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血の契約は鼻血から ~封印の古龍をうっかり目覚めさせたら美少女になりました~  作者: 渡部安恵
第1章

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第16話 翡翠色の風

 ゴールデンウィークの朝。結城ゆうき家は珍しく静まり返っていた。

 温泉へと旅立った両親を見送り、朝から仕事と課題に追われて叫びながら家を出た結愛を見送り俺はふうと大きく息を吐いた。


「さて。ようやく俺たちの時間だな」


 創はリビングで所在なさげに待機していた琥珀こはく紅羽くれはに声をかける。

 今日は予定なし。だが、造形屋としての俺の身体は、常に新しい「刺激」に飢えていた。


「散歩がてら、少し遠出しないか。鎌倉まで行ってみよう」


 神々を連れての小旅行。俺はライカとクロッキー帳を鞄に詰め込み、二人の神を連れて駅へと向かった。



@@@@@



 江ノ電の揺れに身を任せながら、俺は心の中で溜息をついた。

 隣に座る琥珀と、その向かいで窓の外を眺める紅羽。ただそこに存在しているだけなのに、周囲の空間だけが「極彩色」に書き換えられている。

 琥珀があの日、関東中の淀みを根こそぎ浄化し、紅羽が生命の活力を注ぎ込んだ副作用だろう。車窓から見える湘南の海は、宝石を溶かし込んだような、物理法則を無視した輝きを放っていた。


 当然、車内の視線は俺たちに釘付けだ。


「マスター。この鉄の箱、人々が発する『感嘆』という名の念が充満しすぎて、少し息苦しいです。浄化の出力を上げても?」


「ダメだ琥珀、これ以上やったら乗客全員が煩悩を忘れて解脱しちゃうだろ。頼むから今は『綺麗な一般人』のフリをしててくれ」


 俺は小声で必死に宥める。

 鎌倉駅を降りると、俺は観光客で溢れかえる小町通りを避け、迷わず裏路地の静寂へと舵を切った。


「ふうん。アタシたちが掃除したおかげで、この辺りのエーテルもいい感じね」


 紅羽は自慢げに笑うと、道沿いの古い民家の屋根を見上げた。


「ねえあらた。あの装飾品(風守り)に土地の精霊が懐いてキラキラよ。アタシの火で、もっと景気よく熱量を足してあげようかしら?」


「やめてくれ紅羽。今くらいが『日常』の限界なんだ。大人しく歩いてくれ」


 淀みが消えた結果、不可視だった精霊たちの存在感が強まっているらしい。神様を伴う散策は、世界のアップデートが速すぎて心臓に悪い。



 だが、そんな俺の緊張を、彫塑ちょうそ家としての「本能」が上書きした。

 住宅街の片隅。ひっそりと掲げられた『古物・骨董』の看板。

 吸い寄せられるようにその薄暗い店内に足を踏み入れ、俺の視線は、棚の隅に置かれた「それ」に釘付けになった。


(……なんだ、このブルーは。吸い込まれる……)


 それは、ガラスケースの端に置かれた、青い鱗のような紋様を持つ化石だった。

 幾重にも重なる鱗の層が、生きているかのように光を屈折させ、複雑な構造美を見せている。その曲線の有機的な完璧さ。


「……これ。いくらですか」


「おや。お目が高いね。五万円でどうだい?」


 老店主の言葉に、俺は迷わず「特務管理基金(魔法のカード)」を取り出した。

 以前の俺なら数ヶ月は悩んだだろう。だが、今の俺には「確信」がある。この造形美の向こう側に、まだ見ぬ何かが眠っているという確信が。


 決済端末の「ピピッ」という軽快な音が、新しい「奇跡」の封を切る音に聞こえた。



@@@@@



「……あらた、いい加減にシャキッとしなさいよ。アンタ、さっきからニヤけすぎてて不審者一歩手前よ」


 戦利品を抱えてホクホク顔の俺を、紅羽くれはが呆れたように急かす。

 気がつけば時刻は一三時を回っていた。俺たちは少し遅めの昼食を摂るべく、住宅街にひっそりと佇む手打ち蕎麦の店に入った。


「マスター。この『ソバ』という料理、穀物の香りと水の清さがじかに伝わりますね。非常に興味深いです」


 琥珀こはくは運ばれてきた十割蕎麦を、エッジの立った麺の断面を確認するように、まずは何もつけずに一口含んだ。じっくりと味わうように目を閉じるその姿は、食材の純度を測定する精密機器のようですらある。


「ここの店主、かなりの凝り性ね。この蕎麦、一本一本に『最高の一杯を出してやる』っていう頑固な情熱がこれでもかってくらい詰まってるわ。こういう想い()は嫌いじゃないわよ」


 紅羽はせいろから立ち上る香りを愛おしそうに吸い込み、満足げに微笑んだ。彼女は料理そのものの物理的な味以上に、そこに込められた作り手の「熱」という名のエネルギーを糧にしているようだった。


 そんな二人を横目に、俺がテーブルの端に置いた化石を再び愛でていると、琥珀がふと箸を止め、俺と石を交互に見つめた。


「……マスター。先ほどからその石を観測していましたが、確信しました。それ、私たちの『同族』の残滓です」


「そうよ。間違いないわ。アタシや琥珀と同じ、『くさび』の一部ね」


 紅羽が楽しそうに、さらりと言ってのけた。


「…………は?」


 絶句した。

 ただの「造形的に優れた化石」だと思っていたものが、まさか神そのものの一部だったとは。

 驚愕は一瞬で通り過ぎ、次にやってきたのは、脳髄を焼き焦がすような狂おしいほどの高揚感だった。


(……琥珀の『静』、紅羽の『動』とは異なる、三柱目の造形美か。この、幾何学的な鱗の重なりから、どんなフォルムが再構成されるんだ? どんな黄金比のプロポーションを、その硬質な殻の中に隠してるんだ……!?)


 彫塑ちょうそ家としての血が、ドラムを叩くように沸き立つ。次はどんな「究極」がこの世に顕現するのか、その輪郭を想像するだけで胸が張り裂けそうだ。


 この瞬間から、蕎麦の味など記憶の彼方へ吹き飛んだ。一刻も早く工房に帰り、この『美の原石』に自分の血を注ぎ込みたい。この封印を解き、未知の曲線に触れたいという渇望に支配される。


 俺の異常な気迫を察したのか、琥珀は「理解しました」と言わんばかりに優雅に頷き、紅羽は「はいはい、わかったから」と最後の蕎麦を堪能して愉快そうに笑った。

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