第28話 アタック・オン・ザ・オティヌス
第28話
日の出前の中庭には、加入予定者たちより先に、大量の木箱が並べられていた。
中身は水と食料、治療薬、包帯、予備の武器に防具である。昨日、フレイアさんが念のためと言って用意した物だが、これから行われるのは初回の基礎訓練だったはずだ。
少なくとも、説明だけはそうなっている。
参加者の人数より、用意された治療薬の方が多い。これで軽い基礎訓練だと言われても、俺なら説明より木箱の中身で判断するね。
「全員、揃っていますね」
名簿を手にしたフレイアさんが、中庭へ集まった4つのパーティーを確認する。
《紅蓮の風》と《銀夜行》、《ファングドレイク》は、すでに仲間ごとに固まっていた。《黒霧》だけは姿が見えなかったものの、植え込みの葉が揺れ、物置の陰と外壁へ立てかけられた玄関扉の背後からも人影が現れた。
集合時刻には間に合っている。
中庭へ並ぶという指示より、身を隠せそうな場所を探す習慣が勝ったらしい。このまま加入させれば、クランハウスの各所から所属者が発見されることになりそうだった。
荷車の横では、ロキが杖を肩へ担ぎ、積み上げられた木箱を眺めている。
今日は荷物の運搬に加え、負傷者が出た場合の緊急転送を担当するらしい。基礎訓練で緊急転送まで用意されている時点で、治療薬の量について抱いた不安は正しかったようだ。
「これより、北の山まで物資を運ぶ」
メーガナーダさんが、城壁の向こうに見える山を木剣で示した。
参加者たちの視線が、山と荷車の間を往復する。目的地までは徒歩で半日以上かかり、途中には小さな森まである。軽い基礎訓練という説明が、開始前から遭難しかけていた。
フレイアさんは用意していた書類を開き、申請済みの訓練場所を読み上げる。
「本日の目的地は、北門から徒歩30分の草原です。それより先へ移動する場合は、参加者全員の同意と、野営を含む追加申請が必要になります」
「山まで歩かせた方が動きを確認しやすい」
「次回以降、正式な訓練計画を提出してください」
メーガナーダさんは山と書類を見比べ、諦めきれない様子で木剣を肩へ担いだ。
「ならば今日は、その草原までにしておこう」
フレイアさんがいなければ、初回訓練の帰宅予定日は早くも未定になっていた。治療薬だけでなく、申請書まで安全装備へ含まれている。
訓練で使う荷車には、先ほどの木箱が積み直された。
4つのパーティーで隊列を組み、物資を草原まで運ぶ。荷車の側面へ結ばれた赤い布を、目的地まで守り抜けば成功となる。
メーガナーダさんは参加者たちの隙を見つければ、訓練用の木剣で攻撃を仕掛けるという。赤布を奪われるか、荷車を置き去りにした時点で中庭からやり直しになる。
「まず、隊列を決めろ」
《紅蓮の風》は荷車の前方、《ファングドレイク》は左右の護衛、《銀夜行》は後方警戒を担当する。《黒霧》には周囲の偵察が割り当てられた。
先頭に立ったユールが出発の合図を出そうとした時、荷車の下から何かを引っかく音が聞こえた。
覗き込むと、オティヌスが腹這いになり、積荷の間から垂れた紐へ手を伸ばしている。背負っているのは、《グレイプニル》で作られた虫籠だった。
「何をしているんですか?」
「肉の匂いがした。傷んでいないか、私が確認してやろう」
「朝食は先ほど食べましたよね?」
「朝食と確認作業は別だ」
オティヌスは荷車の下から腕だけを伸ばし、肉袋の紐を引っ張った。
訓練の参加者ではない。だが、荷車を狙っている以上、止めるべき相手には見える。
ユールが盾を構える一方、ルドベックは最高神を名乗る少女へ武器を向けてよいのか迷い、ヘンリーはフレイアさんへ判断を求めた。パティは荷車の下にいるオティヌスを傷つけない方法を考え始める。
「進路を塞ぐ者として扱うべきでしょうか?」
「クランの同行者になる方です。敵と判断するのは早いと思います」
「だが、肉を持っていかれるぞ」
「まず本人へ確認してから――」
《紅蓮の風》が会議を開いている間に、肉袋が荷台から落ちた。
オティヌスが獲物を抱えて這い出す。その際、袋の紐が赤布へ絡まり、訓練の目標まで一緒に外れていた。
「赤布を奪われた。失敗だ」
メーガナーダさんから告げられ、ユールたちは肉袋を抱えたオティヌスを見つめた。
当の本人は訓練に勝った自覚もなく、袋の口を開けようとしている。
今後はユールが進路と対応を決め、明らかな危険を発見した場合だけ仲間が止める。メーガナーダさんがその場で規則を定め、赤布を荷車へ結び直した。
「ロキ。オティヌスを連れていってください」
「しゃあないな。ほら、肉も戻すで」
「待て。確認が終わっておらぬ!」
ロキが空間術式を開き、オティヌスと肉袋をクランハウスの裏手へ転送する。
今度こそ出発できる。
そう思った直後、門の外からオティヌスの悲鳴が近づいてきた。
「止めろ! こやつは主を何だと思っておる!」
肉袋を咥えたスレイプニルが、8本の脚で石畳を駆けてくる。
その後ろでは、袋を取り返そうと紐へしがみついたオティヌスが、腹から地面を滑っていた。転送された先でスレイプニルに肉を奪われ、そのまま引きずられてきたらしい。
「肉袋についてきた重りやないか?」
「誰が重りだ! 早く止めろ!」
《ファングドレイク》の獣人が、真っ先にスレイプニルを追った。
人間の剣士と魔術師も後へ続く。足の速い3人は巨馬との距離を縮めたものの、重い装備を身につけたダレルさんと荷車だけが中庭へ残された。
数秒もしないうちに、同じパーティーの先頭と最後尾が、門の内側と外側へ分かれている。
隊列と呼ぶには、間へ門が一つ挟まっていた。
「荷車から離れるな!」
メーガナーダさんの声で、3人が足を止めた。
その脇をスレイプニルが駆け抜け、地面を滑っていたオティヌスの腕が荷車の赤布へ引っかかる。
布はあっけなく解け、最高神と一緒に門の外へ消えていった。
「また失敗だ」
妨害役が1匹増えただけで、最初より短い時間しか守れなかった。
《ファングドレイク》の獣人とダレルさんの腰へ訓練用の縄が結ばれる。縄が張った時点で、仲間を置き去りにしていることが分かる仕組みだった。
方法は家畜の脱走防止に近いものの、効果は期待できそうである。
ロキがスレイプニルとオティヌスを厩舎の近くへ転送し、肉袋は木箱の奥へ隠された。
3枚目の赤布が荷車へ結ばれる。
「次は、空も見ろ」
メーガナーダさんの指示を受け、《銀夜行》が後方だけでなく上空の警戒も担当することになった。
早朝の日差しを避けるように建物の影へ寄っていた4人は、眩しそうに目を細めながら空を見上げる。
その時、頭上から聞き慣れた声が落ちてきた。
「楓! 下ろせ! いや、先に肉を離させろ!」
ガルーダが、木箱から抜き取った肉袋を両脚で掴み、中庭の上を旋回している。
袋の紐にはオティヌスが両手でぶら下がっていた。厩舎へ転送されたあと、今度はガルーダに肉を奪われたらしい。
黄金色の神鳥と、その下で両脚を振り回す最高神が、荷車の真上を横切っていく。
「どちらか一つにしてください!」
「ならば肉を先に助けろ!」
救助対象の優先順位が、自分より食料を上に置いていた。
《銀夜行》は地面を走るガルーダの影を追った。薄暗い場所での動きには慣れているものの、朝日を正面から受けるたびに目を逸らし、肝心の本体を見失っている。
ガルーダが肉袋を離すと、オティヌスまで一緒に落ちてきた。
《黒霧》の4人が着地点へ回り込む。全員が身を隠すことだけは成功したが、互いの配置を知らないまま同時に飛び出し、空中のオティヌスを別々の方向から受け止めた。
「どちらへ運ぶつもりですか!」
俺が声をかけても、4人は互いの姿を見失ったまま、腕や脚を別方向へ引っ張っている。
「私は荷物ではないぞ!」
引っ越しの時には、虫籠の間へ収まっていた本人が今更荷物ではないとか……
捨てていいかな?(2回目)
オティヌスが逃れようと伸ばした手が、荷車の赤布を掴んだ。4人が一斉に引いた瞬間、布だけが荷車から外れる。
「3回目の失敗だ」
メーガナーダさんは木剣を一度も振っていなかった。
予定されていた妨害役が動く前に、予定にない最高神と神獣だけで訓練が終わっている。
フレイアさんは荷物の中から赤、青、黄、白の布を取り出し、《黒霧》の腕へ1本ずつ結んだ。
「互いの位置を確認できる範囲で行動してください」
隠密役としては目立ちすぎる姿だが、仲間から見つけてもらうところから始める必要がある。
《銀夜行》には朝日から目を逸らさず、影と本体を交互に確認するよう指示が出た。《ファングドレイク》も、腰の縄が張らない速度で何度か中庭を往復する。
《紅蓮の風》はユールの合図だけで進路を変える練習を行い、ようやく会議を開かずに荷車を動かせるようになった。
肉袋は蓋つきの木箱へ収め、ロキが封印術式までかけている。
オティヌスとスレイプニル、ガルーダは、今度こそ旧クランハウスへ戻された。
「これで邪魔は入らへんやろ」
「その台詞を聞くと、不安になるんだけど」
「失礼やな。今度はちゃんと戻したで」
4枚目の赤布が結ばれ、荷車はようやく門を出た。
《紅蓮の風》が前方を進み、《ファングドレイク》が荷車の速度へ合わせる。《銀夜行》も朝日を避けず、《黒霧》は色布で互いの位置を確かめながら左右へ広がっていた。
北門を抜け、草原まで残り半分ほど進んでも、赤布は荷車へ結ばれている。
初めて訓練が成功するかもしれない。
そう思ったところで、街道脇の草むらから何かを引きずる音が聞こえた。
「楓! こやつを何とかしろ!」
草の間から、オティヌスが両腕で地面を掻きながら這い出してくる。
腰から下は、巨大な蛇の口へ収まっていた。
オティヌスが前へ進もうとするたび、大蛇が身体をうねらせて後ろへ引き戻す。本人が這っているのか、蛇に運ばれているのか分からない速度で、少しずつ街道へ近づいてきた。
「今度は何を捕まえようとしたんですか?」
「捕まえられておるのを見れば分かるだろう!」
旧クランハウスへ戻されたあと、懲りずに荷車を追いかけ、近道として入った草むらで昼寝中の大蛇を踏んだらしい。
俺は隣にいるメーガナーダさんへ目を向けた。
「あれも妨害役ですか?」
「知らん。だが、訓練には使える」
オティヌスは地面へ爪を立て、必死に大蛇の口から逃れようとしている。
ところが参加者たちは、すぐには動かなかった。
3回も訓練をやり直したことで、次は何を試されているのか考える癖がついている。最高神が半分飲まれている光景を前にしても、まず荷車と赤布を確認していた。
「助けろ! 今度こそ私を先に助けろ!」
先ほどまで肉を優先していた本人が、ようやく自分の価値を思い出したらしい。
「ユールさん、判断を!」
俺が呼びかけると、ユールは仲間へ相談せず盾を構えた。
「荷車を止める。《銀夜行》は蛇の動きを確認。《黒霧》は左右へ回ってくれ。《ファングドレイク》は俺たちと一緒に、オティヌスさんを引き抜く!」
《銀夜行》が大蛇の身体と草むらへ落ちる影を追い、頭の向きを伝える。
《黒霧》は色布で仲間の位置を確認しながら左右へ分かれ、長い身体へ縄を回した。姿を隠しても、今回は誰がどこにいるか分かる。
《ファングドレイク》の獣人は先走らず、ダレルさんが縄を掴むのを待ってから引き始めた。人間の剣士と魔術師も、荷車を離れない位置で援護している。
ユールが大蛇の口へ盾を押し込み、ルドベックが剣の腹を使って下顎を押さえる。ヘンリーは矢を目元へ向け、頭を動かさないよう牽制した。
パティがオティヌスの両腕を掴み、ユールの合図を待つ。
「今だ!」
全員が同時に縄とオティヌスを引いた。
大蛇の口から最高神が勢いよく抜け、パティたちと一緒に草原へ転がる。獲物を失った大蛇は縄へ身体を絡めたものの、ダレルさんを中心に《ファングドレイク》が踏みとどまり、《黒霧》も左右から張力を保っていた。
メーガナーダさんが木剣で地面を叩く。
乾いた音とともに土が弾け、大蛇は身体を震わせた。参加者たちが縄を緩めると、草むらの奥へ逃げていった。
荷車は街道へ残り、赤布も結ばれたままである。
オティヌスは唾液まみれになった下半身を確かめたあと、背中の虫籠を抱きしめた。《グレイプニル》で作られた籠には、傷一つついていない。
「危うく食われるところだった」
「虫を探しに行かなければ、もっと安全でしたよ」
「珍しい虫がおったのだ。仕方あるまい」
反省していない。
ロキの学習を助ける術式がオティヌスには効かないという予想は、別の場所でも証明されてしまった。
訓練開始から何度も中庭へ戻された一行は、昼前になってようやく草原へ到着した。
《紅蓮の風》は会議を開かず、《銀夜行》は朝日の中でも周囲を確認し、《ファングドレイク》は最後尾へ速度を合わせ、《黒霧》も互いの位置を見失っていない。
まだ強くなったわけではない。
荷車と仲間、それに途中で拾った最高神を、全員揃って目的地まで運べただけである。
それでも、最初の訓練としては十分だった。
帰り支度を始めたところで、フレイアさんから1枚の予定表を渡された。
明日からは各パーティーが通常の依頼を受け、そこへ俺たちの中から同行者をつけるらしい。
最初に割り振られていたのは、《紅蓮の風》による薬草採取だった。
同行者の欄には、フレイアさんとオティヌスの名前が並んでいる。
当の最高神は大蛇の唾液を拭いながら、草むらで見つけた虫を籠へ移していた。
森へ薬草を採りに行く者たちと、虫を採りに行く最高神。
目的地だけは同じだった。




