第12話 社会的信用とランク
衛兵に案内されたギルドは、街の中央に建つ大きな石造りの建物だった。広いロビーには依頼掲示板と複数の受付窓口が並び、武器を携えたハンターたちが絶えず行き交っている。
奥には酒場も併設され、昼を過ぎたばかりだというのに、幾つものテーブルから賑やかな声が聞こえてきた。
異世界の職業紹介所は、役所と酒場を同じ建物へ押し込んでも問題なく営業できるらしい。
受付では、同行してきた衛兵が門前で確認された事実だけを説明してくれた。
俺たちは身分証を持たずに街の外で遭難しており、所有するワイバーンの売却代金を入街税へ充てたい。それ以上の事情については、誰も口にしない。
草原へ落ちた経緯や《ヴァルハラ》との契約まで正直に話せば、身分証より先に事情聴取用の部屋を用意される。
嘘をつかず、真実も可能な限り働かせないという、実に扱いづらい方針だった。
ワイバーンは敷地内の解体場へ運ばれ、売却代金から4人分の入街税が差し引かれた。
衛兵が証人となり、税の支払いを示す仮証明書まで発行してくれる。
記載された名前と金額を確認し、紙を折らないよう鞄へしまった。これで少なくとも、日暮れと同時に街の外へ放り出されることはない。
雨ざらしの草原より屋根の下が近づいただけでも、昨日から見れば十分な昇進だった。
隣では、オティヌスが解体場へ運ばれていくワイバーンを見送り、再び目元へ涙を浮かべている。
門前で泣き、売却後にも泣く。食料との別れへ注ぐ感情だけなら、俺より余程豊かである。
「元気を出してください。売却代金の一部で夕食を買いましょう」
「コオロギのマリネが食べたい……」
そこまで悲しそうな声を出しながら、人間用の献立から遠ざからないでほしい。
希望は聞かなかったことにして、衛兵から今後について説明を受けた。この街で宿を取るには身分証が必要となり、ギルドの依頼を受ける場合も登録が欠かせない。
その両方に使えるのが、身分証を兼ねたハンター許可証である。
本来の到着地点へ行けば、《期間英雄》用の証明書を受け取れると聞いている。
もっとも、徒歩で向かえる距離ではなく、到着するまで身分証なしで過ごすわけにもいかない。
当面の身分を得るため、俺たちはその場でハンター登録を申請した。
最初に用紙を受け取ったのは俺である。
氏名、年齢、出身地、使用できる武器や魔法など、必要事項を順番に記入していく。
言語補助のおかげで文字は問題なく書けたが、戦闘技能の欄へ来たところで手が止まった。
剣術も魔法も使えず、特別な能力にも覚えがない。異世界へ来たのだから、眠っていた力の一つくらい都合よく目覚めるのではないか。
そんな期待を抱いた記憶まで、空欄から見返されている気がする。
できないことを見栄で埋めれば、依頼先で困るのは未来の俺だ。
戦闘技能の欄へ《なし》と書き、インクが乾くまで少し待った。待っても文字の横から新しい能力は生えてこない。
用紙を受付へ差し出す頃には、空欄だった時より《なし》の2文字の方が目立っていた。
受付職員は内容を確かめ、簡単な注意事項を説明したあと、俺の名前を刻んだ許可証を差し出した。
記載された区分は、ハンターレベル1、ランクF。
許可証を表へ返し、念のため裏側も確認する。名前と数字とランク。それ以外には何もなく、受付職員はすでに次の登録用紙へ手を伸ばしていた。
「これだけですか」と尋ねかけ、口を閉じた。窓口の職員へ隠された能力を追加する権限がないことくらい、異世界初日の俺にも分かる。
周囲から驚かれることも、許可証が光り始めることもない。世界を救う英雄候補の初登録は、次の申請者を呼ぶ声に押され、役所の手続きより静かに終わった。
続いて受付へ座ったオティヌスは、渡された用紙をしばらく睨んでいる。
やがて自力で解決することを諦めたのか、用紙を両手で持ったまま俺を振り返った。
「どうしよう、楓! 私は文字が書けなかった!」
「どうして少し誇らしそうなんですか?」
「神へ人間の文字など必要なかったからだ」
必要のなかった文字が、今まさに必要になっている。最高神としての威厳を保つより、氏名欄を埋める方が先だった。
話す言葉は理解できても、この地域で使われている文字を書く習慣はないという。
読めない、書けない、それでも最高神。肩書きの高さと窓口業務への適性が、見事な反比例を描いている。
結局、フレイアさんが隣へ座り、オティヌスの代わりに必要事項を記入することになった。
「これからも、ロキとオティヌスの世話をお願いできませんか?」
「委託業務外です」
頼み終えるのとほぼ同時に断られた。笑顔だけは柔らかいため、拒否の固さが余計にはっきり伝わってくる。
「俺の生活介助も、最初から委託していませんけど?」
「そちらは私の自主的な奉仕活動です」
「一番止めてほしい部分だけ、無償で無期限なんですね」
フレイアさんの業務範囲を囲む壁は、本人が働きたくない方向にしか建たない。俺の生活へ面した側だけは最初から撤去され、扉どころか立入禁止の看板まで見当たらなかった。
オティヌスの代筆を終えると、フレイアさんは自分の登録用紙も手早く書き上げた。
途中で俺の年齢、生活状況、所有資産を記入する欄がないか受付職員へ確認している。他人の人生設計をハンター登録へ添付する制度は存在せず、該当項目がないと告げられると、フレイアさんの視線が空欄のない用紙をもう一周した。
制度の不備ではない。俺の資産情報を記入できない方が正常である。
それでも本人が納得していない以上、いつか独自の用紙を作りかねない。ハンター登録から家計簿や婚姻届まで一冊にまとめられる前に、受付職員には現在の様式を守り抜いてほしかった。
最後に、ロキが登録用紙を受け取った。
必要事項を手早く書き終え、発行された許可証を何か探すように表裏へ返している。やがて目当ての情報が存在しないと分かり、不満そうに片方の眉を上げた。
「なんや。能力値の記されへんカードかいな。最初から言語補助だけやなく、ステータスを確認できる機能も楓へ組み込んどけばよかったわ」
雨の中で手を掲げ、2度も《ステータス》と叫んだ記憶が蘇った。
何も起こらず、ゴブリンから頭のおかしい獲物を見るような目を向けられた。あの恥ずかしさは、この世界にステータスという仕組みが存在しなかったせいではない。
担当者が入れ忘れていた。
欠陥住宅を引き渡した業者が、あとから窓を付け忘れたと自白しているようなものである。俺の魂を建築物に例えるなら、増築を始める前に完成検査からやり直してほしい。
「いまから追加できるで?」
「結構です」
「遠慮せんでもええ。ちょうど試したい新しい構成が──」
「俺の魂で試運転しないでください」
「なら、別の世界で実用化されとる閲覧術式を、そのまま入れるだけならええやろ?」
ロキ本人の保証だけでは信用できない。俺が《勝利の剣》へ確認を求めると、鞘の近くへ淡い光が浮かび、落ち着いた声が頭へ届いた。
『対象の身体、精神、魔力および技能を視覚化する術式です。魂や肉体を改変する作用は認められません。また、術式の変更には対象者の承認が必要です』
そこまで確認できるなら、少なくともロキの言葉だけを信じるより安全である。
腰へ下げた剣の方が、周囲にいる神々より信用できる。装備品が頼もしいというより、比較対象に問題がありすぎた。
「……それならお願いします。ただし、見る以外の機能は追加しないでください」
「音声操作、自動解析、危険予測、共有表示も便利やで?」
「見るだけと言った直後に増築を始めないでください」
「分かった、分かった。標準構成だけにしとくわ」
ロキが俺の額へ人差し指を向ける。
指先から伸びた赤い光が額へ触れ、頭の奥を冷たい風が通り抜けた。痛みはないものの、魂の近くへ新しい機能を追加されたと思うと、首の後ろが落ち着かない。
「これで終わりや。呼び出してみ」
受付職員や周囲のハンターがいる場所で、3度目の《ステータス》を叫ぶ勇気は持てなかった。前回はゴブリンだけで済んだが、今回は目撃者の数と社会性が違う。
俺は周囲へ聞こえない程度に声を落とした。
「ステータス」
視界の中央へ、半透明の画面が開いた。
【基本情報】
氏名:嵯峨楓 種族:人間 年齢:17歳 身体状態:正常
【身体能力】
体力:9.8 筋出力:9.4 身体強度:9.6 反応:10.7
運動:10.3 制御:10.1 知覚:10.8 回復:10.4
【精神力】
抵抗:10.5 集中:10.6
【魔力解析】
保有:0.0 変換:0.0 出力:0.0 制御:0.0
流量:0.0 適応:未判定
【保有技能】
言語補助:外部術式
【称号】
期間英雄候補
画面を上から下まで読み、もう一度、今度は速度を落として確認した。
身体能力は10前後で並び、魔力欄には0.0が5つ並んでいる。項目名だけは違うのに、中身はすべて同じだった。
画面を閉じかけ、魔力欄へ視線を戻す。
0.0。
見間違いではない。小数点以下まで使い、存在しないことだけは正確に保証されている。せめて四捨五入して、何もない事実まで少しくらい曖昧にしてほしかった。
《期間英雄候補》という称号だけは立派である。ただし、候補者の段階から一歩も進んでいない現状を、装飾つきの名札へ変えて表示しているにすぎない。
隠された能力を探して、画面の端まで視線を動かした。新しい項目は現れず、ロキもフレイアさんも驚いていない。
「この数字は高いんですか?」
「受付に置かれとった能力評価表と同じ基準や。一般成人がおおむね10前後やな」
「つまり、普通ですね」
「反応と知覚は少し高いやろ」
学校の体力測定でも、結果についてもう少し一喜一憂する時間があった。異世界の初期能力は、俺を一般成人の列へ戻すまでが早い。
もう一度だけ魔力欄を見たあと、画面を閉じた。
何も分からない状態よりはいい。現在地が普通の高校生だと判明したのなら、今後どこが変わったのか確かめられる。
問題は、英雄譚の出発地点として見ると、学校の健康診断に近すぎることだった。
「求人広告にあった初期魔法も、まだ付与されていないんですよね?」
「正規の受け入れ窓口で適性を調べてから選ぶ決まりや。いま表示されとるんは、楓が元から持っとる魔力だけやな」
選べるはずの初期魔法は、本来の窓口で手続きをしなければ受け取れない。宿泊費無料も食事補助も同じである。
福利厚生と魔法は制度上きちんと存在しているのに、現在の俺へ届く気配だけがない。求人広告の中で輝いていた特典は、世界を越えても広告の外へ出てこなかった。
「成長すれば、数字も変わるんですか?」
「当然や。身体を鍛えれば身体能力が上がるし、魔力や技能を身につければ表示も更新される。ただし、見るための術式やから、勝手に強くはならへんで」
「努力まで外注しようとしたら駄目ですか?」
「当たり前やろ」
正論である。
転送も安全対策も管理業務も外注している神から、努力だけは本人が行えと言われた。自分たちが手放した仕事だけ、正論の包装紙を巻いて俺の手元へ返している。
こうして、俺たち4人の登録手続きはすべて終了した。
ハンターレベルは、本人の戦闘能力や対応できる魔物の強さを示す1から12までの評価。ハンターランクはFからSSまであり、依頼の実績や信用、貢献などをギルドが査定したものだという。
発行された4枚の許可証には、すべて同じ数字と文字が記されていた。
【ギルド登録情報】
ハンターレベル:1 ハンターランク:F
3柱の本当の力を考えれば、レベル1という判定は明らかに正しくない。ただし、本人たちは能力測定を面倒がり、受付職員も自己申告だけで高い評価を与えるわけにはいかなかった。
戦闘能力ではなく、社会的な信用を測った結果だと考えれば納得できる。
俺まで同じFランクである点には多少の異議がある。しかし、この3柱と一緒に受付へ並び、誰よりも自然に手続きを終えた時点で、外からは同類に見えていた可能性が高い。
許可証を持つ手が、少しだけ重くなった。
少なくとも俺たち4人の社会的信用が最低ランクから始まることについて、反論に使える証拠を持つ者は1人もいなかった。




