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煙吐く少女  作者: 飯島鈴
5/16

5話

 週明け。

 僕が職員室でキレ散らかした件は噂にもならなかった。

 それどころか生徒指導室に呼び出されていたことすら忘れ去られたようで、拍子抜けするほどになんの変哲もない日常が始まって……は、いないか。

 なにせ文化祭は今週末。

 もう学校中が変な空気に包まれていて、誰かが朝のホームルームに出ていなくても、まぁそのまま部活の方に行っちゃったんだろうで片付けられる有様。一応、ちゃんと遅刻扱いにはなるらしいけど。

 それでも例えば、いつも通り家を出て登校したはずが実は学校に来ていなかった的な、そういう事件の発見は遅れてしまいそう。

 そういうわけで教師が巡回するから学校を抜け出したりしないように、とお達しがあった。

 そういうわけでってどういうわけか。

 まぁ子供とはいつだって馬鹿な生き物だ。勿論、僕も含めて。先週の金曜のことを思い出すと顔から火が出そう。担任が何食わぬ顔で、しかし普段はわざわざしてこない朝の挨拶をしてきたのが救いのような追い打ちのような。

 ともあれ、こんなに学校中が慌ただしいなら抜け出してもバレないんじゃないか、なんて変な気を起こす生徒もいるだろう。それに対し、こっちも分かってるから馬鹿なことはするなよ、と事前に教えてくれているのだ。

 しかし七月も半ば。

 本当にまだ半ばなのかと疑いたくなるほどに気温が上がる中、わざわざ冷房のない外に出ていこうなどという猛者がどれほどいるのだろうか。

 なんなら割と本気で青柳やジュウゴさんたちの無事を祈りたい。この一週間でも気温はぐんぐんと上がっている。木曜日の午後には待合室に詰めていたわけだし、流石に外でたむろなんてしないとは思うけど……。

 とはいえ抜け出し禁止令を無視して確認しに行くほどの仲じゃないし、義理もない。

 それよりも今は、クラス展示の準備だ。

 正直ちょっと、進捗が良くない。

 いや、違うかな。進捗自体は悪くない。概ね予定通り、と評していい状況。

 一年D組のクラス展示、その題名は『私たちの一学期』だ。

 名前だけ聞けば無難な展示に思えるが、内実はかなり無茶を試みている。

「ねぇ四月の絵の担当って誰だっけ?」

「ちょっと待って。ええと……、渡辺!」

「渡辺? 今どこにいんの!」

「知らねえよ」

「美術部……は奥田だから、吹部だっけ?」

「なんで自分の仕事終わらせないで部活行ってんの!?」

「仕方ねえんじゃね? 部活は部活で出すものあるんだろうし」

 そうだけど、と圷の苛立たしげな叫びが教室に響く。

 ここまでの進捗は悪くない。

 と同時に、準備作業の出席率が著しく落ち込んでいる。ここからの進捗に遅れが出ることくらい、誰の目にも明らかなほど。

 原因もまた明らかだった。

 一年生が有無を言わさず展示と決められていた理由は入学からの期間だ。

 僕たちは入学からたった三ヶ月半で文化祭当日を迎える。個々の友達はでき、グループ単位の棲み分けは進んだとしても、教室全体の連帯は曖昧なままだ。

 もっと露骨に言ってしまえば、パワーバランスが固まっていない。

 中心グループが何かやりたいと言った時、それに待ったを掛ける他グループがなかったとしても。いざ事が動き始めた後で、決まったはずのことを押し付けるだけの影響力が中心グループにまだない。

――なんであいつらが仕切ってんの?

 その疑問を、まぁいつものことでしょと諦めや呆れで消化できるか。なんでだろうね、納得できないよね、と不満が募るか。多分、そういう違い。

 青柳に対するナカチュー出身者とそれ以外との反応の違いに似ている。

 まだ一年D組は津久井や圷が率いるグループを自分たちのリーダーだと認めていないし、受け入れることも諦めることもできていない。

 それでも高校生とは基本、事勿れ主義者だ。

 クラスの全員が同じだけの負担をするなら、多少差はあれど似たような負担を強いられるなら、まぁ納得するだろう。できなくても一度決まった仕事を放棄するほどのことはない。

 その点、D組の展示は挑戦的すぎた。

『私たちの一学期』

 四月から七月まで、授業で作った縫い物や絵や工作物を展示する、だけではない。

 四月には四月に合わせた絵や何か、五月には五月、六月には六月……と都合四ヶ月分を全く新しく用意しようというのだ。

 他のクラスに負けない展示をしたいと佐々木は言った。圷や下川も同調し、盛り上がっていく中心グループ。

 残された面々はといえば、そこまでの熱量もなかったのだ。

 そこでイケメンの登場である。

「高校生活、三年しかないんだよな。文化祭も当然三回だけ。一年は展示しかできないからって、無難な展示だけして大切な一回を終わりにしたくはないよね」

 人当たりの良いイケメンにそんなことを言われたら、まぁ確かにそうかもと一瞬は納得する。一瞬は。

 そして始まったが、誰もが絵心や文才に恵まれるわけじゃない。

 そうなれば、どうなるか?

「美術部って誰かいる? あ、奥田さん、お願いできる? そう、一枚でいいから」

「そういや渡辺も絵ぇ書けたよね。頼んでいい? 何月がいいとか希望あったら」

 たった一枚。

 されど一枚。

 積み重なっていく負担は、平等ではなかった。公平ですらない。何故ならクラスで決めた基準などなく、中心グループの面々が個人間でやり取りして決めただけだから。

 その一方で、クラス展示を後回しにして部活にばかり顔を出している人がいれば、教室にいても紙で花を作るだけの人もいる。その花だって必要だから作っているわけじゃない。なんか派手に飾り付けるために、なんか仕事してる風に見せるために。

 そりゃあ、不満も溜まって当然だろう。

 明確に仕事を任されなかった人たちは進捗が順調だという言葉を盾に出席を渋り、明確に仕事を任された人たちもクラス展示だけに掛かりきりにはなれないと何一つ間違っていないことを言う。

 せめて調整役になれる誰かがいたら違った。

 仲間じゃないけど、まぁ一緒に迷惑してるんだし簡単な頼みくらいなら。そうやって繋ぎ止めて回れる役が、一年D組にはいなかった。

 去年、三年B組にはいたのだ。ただあまりにも明確な異物が居座っていたせいで、残る面々が自分たちを『味方』『どちらかといえば味方』に分類するしかなかったという側面が大きい。

 所詮は中学生、高校生だ。人間関係は難しい。

「これ間に合うのかな」

 ぽつりと零してしまった声に

「知らね」

 と、教室の不協和音を代表するかのような無関心が返される。

 声の主は当然、竹上だ。

 いくらなんでも花はいい加減足りているということで、今は展示内容を告げる張り紙に色を塗る作業中。明朝体とかゴシック体とは違う、ポップな感じの字体だ。色を塗る前の塗り絵みたいに、枠を縁取るような字を書いたのは津久井か誰かだろう。

 僕はそこに丁寧に、慎重に、たっぷりと時間を使って色を置いていく。

 竹上は対照的に、どぺーっとマジックを走らせていた。

 ふと顔を上げた瞬間、目が合う。どこかバツの悪そうな顔。それから言い訳がましい声。

「なんだよ」

「塗りきれてないとこあるよ」

「いいだろこんなの、適当で」

「それは否定しない。しかし圷がどう言うかな?」

 冗談めかして笑う。

 竹上がしまったという顔でため息をついた。

「ざけんな」

 一瞬、津久井たちの方を盗み見る。ようやく奥田と連絡が付いたようでてんやわんやだ。

「早く仕上げる必要もないしね」

「そりゃそうだ」

 呟いた声に、竹上が悪い笑みで頷く。

 そもそも僕たちがどんなに頑張ったところで、僕たちにできる仕事がない以上は進捗にも貢献できない。

 彼らの計画は挑戦的すぎた。野心的すぎた。

 なにせ七月の展示には、そのままずばり『七月の夜』と題したタイムラプス動画を用意したいと言っている。言っている、だ。週末に期限が迫った今の段階で。誰が撮って、誰が編集して、どう展示するんだ? プロジェクターを使うのかタブレットを使うのか。当日の管理は誰がするのか。

 何も決まっていない。後回しに次ぐ後回しで今日に至る。

 まぁ無理だろう。

 困ったことに、事件はそんな矢先に起きてしまった。



 美術部の方に顔を出していた奥田が呼び出しに応じて教室に現れた。

 手には画用紙……でいいのだろうか。遠くてよく見えなかった。でもルーズリーフには見えない。細かい分類はどうあれ、絵を書くための紙だ。

 奥田は眼鏡をした、髪の長い、前髪も長い女子だった。

 見た目から想像する通りの控えめな性格で、授業中の発言は声が小さくて聞き取りづらいし、休み時間も友達と話すというよりは本を読んでいることが多い。友達がいないわけじゃないけど、友達も似たようなタイプだった。

 書いてと言われて断れず、今もできてるかと聞かれたら、わざわざ教室まで提出に来たのだろう。あるいは美術部の部室、というか美術室で書いていたのかもしれない。

 その絵を、誰に渡したらいいのかという逡巡が遠目にも見えた。

 すかさずイケメンが腰を上げる。

「あぁ、ありがと。急に呼び出しちゃってごめ……ん」

 爽やかな笑みと当たり障りのない言葉が、凍り付いた。

「……桜?」

 何が問題だったかは、一言で足りる。

「えっ。あれ、四月だった……ですよね? さ、桜とかでいいのって聞いたら」

「あ、うん。大丈夫、大丈夫」

 半分言い聞かせる声音だった。

 津久井でもあんな顔をするんだと驚く一方で、この状況で咄嗟に場を繕う余裕にも驚かされる。あれは本当に高校一年生か?

「あぁ、うん、ありがとう。助かったよ」

 しかも功労者を体よく追い払う始末。

 何か問題が生じたこと、その問題の中身。理解できていないわけがないのに、奥田は自分の責任はここまでだとばかりに逃げるようにして教室を後にした。

 直後、津久井が呟く。

「ちょっといいかな、柊愛。渡辺の担当って何月だっけ?」

「え……あれ、四月だったよね?」

「奥田は?」

「ちょっと待って。だって……」

 クラス単位の取り決めも相談もなく、個人間で場当たり的に行われていたやり取り。

 結果がこれか。

 まぁ、宜なるかな。

「いっ今からもう一回奥田に――」

「無理だよ、それは無理だ」

 あの奥田だ、頼み込めばやってくれるかもしれない。

 でもそれは無理やりやらせたも同義である。流石はイケメン。その辺りの線引きはしっかりしている。

 けど、どうするのか?

「まぁ俺たちでどうにかするしかないよ。まだ月曜だし、よかったよ、今日気付けて」

「ごめん……、ほんとに」

「それより。何を書くか急いで決めよう。五月。……五月? え、五月って何あったっけ?」

「え、あ、五月。紫陽花……は、梅雨だから六月? ゴールデンウィークなら五月になる?」

「ゴールデンウィークの景色って難しいし、学校が休みだからなぁ。授業で何かあったっけ。日誌とか……」

「しっ、調べよう! 五月の花とか!」

 天然か養殖かと考えていたが、どちらでも関係ないか。佐々木の明るさは美徳だ。

 沈み、空回りしかけたグループが向かうべき方向を共有する。

 しかしマイナスが広がるのを回避できただけ。生まれてしまったマイナスを帳消しにはできない。

 机を挟んだ反対、竹上がニヤニヤ笑っている。

 似た者同士だとは思ったけど、そこは少し違うかな。

 僕にはあれを喜ぶ気はない。なにせ、あそこには僕が関わっていない。

 せめて以前からお題被りを知っていたなら話は変わってくるけど、棚から出てきたぼたもちが自分の手の中ではなく誰かの頭の上に落ちたところで意味がないのだ。

 まぁ人の不幸は蜜の味とも言う。

 僕としては不幸を楽しむ気もないけど。

 悪因悪果、善因善果。見ていて気分が良いのはどちらかだ。悪果だけを見て楽しむ気にはなれない。

 かといって、火中の栗を拾うだけの善良さも持ち合わせてはいなかった。

 精々、頼まれたらできる範囲で協力するくらいか。

 要するに、頼まれなければ何もしない薄情者である。カラオケに行った仲ではあるけど、一度カラオケに行っただけの仲でしかない。

 いきなり首を突っ込まれても迷惑かもしれないと、一応の言い訳は心中に転がしてみる。

 その日、僕は下校時刻の午後四時きっかりに下校した。



 転機が訪れたのは水曜日。

 連帯感の欠片もなかったD組に、然れど流石に不穏な空気が共有されつつあった頃。

 その割にやることもなく手持ち無沙汰を誤魔化していた僕と竹上のところへ、その男は歩み寄ってきた。

「悪い、三木、竹上。ちょっといいか?」

 津久井恭平。

 申し訳なさそうな声と表情。これが作り物なら相当だが、別に作り物でも構わない。

「何か用事かな?」

「用事っちゃ用事なんだが……放課後、時間あるか?」

 まぁそうなるだろう。

 ちらりと津久井の後ろを見やれば、それに気付いた佐々木が大袈裟に手を合わせてみせる。どうやら彼女の発案らしい。カラオケに行った仲の面目躍如だ。

 しかしカラオケに行ったのは僕だけ。

「わ、悪いけどっ」

 竹上は津久井の方を見ていたからか、僕の視線には気付かなかったらしい。

 そして佐々木のジェスチャーにも気付かないまま、今にも汗を吹き出しそうな顔で言う。

「今日は用事、用事あるから」

 嘘が下手だな。

 とはいえ津久井も追及はしない。責めたりもしない。イケメンだ。

「僕はいいよ。絵心とかはないから雑用しかできないけど」

「そうか。いや、助かる。ちょっと……割と、結構、手が足りなくて」

「大変だね」

「大変なんだ」

「今は? 何か作業ある?」

「あっ、あぁ。助かる。すぐ持ってくる」

 津久井が足早に去っていく。

 視線を戻せば、竹上が何か言いたげに僕を見ていた。でも、何も言わない。多分、言えない。

「暇だったからね」

 肩を竦めてみせる。

 実は最近、この仕草が上手くなってきた気がするのがちょっとした自慢だ。

「まさかスマホ触ってるわけにもいかないし」



 放課後の僕の仕事は使いっ走りだった。

 津久井はそういう用事を押し付けることにひどく抵抗を示したけど、大して仲が良いわけでもないのに一緒に座り込んで作業するのも居心地が悪い。それに単純作業よりは歩いて走って話しかけて……という方が得意だ。

 こう見えて人見知りしないのも実はちょっとした自慢である。

 そして今回の頼まれ事は展示内容の届け出のプリントを探すこと。といっても職員室に行って貰ってくるとか、紛失したものを血眼になって探し回るとかじゃない。連絡が付かない陸上部の鮎沢のところに走るだけだ。

 だけ、のはずだった。

「え? プリント? それもう文実に出したよ」

 ならどうして未提出の通達がD組に届くのか。

 問い詰めようにもプリントの現物は知らないから、本当にこれこれこういうプリントを提出したんですか、とも言えない。引き下がるしかなく、代わりに誰に提出したのかを確かめる。

 D組の文実は大臣ことサッカー部の金田と、もう一人は帰宅部の土井だ。後者だと面倒なことになりかねない。

 しかし不幸中の幸い。

「進次郎だよ、進次郎。ほら大臣」

「や、うん」

 別に進次郎で伝わるけど。一度覚えたら忘れようがない名前だし。

「連絡先……は、知ってたところでスマホは充電切れだっけ」

「悪かったよ」

「モバイルバッテリー持ち歩いたら? あ、苦情とかじゃなくて」

「こんな時くらいだからなぁ、充電切れんの」

「それは確かに」

 小さく笑って、はい意外と接しやすい人間ですよねと刷り込んでいく。刷り込んだ効果が発揮される日は多分来ない。

「で聞きたいんだけど、サッカー部ってどこで作業してるか知ってる?」

「教室戻りゃいいじゃん」

「一年の教室、三階だよ? 金田は先週も似たようなことあったし、二度手間になるよりはマシ」

「そういや圷がなんかキレてたな。でもサッカー部は……あぁそうだ、部室棟行きゃ誰かいると思う。サッカー部がどこで何やってるとかは知ってるかも」

「その場所は……」

「分かってる。あー、お前帰宅部か。あれが部室棟で――」

 鮎沢は迷惑がることもなく丁寧に教えてくれた。

 良いクラスメイトだ。

 こういう人がもう少しクラス展示の運営に携わってくれたら問題は小さく、少なく済んだだろうに。今年こんな問題が起きなくても、来年になったら自ずとお互いの理解も進んで上手くやれたはずだ。

 毎年のことで分かり切っている学校側と、初めての高校生活、その文化祭に浮かれる一年生との差だな。

 考えながら小走りすれば、すぐにサッカー部の部室に着いた。

 幸いにしてドアは開けっ放しだったから様子も丸見え。慌ただしく探し物をしている中に金田の姿はなかった。

 とはいえドアを叩く以外の道がない。

「すみません、一年の三木です。一年D組の金田ってどこにいるか分かりますますか?」

 億劫そうに振り返ったサッカー部の面々は、何か言い合うように顔を見合わせてから視線を戻してくる。

「ピロティ」

 それだけだった。

 また走る。

 果たして金田はピロティにいた。第二体育館に続く階段の下だ。

「あれミッキーじゃん!」

 ミッキーじゃないが。

「え? プリント? 何それ。えっ? あぁあれか、A組の奴に渡したよ。名前? カクノダテって奴!」

 角館?

 中学にも一人いたな。A組の文実というと件の彼が思い浮かぶけど、彼が角館だったのだろうか。あるいは他の誰かか。

 まぁ、案ずるよりなんとやら。

 目的地が一周して本校舎の三階に戻ってきた。これで空振りに終わっても教室に顔を出して報告すればいいだろう。

 そう思って階段を駆け上がっていたら、そんな偶然があるのか。

「おわっと、悪い!」

「いや、こっちが前よく見ないで走って……って、角館!?」

 あわや衝突しかけた相手に唖然とする。

 中学で見た顔だった。

 少し垢抜けている。それでも四ヶ月かそこらで変貌はしない。いや最後に見たのはもっと前か? まぁいい。

「え、誰……だっけ」

「ナカチューの三木だよ。B組の」

「ミキ……? あっ、青柳の!」

「その覚えられ方はどうかと思うけど」

 そもそも青柳のなんだよ。お世話係? 連絡係? はたまたお尻拭き係? いや最後のは変な意味に聞こえてすごく嫌だな。

「えー。よく覚えてたな。つうか何? 用?」

「用用。角館ってA組の文実?」

「はっ? 文実……ではないけど、まぁA組はA組。なんか文実に用事なん?」

「や、A組の角館って文実に用があるんだけど」

「ん? 人違いじゃないか? 角館は俺しかいないけど」

 つうか何人もいる名前じゃないだろ、と角館が笑う。確かに。笑いながら去っていこうとする角館を、いやいやと引き止める。

「ちょっと待って。金田が角館にプリント渡したって言ってるんだけど」

「金田って誰よ」

「サッカー部の。進次郎。大臣とか呼ばれてる」

「あっ? あー! あいつか、サッカー部のチャラい奴。あいつに渡されたプリン……あっ」

 お前だったか。

 すまん俺だった。

 そんな視線を互いに交わす。

「マジですまん。確か教室にあるはず」

「今から頼める?」

「悪いマジで」

 頼めるかどうか聞いてそれはダメな時の返事だと思う。

 しかし重ねた謝罪を二つ返事の代わりにしただけのようで、角館は階段の途中で回れ右。走るわけじゃないけど、一段飛ばしに階段を上っていく。

 足が長い。多分、運動部なのだろう。それで何かの時に鉢合わせた金田に捕まって、A組なら代わりに渡しといてとかなんとか押し付けられたに違いない。金田なら如何にもやりそう。本当にあいつは職務放棄大臣だ。

 足の早い角館に合わせた小走りでA組の教室に到着。

 関係ないけど、堺もいた。僕と角館、つまりナカチュー卒業生の組み合わせを見て目の色を変える。すぐに気付けたから、違う青柳関係じゃない、と首を振った。安堵の表情。

「あったあった! よかったぁマジで」

「お、早い」

「机ん中なんも入れてないからな」

 胸を張って言うことではない。

 挙げ句くしゃくしゃになったプリントを受け取り、聞いていた内容と相違ないことを確認。している間に、角館が声を上げていた。

「悪い! 堤! 文実のプリント!」

 角館の視線を追えば、先週も見た文実の彼だ。堤というのか。

 突然のことでよく分かっていない顔をしているから、補足に口を開く。

「D組のプリント、金田が出すはずだった展示内容のやつ!」

「え? あ、ありがとうございます」

「遅くなってごめん」

「すまん、俺が受け取ったまま渡すの忘れてたんだ。期限とか……」

「あぁ、多分、大丈夫だったと思います。ありがとうございます」

 平身低頭、ぺこぺことプリントを受け取る堤某。

 金田は彼の爪の垢を煎じて飲むべきだろう。あと堤も少しくらい金田の適当さを見習っていい。

「じゃあ確かに渡したから」

「はい」

「角館も。うちの金田が迷惑かけた」

「いやいや、こっちこそ悪かった。入れ違いになんなくてよかったよ」

「ほんとに」

 一仕事終えた笑みを共有し、A組の教室を後にする。帰り途中だった角館も当然一緒に出るが、そこからは会話もなかった。

 本校舎にはB組とC組の間、D組とE組の間に階段がある。つまりA組を出たらどこへ行くのも同じ方向に歩くことになるのだ。角館が階段に向かう時に軽く手を挙げ、「じゃ」とだけ言った。僕も「うん」とだけ答える。多分これ以降、話すこともないだろう。

 僕はそのまま教室を一つ通り過ぎ、D組へ。

 一歩入るや、佐々木と目が合った。

「おっそーい!」

 なんかそんな台詞が昔のゲームにあったな。

「何してたのミッキー!」

「グラウンドの鮎沢んとこまで行ってからサッカー部の部室回ってピロティで金田捕まえて廊下で角館に会ってA組の堤んとこにプリント出してきた」

「……なんて?」

「めっちゃたらい回しにされてきた」

「うぇーおつかれー」

 分かりにくい冗談だったとようやく伝わり、佐々木が無罪放免を言い渡してくれる。

 ただそれを聞いていたらしい津久井は呆れた目で僕を見ていた。

「お疲れ。なんか大変なことになってたみたいだね」

「金田が文実じゃない人に渡してたんだよ。その人が文実に渡すの忘れてた」

「かーなーだー!」

 圷が叫ぶ。

 津久井も笑うしかなさそうな顔だ。

「よく見つけられたな」

「たまたまナカチューの人だったから」

「三木に頼んでよかったよ」

「どもっす」

「うぇーい」

 なんだ佐々木そのテンション。

 と思ったら、これは僕の注意不足が原因らしい。

 よく見れば佐々木は鞄を肩に提げている。帰り支度? それにしては早すぎるけど、答えを聞けば納得できた。

「あぁ、そうだ、ありがとう。……で、これからタイムラプスの撮影行くんだけど、三木も来る?」

 諦めるつもりはないのか、本当に。

 呆れてしまうが、佐々木のテンションを見るによほど楽しみにしていたのだろう。挑戦もせずに諦めるのは心残りになりそうだ。

「や、遠慮しとく。荷物持ちが必要ならお供しますが」

「いやいや、待ち時間が長いだけだから。三木は先に帰っていいよ」

「了解。ていうかお心遣いどうも」

「いえいえ」

「いえいえー!」

 佐々木お前いい加減にしろよ。

 まぁ、しかし、この明るさに救われている面もあろう。

 同情の眼差しを津久井に向けるが、よく分かっていない顔で返された。これが迷惑じゃないのか。流石はイケメン。

「じゃ、まぁ、また」

 変な感じにはなってしまったけど別れの挨拶。

「おう、また」

「まったあっしたー!」

「じゃ」

 おぉ圷まで挨拶返してくるとは。

 ……あれ、そういや下川は?

 姿がなかった。撮影には三人で行くらしい。ふむ。詮索はよそう。変な想像も自重する。

 そして当然、一度帰った竹上が教室に戻ってきているはずもない。

 僕は一人、なんだか随分と久しぶりに、静かにゆっくりした気がする。鞄だけ取りに教室を進む。

 クラス展示を主導している津久井たちが出ていっても、まだ教室に居残る人が何人かいた。ただ横目で見た限り、クラス展示の作業をしている感じでもない。今だけの暗くなっていく放課後を楽しんでいるのだろうか。

 僕はそこまで風流じゃない。

 頼まれた仕事を終えたなら帰るだけで、そのための鞄も手に取った。肩に掛けるか手で持ったままかは気分次第。走り回っていた気がして体力というより精神的に疲れたから、それだけの理由で肩に掛ける。

 廊下に出てすぐ、そのために少し足を止めていた。

「かわいそ」

 教室の中、誰かが小さく笑う声が聞こえた。

 どうやら僕のことらしい。

 続く声に聞き耳を立てるほどの興味もなくて、廊下を歩きながら思考だけを転がす。

 僕がいない間、教室で陰口でも叩かれていたのか。いやぁちょろい奴が面倒なの引き受けてくれて助かったわー、とか。

 いや、ないなぁ。

 心の中では思われているかもしれないけど、津久井や佐々木が口に出すとは思えない。そんなヘマをやらかすならとっくに馬脚を現している。

 つまりは、恐らく、使い走りをさせられたのにタイムラプスとかいう青春を謳歌するイベントには参加できないことに同情してくれたのだろう。

 心の底から遠慮願いたいイベントなので、早く帰れるのは有り難い限りなのだが。

「と、そうだ」

 早く帰れるとはいっても、いつもよりは遅くなっている。

 もう帰るにせよ、帰るなら帰るで連絡は入れておくべきだろう。

 電話するまでもなく、母さんにメッセージだけ送る。

『少し居残りしたけど今から帰ります』

 返事を見る必要はなかったけど、アプリを閉じるより早く返ってきたら見ざるを得ない。

『夕飯は?』

『家で食べます』

 それだけ返してから、いやいや、食べますってなんだと自問自答。

『お願いします』

『了解!』

 ぺかぺかと光るスタンプもセットで返された。

 何か良いことでもあったのかな。

 まぁ、いいか。

 変に気を回してどうこうする、そんな親孝行な高一男子もいまい。

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