第14話 ゴブリン討伐から森林焼却
傷痕のあるゴブリンが地面を蹴ると、左右にいた群れも一斉に動き出した。
正面から棍棒を持った個体が迫り、左側では短剣を構えた数体が木々の間へ散っていく。右側の集団は縄を広げ、俺たちを囲んだまま距離を縮めていた。
怯えているからといって、向けられた武器まで軽くなるわけではない。
俺は《勝利の剣》へ手を添え、昨夜考えた配置を頭の中で呼び戻した。3柱が作戦どおりに動かない可能性については、考えないようにしていた部分まで一緒に浮かんでくる。
「連携を確認します。オティヌスは右斜め前、2時方向の集団を抑えてください。ロキは左側と正面へ牽制を。フレイアさんは、2人を抜けてきたゴブリンから俺を守ってください」
言い終えた直後、オティヌスがグングニルを構えたまま動きを止めた。
「右斜め前と2時方向は、どちらへ行けばいいのだ?」
「同じ場所です」
「なら、なぜ違う言い方をした?」
返す言葉が見つからない。
分かりやすく伝えるために補足したつもりが、数字を加えた分だけ最高神から目的地を遠ざけている。自信を持って出した最初の指示は、敵ではなく味方の理解力へ阻まれた。
「あの一番太い木の前です。そこへ立って、近づいてきたゴブリンを止めてください」
「最初からそう言え!」
何一つ理解できなかった側から、説明方法について改善を求められた。
オティヌスは歴戦の指揮官より堂々と返事をし、ようやく太い木へ向かって動き始める。《SRスーパー“アレ”》に取扱説明書が付属しなかった理由を、ロズウィアさんへ返品理由と一緒に確認したい。
その時、右側のゴブリンたちが縄を投げた。
数本の縄がグングニルとオティヌスの胴体へ絡みつき、群れが一斉に森の奥へ引き始める。簡単に振りほどけるはずなのに、オティヌスは抵抗せず、縄の先へ並ぶゴブリンを期待に満ちた目で見つめていた。
嫌な予感しかしない。
「何をしているんですか!」
「こいつら、私を巣へ招待するつもりらしい。貯め込んだ虫を食べさせてくれるのだろう」
「捕虜として連れ去ろうとしているだけです!」
「縄まで用意して迎えるとは、随分と手厚い連中だな」
オティヌスは抗うどころか、自分から森の奥へ歩き始めた。
ゴブリンたちも、自力で移動し始めた捕虜を見て顔を見合わせている。誘拐する側にも想定外はあるらしいが、本人の全面協力によって作業だけは順調に進んでいた。
森の奥から、再び低い咆哮が響いた。
縄を握るゴブリンたちの顔から戸惑いが消え、怯えた表情へ変わる。傷痕のある個体が甲高い声で叫ぶと、正面にいた群れが石や短剣を一斉に投げた。
『防御障壁を展開します』
《勝利の剣》が金色の障壁を広げ、飛んできた武器を弾き返す。衝突するたび硬い音が鳴り、足元へ落ちた石が草の上を転がった。
「森の奥に何がいるんですか! 誰に命じられているんです!」
俺の声が届いたのかは分からない。傷痕のあるゴブリンは一瞬だけ顔を歪め、再び石を拾った。
戦いたくない。それでも、武器を下ろすこともできない。
そんな表情に見えた。
事情を確かめたいが、このままではオティヌスが森の奥へ連れ去られる。本人が喜んでいるという理由で見送れば、戻ってくる頃には虫の貯蔵庫かゴブリンの巣のどちらかが空になっているはずだ。
「オティヌス、縄を切って戻ってきてください!」
「巣の場所を確認してからでは駄目か?」
「捕虜になって虫の貯蔵庫を探す作戦は認めません!」
「まだ虫がいるとは決まっていない。確認するだけだ」
「いなかった場合、何を食べさせられるつもりですか!」
オティヌスが少し考え、ようやく足を止めた。
虫がいない可能性ではなく、代わりに何を食べさせられるかという部分だけが届いたらしい。危機管理として正しい方向へ向いたのなら、理由についてはもう問わないことにする。
しかし、身体へ巻きついた縄を切ろうとはしない。ゴブリンたちが再び引き始めると、オティヌスの身体も少しずつ木々の奥へ運ばれていった。
前衛は敵と戦う前に、自分から捕虜へ転職しようとしている。
「ロキ、正面のゴブリンを追い払ってください。威力を抑えて、森へ燃え広がらないようにしてください」
「任せとき。対象識別と味方保護も加えたる」
ロキが両手を重ね、指の間へ赤い術式を広げた。
「対象は目の前のゴブリンだけです。オティヌスや俺たちには絶対に当てないでください」
「対象識別、味方保護、威力抑制、延焼防止。これだけ揃えれば安全や」
安全機能の名前が増えるたび、《勝利の剣》を握る指へ力が入る。
転送先を大きく間違え、ステータス機能まで入れ忘れた女神である。それでも、オティヌスは縄に引かれて木々の奥へ近づき、正面のゴブリンも次の石を拾っていた。
ほかに選べる手段がない。
「……お願いします」
ロキの前へ幾重もの術式が重なり、中央に拳より小さな火球が生まれた。周囲へ熱は広がらず、濡れた地面や木々にも変化はない。
「対象識別、開始。敵性反応を確認。味方保護、威力抑制、延焼防止、全部正常や」
火球が放たれた。
正面にいるゴブリンの足元へ着弾し、赤い炎が濡れた地面を薄く舐める。驚いた群れは縄や武器を放り出し、悲鳴を上げながら左右の茂みへ逃げ込んだ。
燃え広がる様子はない。
木々も無事で、倒れているゴブリンも見当たらない。俺は剣の柄から指を離し、止めていた息をゆっくり吐いた。
成功した。
少なくとも、その時はそう見えた。
オティヌスも身体へ巻かれた縄を簡単に引き千切り、逃げていくゴブリンを不満そうに見送っている。
「巣へ案内してくれるはずだったのに」
「捕虜生活へ未練を残さないでください」
俺がオティヌスへ近づこうとした時、足元を流れていた炎の一部が細い筋へ変わった。
消えるのではなく、木の根の隙間へ潜り込んでいく。別の筋は地面に開いた穴へ入り、さらに数本が茂みの奥へ向かって走り始めた。
離しかけた手を、もう一度《勝利の剣》へ戻す。
「ロキ。あの炎は、どこへ行くんですか?」
「近くに別の敵性反応を見つけたんやろ。対象識別が、再襲撃される前に順番に追い払っとるだけや」
「対象は、目の前のゴブリンだけだと言いましたよね?」
「1体だけ追い払っても、近くに仲間がおったら危ないやろ。安全を考えて、周辺の同一反応も対象に加えたんや」
炎の筋が次々と枝分かれし、森の奥へ消えていく。
目の前のゴブリンを追い払うための術式が、逃げた仲間を探し、その周囲にいる敵性反応まで追跡している。安全対策を追加するたび攻撃範囲が広がる仕組みを、俺の知る言葉では安全と呼ばない。
「周辺とは、どこまでですか?」
「術式が敵性反応を拾える範囲や」
「具体的には?」
ロキの視線が、木々の奥へ走っていく炎を追った。
「この森やな」
聞き間違いであってほしかった。
遠くで重い爆発音が響く。
鳥の群れが木々から一斉に飛び立ち、遅れて足元から振動が伝わってきた。1度で終わらず、別の方角からも爆発が続いている。
オティヌスを縛っていた縄が、地面の揺れで小さく跳ねた。
俺が頼んだのは、目の前のゴブリンを追い払うための牽制である。森全体へ敵意の有無を問い合わせ、返事の代わりに火球を届ける仕事ではない。
「止められますか?」
「いま停止命令を──」
ロキが術式へ手を伸ばした瞬間、森の奥から咆哮が轟いた。
先ほどゴブリンたちを怯えさせた声とは違う。空気だけでなく腹の底まで震わせる音が木々の間を走り、周囲から鳥の声も獣の気配も消えていく。
《勝利の剣》の刀身へ、これまで見たことのない強さで金色の光が走った。
止めるのが遅かった。
その事実だけは、誰かに説明されるより先に分かった。




