第17話 運搬任務なのにどうして?
戦闘依頼の受注を止められた翌朝、俺たちは再びギルドの依頼掲示板を見上げていた。
西の森で発生した爆発については、調査班が現場とロキの術式記録を照合している。最初に遭遇したゴブリンは追い払っただけなので討伐数には含まれず、森の奥で倒れた魔物の中に依頼対象が何体いたかによって、依頼の成否が決まるらしい。
捕虜4人の救出援護と撤退支援だけは、討伐依頼とは別の功績として査定されることになった。
功績は増えたのに、受けられる仕事は減っている。新人として順調なのか問題を起こしているのか、実績と待遇が反対方向へ進み始めていた。昇給審査と業務停止を同じ日に受ける職場が、健全であるはずもない。
掲示板から、森の絵が添えられた採取依頼が1枚消えた。
隣を見ると、オティヌスが何も持っていない顔をして立っている。背中へ回した右手から、依頼書の端だけが覗いていた。
「戻してください」
「まだ何も言っていないぞ」
「言われる前に隠した理由を考えてください」
オティヌスは渋々依頼書を戻したが、その指はすぐ隣に貼られている別の採取依頼へ移った。俺が掲示板との間へ立つと、今度は肩越しに森の絵を確認しようと背伸びを始める。
「今日は虫を追う前に楓へ声を掛けるつもりだった」
申告すれば寄り道が認められると思っているらしい。
俺が求めているのは虫を追う際の届出制度ではなく、依頼中くらい虫を諦めるという判断だった。ただし、それを説明すれば、《何匹までなら寄り道に含まれないのか》という協議へ移るのは目に見えている。
視界の端では、フレイアさんが街中の清掃依頼を3枚まとめて外していた。
外壁、排水路、公共広場。
3件の依頼場所を地図上で結ぶと、街の半分が収まる。さらに《勝利の剣》へ残りの範囲を確認させようとしたため、俺は依頼書を1枚だけ抜き、残りを掲示板へ戻した。
「こちらだけなら認めてくださるのですか?」
認めていない。
返事をする前に、ロキが俺の手から清掃依頼を抜き取り、代わりに別の紙を差し込んだ。
「4人で壁1枚を磨くより、こっちの方がましやろ」
街道沿いの指定地点で魔物素材を受け取り、ギルドの解体場まで運ぶ仕事だった。荷車は南門の厩舎で借りられ、運搬経路も指定されている。
森へ入らない。魔物を探さない。戦闘しない。
依頼書を裏返しても、爆発へ発展しそうな注意書きはなかった。
「量が多ければ、うちの収納へ入れたらええ。荷車より速いし、途中で荷崩れも──」
説明を続けるロキから離れ、そのまま受付へ向かった。
収納そのものは便利なのだろう。問題は、この女神が便利にしようと機能を足すたび、説明されていない場所から別の何かが抜け落ちることである。
俺の転送先は大きくずれ、ステータス機能は入れ忘れられ、西の森では安全機能を追加した術式が森全体を攻撃した。今回は所有者や届け先まで便利に省略される前に、普通の荷車を確保しておきたかった。
「まだ説明の途中やで!」
「残りは帰ってから聞きます」
帰るまでに仕事を終えてしまえば、説明を実行へ移されずに済む。
受付にいたルノアさんは、差し出した依頼書より、後ろからついてきた3柱を先に見た。オティヌスの虫籠、ロキの動く指先、フレイアさんが抱えた2枚の清掃依頼を確認し、何も尋ねず運搬手順書を追加する。
「巡回兵の警備範囲内で完了します。素材に危険性はなく、荷物へ付けられた搬入札も外さないでください。現地で別の書類や指示を渡された場合は、ご自身で処理せず、すべて解体場へお持ちください」
俺は受付に置かれたペンを借り、手順書の余白へ注意事項を書き足した。
《森へ入らない》
《術式を追加しない》
《依頼品を食べない》
3行目を書いたところで、横から伸びた指が《食べない》の部分を擦った。インクが乾いていなかったため、最後の文字が少し滲む。
紙を持ち上げると、オティヌスの指だけが行き場を失って受付台へ残った。
「食べられる部位かどうかも確認していないだろう」
ルノアさんの視線が、滲んだ文字からオティヌスへ移る。
何も言わず受注印を押したあと、同じ手順書をもう1枚用意してくれた。今度は最初から職員の字で、《依頼品の飲食禁止》と記されている。
最高神による異議申し立ては、会話ではなく書式の追加によって却下された。
「今回は、こちらへ書かれていることだけで結構です」
それだけ。
急に難題を渡された気分になった。初仕事では依頼書にない森へ入り、依頼対象ではないオーガまで飛び、救助者が7人増えている。
何も足さず、何も減らさない。文章にすれば簡単だが、この3柱と一緒に守る規則としては最高難度だった。
◇
南門で借りた荷車を引き、指定された街道を1時間ほど進むと、道の脇へ停められた2台の大型荷車が見えてきた。
待っていたのは、革鎧や鎖帷子を身につけた6人のハンターである。いずれも装備が使い込まれており、武器や防具の質も、ギルドのロビーで見かける低ランクハンターとは明らかに違っていた。
荷車には、保存用の布で包まれたグレートボアやホーンバイソン、大型鳥の素材が積まれている。討伐部位だけではなく、肉や皮、骨まで分けられた合計12口の荷物だった。
「ギルドから来た運搬人か?」
革鎧の男が、俺の許可証へ目を向けた。
依頼番号と受渡記録を見せると、男はFランクの表示を見て鼻で笑った。説明より先に荷車を顎で示し、仲間たちも積み替えの準備を始める。
「数だけ合わせろ。街まで運べば終わりだ」
受渡記録には12口分の番号が並んでいる。荷物へ結ばれた金属製の搬入札と照合すると、数も番号も一致していた。
札へ記録されているのは、素材を運び出したハンターの名前と登録番号、魔物の種類、討伐された日時である。こちらが1枚確認する間に、男の仲間は2口ずつ荷物を移していた。初心者の確認へ付き合うより、手を動かした方が早いと思われているらしい。
背後で布の擦れる音がした。
振り向くと、オティヌスがグレートボアの木箱へ顔を寄せ、蓋と箱の隙間から匂いを嗅いでいる。その腰にはフレイアさんの腕が回っていたが、引き離されながらも鼻先だけは荷物へ残そうとしていた。
「毒見だ。楓より先に私が確かめてやる」
俺は聞かなかったことにして、搬入札へ視線を戻した。
食べる予定のない素材で恩を売られても、返済方法が見つからない。待っていたハンターたちから笑い声が上がり、こちらへ向けられていた僅かな警戒まで消えていった。
「ずいぶん愉快な連中を寄越したもんだ」
革鎧の男は荷車へ背を預け、俺が番号を確認する様子を眺めている。
Fランクの新人と、依頼品を食べようとして仲間に運ばれていく同行者である。自分たちの指示へ疑問を持つ相手には見えなかったのだろう。
最後の番号へ指を置いたところで、その上から薄い封筒が重ねられた。受渡記録の半分が隠れ、革鎧の男の指が封筒を軽く叩く。
「街へ入る前に、札をこっちへ替えておけ」
封は閉じられておらず、中には12枚の金属札が重なっていた。表面へ刻まれた名前は、荷物に付いている搬入札と一致していない。
「手順書には、札を外すなとあります」
「そいつは現場から運び出した者を残す仮札だ。正式な所有者は、封筒に書かれた連中になる」
俺が手順書を開こうとすると、男は封筒を持ち上げず、そのまま紙ごと押さえた。
「新人には分からん。解体場の受領担当へ渡せば向こうで処理する。余計な説明は要らん」
それなら、俺が正否を決める必要もなかった。
封筒を手順書ごと折り、運搬記録の間へ挟んで鞄に収める。男は札の交換を引き受けたと解釈したらしく、満足そうに仲間へ積み替えを急がせた。
同じ動作を見ながら、互いに別の手続きが完了したと思っている。新人向けの説明を省いた結果なら、責任まで新人へ省略しないでもらいたかった。
フレイアさんはオティヌスを回収したあとも荷物へ手を貸さず、6人の装備や派閥章へ目を向けている。《勝利の剣》も鞘に収まったまま彼らの周囲を巡り、最後に革鎧の男の前で僅かに止まった。
男が眉を寄せると、剣は何事もなかったようにフレイアさんの隣へ戻る。
「何を見ている?」
「楓さんへお仕事を託される方々を、確認していただけです」
それ以上は説明しなかった。
聞き返そうとした男も、まだ木箱へ未練を残しているオティヌスを見て、真面目に考える価値はないと判断したらしい。
12口の積み替えが終わると、男たちは空になった荷車を引き、森へ続く脇道へ入っていった。
ロキは遠ざかる背中と俺の鞄を交互に見ている。やがて片方の眉を上げたものの、何も言わず荷台の後ろへ回った。
口を挟まなかったことに安心しかけ、まだ仕事の半分も終わっていないと気づく。
神様が静かな時間を、無条件に安全だと思ってはいけなかった。
◇
帰りの街道では、しばらく何も起きなかった。
魔物は現れず、荷物も落ちず、ロキも収納術式を使っていない。荷車は指定された道を、歩くより少し遅い速度で進んでいる。
何も起きないことが、かえって落ち着かなかった。
荷物の数を確認する。12口。
搬入札もすべて残り、交換用の札が入った封筒も鞄に収まっている。縄の結び目を確かめ、少し歩いてから振り返っても、荷台の景色は変わらない。
次に振り返ると、荷物が11口しか見えなかった。
足が止まり、手綱を強く引いたため、荷車を引く魔獣まで驚いて振り返る。荷台へ駆け寄り、木箱と革袋を端から数え直した。
1、2、3──やはり、奥の1口が見当たらない。
布の下から、何かを噛むような小さな音が聞こえた。
最初に浮かんだ容疑者の名前を、確認するまでは口にしない。そう決めて保存布を持ち上げると、木箱と木箱の隙間にオティヌスがしゃがみ込んでいた。
片手には、荷台へ紛れ込んでいた甲虫が握られている。
「見ろ。素材へ卵を産みつけようとしていたぞ」
消えたと思った12口目は、その背後に隠れていた。木箱の封も破られていない。
胸へ溜まっていた息を吐き、保存布を元へ戻した。
「荷物の陰へ入る時は、先に言ってください」
「なぜだ。私は荷物ではないぞ」
数える側からすれば、見えなくなる原因はどちらでも同じだった。
オティヌスは捕まえた甲虫を虫籠へ移し、悪いことをしていない顔で荷台から降りる。素材を食べていなかったことへ安堵した自分が悔しい。
最高神を真っ先に疑った罪悪感はあるが、過去の実績が冤罪だと認めてくれなかった。
南門が見え始めた頃には、何度数えても12口あることへようやく慣れてきた。
腰へ腕が回ったのは、その直後である。
身体が地面から浮きかけ、俺は反射的に荷車の縁を掴んだ。背後では、フレイアさんが何の問題もない顔をしている。
「先ほどからお疲れのようでしたので」
「荷車の方をお願いします」
地面へ戻されたあとも、何より大切な荷物を手放したような視線だけが残った。
俺まで運搬品へ加えられれば、荷物は13口になる。しかも所有者欄へ誰の名前を書かれるのか、考える必要すらない。
街へ入ってからは荷車の反対側を歩き、解体場へ到着するまで12口から離れなかった。
荷物を壊さず、食べず、別の場所へ転送せず、指定された道を通って届ける。依頼書に書かれた内容を、そのまま達成しただけである。
その《だけ》が、昨日までの俺たちには最も難しかった。
◇
解体場へ到着すると、窓口にいた職員へ運搬記録を渡した。
本来の受領担当者は席を外しているらしく、代わりの職員が荷台の素材を1口ずつ確認していく。数は12口。素材の損傷はなく、搬入札もすべて残っていた。
最後の番号へ確認印が押された瞬間、指先から力が抜けた。
許可証を受け取った時より、よほど強い達成感がある。英雄候補としての成長ではなく、荷物を正しく届けられた人間としての成長だが、いまは贅沢を言わない。
鞄から運搬記録を戻す際、挟んでいた封筒も一緒に差し出した。
「受け渡し地点で預かりました。街へ入る前に札を交換するよう言われたのですが、手順書になかったので、こちらで処理していただけるそうです」
職員は首を傾げ、封筒から12枚の札を取り出した。
荷物へ付いた搬入札と並べ、確認用の魔導具を当てていく。空中へ名前と登録番号が表示されるたび、職員の手が少しずつ遅くなった。
最後の札まで確認したところで、完全に動かなくなる。
「私は食べていないぞ」
オティヌスが、誰にも尋ねられていない無実を主張した。
俺は反射的に荷台を確認した。12口ある。封も破られていない。
疑う必要などなかったと安心しかけ、オティヌスが先回りして弁明した理由へ思い至る。本人にも、最初に疑われる自覚だけはあるらしい。
職員はオティヌスへ返事をせず、近くにいた同僚を呼んだ。短い耳打ちのあと、解体場の扉が閉められ、運搬記録と2種類の札が別々の箱へ収められていく。
フレイアさんの隣で《勝利の剣》が僅かに浮いた。
俺が柄を押さえると、今度はオティヌスが荷車へ近づこうとする。証拠として保管される前に肉を確保するつもりなのかもしれない。
片方の手で剣を押さえ、もう片方でオティヌスの襟元を掴む。
ロキだけは何もしていなかったが、こんな時に限って静かだと、次に何を追加しようとしているのか分からない。視線を向けると、両手を見える位置へ上げて無関係を主張していた。
先ほどまで日常業務の一部だった荷車の周囲へ、立入禁止の縄が張られていく。
「荷物に問題がありましたか?」
返事の代わりに、受領印を押された運搬記録が戻ってきた。
「運搬依頼は達成されています。申し訳ありませんが、詳しい確認が終わるまで、隣の部屋でお待ちください」
俺は記録と荷台を交互に見た。
荷物は12口。破損もなく、札も外していない。封筒も受け取ったまま届けたので、今度こそ何も失っていない。
それなのに、調査班を呼ぶ職員が解体場から走り出ていった。
初めて普通に仕事を終えられた。
そう喜ぶには、荷車だけが事件現場のような扱いを受けている。
俺は安全な運搬依頼を選んだはずだった。
どうやらこの街では、荷物を正しく届けるだけでも、誰かにとって都合の悪いものまで一緒に届くらしい。




