13話
クラス展示と一口に言っても様々だ。
机を全て運び出してデカブツを置くクラスもあれば、机の配置はほとんど変えず最小限の労力で済ませようとしたクラスもある。
我らが一年D組はといえば、その折衷案。
机を廊下側に固めて置き、前のドアから後ろのドアまで、教室全体をカタカナの『コ』の字型の通路にしてしまう。外に出す机の数は少なく済み、かつ動線も分かりやすいから展示の並べ方にも困らない。
しかし、少なかろうと机を出すことにはなる。
廊下に出してそのまま放置するわけにもいかず、決められた置き場まで運ぶ必要があった。
それが一年F組の教室だ。
そもそも今年の一年生は五クラスしかない。A、B、C、D、Eで五クラス。F組は存在せず、教室だけがある。普段は実感しにくい少子化問題が目に見える形で表れた一例だろう。
なんにせよ、この端っこの教室に他五クラスの余剰机が追いやられるわけだ。
反対側の端に位置するA組がほとんど机を出さなくていいような設計にしたのも宜なるかな。
それに教師陣にしても、全クラスが全ての机を出してしまえば置き場に困ることは分かり切っている。どうにかF組の教室と、最悪その前の廊下に収まる範囲にしようと誘導してきたのは疑いの余地もない。
しかし、やはり先生方とて人間だった。
全クラスが一斉に机を運び出せば廊下が大渋滞するし、追いやられた机も各クラスのものが入り乱れて元に戻す時に悪夢を見る。
いざ文化祭準備期間の最終日になって、その問題に気が付いたようだ。一年生が一律でクラス展示になるのは毎年のことだろうに。大方、目の前の問題に追われて初歩的なことを失念したに違いない。
それで急遽、机の運び出しはE組からということになった。要するにF組に近い順。
二番目を割り振られたD組はまだ余裕がある。というかF組の運搬作業中に自分たちの準備を進めようと誰からともなく計画性を意識し、テキパキと行動してみせた。
問題はいきなり急いで運び出せと尻を蹴られたE組だ。
他のクラスに迷惑をかけまいと頑張って急いだのか、急かされて面倒臭くなっただけなのか。
D組第一陣の机を運んできた時、F組教室の中はなんとも残念な有様だった。
高さ以外は横幅も奥行きも同じ寸法のはずの机たちが、何故かズレて置かれている。
めちゃくちゃに置いていったわけじゃないことは見て取れるものの、随分とルーズな置き方をしたじゃないかとため息を零さざるを得ない。
廊下まで含めた残りのスペース的に収まりきらないことはないと思うけど、割れ窓理論なんて話もある。このズレた土台がより大きな破綻を招かないとも言えないのだ。
「ごめん。僕ちょっとこれ直してから戻るよ」
「E組のだろ? 俺らがやることじゃなくね?」
「後でスペース足りなくなったら僕たちも総動員だよ」
言って、これ見よがしにため息をつく。
「それだけならいいけど、誰かが適当にごちゃごちゃやって椅子落とすとかの方が面倒臭い。何かあった時に運んだの誰だってなる」
「あー……それは、そうかも」
だろう、と肩を竦めてみせれば、一緒に第一陣を運んできた下川が諦め顔で頷いた。
頑張って気配を消していたのに運搬係を押し付けられた山崎と佐竹も、そういうことになったのかと他人事のように納得する表情。
机、机と一口に呼んでいるけど、その上には逆さにした椅子が重ねられている。小学校から変わらない伝統的な様式だ。最近は教室事情も変わってきたという話を聞くけど、この机がない教室は想像できない。
ともかく。
今回は机と椅子のセットが崩れないようにビニールテープで結んである。ただ時間に余裕がなかったらしいE組は重ねただけ。横に並べるだけだから崩れても影響は小さいだろうけど、ここは有名な格言に従った方がいい。
「急がば回れ、だ。力仕事任せちゃって悪いけど……」
「え? あぁ、いや、いいよ。三木よりは力あるし。ていうか細かいことやる方が面倒」
「そう言ってくれると有り難い」
「じゃ、ちゃっちゃとやっか」
「だね」
小さく笑い合って、二手に分かれる。
しかし順番に置いていく段階ならともかく、一クラス分まとまって置かれた後で整理していくのは地味に面倒だ。スライドパズルじゃないけど、一つの机を数センチ動かすために道中の机全てを何十センチ動かす、みたいな話になりかねない。
完璧にやるのは早々に諦め、ズレているせいで移動の妨げになったり、そもそも置ける数を減らしたりしている机の修正に専念する。
それでも思いの外時間がかかって、第二陣が到着した。僕の代わりに金田が動員されている。そもそも金田が同じサッカー部ということで山崎と佐竹を動員しているから、ある意味では自然な流れ。
「ごめん、もうちょいで終わるから。そこ置いてって」
「おう頼んだ」
「あ、手伝うか?」
「いや大丈夫。そっちはぎっくり腰気を付けてね」
「ぎっくり腰て。俺ら高校生だぜ」
「電車通学になったせいか中学の時より動いてないよ」
「そりゃ羨ましい。サッカー部はキツいのなんの。そうだ、ミッキーも――」
「だーいじーん。無駄話で時間潰しても無駄だぞー」
「お疲れ様でーす」
「おつかれー」
「あーカレー食いたくなってきた」
ぐだぐだ言いながら仕事に戻る。
おおよその目算通り、作業は第三陣の到着前に片が付いた。
そして第二陣の机を並べ終えたところで、第三陣が到着。机を持ってきた四人の横を手ぶらですれ違うのも気が引けて、最後尾にいた佐竹から机を受け取る。
ほんの一、二メートルの中継で仕事してる感を演出――していた時だった。
「三木くーん? ねぇ三木君ってここにいる~?」
間延びした声とともにF組教室に入ってきたのは河内。D組の女子だ。
振り返るなり、目が合う。
「あ、いたー!」
「ごめん、なんか用だった?」
「お客さん!」
お客さん?
僕に? 思い当たる節がない。忘れ物を母さんが届けてくれたとかなら考えられなくもないけど、わざわざ三階まで上がってはこないだろう。職員室に届けて終わりだ。
となると単純に文化祭の準備関係か。堤や角館。他のクラスの人と接する機会もあった。
「誰だろ」
何気なく呟いた声に、河内が面白そうな顔をする。
面白い顔ではない。面白そうな顔だ。
河内は津久井たち中心グループとは距離があるけど、その割に結構ちゃんと彼らを見ている。津久井と圷の距離感が気になるらしい。恋バナとか噂話とか、そういうのが好きなタイプ。
だから今回も面白がっているのだと、その表情に教えられた。
「めっちゃ美人だったよ!」
よほど僕との取り合わせが意外だったのだろう。
話聞かせろよ、と言外に訴えてくる眼差し。急な来訪者に足を止め、自分じゃないと分かるや帰ろうとしていた金田や下川も再び足を止めていた。ちらりと向けてくる視線を隠せていない。
だからこそ、僕としても満面の笑みを作る甲斐がある。
「青柳だね」
河内のニヤニヤ顔が固まった。金田と下川がそそくさと廊下に消えていく。
「あおぉ、なぎぃ、さんって……」
「今度はどんな事件を持ってきてくれたんだろうねぇ」
「じゃ、じゃああたしは伝言したからっ!」
脱兎である。
佐々木ほどじゃないけど河内も背が低く、本当に小動物かのような足取りで逃げていった。
いや三人とも、逃げた先に青柳がいるんじゃないのか?
まぁそういう話でもあるまい。僕と一緒に戻れば巻き添えを食う。そういう話だ。
しかし、その僕にしても用件が見えてこない。
青柳の名前に訝ることなく逃げ出したところを見るに、僕とのセットは意外でもなんでもないのだろう。ただ僕が青柳を訪ねるならまだしも、青柳が僕を訪ねて教室まで来るなんて並大抵のことじゃない。
ポーズを示す以上に駆け足で戻れば、果たしてD組教室の前には見慣れた美人が立っていた。
「遅えよ」
開口一番、青柳が言い捨てる。
「人手が足りてないって言ったと思うんだけど」
「お前じゃねえんだよ」
傍から見れば繋がっていない会話だ。
遅いと言いながら、お前じゃないと言う。なら誰を待っていたんだ、と。
それで苦笑した。
「楽しそうだな」
「そう? ……そうかも」
余計なものがない、言いたいことだけを言う会話。それは確かに、楽しかった。
「それで? なんの用だったの?」
見たところ事件ではなさそうだけど。
青柳は何か言いかけ、やめた。意外なことが続く。ただすぐに代わりの言葉が紡がれた。
「どうせ暇してんじゃねえかと思っただけだよ」
「そりゃどうも。でも見ての通りだよ」
「あぁ。余計なお世話だったな」
「……?」
「んだよ」
「いや」
なんだろう、やはり違和感がある。
言わずに飲み込んだことと関係がある……のは明白か。
「青柳は暇なの?」
「あ……? 別に」
「A組の手伝いしてる風でもないのに?」
「うっせえな」
学校に来たはいいけど教室に居座るわけもなく、かといって行く場所もないから暇潰しのお供を探していた。
……なんて話だったら単純だけど、青柳は一人を嫌がる質でもない。
少し思案。
青柳がちらりと教室の方を気にする素振り。
「いっそ手伝ってく?」
「は?」
「力仕事、余ってるんだけど」
「……本気で言ってんのか?」
さて、それはどうだろう。
確かに青柳が手伝ってくれたら一人分の仕事は浮くけど、まぁ間違いなくコミュニケーションに問題が生じる。それでも言うことを全て聞いてくれたら役には立つだろう。
で、それは青柳なのか?
「らしくないな」
「そう見える?」
青柳は答えなかった。
呆れているのか、なんなのか。
答えを知っているなら教えてほしかったのだけど、時間切れだ。不意に声が飛んできたのである。
「ミッキー! ちょいどいて!」
声を聞くや反射的に身体が動いていた。
金田だ。
避けなければ当たっている勢いで教室から出てきた彼の手には机と椅子のセット。
「ミッキー?」
「あぁ、三木だから」
訝る青柳に短く答え、意識はすぐに金田に戻す。
「すまん」
「いいよいいよ」
「それで終わり?」
「多分」
言いながらも違和感。
金田の後ろを見やれば、早くも教室内は展示のための形になりつつある。四掛ける三の計十二組、机と椅子を運び出してきた。金田が持っているそれで十三組目。後ろには相変わらず下川と山崎と佐竹。
おかしい。
「数合わなくない?」
「えっ? あぁ違う違う、だいじょぶ。寄せたら角が危ないとかなんとか」
「そっか。了解」
D組のクラス展示はコの字型。
机は当然、四角形だ。合わせていけば綺麗なコの字も作れるだろうけど、曲がり角が直角になる。足を引っ掛けて怪我したり、展示物を落としたりするリスクに津久井辺りが気付いたのだろう。
そこまでは、問題なかった。むしろナイス判断と言うべき。
ただ、どうなんだろう。今ちょうど教室の中で津久井を呼ぶ声が上がっていた。立ち話する暇を貰えた僕と違って、かなり忙しそう。
金田に続いて下川が通り、山崎と佐竹。案の定だ。
「あ、ちょっと悪い」
「えっ?」
「なに?」
タイミング的に自分たちが呼び止められたと気付いたのだろう。
二人が同時に声を上げ、何事かと目を向けてきた。僕も視線を返し、少し下げてみせる。
「固定忘れてる」
「え……? あっ」
机と椅子は個々人の背丈や座高に合わせて高さが調節されている。
週五日、ほとんど半日近くを過ごす席だ。少し合わないだけで腰や背中を痛めるだろう。
この組み合わせが一度ズレると正解を探し出すのに苦労するから、そもそもバラバラにならないようにビニールテープで固定してある。曲がり角を凹ませるために急遽動かすことになった二組の机と椅子は、その固定がされていなかった。
しかも、ただ固定すればいいというものでもない。
「これ誰の机か分かる?」
「いや、ちょっと、どうだろう」
少なくとも自分は分からない。知る由もない。そんな顔で山崎が辺りを見回した。佐竹は面倒なことになったと嫌そうな顔。
「悪い。ビニールテープ貰ってきてもらっていい?」
「あ、了解」
山崎が踵を返す。何故か佐竹も付いていった。ビニールテープを二人掛かりで運ぶ気か?
まぁいい。
さてどうしたものかと思案したのも束の間、またも思わぬ声が降ってくる。
「邪魔したな。行くわ」
青柳だった。
結局なんの用事だったのか聞けず仕舞いだ。いや、聞いたは聞いたけど、本当に言おうとした何かの代わりだった。逡巡は一秒でかなぐり捨てる。
「ごめん、ちょっとだけ手伝ってもらえる?」
「嫌だね」
「頼む」
「……それ運べばいいんか?」
「ちょっと作業した後で。それだけ」
目を見る。
呆れた横顔が返された。
「ありがとう、すぐ済ませる」
「まだ何も言ってねえよ」
そう言いつつも、青柳は廊下の壁に寄り掛かる。まるで青春の一幕。
文化祭の準備に浮かれる高校の窓から外を見下ろす姿は、随分と様になってしまう。これで口が悪くなくて学校にも来て、授業態度もまぁ悪くない程度に収まっていたらモテただろうに。そんな青柳は青柳じゃないけど。
笑い飛ばしながら机に目を戻す。
組体操のように積まれた椅子をどかせば、やはりあるべきものがない。
「あー、三木! ビニールテープ!」
山崎が戻ってきた。佐竹はといえば、ハサミを持ってきてくれたらしい。二人で行く必要……それでもなかったんじゃないかな。
「ありがとう。あとごめん、圷呼んできてくれる?」
「えっ」
あまりにも露骨な顔だった。
それ俺じゃなきゃダメですか本当に、と今にも冷や汗を垂らしそうな顔。少し言い方はキツいけど、そんなに怖いやつじゃない。少なくとも青柳の方が何十倍も怖い。
「ごめん。あとはこっちでやっとくから」
「マジかー。えー、いや、まぁ、うん、分かった」
「本当にすまん」
口を開かなかった佐竹にも目を向け、お礼なのかお詫びなのか分からない意思を込めておく。
不承不承の山崎を見送るのもそこそこに、僕が見回すのは通路の壁であり展示用の台となった机の群れ。机自体をコの字に置く必要はないから、ぎゅっとまとめられて四角形を構築している。
元々の机の配置も個々の間を空けながら四角形を描いているのだ。わざわざランダムに入れ替えるような面倒なことはしていない。
個々の並び順はそのままに、ただ圧縮して置かれているだけだ。
そして運び出した机たちは窓側に置かれていたもの。元々廊下側にあった机を寄せている間に、運び出す机に目印を付けてから固定していた。
その目印までも、この二組の机にはない。
「三木~? なんの用?」
ちょうど圷がやってくる。
山崎は本当に最低限の呼び出しだけを行ったようで、圷は二組の机と椅子に怪訝そうな目を向けた。
「誰の机か分からなくなった」
「……マジ?」
一言で事態の面倒臭さを悟ってくれるのは有り難い。
「角に置くはずだった机なんだよね? 誰のか分からない?」
「えー。ちょっと待って。中に教科書とか入ってない?」
「みんな持ち帰ってる。持ち帰らなかった人はロッカーに仕舞った」
「そうじゃん」
昨日の午後のホームルームでも担任が言っていた。教科書や荷物は持ち帰れ、と。
それは文化祭に不要どころか、こうして机を運ぶ時に落ちて邪魔になったり紛失してトラブルの元になったりするから。理由が理由なだけに、ちゃんと徹底されて持ち帰らなかった人は渋々ロッカーに仕舞わされていた。
「運び出す予定だったのは窓側二列と――」
「最前列。十四人分」
「出席番号の十三番と十七番って覚えてる?」
「なんで?」
僕たちのクラスは三十四人。
六人の列を六つ並べたら合計で三十六。黒板が見えづらくなる両端の一番前の席を抜かして、ちょうど三十四だ。
そして窓際の二列で十一席。そこに三、四、五列目の一番前の席を加えた十四席が運び出す予定だった机の内訳となる。
席順は出席番号で決まっていて、出席番号一番の圷が窓際の先頭。ただ端の列だから……いや、そうだ、そうなれば簡単だ。
「圷の隣の隣って誰だっけ」
「……下川」
「出席番号は」
「十三だな」
「よかった。帰ってくるのを待てば、――と」
噂をすればなんとやら。
まぁF組まで往復する時間はもう覚えている。そろそろだろうとは思っていた。
「おん? 俺? どったー?」
どうやら自分に用があるらしいと気付いた下川がおどけてみせた。
「追加で運び出すことになった机、どっちが下川のか分かる?」
「え? 俺のだっけ?」
そこからか。
折角解決したと思ったのに、と頭を抱えかけた直後、ほっと胸を撫で下ろす。
「あ、こっち。これこれ。俺の」
「なんで分かんの?」
と聞いたのは圷だった。
下川は僅かに躊躇うような顔をしたが、すぐに大したことでもないと気付いたのか、椅子がどかされて露わになっている机の天板を指差した。
カッターか何かで彫られたと思しき、歪な文字列。英語かな。
読もうとして、途中でやめた。
「ふざけんじゃねえぞ」
「俺じゃない俺じゃない! 元々書いてあったんだって!」
「先生方も気付いてほしいね。……まぁ、女子の席になってなくてよかったよ」
「マジで」
ちょっと目に余る下ネタだった。
とまれ問題は解決である。
「マステ持ってきてもらえる?」
「ちょい待ち。なーえー! マステ取ってー!」
呼ばれた佐々木が程なく走ってきた。
マステことマスキングテープで、天板にDの字を描く。曲線にするのも面倒だから、ほとんど横向きの三角形だけど。その下にもう一本適当な長さにマスキングテープを貼って、机の持ち主の名前を書き込む。
出席番号の十七番は土井だった。下川が覚えていたのだ。自分の列の一番後ろ、プリントなんかの回収をするから。
ということは、D組はた行の苗字が少ない。
どうでもいい気付きを得ながら、伝統様式の机と椅子のセットを作った。椅子の裏にも同じくマスキングテープを貼る。あとは単純作業だ。圷たちには他の作業に戻ってもらった。
ビニールテープを机の天板の下に通し、上下逆さまになった椅子の上で結ぶ。
「貸せよ」
不意の声。
有り難い話だ。マスキングテープを渡せば、同じように貼ってくれる。
「上手くやってんだな」
ぽつり、青柳が呟いた。
「みんな高校生だね。立場が人を作るとはよく言う」
「……? なんて意味の言葉?」
「そのままだよ。もう高校生になった。自分は中学生じゃない。そういう意識が芽生えて、共有されて、みんな大人になっていくんだと思う」
「そういうもんか?」
「どうだろう。なんせ、まだ四ヶ月だ」
「あぁ、そうか」
ビニールテープを一周させて。
青柳の手が強く、強く、それを結んだ。
「もう四ヶ月も経つのか」
あぁ、そうか。
一瞬前の青柳の声が脳裏に繰り返された。
パーカーなんて暑くないのかと思っていたけど、もしかしてあれは……。
いや、よそう。
なんの根拠もない、想像でしかない、余計な詮索。
「悪いね。手伝わせて」
「これだけだ」
「この後はどうするの?」
「どうすんだろ」
らしくない声だった。
それで、ふと見やってしまう。目が合った。何か言おうとして、彷徨った口元。
「適当にその辺ほっつき歩いてるかな。この感じなら、一々気にする奴もいないだろ」
視線は青柳の方から外された。
机を持ち上げ、先に行く。どこに持っていけばいいのかは、下川たちを見て覚えたらしい。
僕はあまり、独り言を零す方じゃない。
だから今、浮かんだ言葉も声には出なかった。
らしくないって、どの口が言ったんだろう。
いつもの教室。
けれど全く違う光景。
普段の席順を意識したのかしないのか、コの字型の通路にほとんど好き勝手に陣取ったホームルームの時間、担任の話に耳を傾けている生徒がどれほどいたか。
奥田やら渡辺やらが書かされた月ごとの絵の他、この四ヶ月の授業で書いたり作ったりしてきた成果物が目に付いた。どこかから借りてきたマネキンに掛けられたエプロン、学校周辺の飲食店とそのオススメポイントが書き込まれた地図。
必死になって準備した割に、その出来栄えは赤点ギリギリといったところだろう。
小学校の自由研究展示かと思うほどに統一性のない、言ってしまえば有り合わせに近いような代物。
目玉のタイムラプス動画が完成していたら違ったのかもしれないけど、何もかもが場当たり的すぎた。むしろ形になっただけ御の字と言うべきだろう。
「まぁこんな教室で長々話しても疲れるだけだろうし、少し早いけどホームルームを締めるとしようか」
不意に教室中の意識が一点に集まる。
下校。夏休みと週末に次いで高校生が好きなものだ。特に今日は格別である。
「この後、第一体育館とグラウンドにて前夜祭が行われる。参加は自由だが、ほとんどの生徒が参加することだろう。そして例年、少々盛り上がりすぎる生徒が出てくる。盛り上がるのはいいが、羽目を外せば文化祭そのものが中止になる可能性があることを頭に入れておくように」
具体的には煙草に酒、あとは男女のあれこれか。
その辺りは冗談抜きで一発アウト、当日だろうが二日目からだろうが中止になる可能性はある。
「……と、もう一つ」
ともあれ分かりきっていた忠告だった。
さっさと体育館に行こうと勇み足しかけた面々に釘を刺すような言葉が付け加えられる。
「一昨日の夕方から夜にかけて、本校の生徒が暴力事件に巻き込まれた。相手は学生でもなんでもない。成人した大人だ。場所は駅と、具体的には分かっていないがその周辺。見回りは強化しているが、前夜祭が終わったらすぐに帰るように」
そこで言葉を切ると、担任が手を打ち鳴らした。
「繰り返す。見回りを、強化している。言っている意味は分かるな? それじゃあ、解散」
結局のところ、本命は『羽目を外すな』。
可能性は低いであろう不良より、目を離せば一組か二組はやらかしそうな問題の方が学校としては怖いのだろう。そもそも子供のおいたでは済まず、そちらも事件に発展する可能性はあった。
注意しすぎるということもあるまい。
まぁ、僕に何ができるわけでもないし、何かする理由もなければ立場もない。
行き先は体育館じゃないけど、僕も僕でさっさと向かうところに向かうとしよう。
「あ、ミッキー!」
その僕を呼び止める声。
目を向ければ、果たしてといった面子が揃っている。津久井と圷、下川と金田、そして佐々木。
「あの……えっと、なんだけど、ミッキーはやっぱり」
「一足先に帰らせてもらうよ」
「まだ駅にいんの?」
佐々木に代わって口を開いたのは圷。心配は勿論しているんだろうけど、それと同時に訝る声音でもあった。
「用心に越したことはない、かな。それに……」
本人がいないところで言うべきかは少し悩む。
いや、本人がいたらいたで絶対に言ってはいけないことになるのだが、尚更そんなことを本人抜きで喋っていいものかどうか。とはいえ言うべき理由もあるわけで。
少し間が空いてしまったが、佐々木も圷も、それ以外も口は挟まなかった。それで意を決する。
「ああ見えて青柳も女子だからね。怖い思いもしただろうし。あれが人に避けられるのは自業自得だけど、知らない仲じゃないのに見て見ぬフリもできないでしょ」
そこまで言えば、引き止めてくる声もない。
それじゃ、と簡単な挨拶をして一足先に廊下に出る。
幾らかの罪悪感はあった。
そもそも佐々木たちと仲が良いわけでもなく、高校生のお祭り騒ぎで一緒に盛り上がれる質でもないのに、わざわざ前夜祭に出るのも億劫というか、正直に言うと時間が勿体ない。どうせ三年生版の津久井や佐々木みたいな連中がはしゃぎ回る舞台だ。
我ながら都合の良い言い訳に青柳を使っただけに感じなくもない。
勿論、青柳を案ずる気持ちも嘘ではないけど。
ただそれだけではないような、妙な感覚が腹の底にあるような気もした。ような、ようなと何もかもが曖昧模糊。
らしくないと言われてしまうのも頷ける。
……なんて、そんなことを考えていたら長くもない廊下が終わっていた。
少し早い、という担任の言葉は正しかったようで、一年A組はまだホームルームの途中らしい。後ろのドアの窓部分から中を覗き込み、普段とほとんど変わらない配置でいつも通り着席しているA組の面々を見やる。
いなければ諦めるつもりだったけど、いた。
見つけて程なく、全員が起立する。訂正。見つけた一人を除く全員が起立し、ほとんど頭を下げない礼をした。
ここに立っていたら邪魔だ。
ドアから離れて待つことしばし。
前夜祭へと向かう人の波が収まった頃、入れ替わりで教室に踏み込んで、何をするでもなく座り込んでいる青柳の隣に立つ。
「お疲れ」
ちらり、呆れた眼差しが返された。
「物好きだな」
「前夜祭って柄じゃないんだよ」
「仲良しこよしって柄でもないだろ」
言いながらも、追い払うような素振りも見せない。
立場が人を作る。
初めて言ったのは誰だろう。誰であれ偉業を成したのであろうと思わせる格言だ。
僕も青柳も高校生だ。
通えと言われるがまま通っていた中学の頃と、同じでいられるはずもない。
「そういえば、明日は来るよね?」
できるだけ何気ない風を装ってみた。
きっと見抜かれているのだろうけれど、それでも青柳は鼻を鳴らす。
「なんか奢れ」
「三年生がワッフルやるらしいね」
「他は?」
「見て回る?」
「柄でもねえ」
「それじゃあ朝、駅でコーラでも」
「紅茶にしてくれ」
「朝なのに?」
「どっちでもいいだろ」
教室を出て、階段を降りる。
玄関を出て、校門を出て。
途中で見知った顔を何度か見かけたけど、声を交わすでも目配せするでもなく通り過ぎ。
駅に着き、誰もいない改札前に安堵し、電車に揺られ。
この三、四ヶ月で早くも馴染みとなった我が家の最寄り駅に、いつの間にか着いていた。
――送っていこうか?
別れる直前、ふと投げかけようとした一言。
それを飲み込んだ理由に首を傾げていたら、家だった。
玄関ではなく、台所に立っていた母さんが怪訝そうに振り返り、なんとも間抜けなことを口にする。
「文化祭って明日じゃないの? 前夜祭は?」
「出る理由、あると思う?」




