第18話 ルノアの苦悩
解体場から連絡を受けた時、私──ルノア・ヒューベリックは、前日に受理した運搬依頼を思い出した。
街道沿いで荷物を受け取り、指定された経路を通って解体場へ届ける。戦闘も採取もなく、依頼人との交渉さえ必要ない。楓さんたちへ任せられる仕事の中では、最も問題が起こりにくいと判断したものだった。
実際、魔物との遭遇も爆発も起きていない。
12口の荷物は何ひとつ失われず、傷も増えず、予定時刻より早く届いた。運搬依頼の見本として新人研修へ提出してもいいほど完璧である。
それなのに解体作業は止まり、調査班まで呼ばれている。
平和な依頼なら被害を抑えられると考えた昨日の自分へ、確認印を押す前に裏面まで読めと伝えたかった。楓さんたちに関しては、依頼書に書かれていない部分ほどよく育つ。
解体場へ入ると、グレートボアやホーンバイソン、大型鳥の素材が、荷車へ載せられたまま残されていた。肉や皮の保存状態はよく、運搬中に崩れた形跡もない。
その周囲だけ、扱いが違う。
立入禁止の縄が張られ、搬入札には保護術式が掛けられていた。作業台の証拠箱には、交換用として持ち込まれた別の札が12枚並んでいる。
「搬入札には、街道で素材を引き渡したハンターの名前が残っています。交換用の札は、低ランク優先依頼を受注した5組のものです」
職員が2種類の札を示したところで、解体場の入口からミレイユが入ってきた。
両腕に抱えているのは、受注記録、門の通過記録、パーティー名簿、臨時同行者申請書の束である。机の空いている場所へ順番に置き、説明より先に該当欄を開いていった。
交換用の札に記された5組は、いずれも正規の手続きで依頼を受けている。登録証の盗用や依頼書の偽造ではない。
ところが、臨時同行者の欄はすべて空白だった。
門の記録にも、5組が討伐地へ向かった形跡はない。代わりに、搬入札へ名前の残っているベテランたちが、討伐当日の早朝に街を出ていた。
「搬入札の12人は、全員同じ派閥に所属しています」
ミレイユが最後に開いた登録情報には、見覚えのある名前が並んでいた。
ルドガー・ビンセント。
古くからギルドへ所属するベテランハンターで、複数の中堅パーティーをまとめている人物である。低ランクハンターの保証人を引き受け、面倒をよく見ていると評判だった。
書類を見る限り、その面倒には、本人の代わりに仕事へ行くところまで含まれているらしい。
低ランク優先依頼は、新人の生活と育成を支援する目的で、通常より報酬が高く設定されている。経験を積ませることも制度の一部なので、高位のハンターが戦闘へ加わる場合は事前登録が必要になる。
今回の記録では新人が働き、現場ではベテランが魔物を倒していた。
紙と現実が役割分担を始めた結果、育成されるはずの本人だけが、仕事から綺麗に外されている。
私は臨時同行者欄の空白へ指を置いたあと、5組の保証人欄へ並ぶ同じ名前を確認した。
「5組へは別々に連絡してください。互いの証言が混ざらないよう、聞き取りも個別に。搬入札へ記された方々には、現場へいた経緯を確認します」
ミレイユが頷き、指示を記録へ加えていく。
本来の受領担当者については、別の職員が調べていた。今朝、急用ができたとだけ告げて持ち場を離れ、交代申請も出さず、現在は連絡が取れないという。
2種類の札が届いた日に限って姿を消す偶然には、いささか働きすぎの疑いがある。勤務記録と過去に処理した低ランク優先依頼を保全するよう、追加の指示書を渡した。
「楓さんたちは隣の待機室です」
ミレイユが記録を閉じる際、別の紙が机の端から落ちた。
拾い上げると、慣れない文字で申請内容が書かれている。
《運搬中に食べなかった功績に対する、グレートボアの肉1箱》
申請者はオティヌスさん。
誰へ教わったのか、署名だけは正しく記入されている。食欲が関われば、文字の習得まで早くなるらしい。
却下印を押し、調査書類とは別の箱へ入れた。ギルドの査定制度をオティヌスさん1人に合わせ、依頼品を食べなかった手当を新設するつもりはない。
◇
待機室へ入ると、楓さんは受領印の押された運搬記録を両手で持ち、同じ箇所を何度も確認していた。
依頼が達成扱いになることは、解体場の職員からすでに伝えられている。それでも扉が閉められ、調査班まで集まれば、自分たちが何か見落としたのではないかと考えてしまうのだろう。
オティヌスさんは、自分が提出した申請書の行方を探している。ロキさんの両手は机の上へ置かれ、フレイアさんの隣では《勝利の剣》が鞘に収まっていた。
誰も術式を使わず、証拠品も食べていない。
待機を頼んだだけで、すでに3つの問題を未然に防げた気分になった。
「運搬方法と素材の状態には、問題ありませんでした」
それだけ先に伝えると、楓さんの肩が僅かに下がる。
「受け渡し地点へ到着してから、解体場へ戻るまでの経緯を、順番にお話しください」
楓さんは、街道で待っていた6人の装備や荷物の数から話し始めた。
搬入札と受渡記録を照合したこと。革鎧の男から交換用の札を渡されたこと。手順書にはない作業だったため、解体場の担当者へ任せるつもりで封筒ごと持ち帰ったこと。
話の途中で何度か運搬記録を確かめていたが、自分が証拠を保全したという意識はないらしい。教えられた手順から外れないようにした結果、普段なら消されていた方の札まで届いただけだった。
「依頼を受けた方と、素材を運び出した方が違う場合もあると思いました。初めての仕事でしたから、勝手に判断するより、窓口へ両方渡した方がいいかと」
説明を聞き終えるより先に、フレイアさんが1枚の紙を机へ置いた。
受け渡し地点にいた6人の容姿、武器、防具、派閥章の形まで記されている。誰から求められたわけでもないのに、証言書として提出できる状態へ整えられていた。
楓さんも初めて見たらしく、紙とフレイアさんを交互に見ている。
「怪しいと思っていたなら──」
「楓さんは、ギルドから教えられた手順を正しく守られました」
フレイアさんはそれだけ告げ、証言書を私の方へ押した。
質問への答えにはなっていない。
しかし、自分の判断で楓さんに証拠を持ち帰らせたかったことだけは、答えない態度から十分に伝わった。
楓さんがもう一度口を開きかけたところで、廊下から怒鳴り声が響いた。
「いつまで査定を止めている! こっちは朝から待っているんだぞ!」
複数の足音が近づき、待機室の扉が勢いよく開いた。
先頭に立っているのは、革鎧を着た男だった。後ろには同じ派閥章をつけたベテランハンターたちが並んでいる。
楓さんが運搬記録を持ったまま立ち上がった。
「街道で荷物を渡した人です」
男の視線が楓さんから机へ動き、フレイアさんの証言書で止まった。
「お前、札を替えなかったのか!」
距離を詰めようとした足は、2歩目で止まった。
フレイアさんが楓さんとの間へ立ち、《勝利の剣》が鞘から浮いている。切っ先を向けられる前に、男の身体が危険を理解したらしい。
「札を残されて、何かお困りですか?」
フレイアさんの問いに、男は答えなかった。
代わりに私へ向き直り、査定の再開を求め始める。自分たちは朝から待っている、保存状態が落ちれば価値も下がる、ギルド側の都合で損失を出すつもりかと、こちらが口を挟む隙もなく並べていった。
私は反論せず、ミレイユへ視線を送った。
記録用の石板が起動する。
「グレートボアの牙を折ったのは、うちの剣士だ。ホーンバイソンの脇腹を貫いた槍も見れば分かる。大型鳥だって、俺たちの弓使いが仕留めた! 傷ひとつ見れば誰の獲物か──」
後ろにいた仲間が、ようやく男の肩を掴んだ。
止めるには遅い。
搬入札だけでは証明できなかった討伐者本人の証言が、自分の足で解体場まで来たうえ、傷の特徴まで添えて記録へ収まっている。
発言だけを引き戻す術式は、少なくともギルドの備品には存在しなかった。
「確認いたします」
男の言葉が途切れたところで、私は初めて尋ねた。
「素材となった魔物を討伐したのは、依頼を受注した5組ではなく、皆さんなのですね?」
男はすぐに答えなかった。
視線が、ミレイユの石板、閉じられた扉、仲間の顔を順番に移っていく。先ほどまで自分たちの獲物だと声を張り上げていたのに、今度は誰も素材の方を見ようとしない。
所有権というものは、査定額が上がる時だけ名乗りたくなるらしい。
「低ランクの連中だけでは危険だったから、代わりに倒してやった。あいつらも報酬を受け取れる。誰も損をしていない」
男がようやく絞り出した説明を聞きながら、私は低ランク優先依頼の規定を開いた。
戦闘参加者の事前登録、支援報酬の適用条件、依頼者本人による活動義務。該当箇所へ印をつけ、男の前へ置く。
読もうとはしなかった。
「説教を聞きに来たんじゃない。査定を終わらせろ」
私は規定集を閉じ、代わりに素材保全と報酬支払い停止の書類へ署名した。
言葉で押し返すより、手続きの方が早い。
「今回の素材、5組の活動状況、皆さんが現場へ参加した経緯、札の交換手順について、正式な調査を開始します。確認が終わるまで、素材と報酬はギルドで保全いたします」
男の顔から、怒り以外の表情が現れた。
受領担当者が無断で持ち場を離れ、現在も連絡が取れないことまでは伝えない。こちらが把握している範囲を教えれば、その分だけ説明を用意する時間を与えることになる。
ミレイユが登録証の提示を求めると、後ろにいた1人が扉へ目を向けた。
すでに職員が立っている。
拘束する段階ではないが、事情を聞き終える前に便所や忘れ物を思い出されては困る。全員を別室へ案内し、互いに話せないよう席を分けてもらった。
男たちの足音が遠ざかると、待機室へ静けさが戻った。
楓さんは運搬記録を持ったまま、閉じた扉を見つめている。
「俺たちが札を交換しなかったことで、作業を増やしていませんか?」
最初に気にするのが、こちらの仕事量だった。
「確認すべき記録が残っただけです。交換されていれば、確認することさえできませんでした」
楓さんは手元の受領印へ目を落とした。
「俺は、交換方法が分からなかっただけです」
「それでも、2種類の札を残して届けてくださった事実は変わりません」
本人は荷物を運んだだけだと言いたいのだろう。
確かに依頼書へ記された仕事は、それだけだった。
しかし、現場で正面から拒否すれば、素材を渡してもらえなかった可能性がある。反対に、言われたまま札を交換すれば、不一致は街へ入る前に消えていた。
楓さんは相手を刺激せず、事情の分からない新人として、2種類の記録を完全な状態で持ち込んでいる。
意図していないと言われても、結果だけを見れば、知らないふりをして証拠を回収したようにしか見えなかった。
楓さんたちへ、追加の聞き取りをお願いする可能性だけ伝えて退室してもらう。
オティヌスさんは最後まで、自分の申請書がどこへ行ったのか探していた。扉を出る直前、机の上へ置かれた却下済みの紙を見つけたものの、楓さんが先に襟元を掴み、そのまま廊下へ連れていく。
抗議の声だけが、閉じた扉の向こうへ遠ざかっていった。
フレイアさんは退室する前に足を止め、低ランク優先依頼を受けた5組が、今回の調査によって不利益を受ける可能性だけを確認した。
「事情を聞くまでは、何も決められません」
私が答えると、フレイアさんはそれ以上尋ねず、楓さんのあとを追った。
何を考えているのかは分からない。
ただし、あの方が《必要になる前に確認した》という顔をしている以上、こちらが5組へ事情を聞く頃には、すでに何かを用意している可能性がある。楓さんの周囲では、本人より先に同行者が次の仕事を始めるらしい。
私は解体場へ戻り、2種類の札を改めて見比べた。
楓さんたちへ依頼したのは、12口の魔物素材を運ぶことだけである。
素材は1つも欠けていない。
代わりに、普段なら街へ入る前に消えていた名前が、12口分そろって届けられた。さらに、その名前の本人たちまでギルドへ乗り込み、自分たちが魔物を倒したと証言している。
荷物を減らさず運んでほしいとは頼んだ。
隠されていた証拠と関係者まで、一緒に持ち帰れとは言っていない。
少なくとも今後は、戦闘依頼でなければ安全だと考えるのをやめよう。
楓さんたちは、魔物素材を運ぶだけの仕事から、違反の疑いがあるベテランハンターまで連れて帰ってきた。
次に任せる仕事では、依頼書に書かれていないものまで受け取る準備をしておく必要がありそうだった。




