第23話 既視感
スレイプニルたちの登録を終えたあと、俺はルノアさんと一緒にギルドの受付ロビーへ戻った。
裏手の訓練場には、フレイアさんとロキが残っている。肉を食べ終えたスレイプニルを宿まで連れていく方法と、ゴブリンたちをどこで生活させるか相談するためだった。
オティヌスも藁束から救出されていたが、スレイプニルへ近づくたび同じ場所へ蹴り戻されるため、途中から救助されなくなっていた。
俺の左肩には、小鳥ほどに縮んだガルーダだけが残っている。
スレイプニルと離れたことで多少は落ち着いたものの、知らない人が近づけば羽毛を逆立て、嘴を向ける。受付へ戻る途中だけで、職員が2人、遠回りを選んでいた。
ルノアさんへ襲撃の詳しい経緯を報告しようとしたところで、酒場側から聞き覚えのない女性の声が届いた。
「あなたの名前は、先ほど聞いた」
「覚えてくれていたのか?」
「いや。もう忘れた」
声の周囲には、何人もの男性ハンターが集まっていた。
その中心に立っているのは、腰まで届く銀色の髪と褐色の肌を持つ女性である。7分丈のジャケットの下には胸元だけを覆う黒い布を身につけ、深い切れ込みの入った長いスカートから片脚が覗いていた。
背中には、黒塗りの長弓がある。
メーガナーダさんだった。
北門の外で別れたときより服や髪は整っており、スレイプニルに蹴られた脇腹にも怪我は残っていない。俺から渡した金貨で入街税を支払い、そのままギルドまで来たのだろう。
周囲を囲んでいる男性ハンターたちは、彼女が神王を倒した戦女神だとは知らないらしい。
剣士風の男が、自分のパーティーへ入らないかと誘っている。その隣では、別の男が街を案内すると申し出ていた。さらに後ろからも声をかけられているが、メーガナーダさんは誰の顔も見ていなかった。
「俺はダリオだ。さっきも名乗っただろう?」
「剣の重心が右へ偏っている者だな」
「名前で覚えてくれ」
「戦うときに必要なのは、名前ではなく癖だ」
名前は忘れているのに、腰へ下げた剣の状態は覚えている。
興味がないから話を聞いていないのではない。戦士として必要な情報だけを残し、本人が残してほしい部分を捨てていた。
別の男が、自分はCランクハンターだと胸を張る。
メーガナーダさんは男の立ち方を一度眺め、首を傾けた。
「後方の弓兵を気にしすぎている。あなたが前へ出れば、あの者は射線を確保できないだろう」
「同じパーティーだと、よく分かったな」
「先ほどから互いの位置を確認している。連携するなら、歩幅から合わせた方がいい」
誘いには答えず、訓練上の欠点だけを伝えている。
男性ハンターたちは話しかけるたび、自分でも気づいていなかった問題を指摘されていた。勧誘の列だったはずなのに、いつの間にか無料の戦闘指導を受ける順番待ちへ変わりつつある。
その光景に、俺は強い既視感を覚えた。
ギルドへ登録した日にも、白い衣装を着たフレイアさんが男性ハンターたちに囲まれていた。あのときは誘いを受けるより先に、相手の年収や資産、家族構成を確認し、既婚者と娘がいる男を候補から外していた。
今回は男性側の戦闘能力が査定されている。
確認する項目は違っても、近づいた男たちが本人の望んでいない審査を受けるところまで同じだった。
「楓さん」
ルノアさんが、男性たちに囲まれたメーガナーダさんへ視線を向けた。
「お知り合いですか?」
「違います」
考えるより先に答えていた。
ルノアさんが質問を終えた直後には、否定まで完了している。身体が危険を感じ、意識へ確認を取る前に拒絶したような速さだった。
「ですが、先ほどお名前を──」
「北門の外で一度会っただけです。知り合いと呼べるほどの関係ではありません」
「襲われた相手ですよね?」
「ですから、なおさら違います」
説明を重ね、関係がないことを明確にする。
その間に、俺の声を聞きつけたメーガナーダさんがこちらへ顔を向けた。
銀色の瞳が俺を捉える。
男性ハンターたちへ向けていた関心の薄い表情が消え、彼女は迷わず人垣の間を抜けてきた。
「カエデ」
名前を覚えていた。
顔と名前の一致しなかった男性たちが、一斉にこちらを見る。
俺はルノアさんからも見られていた。
「知り合いではないんですよね?」
「俺は、そう認識しています」
反射的な否定は、本人の登場から数秒で効力を失った。
メーガナーダさんは俺の目の前まで来ると、北門の外で会ったときと同じ距離まで顔を近づける。
「近いです」
「怪我がないか確認している」
「攻撃した本人が確認することではありません」
「私の矢を受けても無傷だった。だが、神術の負担が残っている可能性はある」
メーガナーダさんの視線が、俺の顔から胸元、肩へ移る。
そこにいたガルーダが羽毛を逆立て、鋭い嘴を向けた。
「ガルーダは、まだあなたを警戒しています」
「先ほどの共闘で敵ではないと理解したと思ったが」
「顔を狙ったことは、共闘とは呼びません」
ガルーダが同意するように短く鳴いた。
メーガナーダさんは嘴の届かない距離まで顔を引き、俺の肩にとまる姿を眺めた。
「神霊力の回復には時間がかかる。しばらくは、あなたの側へ置いた方がいい」
「先ほど、俺の管理下で登録されました」
「すでに、そこまで済ませたのか」
「俺が望んだわけではありません」
スレイプニルとゴブリンたちまで一緒に登録されたと伝えると、メーガナーダさんは驚くどころか、納得したように頷いた。
「敗者や弱者を見捨てず、自らの庇護下へ置くのだな」
「誰も帰ってくれなかっただけです」
「自分から残ることを選ばせたということか」
違うと否定しかけたが、言葉を飲み込んだ。
ゴブリンたちもスレイプニルも、自分の意思でついてきた点だけは間違っていない。俺の説明より、メーガナーダさんの誤解の方が事実の一部を正確に捉えているのが厄介だった。
「それで、どうしてギルドにいるんですか?」
「返す方法を決めた」
メーガナーダさんが、胸元から金貨を取り出した。
俺が治療費と宿代として渡したものだった。
「返さなくていいと言いましたよね?」
「金貨そのものを返すつもりはない」
「では、何を返すんですか?」
「私の働きだ」
メーガナーダさんは金貨を握り、黒塗りの長弓へ片手を添えた。
「狩猟、戦闘、護衛。受け取った金に相応するだけ、あなたへ力を貸そう」
「必要ありません」
「遠慮するな。あなたは私に勝利しながら、怪我を気遣い、街で暮らすための金まで渡した」
「スレイプニルが蹴った治療費です」
「敗者の治療と生活を保証したのだろう?」
「今日の宿代だけです」
「婚姻前の相手へ衣食住を保証する行為を、私たちの側では支度と呼ぶ」
周囲の音が止まった。
酒場にいた男性ハンターたちが、揃ってこちらを見ている。ルノアさんの手元では、記録用のペンが紙へ触れる寸前で止まっていた。
「待ってください。婚姻という言葉が混ざる理由が分かりません」
「私も、すぐに決める必要はないと考え直した。まずは共に戦い、互いを知るべきだろう」
「考え直した結果でも、話が早すぎます」
会ったのは昨日が初めてである。
その初対面で矢を放たれ、スレイプニルに蹴られた治療費として金貨を渡した。そこから婚姻の支度へ到達するまでに、必要な過程が大量に抜け落ちている。
メーガナーダさんは、俺が同意していないことをようやく察したらしい。
「私の狩猟能力に不安があるのか?」
「そこではありません」
「生活を保証できるか確かめたいのか?」
「婚姻する前提を外してください」
「では、まず力を貸し、あなたの判断を待とう」
前提は外れず、順番だけが変更された。
俺が断るほど、メーガナーダさんは自分に不足している条件を探し、その条件を満たすため同行しようとする。拒否が距離を作らず、改善点へ変換されていた。
「楓さん」
ルノアさんが、静かに俺を呼んだ。
「本当に、お知り合いではないのですか?」
「知り合いになった記憶がありません」
「カエデは、私の名も戦績も知っている」
「本人は、こう仰っていますが」
「一方的に教えられただけです」
アレルギー反応のように否定した関係が、本人と受付職員の協力によって外側から固められていく。
男性ハンターたちは、すでにメーガナーダさんへの勧誘を諦めていた。
俺たちのやり取りを聞き、婚姻の支度金まで渡した相手がいると受け取ったらしい。先ほどまでの人垣は消え、代わりに、少し離れた場所から成り行きを見守る観客が増えている。
「依頼へ同行するには、ハンター登録が必要です」
ルノアさんが、業務へ話を戻した。
救われたと思ったのは、俺だけだった。
「登録すればいいのだな」
メーガナーダさんが即答する。
「登録したからといって、俺の依頼へ同行できるわけではありません」
「パーティーの同意が必要なのか?」
「はい。同行者として参加する場合も、受注者側の了承が必要です」
「カエデが了承すればよいのだな」
問題が一つも解決していない。
ルノアさんは受付台の下から、新しい登録用紙を取り出した。
今日だけで、スレイプニル、ガルーダ、ゴブリンたちの登録書を作ったばかりである。そこへ今度は、神王を倒した戦女神の用紙まで加わろうとしていた。
「必要事項をご記入ください」
メーガナーダさんが登録用紙を受け取る。
男性ハンターたちの名前は覚えなかったのに、受注者欄へ書く俺の名前だけは、一度も確認しなかった。
野菜を受け取りに出るまでは、俺たちのパーティーは4人だった。
帰ってきてから、神馬、神鳥、ゴブリンたちが増えた。
さらに半日も経たないうちに、婚姻を検討する戦女神まで、同行者の欄へ自分から名前を書こうとしている。
フレイアさんがこの用紙を見る前に止めなければならない。
そう思ったときには、メーガナーダさんが最初の欄へペンを走らせていた。




