の話はどれくらい残っています?」
「では、パーティー名は《シャンバラ》で申請しましょう」
残量を尋ねたのに、全量を捨てられた。
俺の抗議は、本人たちによって神々の理想郷へ置き換えられた。被害届を提出したはずが、知らないうちに観光地の開発計画へ署名させられた気分だった。
「《シャンバラ》ですね」
ルノアさんは、フレイアさんたちが本当に神なのかを確認することなく、申請書へ記入した。
「待ってください。まだ決定したとは──」
「続いて、クラン名をお願いします」
訂正する機会は、ルノアさんの事務処理という名のトラックに轢かれて消えた。
俺と違って、別の名前へ転生することはないだろうけど……。
パーティー名が好き勝手に解釈されるのなら、次は意味を持たせなければいい。長い名前や勇ましい言葉を避け、フレイアさんでも発展させようのないものを選ぶ必要がある。
俺はオティヌスと違い、学習する男なのだよ。
「もうクラン名は《ぴえん》でいいですよ」
ルノアさんのペンが止まった。
メーガナーダさんは意味が分からないらしく、フレイアさんへ視線を向ける。玄関脇へ座らされていたロキまで、少し離れた場所から顔を上げた。
これなら勝てる。
泣き声を表すだけの言葉から、王も軍勢も理想郷も生まれない。俺が初めて命名権を守り切れると思った直後、フレイアさんが静かに微笑んだ。
「《飛燕》ですね」
「違います」
「白と黒、2羽の燕が空高く舞い上がり、至高へ到達する。《High-end》を掛け合わせた造語でしょう」
「今のどこから英語が出てきたんですか?」
「表記は簡潔に《Hi-end》がよろしいかと」
泣き声から燕が飛び出し、そのまま空を越えて英語圏まで渡っていった。
俺が《ぴえん》へ込めた悲しみだけが、《Hi-end》という名前になったことでさらに深くなる。
「では、クラン名は《Hi-end》で登録します」
「ルノアさん、今のやり取りを聞いていましたよね?」
「はい。名称が決まって安心しました」
どうやら、設立申請を完成させるためなら、命名者の意思は審査対象に含まれないらしい。
ルノアさんが空欄を埋め、申請書を閉じる。
こうして俺たちのクランは《Hi-end》、俺たちのパーティーは《シャンバラ》として登録されることになった。
俺が提案した《カミハラ》と《ぴえん》は、どちらも採用された扱いでありながら、書類には1文字も残っていない。
「名前が決まったんなら、紋章も要るやろ」
先ほど作業から追放されたロキが、待っていたように紙とペンを取り出した。
「白と黒の燕だけでいいです。余計なものは足さないでください」
「分かっとる。うちを信用し」
「昨日、同じ口でブレーキをつけると言いましたよね?」
信用を求める言葉が、完成する前に昨日の事故へ轢かれた。
それでもロキは床へ紙を広げ、迷いなく線を引いていく。白と黒の2羽の燕が、互いの尾を追うように円を描き、陰陽太極図にも似た形へ整えられた。
ここまでは、頼んだ範囲である。
ところがロキは中央へ大きな鬼面を描き、その周囲へ長い龍を巻きつけ始めた。
「余計なものを足さないでと言いましたよね?」
「鬼面は、ここで働いとる小鬼たちや。龍は全部まとめて率いる楓を表しとる」
「俺を勝手に龍へ昇格させないでください」
「名づけて《双燕鬼龍》や!」
完成した紋章を、ロキが得意げに掲げる。
白黒の燕を鬼面と龍が取り囲み、クランの紋章というより、近隣の集会へ持ち込めば警備隊を呼ばれそうな意匠になっていた。
《ぴえん》と名づけようとした団体が、ほんの数分で《双燕鬼龍》を掲げる武装集団へ成長している。《紅蓮の風》より早い昇格だった。
「正式な紋章としては、白と黒の燕だけを登録します」
ルノアさんが、鬼面と龍の部分を手で隠しながら告げた。
「なんでや。格好ええやろ」
「申請内容と異なる意匠が追加されていますので」
ロキは不満そうだったが、白黒2羽の燕だけが《Hi-end》の正式な紋章として記録された。
却下された《双燕鬼龍》まで処分されたわけではない。ロキは自分の作品を丸めると、あとで受付台の後ろへ飾るつもりなのか、大切そうに抱えている。
「パーティーの紋章も要るやろ。何を描けばええ?」
「フレイアさん、オティヌス、ロキ、メーガナーダさんの4人をモチーフにしてください。今度こそ、余計なものは足さずに」
「注文が多いなあ。分かった、4人やな」
返事だけなら、今度こそ正しく伝わっていた。
ロキは新しい紙を床へ広げ、中央へ俺を示すらしい楓の葉を描いた。その周囲へ、女性を象った影を並べていく。
描き終えた紙を受け取ったところで、俺は人数を数え直した。
だが、数が合わない。
「なぜ6人いるんですか?」
数え直しても、女性の影は8人分あった。
フレイアさんたち4人に加え、見覚えのない4人の影が、最初から居場所を与えられたように並んでいる。
「4人をモチーフにしろと言いましたよね?」
「うちも4人で描くつもりやったんやけどな。途中で8人の方が収まりええ気がしてん」
「紋章の都合で仲間を増やさないでください」
ロキは笑って誤魔化したが、紙へ引かれた4人分の線を消そうとはしなかった。
誰を描いたのか尋ねても、本人にも分からないらしい。
玄関扉の蝶番へ転送口のブレーキをつけようとする女神の勘など、普段なら気にする必要はない。
それでも、俺は8人の影から目を離せなかった。
嫌な予感というものは、根拠がないほど困る。外れても安心するだけだが、当たった時にはロキが得意げな顔をする。
災難に加えて、あの顔まで受け入れなければならない。
ルノアさんは完成した申請書を持ち帰り、ロキは却下された《双燕鬼龍》を受付台の後ろへ勝手に掲げた。
正面玄関には、今日も扉がない。
代わりに、クラン《Hi-end》とパーティー《シャンバラ》の名前だけが、立派な紋章と一緒に居場所を得ていた。
俺が考えた名称は、どちらにも残らなかった。
残っているのは、神々によるやらかしハラスメントへ抗議した記憶と、まだ会ったこともない4人の女が、こちらへ加わる場所だけである。
どうやら《カミハラ》は、被害を訴えた本人の知らないところで、将来の加害者まで採用するつもりらしい。




