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血の契約は鼻血から ~封印の古龍をうっかり目覚めさせたら美少女になりました~  作者: 渡部安恵
第1章

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閑話 内閣府直轄・異質事象対策課・吉田の週末

 銀座の街並みを見下ろす、洗練された喫茶店の窓際。

 そこに座る吉田よしだの姿は周囲の風景に見事に溶け込んでいた。


 かつてのような激務でシワの寄ったスーツではない。職務質問を避けるために選んだのは、トレンドを意識したカジュアルなセットアップだ。トレードマークだった不審な双眼鏡は、当然ながら鞄の奥底に封印されている。今や彼は、休日を優雅に楽しむ一人の若手社員……に見えるはずだ。


「……平和だ。実に平和だ」


 吉田はコーヒーを口に含み、窓の外にある『サルトリア・オリーベ』の重厚なエントランスを遠巻きに観察した。

 店から出てくる結城ゆうき一家の姿が見える。彼らは皆、どこか晴れやかな顔をしていた。どうやら買い出しは成功したらしい。神々が街に奇跡を振りまいている気配は皆無だ。


「よし、今度の報告書は徹夜をしなくて良さそうだ」


 吉田は安堵の息を吐くと、手持ちのスマートフォンを取り出した。

 数時間後の交代まで時間はたっぷりある。彼は慣れた手つきで、最近流行りのスマホゲームを立ち上げた。神々の動向を監視するという胃の痛くなるような任務の合間、これだけが彼にとっての唯一の癒やしだった。


 やがて、移動した一行が老舗洋食店『銀座 松風』の暖簾をくぐるのが見えた。

 窓越しにのぞく店内の様子は、温かな湯気に包まれ、皆が楽しそうに食事をしている。


「……うまそうだな」


 吉田は思わず独りごちた。完璧な焼き加減のオムライス。湯気の向こうで、神々すらも人間と同じように笑っている。

 あの店のオムライスなら、自分も今度、非番の日にでも食べに来よう。吉田はスマホにメモを残し、心の中で『銀座グルメリスト』を更新した。



@@@@@



 数時間後。異質事象対策課のオフィスに戻った吉田は、パソコンに向かって今日の報告書をまとめていた。


「『対象、結城創は家族および神格存在二柱と共に銀座にて衣類の調達、および食事を遂行。特筆すべき異常なし。社会的一体化は極めて順調と判断される』……よし」


 キーボードを叩き終えた吉田は、コーヒーを啜りながら、最後に添付されたカード決済の利用履歴に目を通した。


「さて、経費処理っと。……ん?」


 モニターに表示された数字を見て、吉田の手が止まった。

 一桁、二桁……いや、単位が違う。今日一日で、結城家が洋服と時計、そして食事に使った金額。それは、吉田の数年分の給与に匹敵する額だった。


「……あ、あれ? これ、本当に……この金額?」


 嫌な汗が背中を伝う。

 確かに室井課長からは「好きにしていい金だ」と言われていた。国家予算という名の巨大な金の蛇口。管理費として使い切らなければならないというのは理解している。


 だが、実際にこの目で叩き出された数字を見ると、理屈とは別に生理的な恐怖が込み上げてくる。


「か、課長……! これ、僕が管理していい額じゃないです! 心臓が持ちません!」


 静かなオフィスに、吉田の悲痛な叫びと、マウスを握りしめる手の震える音が響いた。

 彼はまだ知らない。この『贅沢な日常』が、今後も定期的かつ大規模に発生し続けるという未来を。


 吉田の穏やかな胃薬生活が終わりを告げようとしていることを、本人はまだ微塵も予感していなかった。

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