閑話 祭りの裏側、防波堤の孤独
夜も更け、リビングの喧騒がようやく静まり返った頃。自室のベッドに潜り込んだ結愛は、青白く光るスマホの画面を睨みつけ、絶え間なく動く指先で「戦い」を続けていた。
彼女の脳内にあるのは、兄への呆れと、それを上回る危機感だ。
「……もう、本当にお兄ちゃんは。無自覚に世界を燃やしすぎなんだってば」
彼女がまず行ったのは、自身の公式アカウント――読者モデルとしての顔――での「火消し」だった。兄の家の場所が特定されそうな流れを察知し、先手を打って投稿を投下する。
@Official_YUA(認証バッジ)
「トレンドのあの人たち、実はお兄ちゃんの大学の関係で今日一日ご一緒してた留学生の方々です♪ 撮影のお手伝いで私も少しお会いしましたが、日本語があまり得意ではないので、どうか駅や道で見かけても追いかけたりしないでくださいね(>_<) 彼女たちのプライバシーを守ってあげてほしいです……!#駅前の女神 #お願い」
読者モデルとして培った「お願い」の体裁を借りた牽制。これにより、暴走気味だった特定班の動きを「彼女たちはゲストであり、追い回すのはマナー違反」という空気へ誘導していく。結愛なりの、兄を守るための防衛ラインだった。
しかし、火を消そうとすれば別の場所で火の手が上がるのが世の常である。
ブブッ、とスマホが震えた。
通知の送り主は、結愛が以前お世話になった大手ファッション雑誌の副編集長だ。
『結愛ちゃん、お疲れ様。例のトレンドの二人、君のお兄さんの関係者なんだって? アルカナの佐藤さんが興奮して電話してきたわよ。もし可能なら、うちの次号の表紙候補としてコンタクト取れないかな? 紹介してくれるだけでいいから!』
「……ほら、来た」
結愛は思わず天井を仰いだ。続いて届くのは、有名ブランドのプレス担当、さらには新進気鋭のカメラマン。かつて自分が「いつか仕事をしたい」と憧れていた大人たちが、こぞって「あの二人」を求めて自分に縋り付いてきている。
自分たちが必死に積み上げてきたキャリアや序列を、琥珀と紅羽はただ「そこに立っているだけ」で踏み倒し、破壊していく。
それはモデルとして活動する彼女にとって、恐怖に似た絶望であり、同時に抗いようのない「本物」への敬服でもあった。
「留学生なんて、いつまで通じるわけないじゃん……」
ふと、スマホを置き、結愛は兄の部屋がある二階を見上げた。
今頃、あの兄はボロボロのスケッチブックを広げて、二人の神のラインを必死に追っているのだろう。
兄が変な化石を買い集めているのを「キモい」と一蹴してきた。けれど、もしあのアニメから飛び出してきたような美しさが、本当に兄の「執着」と「血」によって形を得たものだとしたら。
「……お兄ちゃんの造形オタクも、極まれば世界を救えるってこと?」
そんなわけない、と自嘲気味に呟いて、結愛は再びスマホの通知欄へ視線を戻した。
明日の大学登校。
彼女たちの美しさが、美大という「美の専門家」たちが集う魔窟に放たれた時、果たして今の火消しに意味があるのか。
結愛は、自分に届いた大量のビジネスメールを既読無視のまま放置し、そっと目を閉じた。
あの狭い四畳半で、指先を泥だらけにしてガラクタを弄っていた兄が、一気に世界を舞台に変えてしまった。
明日、また世界が一段と熱くなる予感に、彼女の心臓は少しだけ速く脈打っていた。




