第20話 雷食いの戦女神
戦闘依頼の制限が解除された翌朝、俺たちは追加報酬を受け取るため、ギルドへ足を運んだ。
受付台には、すでに3枚の明細書と複数の報酬袋が並べられている。
西の森で倒した魔物に対する追加討伐報酬、捕らわれていた4人の救出援護、魔物の群生地発見。さらに、違法な名義借りと素材搬入を行っていたハンターたちの捕縛につながる証拠保全と調査協力まで、認定された功績は当初の依頼書へ記載されていた内容より多かった。
依頼どおりにゴブリンだけを倒して帰っていれば、報酬袋は1つで済んでいたはずである。
森の一部を爆撃した結果、魔物の群生地と救助対象を発見し、持ち帰った札と素材から違法ハンターまで掘り当てた。初仕事から業務範囲を広げすぎた新人として、ギルド側も各功績をどの項目へ押し込むべきか苦労したに違いない。
「各明細の金額をご確認ください。問題がなければ、こちらの受領欄へ署名をお願いします」
ルノアさんに促され、俺は明細書を上から順番に確認した。
追加討伐の報酬だけでも、当初受けた依頼の金額を大きく上回っている。救助援護や群生地発見、違法ハンターの捕縛へつながった功績まで加えると、しばらく宿代に困らないどころか、装備を一式買い替えても余る額になっていた。
「確認したいのですが、この中にレオンさんたちの報酬も含まれているんですか?」
「いいえ。レオンさんたちは別のパーティーですので、報酬も別々に査定しています」
ルノアさんが、明細書の受領者欄を指し示す。
「こちらに記載されているのは、楓さんたちのパーティーに認定された分だけです。レオンさんたちには、救助や撤退支援など、それぞれの功績に応じた報酬を別途お支払いします」
「それなら安心しました」
同じ現場にいたからといって、同じパーティーになったわけではない。俺が全員分をまとめて受け取り、あとから分配する形では、せっかく摘発した報酬搾取と似た金の流れを自分たちで作ることになる。
事情を説明すれば違いは分かってもらえるだろうが、大金を抱えた新人が低ランクハンターへ金を配る光景は、説明より先に誤解を育てる。問題の芽を自分で植え、水まで与える趣味はなかった。
「本当に、これを全部受け取っていいんですか?」
「はい。調査班による現場確認と、ギルドマスターの承認は完了しています。皆さんに課されていた戦闘依頼と危険区域への立入制限も、本日付で解除されました」
「それなら受け取ります」
報酬を辞退すれば、助けた4人の証言や、調査に関わった職員の判断まで否定することになる。以前の運搬依頼とは違い、今回は誰かの素材を横取りして得た金でもない。
俺が受領欄へ署名すると、ルノアさんは報酬袋をまとめて差し出した。
横から伸びてきた白い手が、俺より先に袋を受け取る。
「お預かりします」
「どうしてフレイアさんが受け取るんですか?」
「楓さんの財産を安全に管理するためです」
「俺の財産ですよね?」
「はい。ですから、私が安全に管理します」
会話が一周しただけで、報酬袋は返ってこなかった。
フレイアさんは《勝利の剣》を傍らへ置き、袋の中身と明細書を照合し始める。金額に間違いがないか確認するだけかと思ったが、やがて救助援護の欄へ指を置いた。
「ルノアさん。この査定には、撤退経路を確保した功績も含まれているのでしょうか」
「調査班からは、群生地排除の項目に含めたと報告を受けています」
「救助者の撤退支援と群生地の排除は、目的も結果も異なります。一つの項目へまとめれば、楓さんが何を行ったのか正確な記録が残りません」
「金額は十分なので、このままでも大丈夫ですよ」
「金額だけの問題ではありません。功績を曖昧に処理されれば、楓さんの将来の評価に影響します」
俺より俺の将来を心配している人は、そのままルノアさんと査定記録の確認を始めた。
放っておけば、俺が老後に受け取る金の計算まで始めかねない。この世界に年金制度があるのかは知らないが、フレイアさんの場合、存在しないと分かれば俺専用の制度を作ろうとしそうなので、確認しない方が安全だった。
ロキは自分の明細書へ目を通し、受領欄へ手早く署名したあと、報酬袋を持ち上げて重さを確かめている。用途を尋ねると、空間術式に使う触媒を買い足すつもりらしい。
「帰還に必要な分は残してください」
「分かっとる。全部使うほど計画性ないように見えるか?」
ロキはそう言いながら、報酬袋を両手で持ち直した。
質問への返答より、いまの動作の方が雄弁だった。計画性があるなら、まず購入予定の触媒と残金を確認してから胸を張ってほしい。
オティヌスは自分の報酬より、依頼品を食べずに持ち帰った功績に対する肉1箱の申請を優先していた。
ただし、文字を書けないため、手にした申請書は白紙のままである。オティヌスは代筆してくれそうな職員のあとをついて歩き、口頭で同じ要求を繰り返していた。
「私は依頼品を食べなかった。肉1箱を受け取る資格がある」
「そのような支給項目はありません」
「今から作ればいい」
「まずは申請理由を記入してください」
「だから、それを書く者を探している」
代筆を求められた職員が仕事を思い出したように歩調を速めると、オティヌスも白紙の申請書を抱えたまま速度を上げた。
書類には何も記入されていないが、肉1箱へ向かう意志だけは、どの欄よりも明確だった。
その様子を眺めているうちに、宿の主人から頼まれていた用事を思い出した。
北門の外へ近隣農家の荷車が来ており、注文していた野菜を午前中に受け取ってほしいと言われている。門のすぐ外で木箱を受け取るだけなので、全員で向かう必要はなかった。
「俺は宿の野菜を受け取ってきます」
「私も同行します」
「フレイアさんは、査定記録の確認を続けてください。北門のすぐ外ですし、受け取ったら戻ってきます」
フレイアさんは納得していない様子だったが、《勝利の剣》と報酬袋を置いたまま席を立てる状態ではない。簡単な受け取りへ護衛まで同行させていたら、今後は買い物へ出るたびにパーティー全員で隊列を組むことになる。
部屋を出ようとしたところで、白紙の申請書を抱えたオティヌスが俺を呼び止めた。
「楓。これを持っていけ」
差し出されたのは、指ほどの長さしかない銀色の笛だった。
表面には複雑な紋様が刻まれている。何を呼ぶための道具なのか尋ねようとすると、オティヌスは腰の小袋から、細い紐を幾重にも編み込んだような《グレイプニル》まで取り出した。
笛と一緒に、俺の手へ載せる。
「笛は、困ったときに吹け」
「何が来るんですか?」
「吹けば分かる」
「オティヌスも分かっているんですか?」
「忘れた」
何が起きるのか知らない本人から、困ったときに使うよう勧められた。
助けを呼ぶ道具なのか、新しい問題を呼び寄せる道具なのかも分からない。少なくとも、説明書が存在しないことだけは確かだった。
「《グレイプニル》は何に使うんですか?」
「帰りに使え。空のまま返すな」
「何を入れればいいんですか?」
「見つけたものだ」
「せめて種類くらい教えてください」
「私は肉の申請で忙しい。細かなことまで聞くな」
肉1箱を要求する白紙の申請書より、俺が門外へ持ち出す神具の用途を説明してほしかった。
しかし、オティヌスの関心は、すでに代筆してくれそうな次の職員へ移っている。《グレイプニル》を何に使うのか分からないまま、俺は笛と一緒に腰へ下げた。
オティヌスとしては、帰り道で見つけた虫を捕まえ、大事な餌箱へ詰めてきてほしかったらしい。
当然ながら、その真意は俺へ一言も伝わっていない。
俺は危険なものが現れたとき、《グレイプニル》で縛れという意味だと受け取っていた。神をも拘束する道具を預けられて、まさか虫籠の代用品だと思えるはずがない。
説明不足によって、餌箱は護身用装備へ昇格した。
◇
北門を出ると、街道脇の広場には何台もの荷車が停まっていた。
近隣の畑から運ばれてきた野菜や果物が木箱へ分けられ、農家の人たちが納品先ごとに積み替えている。宿の名前を伝えると、日に焼けた農夫が荷台の奥を指さした。
「その葉野菜の箱だ。代金はもらっているから、受取証に名前だけ頼む」
「分かりました」
渡された受取証へ署名し、木箱を抱え上げる。
中身は葉野菜と根菜が半分ずつで、1人でも運べない重さではない。街へ戻れば宿の者が受け取りに来るため、俺が運ぶのは北門までだった。
戦闘依頼の制限が解除された初日の仕事としては、拍子抜けするほど平和である。
森へ入る必要もなく、魔物と戦う予定もない。俺を直接攻撃する可能性があるのは、木箱から突き出した葉の先くらいだった。
そのはずだった。
木箱を持ち直したとき、北側の丘へ白い光が落ちた。
雷のような音はない。地面も揺れず、周囲で作業している農夫たちは誰も気づいていなかった。
光は丘の斜面へ吸い込まれ、代わりに銀色の粒子が立ち昇る。
その中心に、1人の女性が立っていた。
褐色の肌に、腰まで届く銀色の髪。黒く塗られた長弓を背負い、膝上まであるブーツを履いている。
服装は、さらに目を引いた。
7分丈のジャケットの下には、胸元だけを覆う黒い布。腹部は隠されておらず、長いスカートにも腰近くまで深い切れ込みが入っている。防具にしては守る範囲が狭く、普段着にしては周囲の視線へ攻撃的だった。
女性は丘の上から街を眺め、続いて俺へ顔を向けた。
視線が、腰に下げた《グレイプニル》で止まる。
次の瞬間には、目の前にいた。
移動する姿は見えなかった。数十メートルあった距離が一息で消え、女性の顔が鼻先へ迫っている。
「近いです」
「動かないでくれ。確認している」
「もう少し離れても確認できませんか?」
「離れれば、見落とす可能性がある」
近すぎて全体を見落としている気もしたが、女性は俺の意見を求めていなかった。
銀色の瞳が《グレイプニル》を細部まで調べ、そのあと笛へ移る。さらに俺の胸元や額へ顔を寄せ、何かを探るように目を細めた。
「なぜ、あなたが《グレイプニル》を持っている?」
「預けられました」
「誰に?」
「オティヌスです」
「ヴァルハラの最高神が、人間へこれを?」
「帰りに使えと言われました」
「何を捕らえるつもりだ?」
「俺にも分かりません」
女性の表情が険しくなった。
神をも拘束する《グレイプニル》を渡されながら、その用途を知らない人間が不審なのは理解できる。俺も同じ立場なら警戒するだろう。
実際の用途が虫の持ち帰りだと知れば、警戒より先にオティヌスの神格を心配するはずだが、残念ながら俺にも説明できなかった。
「我が名はメーガナーダ。神王インドラを打ち破り、《インドラジット》の称号を得た戦女神だ」
「嵯峨楓です」
「カエデか」
メーガナーダさんは俺の名前を確かめるように繰り返し、さらに半歩近づいた。
すでに十分近かったため、その半歩で後頭部を引かなければ額が触れそうになる。自己紹介によって縮めるのは心の距離だけでよく、物理的な距離までなくす必要はない。
彼女は俺の反応を気にせず、今度は周囲の空気まで確かめるように静かに息を吸った。
「あなたから、3柱の神威を感じる」
「3柱?」
「いずれも、あなた自身のものではない。神が人間へ干渉した痕跡だ」
オティヌス、ロキ、フレイアさん。
思い当たる神様は、数だけなら一致している。ただし、誰が何をしたのかまでは俺も知らなかった。
「一緒に来た3人だと思います」
「3柱もの神が、あなたへ手札を晒したというのか」
「手札を晒す必要はないか、くらいに考えている人たちなので」
本人へ説明する必要すら感じていない、と付け加えた方が正確だったかもしれない。
メーガナーダさんは俺を見つめ、やがて背負っていた黒塗りの長弓へ手を伸ばした。
「それだけの神威を隠しながら、力を持たない人間として振る舞っているのか」
「振る舞っているのではなく、本当に俺自身には何もありません」
「強者が力を隠す理由を、無理に聞くつもりはない」
「隠していません」
否定しても、メーガナーダさんの目から期待は消えなかった。
「あなたが3柱の神威を預けるに値する者か、私が確かめる」
「確かめなくて結構です」
「手札を晒す必要はない。私を退けるために必要なものだけ使えばいい」
「使い方を知らないので、手札として数えないでください」
俺の返事を待たず、メーガナーダさんが黒塗りの長弓を構えた。
日常の距離感には問題があっても、武器を手にした瞬間の動きには迷いがない。銀色の矢が弦へつがえられ、周囲の空気が目に見えない圧力で震え始めた。
狙われているだけで身体が硬直し、木箱を手放すことさえできない。
その間へ、街道脇の茂みから複数の小さな影が飛び出した。
ゴブリンだった。
欠けた短剣や木の棒しか持っておらず、防具も獣皮を巻きつけただけである。
見覚えがあった。
西の森でロキが起こした爆発に巻き込まれながら、辛うじて生き残っていたゴブリンたちだ。俺たちは負傷して動けなくなった彼らへとどめを刺さず、森へ残してきた。
そのゴブリンたちが、俺とメーガナーダさんの間へ立っていた。
全員が震えている。
相手との力の差が分からないわけではない。それでも逃げず、短剣や棒を構え、背後にいる俺を守ろうとしていた。
「逃げてください! あなたたちでは無理です!」
ゴブリンたちは動かなかった。
森の爆撃で殺さずに生かしたことを覚えているのかもしれない。だから今度は、自分たちが身を挺して恩を返そうとしている。
嬉しいなどと思える状況ではなかった。
弱いと分かっている彼らが立ちはだかっても、メーガナーダさんの攻撃を防げるとは思えない。恩を返すために命を捨てられたら、あのとき助けた意味まで失われてしまう。
メーガナーダさんは弦を引いたまま、ゴブリンたちを静かに観察した。
「退いてくれ。私が確かめたいのは、あなたたちではない」
警告されても、ゴブリンたちは動かない。
先頭の1体が両腕を広げ、身体そのものを盾にする。その背後では、残るゴブリンたちも俺へ攻撃を通さないように並んでいた。
メーガナーダさんは彼らへ矢を放たず、僅かに射線をずらした。
それだけで、矢先はゴブリンたちの横を抜け、背後にいる俺だけを正確に捉える。
銀色の矢が放たれた。
ゴブリンたちの脇を通り抜けた矢が俺へ届く寸前、視界を金色の光が覆った。
足元から広がった光が、俺とゴブリンたちを包む半球状の障壁へ変わる。矢は障壁へ突き刺さり、金属同士を激しく打ち合わせたような音を響かせた。
金色の表面に亀裂が走る。
それでも、矢は止まっていた。
見覚えのない術式だったが、誰が仕込んだものかは色で分かった。
フレイアさんである。
いつ俺へ施したのかは知らない。本人はギルドで《勝利の剣》と一緒に査定記録を確認しているはずなのに、過剰な保護だけは俺へついてきていた。
止められた矢が、再び前進する。
障壁の亀裂が広がった瞬間、その先端に黒い裂け目が開いた。
矢だけが裂け目へ吸い込まれ、次の瞬間、遥か上空へ吐き出される。銀色の光は空を貫き、雲の向こうへ消えていった。
こちらはロキの空間術式だろう。
本人たちがいない場所で、2柱の術式が俺を守った。事前に説明してほしかったが、知らなかったからこそメーガナーダさんにも存在を悟られずに済んだと考えれば、結果だけは正しかった。
メーガナーダさんは、空へ消えた矢ではなく俺を見ていた。
「フレイアの防護術式に、ロキの空間術式。異なる神術を同時に起動したのか」
「俺は何もしていません」
「力を誇らないのは構わない。しかし、私の前で隠し通す必要はない」
「本当に勝手に動いただけです」
正直に説明するほど、彼女の中で俺の評価が上がっている気がした。
神術を使いこなしたのではなく、2柱が勝手に仕込んだ安全装置へ助けられただけである。俺が自分の意思で行ったことといえば、野菜の木箱を落とさないように地面へ置いたくらいだった。
1本目の矢を防がれても、メーガナーダさんは戦意を失っていない。
再び銀色の矢が現れ、弦へつがえられる。先ほどより強い神威が矢へ集まり、周囲の空気が震え始めた。
金色の障壁はひび割れたままで、次も防げる保証はない。ロキの空間術式が続けて作動するかも分からなかった。
ゴブリンたちは、それでも俺の前から退かなかった。
俺は木箱を地面へ置き、オティヌスから渡された銀色の笛を取り出した。
困ったときに吹け。
何が来るのか尋ねても、オティヌス自身が忘れていた。相手は神王を倒した戦女神であり、呼び出されるものによっては、困り事が1つ増える可能性もある。
それでも、ほかに手段はなかった。
笛を口へ運び、強く息を吹き込む。
甲高い音が街道から丘へ抜け、その先に広がる草原まで響き渡った。
しばらく待っても、何も起こらない。
メーガナーダさんが弦を引き絞る。
渡された笛が、肉1箱の申請と同程度に役立たない可能性を疑い始めたとき、遠くから地面を打つ音が聞こえてきた。
馬の蹄に似ている。
ただし、数が多い。
音は急速に近づき、丘の向こうから巨大な影が飛び出した。
8本の脚で草原を駆ける、灰色の巨馬。
オティヌスの神馬であり、行方が分からなくなっていたスレイプニルだった。
だが、俺の目を引いたのは8本の脚ではない。
スレイプニルの口から、黄金色の小さな翼がはみ出している。
小鳥ほどに縮んだ何かが鋭い歯の間でもがき、食われまいと必死に嘴を動かしていた。身体から漏れる淡い光は弱々しく、スレイプニルが顎へ力を込めるたびに消えかかっている。
俺には、その小鳥が何なのか分からなかった。
しかし、弓を構えていたメーガナーダさんだけは違った。
銀色の瞳を大きく見開き、初めて明確な動揺を浮かべる。
「ガルーダ……?」
その声が漏れた直後、スレイプニルの歯が、黄金色の小鳥へゆっくりと沈み始めた。




