3話
「ミッキー! カラオケ行くよ!」
「あ、行ってらっしゃい」
声は自然に出ていた。
うん、いいよね、カラオケ。青春って感じで。君たちも青春って感じで、すごく似合うと思う。いいよね、行ってらっしゃい。
そんな顔で僕は佐々木を見ていたと思う。
佐々木は佐々木で、何が起きているのか分からないかのような目で僕を見ていた。
「……? ミッキーも行くんだけど?」
「ははは、面白いね。ところでミッキーで確定したの?」
「ん? ちょっとごめん。ミッキーの話ちょっと難しい」
「大丈夫、僕的には佐々木……さんの話がちょっと難しかったから」
「那絵香でいいよ? あ、ナエナエでも」
「じゃあお言葉に甘えて佐々木。僕はカラオケ誘われてないよ?」
「えっ今誘ったじゃん」
確定事項的に告げることを誘うとは言わないと思う。
天然にせよ養殖にせよ、どんな人物かと聞かれたら佐々木那絵香であるとしか答えようがない人物。佐々木那絵香。彼女に僕の常識的コミュニケーションは通じないらしい。
餅は餅屋だ。
ちょうど助け舟がやってきた。
「なーえーかー? 行くよー!」
圷である。
時は放課後。文化祭の準備期間とはいえ、まだまだ放課後に作業するのは認められていない。本来の下校時間を過ぎても居残っていいことになるのは文化祭の直前一週間だけだ。
まだ文化祭まで二週間以上ある今日は、だから四時には下校となる。
帰りにどこか寄っていこうよ、金欠だからパス、カラオケくらいなら行けるんじゃないと展開された会話は耳にしていた。なにせその会話そのものは準備時間中に行われていたからだ。
ただ、僕の名前は挙がっていない。
文実への届け物を果たしたことへの感謝はされど、それだけだったはず。
「ちょっと待ってー! ミッキーが行かないとか言ってるー!」
やはり佐々木は何かを勘違いしているのだろう。
呼びに来た圷が首を傾げて僕を見た。僕も同じ意見だと頷く。
「や、どうでもよくない?」
「どうでもいいのっ!?」
「うん、本人もそんな顔だし」
「じゃあ――」
「じゃあ連行しよー!」
は?
「は?」
圷が僕を見る。
僕も圷を見ていた。
佐々木は、僕の腕を掴んでいる。待て。なんか背が低いし、言動は子供っぽいし、特に意識して見たことなかったけど、意外にある。待って、まずい。
胸元に引き込まれそうになった腕に咄嗟に力を入れ、きょとんと見上げてきた佐々木の目を間近に見る。そういえば、一五〇センチはあるのだろうか。いや、そんなことを考えている場合ではない。
「えっと……」
だけど考えがまとまらない。
助けを求めて圷を見る。圷はため息を我慢する顔で、言った。
「まぁ、うん、諦めろ」
「えぇ……」
絶対に助けてくれると思ったのに。
僕みたいなのが参加するのは絶対に嫌がると思ったのに。
まさかイケメンこと津久井恭平が中心だと思っていたこのグループ、実は実権を握っているのは佐々木那絵香だった……?
「え、いや、あの、大丈夫です。逃げませんので」
「なんで敬語?」
「ははー、なんででしょうねー」
圷が僕を見ている。
興味がなさそうな目だった。
不幸中の幸いか。
カラオケの参加メンバーは思ったよりずっと多く、十人もいた。
中には大臣こと金田もいて、どうやら事の顛末を聞かされたらしく「悪いな」と短い言葉だけ頂戴。そこからは僕のことなど忘れたように騒ぎ続けていた。佐々木も一緒になって騒ぎ、津久井は羽目を外しすぎないように抑え役に回って、圷はそんな津久井を少し遠くから眺めていた。
なんとなく人間関係が見えてくる。
視線をずらせば、僕よりは正規のルートで誘われたであろう面々が仲間内の空間を作っていた。金田たちが注文した軽食類を遠目に見ながら「あれも割り勘なのかな」と迷惑そうに呟いた声は、誰かの歌声に掻き消された。
津久井の目がちらりと僕を見る。僕だけじゃなく、他の参加者たちにも気を配っていたようだ。目が合った時に、肩を竦める素振りをしてみせた。上手くできたかは分からない。申し訳なさそうな微笑が返された。
佐々木は何も気付かない。金田も何も考えない。圷は津久井の控えめな態度に少し顔を曇らせ、盛り上げようと思ったのか最近よく聞くアップテンポの歌を熱唱。温度差が開く。
まぁ別に、だから何っていうこともない。
コーラを飲み干した時、ちょうど空のグラスを置いた人物がいた。あまり盛り上がっていない組の男子だ。あまり仲良くはないけど、竹上と雰囲気が近い。
「一緒に入れてこようか」
歌声の邪魔をしないよう、小さく短く発した声に向こうが首を傾げる。
「えーと……」
「え、三木だけど」
「そうじゃなくて。あ、俺は山崎です」
「知ってるよ」
同じクラスだし。
山崎が少しほっとした顔を見せた。
「いいよ、俺行ってくる。歌いたくないし」
「回ってこないでしょ」
「かもだけど。何にする?」
「コーラで」
「了解」
山崎が席を立つ。何故か一緒に佐竹も立った。
確かサッカー部だから、金田に誘われたのだろう。その金田は佐々木に夢中だ。
同情はすまい。
「ミッキー?」
「んぁっ!?」
驚いた。
超驚いた。
変な声が出た。
すぐ横に佐々木がいる。いつの間に。
「なにヒソヒソ話してたの?」
「や、いや、ドリンクバー。行ってくれるっていうから」
「え? あーそっか、私も頼めばよかったー」
「行ってこようか?」
「えー優しー! でもいいよ。それよりミッキーは歌わないの?」
「あー……まぁうん、上手くないし。佐々木は――」
言いかけ、すんでのところで堪える。
すんでというか、若干遅かった気がしないでもないが。口を滑らせていいことはない。特にこの手のことで、女子に対しては。何度か痛い目を見てきた。顔に煙草の煙を吹きかけられたこともある。
「……私は?」
やはり遅かったらしい。
「えー何言いかけたのー? あっもしかして」
「違います」
「まだ言ってないのに」
こう見えてあまり下ネタに抵抗がないと徐々に発覚しつつある佐々木だ。
にひひ、とでも擬音が付きそうな笑顔で何を言おうとしたのか、想像し得る最悪の可能性が当たってしまうと僕の高校人生が終わりかねない。背に腹だ。
「いや、佐々木は上手いなって。お世辞っぽく聞こえそうでやめたけど。なんか、こう言ったら悪いけど、思ったよりずっと、ちゃんと上手い」
本当にお世辞ではない。
だから先ほど、口が滑りかけた。
可愛い声で可愛く歌う感じじゃなくて、声は可愛いんだけど、歌い方はちゃんとしていた。あれが腹から声が出ているというのか。
「ん、あ、ごめん」
佐々木の目が点になっていた。
いきなり気持ち悪かったかと反省する。キモい、とはっきり言ってくれる青柳の遠慮のなさが懐かしい。Mじゃないけど。断じてMではないけど、ああいうのははっきり言ってもらった方が嬉しい。
しかし何かが違った。
「実はね、実はだよ、ミッキー」
佐々木が口元に――。
小さく、可愛らしい唇の前に人差し指を立て、悪戯をする子供みたいに目を細めた。
「私ね、卒業したらVシンガーになりたいの」
Vシンガー。
……え、歌手じゃなくて? アイドルでもなく?
「現代っ子だなぁ」
「いや同い年じゃん!」
僕の肩を叩いて笑う佐々木。
その後ろに、ぬっと影が見えた。また変な声が出そうになった。先に目で気付けたから声は出さずに済んだけど。
「那絵香それマジなん?」
影の正体は金田だった。
無神経な奴め、と思わなくもないけど、こういう奴がなんだかんだ上手くやるのだろうとも思う。
佐々木も驚いて変な声を上げたものの、傷付いたような素振りもなく笑い声を零した。
「いやぁ本当は秘密のつもりだったんだけどね? こんなちゃんと褒められちゃったら困るよね!」
「えーごめん」
「いいてことよー!」
ありがてえ、ありがてえ。
揉み手をして返すが、そのジェスチャーは伝わらなかった。きょとんとした佐々木が振り返り、あっと小さく声を上げる。
「次いーい?」
出し抜けの言葉。
次は誰が歌う番だったのだろうと思ったら、誰の番でもなかった。何やら津久井に話しかけていた圷が顔を上げ、好きにしてとでも言わんばかりに手を振る。
じゃあ次は佐々木か。
褒められた腕前、見せてくれるつもりなのだろう。
「はいミッキー」
「んっ?」
何かを差し出される。
受け取ってはいけないと直感したのは、受け取った後だった。
マイク。
「さぁさぁミッキー、どれ入れる?」
「え、いや、あの、だから僕は歌が――」
「んなこと言うなよミッキー。上手い下手じゃねえ、楽しむために歌うんだぜっ!」
だとぜの間に小さいあが入りそうな『だぜ』の言い方に心底腹が立つ。どこの誰の台詞だ職務放棄文実大臣め。
「どれにするー?」
佐々木の上目遣い。
くそ、僕め。
僕も所詮は男、夏に浮かれる男子高校生だったということか。
「じ、自分で選べるから……」
可愛い女の子の上目遣いに勝てず、白旗を上げる。
ただカラオケなんて、……いや本当にカラオケなんて初めてだった。どうしよう。なんの曲を歌えばいいのか。そもそも僕に歌える曲があるのか?
ぐるぐる考える頭で、何かが閃く。
そういう時の発想は大抵ろくでもないことなのだと、後になれば分かるのに。
夏に浮かれる男子高校生。
そんな自分の戯言に囚われた。夏。高校生。青春の思い出……。
幼き夏の日の思い出を歌う名曲を思い出し、あれなら多分歌えるだろうと入れたのだが、その後のことは思い出したくない。
圷がぽつり、悪意なく純粋に呟いた声が耳の奥に残っている。
「え、なんでこの曲?」
僕はなんと答えただろう。
覚えていない。
でも、だって、良い曲じゃん……。
傷心を誤魔化すために、僕は自然と嘘というものに甘えてしまった。
自転車通学の二人を除く七人が駅に向かうということで、僕は不意に用事を思い出したかのような声で寄り道を告げたのだ。あまりに突然のことで驚かれはしたけど、不意に思い出す用事とはそんなものかと却って不自然には取られなかった。
カラオケを出てすぐの通りを、駅とは反対に歩き出す。
そのうちに見えてきたコンビニの駐車場で脇に寄り、スマホを確認。
何も歩きスマホは良くないなんて正義感に駆られたわけじゃない。ただ単に立ち止まるのが早すぎると、駅に向かった面々が振り返った時に見えてしまうというだけの理由だ。
そして時刻は六時を回ったところ。
少しだけ心の準備をして、電話をかけた。
「あ、母さん? ……え? あーごめん、友達に誘われてカラオケ行ってて。うん。いや、だからカラオケだって。いや今はもう出たけど。うん。でー、あー、そのまま飯でもって話になって。……うん。あ、ごめん。大丈夫? や、手持ちは大丈夫。流石にその辺のファミレスだろうし。うん。じゃあまた。うん、遅くなる前に帰るから」
電話を切る。
どこか嬉しそうだった母さんの声に、罪悪感が芽生えた。
けどまぁ、カラオケというのは事実だ。友達と呼べる相手だったかは微妙だけど。でも佐々木と金田なら「僕たち友達だよね!」と満面の笑みで投げかければ、同じく満面の笑みで返してくれるだろう。
たとえ心の中でどう思っていたとしても。
自嘲とも違う、乾いた笑いを零す。それで頭が冷めた。
学校からは少し離れているけど、この辺りの景色は車の窓から見た覚えがある。もう少し行けば安くて早い、うどんのチェーン店があったはず。味も文句ない。
男子高校生の一般論としては、ラーメン屋の方が嬉しいのは事実だ。前提条件のないうどんとラーメンでうどんを選ぶ男子高校生は希少種だろう。
裏を返せば、前提条件によってはそうとも限らない。
最近はラーメンも高い。物価高とか以前に、ラーメンとは安くて手軽なものだという幼い頃の認識が日に日に書き換えられていくように感じる。いつの間にかラーメンはファストフードではなくなっていた。
それに値段を差し引いても、ラーメン屋はどこか敷居が高い。
……いや、これは誤用なんだっけか。
じゃあなんて言えばいいのかな、なんて考えているうちにやたら広い駐車場が見えてきた。
ちょうど夕食時に入っていく時間帯。かなりの車が停まっているけど、それでもまだスペースはある。店内も似たような塩梅。
そういえば一人で飲食店に入るのは初めてだった、と気付いたのは、いらっしゃいませーの合唱を浴びた時だ。
どうしたらいいのかと右往左往するより早く、あれこれと事細かに書かれた案内やメニュー、スーツ姿の背中が視界に飛び込んでくる。なんとなく流されていたら、なんとなくで注文できた。すぐに出てきたうどんをなんとなくで受け取り、特に指定されてもいない席になんとなく座る。
全てがなんとなく。
これで済むのがチェーン店のいいところ。
うどんは美味しかった。特別美味しいということもないけど、なんというか、家で食べるうどんと違うなって感じ。どちらが美味しいかと聞かれると、若干の罪悪感とともに店だと答えるくらい。でも値段がなぁ。安いといっても店にも経営がある。
そんなことを考えながら外に出た。
まだ小腹が空いた感じ。
駅に向かう道は、今まで歩いてきた道だ。途中にコンビニがある。安く済ませるはずが高く付きそうだった。駐車場でスマホを見る。まだ七時には遠い。
日に数本しか電車が通らないほどの田舎ではないけど、佐々木や金田がやいのやいの騒げば一本か二本は乗り損ねそうである。やっぱり高く付きそうだ。
少し歩いて、コンビニに入店。
お菓子やジュースで迷うフリをしながらホットスナックの在庫を見た。王道の肉まんか。焼き鳥も美味しそうだった。
ふと目に入ったカップラーメンに心惹かれるも、このコンビニにイートインはない。というかコンビニのイートインというものを人生で見たことがない。都会の広いコンビニか、どこかの地方コンビニにしかないものだと勝手に思っている。実際はどうなのか。調べるほどのことでもない。
適当に時間を潰して、幾分か気になったグミを手に取る。
レジに持っていって思い出した風に肉まんを注文。そんなところで何を誤魔化しているのか分からない。雑念を払うように肉まんを目で追ったら、また焼き鳥が見えた。今度は本当に思い出して、我知らず追加注文していた。迷惑がるようなこともなく、然りとて愛想良く対応するでもなく店員はてきぱき会計に進める。
僕よりは勿論年上だけど、若い男の人だった。二十代前後、だと思う。バイトだろうか。
なんでそんなことを考えたかといえば、僕も高校生になったからにはバイトすることになるのかと思ったからだ。一年生は夏休みの終わりまでバイト禁止。それ以降は届けを出せば許可されるという話だ。
レジ袋一つにグミと肉まんと焼き鳥を入れてもらって、コンビニを後にする。
振り返ってガラス越しに見るが、自分がああして働いている姿は想像できない。なのにミスをして怒られたり、面倒な客に絡まれたりするところは想像できた。
正直言って嫌だけど、人生いつかは働くことになる。
そもそもお小遣いも僕の交友関係が狭いからどうにかなっているだけで、週末の度にどこか遊びに行こうと思えば到底足りない。そんな予定もないけど、今こうやってアリバイ工作に買った夕食のようなモノも支払いはお小遣いだ。少しくらい悪い気はする。
歩きながら肉まんを食べ、欺瞞だなと自嘲。
歩きスマホを良くないものと意識する脳みそはあっても、肉まんは齧るまで何も思わなかった。要するに、善悪で物事を判断しているわけじゃない。周りの目や、もっと言えば、周りの人はこう思うらしいという誰から聞いたわけでもない偏見を気にしているだけ。
自嘲しながら食べる肉まんは美味い。
そのまま焼き鳥を食べようとして、タレが串の持ち手にまで付いていることに気付いた。ウェットティッシュが欲しい。買えばよかった、とまでは思わないけど。自分で買うには高すぎる。
出処は同じだというのに。
自嘲しながら食べる焼き鳥は、それでも美味い。
ハンカチとティッシュを持ち歩くようにと口酸っぱく言ってきた小学校の担任を思い出す。活かされなかった教訓を今度こそ胸に刻んだ。
ハンカチもティッシュもないからレシートに擦り付け、グミが入ったままのレジ袋を半ゴミ袋とする。
流石にグミまで歩きながら食べる気にはなれず、そこからは暇を持て余して歩いた。
ようやく駅が見えてくる。
初夏の日は長く、まだ空も完全に夜の色にはなっていないけど、駅舎は見慣れない雰囲気を纏っていた。
そう思うと、今まで耳にしていた喧騒も違ったものに聞こえてきる。
どうにも落ち着かない、ふわふわとした心地のまま駅舎の階段を上った。
この先に佐々木たちがいたらどうしよう。唐突に思い出したけど杞憂に終わった。駅舎だけでなく、行き交う人々もまた見慣れない層。
見慣れなくても、日常の一部だ。
足並みを揃えて改札に向かう途中、しかし、心臓が跳ねた。
「おっ? ミキだっけ?」
どこかで聞いたことのある声。
何より、僕の名前。
人違いの可能性に思い至ったのは、足を止め、振り返ってしまった後だった。
改札の正面、空調の効きが悪いと噂の待合室のドアの前、見覚えのある人物が立っている。名前は……ええと、なんだっけ。いや、そもそも聞いてない気がしてきた。
ただ、人違いではない。
待合室の中、ふと顔を上げた青柳の目が僕を見つける。
「あー、何さんでしたっけ」
「重吾」
「うす、ジュウゴさん」
「なに運動部なん?」
「帰宅部ですけど」
「よく分からん奴だな。ていうか何それ、お菓子?」
「え?」
それそれ、とジュウゴさんが指差す。コンビニのレジ袋だった。
「あぁゴミです」
「んだよ」
「持って帰るもんだったら電車降りた後に買いますよ」
「ん……? あぁそうか、そうだな。お前頭良いな」
「どもっす」
じゃ、と声には出さず歩き出そうとするが、それより僅かに早くジュウゴさんの手が翻った。伸ばして届く距離じゃない。後ろの待合室を示しただけだ。ガラス張りの窓から内側、不機嫌そうな人たちが集まっているのが見える。
「ちょっと寄ってけよ」
「そんな自分ちみたいに」
「みんなのもんだろ?」
みんなのものを占拠しているように見えるのですが、そうですね、確かにみんなのものではあります。
「えー帰る時間なんですけど」
「買い食いってことは急いで帰る用事もないんだろ?」
「……頭良いっすね、ジュウゴさん」
「よせやい」
「うす。じゃ、そういうわけで」
「そういうわけならこっちだろ。来いよ」
えー帰りたいんですけど。
言ったところでややこしくなる。適当に話を合わせて、適当に時間を潰して、適当に飽きてもらうのが一番穏便か。
「朝も言ったと思うんですけど、僕そんな青柳と話す仲じゃなかったんですよ」
「他の奴ら紹介すんよ」
「してどうするんですか」
「……? まぁいいだろ、暇なんだよ」
だったら家に帰ってテレビでも見たらいいのに。
若者のテレビ離れとか言われているけど、まだまだそこらの配信や動画なんかより面白いバラエティは沢山ある。あとどこかが独占配信して課金しないと見られないアニメもテレビならタダだ。最高だろ、テレビ。
「なに突っ立ってんだよ」
しょうもないことを考えていたせいで最後の逃げるチャンスを失った。まぁ逃げの択は切った後だったから名残惜しくもない。
まるでご自宅に案内されるかのように待合室に通され、後ろでドアが閉まる。おぉ怖い。改札の方から丸見えだから滅多なことは起きないだろうけど。
「何しに来たんだよ」
「僕に聞かないでほしい」
青柳の先制攻撃にソッコーで白旗。
しかし他の見知らぬ怖いお兄さん方が座るベンチに腰掛ける勇気もなく、唯一の知り合いたる青柳の隣に失礼する。露骨に距離を取られた。これで一番仲が良かったとか中学時代の青柳はどこまで嫌われていたんだろう。
僕たちの攻防と時を同じく、座っていても結構な背丈だと分かる男がジュウゴさんに声をかけていた。誰こいつ、と。なんか知り合い、とジュウゴさんは答えていた。そんな適当な紹介があるか。
まぁそれで十分らしい。
特に名乗り合うでもなく、男が声を投げてきた。
この時期には暑そうな黒いパーカー姿。高校生かも分からないけど、先輩と思っておけば間違いはない。ここにいる全員、青柳以外は先輩と思おう。
「それ何?」
「あぁゴミです」
「んだよ」
この会話さっきもしたな?
「あ」
いや待て、そういえばゴミはゴミだけどゴミ以外も半分あった。
「なん?」
「あぁいや、そういやついでにグミ買ったなぁと」
「グミて女子かよ」
「捨てる手間ないんでガムよりはいいですよ」
「聞いてねえよ」
確かに。
それで待合室に沈黙が漂った。
別に皆さんで話していればいいのに、なんとも空気が悪い。もしかしなくても僕を連れ込んだのは失敗では? ちらりとジュウゴさんを見やる。虚空を見つめていた。嘘だろう? まさか薬とかやってないだろうな。
視線を戻すと、背の高い彼が内ポケットから何かを出した。
すわ薬か。
違った、煙草だ。
いや煙草でもアウトだよ。
一本取り出しかけ、僕の視線に気付いた。
「んだよ」
「変な薬じゃなくてよかったなーと」
「は……? こいつ頭おかしいんか?」
「馬鹿なんだよ」
青柳が言い捨てる。
遠回しに、頭がおかしいわけではないと擁護してくれたのだろうか。そんなわけがない。なにせ青柳だ。
「まぁでもやめとけよ、ここは見えすぎる」
「んどくせ」
ジュウゴさんの忠告に男が従う。
上下関係でもあるのか。そうでもないのか。分からない。
「あ、ならグミ食います?」
「女子じゃねえんだよ」
「口は暇しないっすよ」
「な? 馬鹿だろ?」
青柳が笑っている。男が深い深いため息ついた。
「何味」
「ナントカフィーバーとかいうのです」
「なんだよそれ」
「や、分かんないんで買いました」
「マジで馬鹿じゃねえか」
おい今この一分間で馬鹿って何回言われたよ。
いらないならいらないの一言でいいだろう。思っていたら、男が僕を睨んでいる。
「ほら」
「あぁはい」
レジ袋から引っ張り出したグミをそのまま渡す。
「は?」
「え?」
「お前なんでそれ買ったの?」
質問は横から来た。
「肉まん食べたかったけどいきなり肉まん注文すんの恥ずかしかったから」
「マジで馬鹿じゃんこいつ」
男が笑っている。
それ、さっきも聞いたんですよ。
笑ったきり僕への興味はなくしたようで、さっさとパッケージの上を破っている。そのまま切れ端を床に捨てようとしたから、咄嗟にレジ袋を差し向けた。それで決定的に上下関係が決まった気がする。その前から僕に自由はなかったけど。
グミのパッケージは男の手を離れ、他の面々の間を旅した。
待合室には七人、僕を入れて八人が座っている。訂正。僕を含めた六人が座り、ジュウゴさんがドア付近に立ち、あと一人の言葉も交わしていない男が壁に寄り掛かっていた。
座っている中にも二人、制服姿じゃない人物。ただ、どちらも若いを通り越して幼い顔立ち。もしかしたら同い年かもしれない。確定するまでは先輩として扱うけど。
その二人のうち一人はかなり短いショートパンツを穿いた女で、もう一人の男と妙に距離が近い。マスクを顎にしていた。それから手首に包帯。厨二病だと嬉しいかな。
ともあれ女は彼女と青柳だけ。他は全員、男。
ついでに制服姿は制服姿でも見慣れない制服の人がいた。どうやら学校単位の集まりではないらしい。
「何これ、変な味」
誰かが呟いた。制服の誰かだった。
「だな」
嘲笑に近い声が重なる。
それはなんだか購入者の僕にも向けられている気がして、ほんの少し腹が立った。美味しくなかったとしても責任は僕ではなくメーカーと仕入れ担当にある。
だから笑った。
「マジすか。食わなくてよかったです」
「おいふざけてんぞこいつ」
「よせよせ、こいつの言うことに一々反応してたら日が暮れる」
「もう夜だけどなー」
「ウザ」
ストレートど真ん中。耐性があるから痛くはなかった。
「つか、そいつ叶となんなん? 元カレ?」
「俺もそれ思ったんだけど違うらしいぞ」
朝も聞いたな、と思ったらジュウゴが返してくれた。仲良しこよしの感じではないけど、この二人は仲が良さそう。
そう思っていたら背の高い彼が似たようなことを口にする。
「の割に仲良さげじゃね?」
「どこが」
「いやほんと、どこが」
真横で舌打ち。
怖い。
まだキモいとかウザいとか言われた方が心の余裕を感じられる。
ただまぁ、そう受け取るのは曲がりなりにも二年の付き合いがあるからで。
中学時代に孤高の不良だった青柳にとって、今のこの集団は長くとも三、四ヶ月の付き合い。負の方向に豊かな感情表現はそうと知らなければ一様に受け取られがちである。
そんなこと言いながら実は仲良いんだろ的な、そんなに否定するってことは何かあったんだろ的な、嫌な空気が漂いかけていた。
「中学一緒だったんすよ」
吐き捨てる。
「は? それだけ?」
「そのつもりなんですけどね、中学の時からこんななんで。他の連中が寄り付かないんですよ。お陰で僕が青柳連絡係みたいな扱いになって、それで接点ができただけです」
「アオナギって誰?」
そこから?
大袈裟にずっこけてみせるのが正解かとも一瞬思ったけど、どうやら不正解だったらしい。ノリが悪くて助かった。
「叶の苗字だろ」
「あぁそんなだったんだ」
「こいつ童貞だから下の名前で女呼ぶとかできねえよ」
「えマジで? 童貞?」
「さてどうなんでしょう」
「つうか叶なんで知ってんの?」
「知らないけど見たら分かんじゃん」
「確かに」
「確かにっ!?」
おおう、背の高い男に睨まれた。青柳相手のテンションになってしまったけど、僕が鸚鵡返しにした言葉は男が発したものだったらしい。
「あぁうん、まぁ童貞だろうな」
「ジュウゴさん違うんすよ」
「何が」
「……何がなんでしょう」
「こいつマジの馬鹿じゃねえか!」
待合室が爆笑に包まれた。
はは、人生最高のウケですね、と笑える神経は僕にない。代わりに赤くなった顔を隠さず、勘弁してくださいと叫んでみせた。大いにウケた。ははは最高だな。そろそろ頃合いだろう。
腰を浮かせかけた時、ふと青柳が口を開いた。
「ちょっと付き合えよ」
今どう考えても、じゃあこの辺りで、と言えば帰らせてもらえる流れだったのに。
しかも付き合うって何に。まさか交際の申し込みかと思わせて、ただ週末の買い物だった的な展開? そんなわけがないだろう。
「え、ちょ、マジで? そういう?」
誰かが何か言っている。
そんなわけがないだろう。
「は? 私その変な味のグミとか嫌だから。こいつに見張りさせりゃいいじゃん」
その言葉の意味をすぐに理解できたのは僕だけだった。
でも五秒もしないうちに納得の色は広がっていく。
「つうわけで立てよ、ミキ」
「えーやだよー」
「やだじゃねえ立て」
先に立った青柳が僕の二の腕を掴んで引っ張る。容赦がない。七、八割の本気だ。
なさけな、と誰かが呟いた。
どうでもいい。だけど見張りを買って出たら僕まで同罪だ。嫌に決まっている。
ただ青柳は多分、本気だ。少なくとも下手に抵抗すれば言い争いになる。それは僕にとっても青柳にとっても致命的だろう。
諦めて腰を上げた。
前後して背の高い彼も立ち上がる。やはり背が高い。一八〇センチに届いていそう。高校生の日常生活ではあまり見ない高さ。
しかし予想と打って変わって、立ったのは彼だけだった。
他は一人が「俺はいいや」と言っただけで、無言のうちに意思表示。
見た目通り未成年なのだろう。確か成人年齢が引き下げられても煙草と酒は二十歳になるまで禁止だ。高校にも不良はいるけど、青柳ほど堂々とルールを破る人はそういない。
流石に歩き始める段になると青柳も僕の腕を放した。
ジュウゴさんは残るものと思ったけど、一緒になって歩いている。背の高い彼が先頭。ジュウゴさんが後ろ。偶然にせよ前後を挟まれた。走って逃げることはできない。
できたとしてもやらないけど。
この駅は今後も使う。
せめて文化祭が終わっていたら居残りしないで帰れば安全そうだけど、文化祭とその準備期間中は帰りが遅くなるかもしれない。あの時逃げたあいつ、と認識されるのは困る。青柳の顔に泥を塗ることになりそうで少し怖いし。
そんなわけで僕は唯々諾々と駐輪場に連れ込まれた。
駐輪場は結構広く、何より暗い。縦横十メートル以上はあるだろうか。そこに小さな丸いLEDが何個か吊るされているだけだから、日も落ちてきた今となると、さぁ不良の皆さん住み着いてくださいと言わんばかり。
背の高い彼がポケットから潰れた箱を取り出す。煙草以外には見ないサイズの箱だ。
慣れた手付きで一本取り出し、やはりポケットから出したライターで火を付ける。映画や何かで見たらカッコいい所作も、リアルに見ると感慨も何もない。
一メートルはない、何十センチかの車止めに腰掛け、一服。そんな姿は様になる。足が長いからかな。それからニコチンが効いたのか、表情の険が幾らか和らいだ。意外に、と言ったら失礼だけど、そこそこ整った顔立ちだとそれを見て気付かされる。
その傍らでジュウゴさんも煙草を咥えた。出し抜けに手を横になり、『ふ』と『ん』の中間の声を発する。背の高い彼が不機嫌そうにライターを手渡した。
いつもの光景、なのだろう。
青柳もスカートのポケットから煙草の箱を出した。一六〇センチ前半の青柳だと車止めは腰掛けるには少し高く、半分座って半分立っているような状態。
ジュウゴさんからライターを又借りしつつ、不意に僕の方を見た。
「お前、なんでそこに突っ立ってんの?」
言うに事欠いて。
「あなたが連れてきたんですが?」
「私は見張りを連れてきたつもりなんだけど。じろじろ見てくる変態は呼んでない」
「傍若無人」
「あ、ミキも吸う?」
「吸わねっす」
「なら見張り行けよ」
背の高い彼が煙を細く吐き出してから言った。うーん困った。見張りは困る。
「お言葉なんですけど、今ここ四人しかいないですよね」
「三人な」
僕の発言に対して僕を頭数にカウントするなって返すのすごすぎないですか。
「まぁそれでもいいですけど」
「だからなんなんだよ」
「僕が外を見張るとして、その僕のことは誰が見張るんですか?」
「は?」
怒りというより、困惑の声だった。
何言ってんのこいつ、とでも言いたげに背の高い彼の目線がジュウゴさんに向けられる。ジュウゴさんもよく分からんって顔で僕を見た。
「え、見張りってあっち行って立つんすよね」
あっち、と示したのは当然、駐輪場の出入り口。
今ちょうどサラリーマン風の人が入ってきた。直後に僕たちに気付いて、何も見ていなかったと主張するかのように明後日の方を見る。自転車の位置は記憶していたらしい。そそくさと出ていった。
会話が再開。
「ほら、早く行けよ」
「行ってもいいですけど、流石にあそこからなら逃げられますよ」
「はぁ?」
やはり声に滲むのは、怒りではなく困惑だった。
ジュウゴさんが笑い出す。青柳が浮かせた足を伸ばして僕の脛を蹴ってくる。体重を乗せるほどの余裕はないから痛くもないけど、スラックスが汚れるからやめてほしい。
「あ、勿論、逃げていいなら見張り行きます。じゃあ自分、見張り行って――」
「行かんでいい行かんでいい。どうせ誰も気にしねえよ」
「こいつマジの馬鹿なの?」
「だから馬鹿だって言ってんじゃん」
青柳が心底不機嫌そうに何度目かの申告を繰り返す。
煙草を吹かしながら、まだ脛を蹴っていた。やめい。避けたら反対の足を蹴られた。余計に伸びた分だけ勢いと体重が乗って少し痛い。諦めて元の位置に足を差し出した。
話が一段落したところでライターが持ち主に返る。
沈黙。
三者三様の煙を浴びる。副流煙とか気にしない方でよかった。将来、後悔する時が来るのかもしれないけど。
そう思う一方で、三人の吸い方の違いが面白くも見えてくる。
三人でいるのに一人だけ別の空間で吸っているかのような背の高い人。ジュウゴさんは今この場を楽しむかのよう。青柳はなんだろう、青柳らしい不機嫌さとでも言えばいいのか。
中学の頃と同じようで、何かが違う。
……何か?
「あれ、煙草変えた?」
口が滑った。
確証なんてないどころか、ほとんど思い付き。そんなこと聞いてどうすんだと返されたら何も言えなくなってしまう、本当にただ脳裏に浮かんだだけの感想だった。
しかし返されたのは、予想だにしなかった言葉。
「匂い違う?」
少し驚いた顔。どうやら当たっていたらしい。
「や、そんなには分かんないけど。なんか違うなって」
「……そう」
「そっちの方が美味しい?」
聞いたところで意味はない。
沈黙を嫌っただけの言葉。
しかし、その言葉が却って沈黙を呼び込んだ。
LEDに照らされ透けて光る、あるいは曇る、色の分からない煙が代わりに沈黙を埋める。
「前の方が好きかな」
ぽつり、前後の繋がりなく零された声。
僕の質問に対する答えなのは疑いようがないはずなのに、どこか沈む声には頷き一つ返せなかった。
遠くを見る。
遠くといっても、駐輪場にしては広いだけである種の閉鎖空間だ。
しかも煙。
煙が駐輪場を狭くしている。
何人か、何人も、自転車を取りに駐輪場に現れた。彼ら彼女らは煙を避けるように、そそくさと自転車を引きずって出ていく。煙が駐輪場を狭くしている、わけではない。
分かっている。
ここは良くない。
僕は今、良くないものに付き合っている。
分かっているのだ。
「学校は楽しいかい?」
ふとジュウゴさんが呟いた。
沈黙を嫌った風ではない。
咄嗟のことで、僕には笑うことしかできなかった。
「どうなんすかね。特別そう感じることはないですけど」
そっちはどうなんですか、駅にたむろしてて楽しいですか。
聞いてやりたかったけど呑み込んだ。聞くまでもないことだ。他のことでもなんでもいい。楽しいことが何か一つでもあれば、こんなところで煙草なんて吸わないだろう。
こんなところでコソコソと、誰かの目を盗むように。
少し違和感が生まれた。
なんだろう。
思考は断ち切られた。
「じゃあなんで行ってんの」
「なんでなんすかね」
誤魔化しの声は見透かされていた。ジュウゴさんがつまらなそうな視線を返し、背の高い彼が侮蔑に鼻を鳴らす。青柳は長く長く煙を吐いた。
「分かんねえで行ってんの?」
「や、多分、ほんとは分かってるんですけどね」
呟く。
自分の腹の底を覗く気分だ。多分、大丈夫。
「他に行くとこもないんですよね、どうせ」
呟いた声に返されるものは何もなくて少し拍子抜け。
ただ二、三秒の沈黙を聞いて、思い違いを悟る。最後まで言ってしまっていいのか。
「目覚ましかけないで寝る勇気もなけりゃ、目覚まし無視して二度寝する勇気もないんですよ。最後には親に起こされて、制服に着替えて家を出て。ドラマとかアニメみたいに、急に反対の電車に乗る勇気もなくて。いつもの駅で、座り続けてる勇気もなくて。気付いたら学校。気付いたら放課後。気付いたら朝。それだけじゃないですかね」
「ポエムかよ」
「思春期なんで」
気のせいかもしれない。
それから漂う沈黙は、少し優しかった。
「じゃあ、そろそろ帰ります」
「おう」
ジュウゴさんが平然と返してくる。
「気を付けろよ。ミキって変なのに絡まれそうだし」
「とっくに絡まれてんだけどね、怖い人たちに」
「俺たちのどこが怖いんだ」
笑って、去る。
背の高い人は口を開かなかった。――しかし。
三人はまだあそこで吸っていくんだろうか。僕が帰った後、青柳はあの二人と吸っているんだろうか。
後ろ髪を引かれる、そんな気がして振り返ったら、目が合った。
不機嫌そうな目。
そう思っていたけど、あれは違うな。何も見ようとしない、何にも期待していない。そんな眼差し。逸らすでも睨むでもなく、ただ見ているだけの目に小さく会釈した。
帰ろう。
煙草の匂いの、言い訳だけを考えながら。




