第29話 エインヘリャル
合同訓練の翌朝、俺──《紅蓮の風》のリーダー、ユールは、仲間たちと北門前に立っていた。
今日は設立準備団体の所属予定者として、初めて受ける薬草採取の依頼である。
同行者として来たのは、フレイアさんとオティヌスさん。荷車には水や食料のほか、野営道具、治療薬、予備の武器と防具まで積まれていた。
まるで、これから国境紛争にでも出向くような装備量だった。
採取場所までは徒歩で2時間ほど。依頼品を20束集めても、日暮れ前には戻れる距離である。
薬草が武装して抵抗する予定でもなければ、半分以上は使わないはずの物だった。
「日帰りの依頼ですよね」
「念のため、用意しました」
フレイアさんは微笑みながら答え、荷物を確認する手を止めなかった。その笑顔だけは、荷物の量に反比例して軽い。
昨日の訓練でも同じ言葉を聞いている。あの時に使わなかった治療薬まで含め、今日はさらに数が増えていた。
俺たちの知らないところで、念のための規模だけが順調に育っている。
もう1人の同行者であるオティヌスさんは、背中へ《グレイプニル》製の虫籠を背負い、片手に捕虫網を持っていた。
槍も剣も見当たらない。森へ入る目的が、俺たちとは出発前から違っている。
「薬草採取へ同行していただくと聞いています」
「分かっておる。草が生えている場所には虫もおるからな」
依頼内容は理解しているらしい。ただし、自分まで薬草を採るとは考えていなかった。
出発前、楓さんからは、オティヌスさんについて妙な注意を受けている。
『オティヌスがどこかにハグレていなくなっても、それはユールさんのせいではありません。いいですか? ハグレていなくなっても、2次被害を防ぐために探しては駄目ですよ?』
同行中の注意というより、暗に置いて帰る許可を与えられたように聞こえた。
そもそもオティヌスさんは、俺たちが希望したわけでもないのに、半ば押しつけられる形で同行することになった人物である。その同行者が消えても探すなと念を押され、出発前から扱いだけは遭難者より厳しかった。
フレイアさんは依頼品を食べないことと、隊列から勝手に離れないことを言い聞かせたあと、オティヌスさんを荷車の反対側へ連れていった。
声を潜めて何かを伝えているが、こちらまでは聞こえない。オティヌスさんは虫籠の中を確かめながら頷いており、話を聞いているのかも怪しかった。
それでも、治癒魔法を使えるフレイアさんが同行している。何かあっても、俺たちだけで依頼へ出るより安全なはずだった。
俺はそう信じ、仲間たちへ出発の合図を出した。
先頭は盾を持つ俺。その後ろへ剣士のルドベックと治癒役のパティが続き、弓を使うヘンリーが最後尾につく。
昨日、メーガナーダさんから決められた隊列である。
以前の俺たちは、街道の分かれ道へ着くたび、全員で進路を相談していた。仲間の意見を大切にしているつもりだったが、どちらへ進むか決まらないまま、話し疲れて休憩へ入ったこともある。
今日は俺が進路を決め、明らかな危険を見つけた場合だけ、ほかの3人が止める。
それだけで一度も足を止めずに森へ到着し、木々の間へ入ってからも隊列は崩れなかった。
途中で何度も草むらへ消えたオティヌスさんを除けば。
依頼対象は、葉の縁が白くなった薬草である。湿った土の近くに群生するため、ヘンリーが周囲を探し、俺とルドベックが警戒に立つ。パティが根元を傷つけないよう採取し、種類と状態を確認して袋へ収めていった。
昼前には、必要な20束が集まった。
しかも、見つかったのは依頼対象となっている傷薬ポーション用の薬草だけではない。治癒ポーションに使われる種類に加え、高級傷薬ポーションの材料となる稀少な薬草まで群生していた。
どれも豊富な魔素を蓄え、葉や茎に目立った傷がない。
これほど価値の高い薬草が手つかずで残っている。その意味を、俺たちはハンターになったばかりの頃、初心者講習で教わっていた。
誰にも発見されていないとは限らない。
発見した者が、持ち帰れなかった可能性もある。
頭の片隅へ引っかかったものの、俺たちはすでに依頼量を集めていた。失敗や途中撤退の記録ばかり増やしてきた俺たちにとって、初めて訪れた順調さの方が、講習で聞いた注意より魅力的だった。
順調さというのは、俺たちにとって唯一の未知の魔物だったのかもしれない。
周囲に危険な魔物の姿はなく、パティが確認しても薬草の種類に間違いはない。沢沿いには、依頼対象の薬草がまだ大量に残っている。
俺は追加採取を決めた。
以前なら、報酬が増える利点と滞在時間が延びる危険性を全員で長々と話し合っていただろう。今日は周囲の安全と帰還に必要な時間だけを確認し、俺の判断で続行した。
依頼対象となっている薬草だけでも、採取量は60束近くになった。それとは別に、治癒ポーション用と、高級傷薬ポーションの材料となる稀少薬草も確保している。
「初めから、こうしていればよかったんだな」
ルドベックが採取袋を持ち上げた。
声には、俺と同じ安堵が滲んでいる。昨日の訓練だけで急に強くなったわけではない。それでも、自分たちの判断を変えれば結果も変わると、初めて実感できた。
問題があるとすれば、同行者の片方が一度も薬草採取へ参加していないことである。
オティヌスさんは森へ入った直後から、倒木や岩の周囲を歩き回っていた。捕まえた虫を次々と背中の籠へ移し、俺たちが薬草を3倍集める間に、自分の採取目標だけは5倍ほど達成している。
依頼への貢献を無視すれば、優秀な採取者だった。
「おったぞ!」
森の奥から声が上がった。
オティヌスさんが朽ちた倒木の前へしゃがみ込み、割れ目へ捕虫網を近づけている。
中には、金色の角を持つ大きな甲虫がいた。俺の手より大きく、硬そうな外殻が日の光を反射している。
「神代黄金大鍬形ではないか……」
獲物を見つめる目が輝き、その身体からも薄い光が漏れ始めた。
最高神を自称する少女が本気になる条件は、俺たちの危機ではなく虫1匹らしい。
それにしても、今朝も俺の名前を聞き直したのに、虫の名前だけは一目で言い当てていた。覚える能力ではなく、覚える気の問題なのだろう。
周囲の空気が重くなり、枝に止まっていた鳥たちが一斉に飛び立つ。地面を這っていた虫まで、倒木から離れるように散っていった。
目当ての甲虫も例外ではない。
「オティヌス。神威を抑えなさい」
フレイアさんに注意された直後、金色の甲虫が割れ目から飛び出した。
神威という言葉に聞き覚えはなかったが、尋ねる時間は与えられない。オティヌスさんは返事をするより先に捕虫網を振り上げ、そのまま木々の間へ走り込んでいった。
虫を捕まえるために放ったらしい何かで、虫から逃げられていた。
その姿が見えなくなると、反対側の茂みが激しく揺れた。
飛び出してきたのは、3体のゴブリンだった。
俺たちを見ても襲ってこない。背後を気にしながら、何かから逃げるように走っている。
続いて牙の長い狼と小型のボアが現れ、互いに争うこともなく同じ方向へ押し寄せてきた。
オティヌスさんから溢れた神威に怯え、逃げた先に俺たちがいたらしい。
森に暮らす側から見れば、今日討伐してほしい相手は俺たちではなく、捕虫網を持った自称最高神なのかもしれない。
相談している時間はなかった。
俺が盾を構えると、3人もすぐに動いた。
正面から飛び込んできた狼を盾で受け止め、ルドベックが脇から剣を突き出す。ヘンリーの矢が後方のゴブリンを牽制し、パティは退路を確保しながら全員の位置を見ていた。
小型のボアに足元を押されたものの、隊列は崩れない。
最初の狼が倒れ、残った魔物たちは俺たちを避けて森の外へ逃げていった。虫捕りから逃げてきた獣が、今度は俺たちから逃げていく。
森の中で、敗走だけが順番に引き継がれていた。
戦闘が終わるまで、それほど時間はかからなかった。
大きな負傷者もいない。
荒い呼吸を整えながら、俺たちは互いの姿を見た。長くFランクから上がれず、簡単な依頼でも負傷者を出していた俺たちが、自分たちだけで魔物の群れを退けた。
ルドベックが笑い、ヘンリーは弓を持ったまま拳を握っている。パティも緊張を解き、何度も俺たちの無事を確かめていた。
昨日まで迷っていた時間がなくなっただけで、これほど動ける。
自分たちも、まだ強くなれるかもしれない。
そう思えた直後、森の奥で太い木が折れた。
地面を揺らす足音が近づき、枝を押し退けて巨大なボアが姿を現す。小屋ほどもある身体を硬い毛が覆い、湾曲した牙は俺の盾より長かった。
エンペラーボア。
魔素の濃い土地を縄張りとし、その周辺に生える稀少な薬草や鉱石を独占する魔物である。
高級傷薬ポーションの材料が手つかずで残っていた理由を、俺はようやく思い出した。
講習で教えられた注意は正しかった。
思い出すのが、巨大な牙と向かい合ったあとでは遅すぎただけである。
「撤退する。ヘンリーとパティから先に下がれ」
判断に迷いはなかった。
ルドベックを続かせ、俺は盾を構えたまま最後尾へ回る。仲間を守りながら逃げるため、昨日から練習してきた動きでもある。
森の奥では、オティヌスさんが逃げる甲虫を追い、捕虫網を左右へ振っていた。
こちらの状況へ気づいた彼女は、足を止めることなく声を張り上げる。
「逃げるな。倒すまで戦え」
激励のつもりだったのかもしれない。虫に逃げられている本人が、俺たちにだけ逃走禁止令を出していた。
その声と同時に、俺たち4人の身体を薄い金色の光が覆う。
逃げようとしているのに、腕は武器を構え、足はエンペラーボアへ向かっていた。俺の判断を尊重してくれるようになった仲間たちとは反対に、自分の身体だけが反抗期へ入っている。
フレイアさんは金色の光を確認すると、オティヌスさんを呼び止めた。
「オティヌス。今の命令で、戦士を縛る権能が発動しました」
「私は戦えと言っただけだぞ」
オティヌスさんは、それ以上のことをしたつもりがないようだった。
「身体が言うことを聞かないんですが、どうすれば解除できますか」
俺が尋ねると、フレイアさんはエンペラーボアへ視線を向けた。
「今回は、あれを倒す必要があります」
逃げるべき相手が、帰るために倒さなければならない相手へ変わっていた。
昨日まで木箱を迂回するだけで会議を開いていた俺たちには、成長の段階がいくつか抜けている。
エンペラーボアが地面を蹴った。
俺の身体は逃げるどころか、正面から盾を構える。巨大な牙がぶつかった瞬間、金属の表面が大きく湾曲した。
両足が地面から離れ、背中から木の幹へ叩きつけられる。
視界の端ではルドベックの剣が折れ、ヘンリーの弓から弦が飛び、パティの持っていた治療薬が空中へ散っていた。
痛みを感じるより先に、意識が途切れた。
次に目を開けた時、木々の向こうに夕焼けが広がっていた。
俺は森の中へ仰向けに倒れている。
身体を確認したが、傷はない。折れたはずの骨も元へ戻り、潰された鎧の内側には血の跡さえ残っていなかった。
隣では、ルドベックとヘンリーが同じように起き上がっている。少し離れた場所からパティも顔を上げ、全員が互いの姿を見つめた。
身体は元どおりでも、装備までは直っていない。
俺の盾は曲がり、ルドベックの剣は半分になっている。ヘンリーの弓からは弦が消え、パティが腰へ下げていた治療薬の瓶も空になっていた。
「お目覚めになりましたか」
声の方を見ると、フレイアさんが野営用の鍋を火へかけていた。
その隣には、予備の武器と防具が並べられている。今朝、日帰りの薬草採取には多すぎると思った荷物だった。
すべて、必要になると分かって用意されていたらしい。
念のためという言葉が、本当に念だけで終わったことは一度もない。
「俺たちは、どうなったんですか」
「一度亡くなり、夕方になったため復活しました」
温かいスープを差し出しながら、フレイアさんは今日の天気でも説明するように答えた。
死亡報告と夕食を同時に渡されたのは初めてだった。見た目は美味しそうなのに、耳から入ってきた情報が頭の中を占領し、ひと口飲んでも味が分からない。
「美味しいです」
何も分からないまま礼儀だけで感想を絞り出すと、フレイアさんは笑みを向けてきた。
「お世辞上手ですね。生き返ったばかりで舌の感覚がまだ戻ってないはずですけど」
冗談なのか、本当にそういうものなのか。味の分からない俺には、確かめる方法もなかった。
「このあと、また戦うんですか?」
「権能が皆さんを再び戦わせるのは、明朝からです。夕方に復活したあとは、身体と魂が定着するまで戦闘を再開できません」
少なくとも、今夜のうちにもう一度死ぬことはないらしい。
それからしばらくして、皮肉にも生き返った実感より先に、温かいスープの味が戻ってきた。
少し離れた場所では、エンペラーボアが白い光の壁に囲まれていた。
俺たちが復活するまで森へ逃げないよう、フレイアさんが閉じ込めたらしい。巨大な身体を光の壁へ何度も叩きつけ、そのたびに地面が揺れている。
俺たちの夕食が終わるまで、再戦相手まで預かってくれていた。
オティヌスさんは倒木へ腰かけ、《グレイプニル》製の虫籠を満足そうに眺めている。目的だった金色の甲虫を捕まえたらしく、俺たちが起きたことにはまだ気づいていない。
俺たちの薬草採取は、依頼対象を60束近く集めた時点で終わっている。
森から帰れない理由だけが、夕食を終えるまで律儀に待っていた。




