第1話 怪しい派遣業の面接①
次に意識が戻った時、俺は見知らぬ場所のパイプ椅子へ座っていた。
頭上では巨大なシャンデリアが柔らかな光を放ち、幾何学模様の入った絨毯や、会場を区切る背の高いパーテーションを照らしている。
壁際には観葉植物が並び、天井近くまである窓には、金糸で縁取られた厚手のカーテンまで下がっていた。
見た目だけなら、高級ホテルの宴会場そのものだった。
ただし、俺が座っているのは、会場後方へ何列も並べられた背もたれの硬いパイプ椅子である。
天井を見上げれば上流階級の舞踏会、腰を下ろせば地域の説明会という、豪華さが人体へ届く前に力尽きた会場だった。予算配分の優先順位が、内装業者と椅子業者の間で完全に決裂している。
服装は自室にいた時と変わっておらず、スマートフォンと財布も制服のポケットへ残っている。
スマートフォンには圏外という表示すらなく、時刻があるはずの場所へ、見覚えのない記号が並んでいた。
異世界の電波が、地球の電波より先に諦めてしまったらしい。
異世界へ拉致したうえで現金まで抜き取るほど、雇用する側は腐っていないらしい。
財布の中身が使えるかは分からないが、誘拐犯と窃盗犯を同時に相手にせずに済んだことだけは喜んでおこう。
少なくとも現時点では。犯罪の在庫は、まだ増える余地を残していた。
周囲の椅子には、年齢も服装も異なる人々が座っていた。
スーツ姿の会社員らしき男の隣には、中世の兵士のような装備を身につけた女性がいる。
長い耳を持つ少女は周囲の声に合わせて耳を動かし、全身を鱗で覆われた大男は、一脚へ身体が収まらず二つの椅子を窮屈そうに使っていた。
異世界の採用面接は、椅子のサイズ展開だけでも地球より進んでいるらしい。
少女の耳が動くたび、隣に座った男の羽根飾りへ先端が触れている。
男は迷惑そうに身体をずらしていたが、少女は自分の耳が原因だと気づかず、逃げる羽根飾りを不思議そうに追いかけていた。
両者とも悪意はないのに、事故だけは着実に発生し続けている。異世界の縮図としては、意外と分かりやすい光景だった。
夢と考えるには、鱗へ刻まれた古傷も、少女の耳の動きも生々しすぎる。
何より尻へ伝わるパイプ椅子の硬さに、夢らしい配慮が一切なかった。人間の脳は、椅子の座り心地までは都合よく捏造してくれないらしい。
会場前方には個別面談用のブースが並び、その奥には低い壇上が設けられている。壇上の中央へ置かれた金色の椅子だけは、座る者が世界を所有していても不思議ではないほど豪華だった。
いまのところ、そこに座る者はいない。
選考通過者への賞品かもしれないが、異世界からの帰り方すら分からない状況で、持ち帰る方法まで心配する必要はなかった。仮に貰えたとしても、実家の部屋には置き場所がない。
俺は周囲を警戒しながら、会場の端にある扉へ向かった。
扉の前には、甲冑を着た女性が立っている。腰へ剣を帯び、長い槍で物理的に帰り道を塞いでいるため、道を尋ねるだけでも面接が一つ増えた気分になった。警備員というより、二次面接官の予備軍に見える。
「帰りたいんですけど」
「受付後の帰還手続きは、担当官へお申し出ください」
甲冑の女性は姿勢を崩さず、用意された文章を読み上げるように答えた。抑揚のなさだけなら、券売機の音声案内にも勝っている。
「まだ受付をした覚えがありません」
女性は手元の名簿へ目を落とし、並んだ名前を指先で追った。俺の名前を見つけると、本人同意の欄が空白であることまで確認しながら、何の疑問も抱かずにエントリー済みだと告げる。
空欄を見つけたなら、そこで一度くらい眉を動かしてほしかった。
「同意していなくても、登録は有効なんですか?」
「選考登録は別部署の担当です。帰還を希望する場合は、担当官へお申し出ください」
責任を断ち切る力だけなら、手にした槍より鋭かった。異世界の縦割り行政、地球の役所と精度が変わらない。
本人の同意がなくても登録は有効だが、その経緯を調べる権限はなく、帰りたいなら別の人間へ相談しろということらしい。
自室で相手をした問い合わせフォームが、甲冑を着て物理的な通行止めへ進化していた。せめて出世するなら、もう少し愛想のいい方向に進化してほしい。
これ以上話しても、回答が担当官から離れることはないだろう。俺は出口に最も近い待機席へ戻り、逃げ道が分からない時は、まず情報を集めるべきだと自分へ言い聞かせた。異世界一日目にして、脱出計画がすでに保留になっている。
パーテーションで仕切られた面談ブースは完全な個室ではなく、候補者と面接官の会話が途切れ途切れに聞こえてくる。
防音という概念も、この会場の予算からは真っ先に削られたのかもしれない。
『それでは、志望動機をお願いします』
『世界を救い、多くの人々を笑顔にしたいと思い応募しました!』
張りのある青年の声だった。何の迷いもなく世界を救うと宣言できるあたり、英雄候補としては俺より遥かに正しい人選だろう。声だけで主人公オーラが漏れている。
『死亡時の遺体および所持品の取り扱いについて、第十二項は確認しましたか?』
『え?』
少し前まで多くの人を笑顔にしようとしていた青年が、最初に自分の笑顔を失ったことが容易に想像できた。
世界を救う覚悟より先に、書類を読む覚悟が必要な職場らしい。
別のブースからは、倒してきた熊の数を誇る男の声が聞こえ、その隣からは、使用できる水晶で遠くを見れるという特技を老人の話が聞こえる。
少なくとも、彼らは自分の意思で応募し、英雄になるための能力まで持っているらしい。同じ会場にいながら、俺一人だけ違う採用ルートに紛れ込んだ気分だった。
対する俺は、志望動機を求人サイトに捏造され、協調性に難があると記録された高校生である。
戦闘経験も特別な能力もなく、選考への意欲に至っては最初から存在しない。履歴書があるとすれば、特技の欄には「異世界からの生還意思」とでも書くしかない。
選考で勝てる要素は一つもなかったが、いまの俺にとっては、その方が都合がいい。
面談で事情を説明し、世界を救いたいとも英雄になりたいとも思っていないことを伝える。
これほど見事な不適格者を、わざわざ異世界へ送り込む理由はない。不採用になれば、元の世界へ戻されるはずだった。
選考を通過するためではなく、確実に落とされるために面談を受ける。
異世界へ拉致された直後の人間が立てたにしては、現実的で平和な脱出計画だった。人生で初めて、不採用という結果を心から望む日が来た。
「嵯峨楓さん」
遠くで俺の名前が呼ばれた。
同姓同名の誰かだと思い、しばらく待ってみたが、立ち上がる者はいない。
会場には俺以外に嵯峨楓がいないことだけは、地球より確実な事実だった。二度目は待機席の通路から、先ほどよりはっきりした声で呼ばれた。
「嵯峨楓さん。ご本人がいらっしゃらない場合、選考辞退として処理します」
辞退という言葉だけが、この場所で初めて希望らしい響きを持っていた。あまりに眩しくて、立ち上がるのが一瞬遅れたくらいだった。
声の主は、ブルーブロンドの髪を短く整え、身体の線に合った濃紺のスーツを着た女性だった。
高身長で涼しげな目元を持つ姿は、仕事のできる担当官そのものである。名刺を渡されなくても、有能さだけは伝わってくる立ち姿だった。
彼女は俺が立ち上がるのを確認すると、手にした書類を閉じた。
「担当官のロズウィアよ。私が担当になったのは幸運ね。説明、判断、容姿のいずれにも欠点がないもの」
最後の一つが選考業務へ必要なのか気になったが、本人の中では三つとも同じくらい重要らしい。履歴書の自己PR欄を、面と向かって読み上げられている気分だった。
「自分の評価としては、随分と高くありませんか?」
「客観的な事実を正確に把握しているだけよ。自己評価まで完璧と言い換えても構わないわ」
言い換える前より評価が上がっていた。謙遜という機能が、この担当官には標準搭載されていないらしい。
「辞退すれば、元の世界へ戻れるんですか?」
「契約前だから、所定の手続きを済ませれば帰還できるわ。私ほど判断の速い担当官は滅多にいないから、無意味に引き止める心配も不要よ」
「それなら辞退でお願いします」
ロズウィアさんは理由を尋ねることもなく、応募用紙へ辞退の印をつけた。本当に判断だけは速い。自室でパソコンや机と格闘した十分間は何だったのかと思うほど、帰還手続きは簡単に終わろうとしている。契約書と格闘した労力に対して、決着があまりに呆気なかった。
ところが、書類を片づけかけたロズウィアさんは、完璧な説明に一項目だけ残っていたとでもいうように付け加えた。
「元の世界へ戻った場合、貴方が近いうちに死亡する予定も変更されないけれど」
「その情報を先に説明しなかった理由は?」
「まだ質問されていなかったからよ」
完璧を自称する担当官は、最も重要な情報を辞退成立後へ残していた。完璧の定義を、この人の脳内辞書で調べ直す必要がありそうだった。
「では、面談だけお願いします」
辞退を決めるまで十分、撤回するまで一秒。
新しい情報へ柔軟に対応しただけだが、周囲の候補者には、命が惜しくなった途端に手のひらを返した人間にしか見えなかっただろう。
だいたい合っていた。手のひらの返し方だけは、我ながら見事だったと思う。
ロズウィアさんは、応募用紙の辞退欄へつけた印に一本の線を引くと、パーテーションで区切られた面談ブースの一つへ手を向けた。
「それでは、こちらへどうぞ」
促されるまま向かい側の椅子へ座る。机の上には、俺の個人情報が記載された応募用紙と、何枚もの確認書類が重ねられていた。
国の税務調査でも、ここまで分厚い書類は積まれないだろう。
いや、読める鈍器と言っても過言ではない。
契約するかどうかについては、死亡予定の内容を確認してから決めればいい。面談を受けるだけなら、元の世界へ帰る選択肢まで失うことはないはずだ。
「それでは、面談を始めるわ。最初の質問よ」
志望動機を尋ねられたなら、求人サイトに捏造された経緯から説明する。
死亡予定についてなら、いつ、どこで、どのように死ぬのか、納得できるまで確認するつもりだった。頭の中では、あらゆる質問に対する回答をすでに用意していた。
ロズウィアさんはペン先を応募用紙へ置き、最初の質問を口にした。
「好きな食べ物は?」
死亡予定について事情を聞きに来たはずなのに、最初に確認されたのは好きな食べ物だった。
志望動機でも自己紹介でもない。ここがファミリーレストランなら理解できるが、一応、英雄候補の選考会場だったはずである。ドリンクバーの案内が続かないことだけを祈った。
こうして俺の異世界就職活動は、最初の質問から進行方向を見失った。




