第25話 悪徳業者VSフレイアさん
第25話
クラン設立申請書は、その場で受理されなかった。
代表者欄には俺の名前があるのに、クラン名も活動方針も決まっておらず、所属予定者の署名も足りていない。これで持ち帰れると思ったのだが、フレイアさんは椅子を用意してもらい、不備の説明を記入作業の案内へ変えてしまった。
フレイアさんへ続いて、ロキとメーガナーダさんが署名する。文字を書けないオティヌスは、捕まえた虫の脚へ墨をつけて署名欄を歩かせようとしたが、紙面に足跡がつく前にルノアさんが虫ごと持ち上げた。
「ご本人の署名としては認められません」
「私が歩かせたのだから、私が書いたことにならぬか?」
「なりません」
議論の余地まで一緒に持ち上げられ、オティヌスの名前はロキが代筆した。
俺の署名欄だけは空いたままだったが、4人分の名前が揃ったことで、クラン設立を検討する準備団体として旧クランハウスを確認する許可が下りる。
代表者の意思を確認するより、代表者以外の準備を終える方が早かった。
◇
翌朝、俺たちは居住区の外れにある旧クランハウスへ向かった。
同行するのはフレイアさん、ロキ、メーガナーダさん、立会人のルノアさん。それに、ゴブリンたちの監督を担当するギルド職員2人である。
オティヌスはスレイプニルとガルーダの見張りを引き受け、訓練場へ残った。両方の餌を分けてもらえると聞いた直後に立候補したため、見張る相手と狙っている物を取り違えていないか心配だったが、少なくとも街へ連れていくよりは安全だろう。
ゴブリンたちは武器を預け、俺の後ろへ固まって歩いている。住民と擦れ違うたびに俺を守ろうと周囲へ広がり、通行人まで包囲しかけるため、何度か元の列へ戻さなければならなかった。
目的の建物は、高い塀に囲まれた4階建てだった。
正面玄関の上には看板を外した痕が残り、閉ざされた窓には薄く埃が積もっている。長く使われていないようだが、外壁に目立った崩れはない。庭の雑草を刈って窓を磨けば、今でも十分に暮らせそうだった。
門前で待っていた灰色の上着の男が、愛想よく頭を下げる。
「以前は中規模クランの本拠地として使われておりました。設備も一通り残されています」
フレイアさんから俺を代表予定者として紹介されると、男は一拍遅れて俺にも頭を下げた。視線が俺とフレイアさんの間を往復している。
歓迎する客というより、どちらが本当の交渉相手なのか測られている気分だった。
正面玄関の先には広いロビーがあり、受付台の隣へ厨房を併設した酒場が続いている。さらに奥には共同食堂、浴室、倉庫が配置され、上階は居住区として使われていた。
部屋数は現在の人数では余るほど多い。フレイアさんが水回りを調べ、ロキが壁の内側を通る魔力経路を確かめる中、メーガナーダさんは窓から遥か先に連なる山々を眺めていた。
「裏手に、ちょうどよい山があるな」
浴室や厨房を見た時より、声が弾んでいる。
「……あれを裏山として数えるんですか? かなり離れていますよ」
「そうか? 山を2つ越えれば着く。すぐそこだろう」
メーガナーダさんは、自分の足と人間の足に違いがあることを初めて聞いたように首を傾げた。
俺なら辿り着くだけで1日が終わる。彼女の距離感では、途中に山が2つ挟まっていても近隣に含まれるらしい。
隣で聞いていた不動産業者が、物件資料へ《山林至近》と書き加え始めた。
「いまの距離感を、広告へ使わないでください」
男は書きかけの文字を手で隠し、何事もなかったようにペンをしまった。
神基準の所要時間を物件案内へ採用すれば、入居者は山へ着く前に不動産屋へ戻ってくる。
中庭へ出ると、先頭にいたゴブリンが厩舎へ駆け寄り、柵の隙間から中を覗き込んだ。残りは反対側の作業小屋へ集まり、窓へ顔を並べている。
やがて1体が中へ潜り込み、壊れた椅子を抱えて戻ってきた。それを合図に木箱や古い道具が次々と運び出される。
「まだ、ここへ住むと決まったわけではありませんよ」
椅子を抱えたゴブリンが、作業小屋と俺を交互に見た。壊れた脚まで以前と同じ向きへ揃えて戻そうとするため、掃除だけなら構わないと伝える。
今度は椅子を屋外へ向け直し、別の個体が見つけた箒で床を掃き始めた。
フレイアさんは作業小屋へ入り、壁を指先で押して傷みを確かめている。屋根を見上げたあと、運び出された木材を修繕に使える物と処分する物へ分け、ゴブリンたちへ置き場所を教え始めた。
購入の判断をするための内見だったはずが、俺以外はすでに入居後の仕事へ進んでいる。
「建物の状態は、ご覧のとおり良好です。設備も含め、すぐにお使いいただけます」
不動産業者が胸を張って中庭を示す。
フレイアさんは作業小屋から戻ると、男が抱えている契約書へ指を向けた。
「地下倉庫も確認できますか?」
鍵束を握る男の指に力が入り、金具同士が小さな音を立てた。
「地下には、前の所有者が残した荷物がございます。本日は上階だけをご覧いただく予定でして」
「ほな、うちの術式で中だけ確認したるわ」
ロキが杖を取り出すと、男は上着の内側から地下倉庫の鍵を抜き取った。
持っていないとは言っていないが、持っている時の出し方でもなかった。
地下へ続く扉から、湿った空気が階段を這い上がってくる。床には濁った水が溜まり、壁の下側も黒く変色していた。積まれた木箱の一部は湿気を吸い、自重に耐えられず潰れている。
倉庫より、キノコの栽培所として売り出した方が苦情は少なそうだった。
ロキが階段を下り、杖先で水面を突く。
「排水設備が正常なら、水を溜める設備の方が優秀すぎるんちゃうか?」
「一時的な不具合です。引き渡しまでには、必ず使用できる状態へ戻します」
男が襟元へ指を差し込んだところで、フレイアさんが昨日の契約書を開いた。
「こちらには、排水設備は正常であり、修繕の必要もないと記されています。最後に確認されたのは、いつでしょう?」
「担当者へ確認いたします」
質問へ答えるたび、その担当者とやらの罪だけが増えていく。今日ここへ来ていない人物なので、責任を預けるには便利なのだろう。
フレイアさんが差し出した設備記録を読み、ルノアさんが契約書の金額へ指を添えた。
「厨房の大型炉、井戸の揚水装置、訓練場の補強壁には、ギルドの建設支援金が使われています。それを新設設備として計算されていますね」
「取得記録が、担当者へ正しく伝わっていなかった可能性がございます」
「では、こちらも伝わっていないのでしょう」
次に重ねられたのは、不動産業者がこの建物を取得した際の取引記録だった。地下倉庫や排水設備の修繕費を差し引き、建物の状態を理由に安く取得している。
ところが、俺たちへ提示された価格には、実施されていない修繕費がもう一度加えられていた。安く買う時には壊れた建物として扱い、高く売る時だけ修繕済みの建物へ戻しているらしい。
何度売られても新品扱いされる炉と、工事をしなくても価格へ加えられる修繕費。建物より、契約書の方が利益を生み出す設備になっていた。
「知らずに契約していたら、していない修理の費用まで支払うところだったんですね」
俺が契約書から顔を上げると、男は手巾で額を押さえた。
フレイアさんが不正を調べ、ギルド職員を連れて現地を確認し、その隣で俺が契約内容を問いただしている。向こうから見れば、最初から証拠を揃えて乗り込んできたように映っているのかもしれない。
実際には、昨日まで建物の場所さえ知らなかった。
地下の水より先に、俺へ積み上がる策士としての評価を排出してほしかった。
「価格と契約内容は、すぐに訂正いたします」
男が紙へ手を伸ばしたが、フレイアさんは契約書を閉じ、別の書類を上へ重ねた。
「地下倉庫と排水設備は、そちらの負担で修繕してください。所有権移転に必要な費用、不当に加算された設備価格、実施されていない工事費も、売却価格から除いてあります」
「この金額では、取得費用すら回収できません」
「でしたら、契約は行いません。こちらの記録だけ、ギルドへ提出いたします」
フレイアさんが書類をルノアさんへ渡そうとした瞬間、男の手が間へ入った。
「お待ちください。条件を、もう一度確認させていただけますか」
修正後の価格では利益が残らず、地下の修繕費まで負担すれば損失が出る。それでも、虚偽の設備価格と架空の修繕費を記した記録を持ち帰られるよりはましだと判断したらしい。
フレイアさんは最初から署名欄まで整えた契約書を、男の前へ置いた。
「この条件であれば、購入いたします」
不動産業者は契約書を読み返し、何度も額を拭った末、署名欄へペンを走らせた。
建物の所有者となるのはフレイアさん。俺の名前は、居住開始後の管理責任者候補として添えられている。
「どうして、ここにも俺の名前があるんですか?」
「神獣とゴブリンたちの管理責任者は、すでに楓さんですので。正式な届け出は、署名をいただいてから行います」
クラン設立へ同意していないことには配慮し、所有者として契約するのはフレイアさん。その代わり、居住開始後の管理責任者には、最初から俺を据えるつもりらしい。
署名するまでは候補者にすぎない。
候補者が俺一人しかいないことを除けば、選択の余地は残されていた。
契約書を受け取ったルノアさんは、設備記録と過去の取引記録も重ねて鞄へ収めた。
「支援金の扱いについては、ギルドで確認します」
「単なる記録上の不備です。大事にするようなことではありません」
「判断するのは、記録を確認してからです」
男はフレイアさんへ助けを求めるような視線を向けた。
契約すれば記録を提出しないとも、不正を見逃すとも、彼女は一度も口にしていない。建物と利益を失ったあとで、その事実に気づいたようだった。
中庭へ戻ると、ゴブリンたちは作業小屋の窓を磨き終え、運び出した家具を使える物と壊れた物へ分けていた。
「ここを購入することになりました」
箒を持った個体が俺の顔を見上げ、続いて鍵を確認する。意味が伝わると、仲間の肩を叩いて作業小屋へ駆け込み、全員で寝床を決める相談を始めた。
帰り際には、建物の鍵が俺へ渡された。
ルノアさんから受け取った設立準備団体の届け出には、フレイアさん、ロキ、オティヌス、メーガナーダさんの名前が並び、管理責任者の欄だけが空いている。
俺が用紙を返そうとすると、フレイアさんは昨日のクラン設立申請書を上へ重ねた。代表者欄には俺の名前があるものの、署名欄は空白のままだった。
「まだ、クランを作ると決めていませんよ」
「はい。ですから、クラン名と楓さんの署名は空欄にしてあります」
確かに、勝手な署名はされていない。
その代わり、本拠地は購入され、住人たちは部屋割りを始め、建物の鍵まで俺の手に収まっている。
署名欄だけ残して退路を塞ぐ方法を、意思の尊重と呼んでよいのだろうか。
少なくとも、フレイアさんの中ではそう呼ぶらしい。




