第30話 うっかりの悲劇再び……
《紅蓮の風》が薬草採取へ出発してから、4日目の夕方。
旧クランハウスの正面玄関前で、俺はロキが開いた転送口を見守っていた。
フレイアさんから届いた念話は、《本日帰還します。正面玄関の外へ転送口をお願いします》という簡単なものだった。何を持ち帰るのかまでは聞かされていない。
転送口から巨大な牙が突き出した時も、最初は帰還者の装備だと思っていた。
牙に続いて現れたのは、人の背丈を超える猪の頭部である。左右へ湾曲した牙が転送口の縁へつかえ、向こう側から複数人で押しても、それ以上はこちらへ出てこない。
「これ、通るんか?」
ロキが転送口の周囲を歩き、猪の頭部を左右から覗き込んだ。
普通に考えれば、出口を広げてから慎重に通すところである。
しかし、初登場時に自分自身を転送口から射出した転送神が、普通に考えている保証はなかった。
「ちょっと待って。嫌な予感がする」
「大丈夫や。少し押し出すだけやから」
そう言いながら、ロキは両手を転送口へ向けた。
俺はヤシチたちへ、猪の正面から離れるよう声をかけた。全員が左右へ飛び退いた直後、巨大な死体が転送口から勢いよく射出される。
巨体は正面玄関前の石畳を滑り、修理を終えたばかりの扉へ正面から衝突した。
ヤシチたちが3日かけて取りつけ直した扉は、蝶番ごと外れてロビーの奥へ吹き飛んでいく。巨大な猪も上半身を屋敷へ突っ込ませ、後脚だけを外へ残してようやく止まった。
怪我人はいない。
犠牲になったのは、昨日ようやく本来の役目へ復帰した玄関扉だけだった。
「少し押し出すだけやったんや! 次からはブレーキつけたるから!」
転送口の横で、ロキが誰に聞かれるより先に弁明した。
改善案を聞いた瞬間、安心より先に、ロキがブレーキとアクセルを踏み間違える光景が浮かんだ。
転送口にペダルは存在しないはずなのに、次回の事故だけは今回より速くなる確信がある。
「何も追加しないでください」
初登場時には自分を射出し、今回は巨大な猪を射出した。ここへブレーキをつけたつもりで、うっかりアクセルまで追加された場合、次に何が飛び出すのかだけでなく、どこまで飛んでいくのかも分からない。
結果だけを見れば、プリウスミサイルと大差がなかった。
ロキが弁明している間に、転送口の向こうからフレイアさんが姿を現した。
その後ろに続いた《紅蓮の風》の4人を見た瞬間、玄関扉へ向いていた意識が引き戻された。
ユールさんは、出発時に使っていた盾を背負っている。もともとの緩やかな曲面とは明らかに異なり、中央だけが内側へ深く潰れていた。ルドベックさんも、途中から折れた最初の剣を腰へ下げている。
現在使っている装備も無傷ではない。ヘンリーさんの弓には見慣れない素材の弦が張られ、パティさんの革鎧は片方の肩だけ大きくずれていた。
何度も装備を交換しながら戦ったのだろう。顔には疲労が残っているものの、全員が自分の足で歩き、目立った傷もない。一人ずつ確かめていくうち、胸の奥へ溜まっていたものがようやく抜けていった。
最初の念話が届いたのは、出発日の夕方だった。
日帰りの予定を過ぎても戻らないため、ギルドへ捜索を頼もうとしていたところ、ロキを通じて《予定より帰還が遅れますが、全員無事です》と伝えられた。
翌日の夕方も、その次の日も内容は同じだった。短すぎる報告へ不安を感じながらも、フレイアさんが同行していることと、《全員無事》という言葉を信じて待っていたのである。
最後に転送口を通ってきたオティヌスは、首から下げた《グレイプニル》製の虫籠を両手で支えていた。
籠の中には見たことのない虫が何匹も収められ、中央では金色の角を持つ巨大な甲虫が枝へしがみついている。
オティヌスは《紅蓮の風》の壊れた装備より、虫籠が揺れていないかを念入りに確認していた。
「無事に戻ってくれてよかったです」
「ありがとうございます」
ユールさんは頭を下げ、仲間たちへ目を向けた。ルドベックさんが頷き、ヘンリーさんとパティさんも、ようやく緊張を解いたように表情を緩める。
4人の間にある空気は、出発前と少し違っていた。
「薬草は集まりましたか?」
「はい。依頼対象だけでも、約60束あります」
転送口の向こうから、薬草を積んだ荷車が押し出されてきた。依頼対象のほかにも、種類ごとに分けられた薬草が袋へ収められている。
薬草採取として見れば、十分すぎる成果である。
その荷車の進路を、玄関へ突き刺さった巨大な猪が塞いでいることを除けば。
「後ろの巨大な猪は、どうしたんですか?」
俺が尋ねると、ユールさんたちは一度だけ視線を交わした。
以前なら、誰が説明するか決めるために会議を始めていただろう。今はユールさんが仲間の返答を待たず、一歩前へ出る。
「エンペラーボアです。途中で遭遇したため、俺たちが倒しました」
これがエンペラーボアらしい。
簡単な依頼でも負傷者を出し、長くFランクから上がれなかった4人が、小屋ほどもある魔物を倒して帰ってきた。
疑っているわけではない。目の前に現物があり、壊れた装備は証言より雄弁に戦闘の激しさを伝えている。
だからこそ、薬草採取へ出た4人が、どうすればこの結果へ辿り着くのか理解できなかった。
しかも、くたびれた4人とは正反対に、オティヌスだけは元気にしている。その姿のせいで、余計に理解が追いつかない。
きっと、置いてくる暇もなかったのだろう。
直接口にはしていないとはいえ、暗にそんなお願いをした俺も酷だったのかもしれない。
「詳しい話は、中で聞きましょう」
俺が告げると、全員の視線が正面玄関へ向いた。
エンペラーボアの上半身が、入口とロビーの中央を塞いでいる。中へ入るためには、まず外へ出さなければならない。
《紅蓮の風》とゴブリンたちが縄をかけ、ロキが転送術式で少しずつ位置をずらしていく。今度は誰も、勢いをつけることを許さなかった。
死体を正面玄関の脇へ移動させたあと、俺たちは1階の小会議室へ入った。
オティヌスは椅子へ座る前に虫籠をテーブルの中央へ置き、人間より先に虫の席を確保した。自分は端に残った椅子へ腰を下ろしている。
「初日から、何があったのか教えてください」
俺が促すと、ユールさんは採取袋から1枚の葉を取り出した。
高級傷薬ポーションの材料になる稀少薬草だった。周辺の魔素を豊富に蓄えているため価値は高いが、そのような素材がある場所には強い魔物が生息している場合も多いという。
「依頼対象は、初日の昼までに集まりました。そのあと稀少薬草を見つけたのですが、稀少素材がある場所には凶悪な魔物が縄張りを築いていることもあると、ギルドで教わったことを失念していました」
何それ。俺も初耳なんだけど。
この場にルノアさんがいなくてよかった。初耳だという顔を浮かべた日には、お小言を言われかねない。
ユールさんは自分たちの判断を誤魔化さず、順調だったため浮かれていたと認めた。
ただし、エンペラーボアが姿を現した直接の原因は、稀少薬草ではなかった。
「オティヌスさんが、金色の虫を見つけたんです」
ユールさんの視線が、テーブルの虫籠へ移る。
オティヌスは彼らの名前をろくに覚えない一方、《神代黄金大鍬形》という虫の名前だけは一目で言い当てたらしい。さらに興奮して神威を漏らし、周囲の魔物をまとめて怯えさせたという。
もともと周辺を縄張りにしていたエンペラーボアまで神威から逃げ、《紅蓮の風》の前へ飛び出したのである。
薬草採取へ虫捕りを持ち込んだ結果、森の魔物がどこぞのコント集団みたいに全員集合したらしい。
実に笑えないコントじゃないか。俺なら失笑する自信がある。
「皆さんは撤退しようとしたんですよね?」
「はい。ですが、オティヌスさんから《逃げるな。倒すまで戦え》と命じられた直後、身体が勝手にエンペラーボアへ向かいました」
俺がオティヌスを見ると、本人は虫籠へ新しい枝を差し入れている。
「オティヌス。何を使ったんだ?」
「私は戦えと言っただけだぞ。フレイアが、強敵なら倒すまで戦わせろと言っておったからな」
今も、自分が力を使ったとは考えていないらしい。
フレイアさんは静かに頷き、オティヌスへ事前に指示したことを認めた。
「弱いパーティーが強敵と遭遇した場合、皆さん自身に倒していただくためです。その指示へ反応し、戦士を縛る権能が発動しました」
フレイアさんによれば、オティヌスが指定した戦士を敵の撃破まで戦わせ、途中で死亡しても夕方には復活させる力を、《エインヘリャル》というらしい。
説明だけを聞けば、戦士を死から守る権能にも思える。だが実際に行われたのは、撤退を認めず、死んでも夕方に戻して続きをさせる訓練だった。
同行者による補助ではない。
残機を与えたうえでの強制研修である。
「それで、帰還まで4日かかったんですね」
俺が確認すると、ユールさんは頷いた。
最初の戦闘で4人とも死亡し、夕方に復活した。身体と魂が定着した翌朝から強制戦闘が再開され、敗れるたびに装備を交換しながら、再びエンペラーボアへ挑んだという。
本当に地獄じゃねぇかよ……ブートキャンプなんて目じゃないぞ。
「何回、亡くなったんですか?」
「3回です。全員同じ回数なので、途中から数え間違えることはありませんでした」
死亡回数だけは、仲間同士で差がつかなかった。
4人らしい平等さではあるが、揃えるべき記録が間違っている。
俺は、ロキから毎夕伝えられた念話を思い出した。
《全員無事です》
フレイアさんは、嘘を一度もついていない。
念話が送られた夕方には全員が復活し、夕食を取っていた。昼間の死亡を報告から外し、生存確認を夕方に限定していただけである。
「途中で、もう少し詳しく教えてくれてもよかったのでは?」
「皆さん、夕方には毎日お元気でしたので」
毎日死亡していたパーティーを、《毎日元気》と表現する人物には初めて会った。
安心していた数日間まで騙されたようで腹は立つ。それでも、目の前に4人が揃って座っていることへの安堵が勝り、強く責める言葉が続かなかった。
「最終的には、4人だけで倒したんですね?」
「はい。戦うたびに突進の前兆や、牙を振り上げる方向が分かるようになりました」
最終日の戦闘では、ユールさんが突進を木々の間へ誘導し、ルドベックさんが後脚へ傷を負わせた。動きが鈍ったところへヘンリーさんが目元を狙い、パティさんが負傷者を治療しながら全員の位置を保ったという。
同じ相手へ3度敗れた記憶が、4度目の戦いではすべて判断材料へ変わっていた。
「オティヌスさんを置いてこなくて正解でした……」
そんなことを言われてしまうと、主に4人に対する罪悪感が半端ない。
考えてみれば、オティヌスがいなければ今回の騒動は起きなかった。だが、オティヌスがいたことで4人は強くなり、高価な素材まで手に入れている。
結果だけならオーライなのかもしれないが、それで3回の死亡まで肯定する気にはなれなかった。
「それは訓練ではありません」
俺が言うと、フレイアさんが視線を向けてくる。
「4人が復活できると分かっていても、本人たちの同意を取らず、撤退まで封じて死なせていい理由にはなりません。次からは、強敵と遭遇したら普通に撤退させてください」
「承知しました。今後、この権能を訓練へ使用する場合は、対象者全員から事前に同意を得ます」
「次の訓練を用意しないでください」
禁止したかったのは無断使用だけではないのだが、フレイアさんの中では、同意書を用意すれば次も実施できる話へ変わりかけていた。
オティヌスまで顔を上げる。
「次は何を倒させるのだ?」
「次を考えないでください」
神々に常識を守らせるためには、常識の内容から一つずつ説明する必要があるらしい。
ユールさんが仲間たちを振り返ると、ルドベックさんが小さく頷き、ヘンリーさんも弓を置いたまま視線を返した。パティさんだけは、3人の身体に傷が残っていないか、今も目で確かめている。
4日前までの彼らなら、誰かが口を開くまで互いの判断を待っていただろう。今は僅かに視線を交わすだけで、それぞれが次に何をするのか理解していた。
強くなったのは間違いないが、素直には喜べなかった。
仲間の成長を喜びたいのに、その教材費として本人たちの命が3回ずつ請求されている。成果を認めることと、同じ訓練をもう一度許可することは、まったく別の話だった。
フレイアさんは《紅蓮の風》の4人へ向き直る。
「今回経験された権能については、クラン外秘とします。ギルドへの報告にも、名称や復活条件は記載しないでください」
「分かりました。俺たちから話すつもりはありません」
ユールさんが答え、残る3人も同意した。
小会議室の入口から、木材の擦れる音が聞こえてきた。
振り返ると、ヤシチが割れた玄関扉の板を抱えて立っている。もう片方の手には外れた蝶番が握られ、その目だけがロキへ向けられていた。
「それ、うちに直せ言うとる?」
ロキが尋ねると、ヤシチは一度だけ頷き、壊れた蝶番を差し出した。
ヤシチ。粉々になった扉は、蝶番をつけるだけでは直らないぞ。
ユールさんたちは、死亡しても夕方には元へ戻った。だが、玄関扉に同じ救済はない。
代わりに、壊した転送神が手作業で蘇生させられるらしい。
「エンペラーボアの討伐報酬は、《紅蓮の風》の4人で受け取ってください」
フレイアさんが報酬の配分を確認すると、オティヌスも虫籠から顔を上げた。
「私はいらぬ。その代わり、捕まえた虫はすべて私の物だ」
ユールさんたちは、迷うことなく同意した。
3度死亡して得た報酬と、森で捕まえた虫の所有権が交換条件として並んでいる。価値の釣り合いは壊れているが、虫を報酬として分配されるよりは全員が幸せだった。
今回の同行で、《紅蓮の風》は確かに強くなった。
その代わり、4人は3回ずつ死亡し、玄関扉は再び修理へ戻り、オティヌスの虫籠だけが無傷で成果を増やしている。
設立前のクランで、名前より先に決めるべきものがまた増えた。
本人の同意なく、訓練で所属者を殺してはいけない。
規約へ書くまでもない常識だと思っていた内容である。




