第10話 モンスタークレーマー
雨が止んだあと、俺たちは街道を歩き始めた。
正規の受け入れ都市までは、直線距離で約400キロ。地図も交通手段もない以上、すぐに辿り着くのは諦め、まずはフレイアさんが空から見つけた街を目指すことになった。
「方角だけなら、すぐ分かるで。ついでに周辺の地形と魔力反応、安全な休憩場所も表示できるように──」
「方角だけ調べてください」
「まだ何も追加しとらんやろ」
「追加しようとする気配だけで動悸がします」
同行を認めてから、まだ1時間も経っていない。俺の役目が異世界を旅する高校生から、女神による無許可改造を止める監視員へ変わるまで、研修期間すら用意されていなかった。名刺を作るなら《現場監督(女神担当)》とでも刷るしかない。
ロキは不満そうに口を尖らせたものの、今度は余計な補助術式を加えず、地面へ描いた簡素な術式だけで方角を割り出した。
信頼と実績のある技術者に対して、最大限の警戒を維持し続けるという、非常に歪な師弟関係がここに完成していた。
俺たちは街道を南東へ進んでいく。
オティヌスは先頭を歩き、濡れた草むらで虫やカエルを見つけるたびに街道から外れようとした。
何度か引き戻したが、最後には捕まえた大きなバッタを金色の虫籠へ入れ、非常食として大切そうに胸元へ抱えている。
あの籠の中身が本人にとっての生命線らしく、抱き方だけは、我が子を抱くように優しかった。
食料の心配はしていたが、彼女と同じ食卓を囲む未来については、なるべく考えないことにした。
想像すればするほど、白米より虫の方が主役の献立が浮かんでくる。
俺たちの最後尾では、落下に巻き込まれたワイバーンの死骸が、地面から僅かに浮いたまま運ばれていた。
死骸の下には、薄く広げられた金色の障壁がある。それを荷台代わりにしているのは、フレイアさんの傍らを自律して飛ぶ《勝利の剣》だった。
『前方に障害物を確認。回避します』
石ころ1つにまで丁寧な実況をつけながら、障壁はワイバーンを載せたまま滑らかに横へ移動した。
魔物の運搬から周辺警戒まで、すべて剣だけでこなしている。神話に名を残す神剣の現在の仕事は、巨大な死骸を載せた金色の軽トラだった。積荷が伝説級の魔物というだけで、やっていることは配送業に限りなく近い。
「フレイアさんは運ばないんですね」
「はい。楓さんの安全確保以外の雑事は、基本的にこの子へ任せています」
『肯定します』
雑事の範囲が、国土交通省の管轄くらい広い。
伝説の武器にも、所有者は選べないらしい。剣として鍛えられた誇りは、今この瞬間、荷台としての誇りへ静かに置き換わっている。
「楓さんがお疲れでしたら、私がお運びします」
「まだ歩けます」
「疲れてからでは遅いのです。体力を温存するためにも、いまから私へ身体を預けてください」
フレイアさんが片手を向けると、淡い金色の光が俺の身体を包み、靴底が地面から離れた。
ワイバーンの運搬は剣へ任せる一方、俺を運ぶためなら本人が迷わず神力を使う。人間の男子高校生1人が、伝説の竜と同じ扱いを受ける瞬間だった。査定額はきっと俺の方が高い。
「下ろしてください。まだ自分で歩けます」
「ですが、濡れた街道では靴が汚れてしまいます」
「空から落ちた人間に、今さら靴の汚れを心配しないでください」
金色の光から解放され、足が地面へ戻った。
フレイアさんへ任せれば、移動だけでなく着替えや入浴まで1つの支援計画へ組み込まれかねない。
自分の足で歩くという基本機能を守るためにも、拒否だけは早い方がよかった。生活能力は、使わなければ溶けていくものらしい。
どれほど歩いたのか分からなくなった頃、街道の先に低い城壁が見えた。
正規の受け入れ体制が整えられた都市ではないが、その内側には幾つもの屋根が並び、門の上には見張りの人影もある。
人の暮らす街だった。
雨を避けられる場所があり、食料を手に入れられる可能性もある。事情を説明できる相手が見つかるかもしれない。何より、今夜を草原で過ごさずに済む。
異世界へ来てから初めて、地面へ足がついた時とは違う意味で助かったと思えた。
「私の日頃の行いによるものだな」
オティヌスが誇らしげに胸を張った。
日頃から虫を追い回し、異世界へ来てからはゴブリンまで食べようとした主神である。その行いを載せた天秤が、どこをどう間違えれば幸運の側へ傾くのか、《ミーミル》で調べてみてほしかった。
おそらく検索結果は「不明。ただし空腹」で終わる。
街へ近づくにつれ、門の上にいた見張りが慌ただしく動き始めた。
無理もない。見慣れない4人組の後ろから、巨大なワイバーンの死骸が金色の光に載せられて近づいてくる。
事情を知らなければ、魔物を討伐して凱旋する一団か、死体を浮かせて運ぶ不審な集団のどちらかにしか見えない。3択目があるとすれば《両方》だった。
「そちらのワイバーンは、あなた方が討伐したものですか?」
「はい。正確には、落下中に捕まってしまったというか……」
そこまで答えてから、ようやく気づいた。
ここは異世界であり、目の前の門番が話しているのも、当然ながら日本語ではないはずだ。それなのに意味は分かるし、こちらの言葉も問題なく通じている。
転送先は間違えるくせに、言語設定だけは正確だったらしい。今回の業務で初めて確認できた正常動作である。表彰台があるなら、この機能1つだけ金メダルをあげたい。
「そういえば、どうして言葉が通じるんですか?」
「期間英雄には言語補助の術式が標準で付いとるで」
「それを先に説明してください」
「通じとったから、うちも忘れとったわ」
正常に動作していたのは術式だけで、管理する側はいつもどおりだった。優秀な部品と、それを運用する経営陣の評価が、こうも綺麗に分かれる職場も珍しい。
「討伐というより、俺たちが空から落ちる途中で巻き込みました」
事実を簡潔に説明したはずなのに、衛兵の警戒が1段階上がった。
空から落ちてきた4人組が、その途中でワイバーンを巻き込んで殺し、死骸まで運んできたのである。自分で口にしてみても、身元不明者が信用を得るための説明としては致命的に間違っていた。もし俺が門番なら、この時点で槍を構えている。
「この者たちは異世界から派遣された者だ。私はオティヌス。神々を統べる最高責任者である」
「すみません。この子ちょっと頭がアレなので。異世界のくだりは忘れてください」
オティヌスが前へ出て、堂々と名乗ったが、俺は即座に彼女の言葉を否定する。
胸元の虫籠からバッタの後ろ脚が1本飛び出していなければ、少しは威厳があったかもしれない。せめて足だけでも籠の中に隠しておいてほしかった。
衛兵はオティヌスの姿を上から下まで確認し、続いて俺たち3人へ困惑した視線を向けた。否定してほしいのだろうが、肩書だけは事実なので誰も助けられない。
「……身分を証明できる物はお持ちですか?」
「ありません。正規の受け入れ都市へ送られる予定だったんですが、転送事故で400キロほど離れた場所へ落とされました」
「400キロは誤差や」
ロキが余計な補足を加えると、衛兵の警戒がさらに深まった。せっかく積み上げかけていた信頼を、本人が自分の足で踏み崩していく。
「いまのは無視してください」
この集団で唯一の被害者だったはずなのに、いつの間にか俺が3柱の発言へ責任を持つ立場になっている。広報担当も謝罪担当も兼任させられている気分だった。衛兵もそれを察したのか、俺へ向ける視線に僅かな同情が混じり始めていた。
「事情については、街へ入られてから詰所で確認します。ただし、身分証をお持ちでない方には、入街税として1人につき銀貨3枚をお支払いいただく決まりです」
ようやく見つけた街を目前にして、新しい壁が立ちはだかった。
必要なのは4人分で銀貨12枚。俺の財布に入っているのは日本円だけで、この世界では金属片と紙切れにしかならない。
オティヌスは当然のように何も持っておらず、ロキも衣装のポケットを裏返し、現地で使える貨幣を持っていないことを証明した。空っぽのポケットを2人分見せられても、財布は増えない。
「現地で使える貨幣も持たずに、救援へ来たんですか?」
「急いどったからな。気持ちだけは誰より早く届いとったで」
「気持ちで入街税が払えるなら、いま全額気持ちでお願いします」
最後の頼みとしてフレイアさんへ視線を向ける。
彼女は本来、派遣者へ活動資金を渡す担当だったはずである。しかし、資金は正規の受け入れ都市に保管されており、所定の手続きと本人確認を済ませなければ持ち出せないという。
フレイアさんは申し訳なさそうに眉を下げたあと、俺を背後へ庇うように1歩前へ出た。その表情の切り替わり方だけは、女神の中でも1級品だった。
「楓さんは事故(ヴァルハラの転送)によって、この地域へ落下させられた被害者です。初期装備も活動資金も受け取れず、暴風雨の中を歩き、ようやくこの街へ到着しました。その未成年者から、さらに入街税を徴収なさると?」
「規則ですので、身分証のない方には皆様──」
「緊急避難者、遭難者、保護を必要とする未成年者についても、一切の減免規定が存在しないと断言なさるのですね?」
「いえ、その場合は詰所へ確認しなければ何とも……」
「では、確認をお願いします。あわせて、この判断を担当された方のお名前と役職、減免を認めない根拠となる規則、異議申立ての窓口、責任者へ直接確認できる日時をお教えください」
衛兵の顔から、見る見る血の気が引いていった。
まだ声を荒らげてもいない。笑顔を絶やさず、必要な情報を順番に求めているだけなのに、断れば街の行政組織全体を相手にする気配が伝わってくる。テンプレートの質問攻めだけで、公務員を3人は病欠に追い込めそうな圧だった。
これが《最悪の傾国の美神》のモンスタークレーマー形態らしい。
フレイアさんの愛情によって国が傾くまでには時間がかかると思っていたが、苦情申立てを使えば今日中に門から傾けられそうだった。国家転覆の手段として、恋愛より行政窓口の方が早いという発見は、あまり喜ばしいものではない。
「フレイアさん、少し待ってください」
「ご安心ください、楓さん。貴方から不当に銀貨を徴収しようとする制度について、責任者の方と朝まででも話し合ってまいります」
安心できる要素が1つもない。
門の前で朝まで抗議を続ければ、入街税を払うより先に出入り禁止になる可能性がある。フレイアさんの関心が責任者の氏名から所属部署へ移る前に、別の解決策を見つける必要があった。
俺は慌てて周囲を見回し、金色の障壁へ載せられたワイバーンの死骸へ目を止めた。
上位ハンターが複数人で討伐する魔物なら、少なくとも銀貨12枚よりは価値があるはずだ。この状況で唯一、換金可能な財産である。
「あのワイバーン、お金になりますか?」
俺が尋ねると、衛兵はフレイアさんから逃れるように顔を動かし、街道脇へ浮かぶ巨大な死骸を見上げた。
「状態を確認しなければ断言できませんが、ワイバーンであれば入街税を大きく上回る値がつくでしょう。街のギルドで買い取ってもらえば、売却代金から支払えるはずです」
ようやく門を潜る方法が見つかった。俺の脳裏には、無事に街へ入れた達成感と、久しぶりに屋根の下で眠れる期待が同時に広がっていく。
俺が胸を撫で下ろした直後、背後から、息を呑むような音が聞こえた。
振り返ると、オティヌスが信じられないものを見るような顔で、俺とワイバーンを交互に見つめていた。
その目には、恐怖でも困惑でもなく、大切な何かを奪われかけている生き物特有の、純粋な絶望だけが浮かんでいた。




