プロローグ 数千万年の沈黙、一滴の衝動 後半
プロローグ 後編
「……んで。気がついたら、こうなってたんだ」
四時間後。
俺は、半壊した部屋から何とか持ち出したボロボロの鞄を抱え、ブカブカの俺のパーカーを一枚だけ羽織った彼女――琥珀を連れて夜道を歩いていた。
部屋は「原因不明の衝撃」として処理された。
三日不眠の頭で「龍が出た」と繰り返す俺は、警察には「ヤバい実験に失敗した学生」、医者には「過労による幻覚患者」として扱われ、厳重注意の末に放り出されたのだ。
手元には、フリマの石に全財産を注ぎ込んだ空の財布。そして、俺のパーカー一枚を羽織った「元・龍」の少女。
深夜の路上、帰る場所を失った俺に残された選択肢は、一つしかなかった。
こいつを、どうやって家族に説明するか。俺は胃をキリキリと痛めながら深夜の住宅街を歩いた。
「……マスター。先ほどから、じっとこちらを見ていますが、私の姿に不備でも?」
不意に、プラチナブロンドの髪が月光を浴びて、神聖なまでの銀色に輝く。
視覚情報が脳の処理能力を超えてくる。美大生として、この「造形」を凝視せずにはいられない。だが、俺が今見ているのは、彼女の向こう側にある「常識の崩壊」だ。
「不備なんてレベルじゃない。……お前、名前は?」
「名前……。悠久の眠りの果てに、名という概念を忘却いたしました」
月光を反射する白金髪。先ほどの巨大な龍の姿が嘘のような、華奢で完璧なシルエット。だが、その肌の白さは大理石の冷徹さを持ち、揺らめく白金の髪は、光の角度によって黄金の神々しさと銀の神聖さを交互に宿す。
それは、美術の歴史がどれだけ足掻いても到達できなかった、生命という名の「究極の完成形」だった。三日間練り上げた課題のデッサンなど、これに比べればただの落書きに過ぎない。既存の絵具では、この彩度を再現することすら叶わないだろう。
俺は、脳内にある色彩と造形の辞書を、血を吐くような思いでめくった。この「美」に、この「格」に相応しい言霊を。
「お前の真名は……『央帝』だ」
俺の言葉に、彼女のアンバーの瞳が微かに揺れる。
「央……世界の中心、すべての座標の原点。そして、揺るぎない理を敷く帝。お前が持つ、大地のように重厚で、万物を跪かせる絶対的な『格』のイメージだ。始まりの龍に相応しい、世界の重みを込めた」
俺は一呼吸置き、じっと俺を見つめる彼女の瞳――数千万年の時が結晶化したような、深く、熱い輝きを放つその中心を指差した。
「でも、その名前はあまりに高貴すぎて、この現代には少しだけ重すぎる。……だから、普段は『琥珀』と呼ばせてくれ」
「コハク……」
「太古の樹脂が、気の遠くなるような時間をかけて宝石へと昇華されたもの。あんたが化石の中で眠り続けてきた、その『悠久の時間』そのものだ。瞳の色は、俺がキャンバスの上で一生かけても再現できない、最高に純粋なアンバーだ」
その瞬間だった。
夜空の静寂を、暴力的なまでの紫電が切り裂いた。
「な、なんだ!? 雷!?」
「マスター。今、あなたの言霊によって、私の魂に新たな定義が刻まれました。……『琥珀』。素晴らしい名です。礼として、この大気を満たす力を少しばかり励起させました」
満足げに胸を張る彼女の指先から、バチバチと紫の火花が散っている。
さっきまでの神々しさはどこへやら、喜びのあまり出力を間違えた龍の「お礼」はあまりに過剰だった。
「琥珀、あれは『名付け』に感動の演出にしては過剰すぎる! 現代のインフラは龍の力に耐性なんて備えてないんだよ!」
頭を押さえながら、さらに歩くこと数十分。
ようやく見えてきた我が家の門。俺は意を決して玄関のチャイムを鳴らした。
「はーい……あら、創! 連絡もなしに……って、その子は?」
出迎えた母の目が、俺の隣で無表情に立つ絶世の美少女に釘付けになる。
「……母さん。信じられないと思うけど、フリマで買った石に鼻血をかけたら、こうなったんだ」
不眠でバグった脳が、フィルタリングを通さずに最短距離の事実を吐き出した。
直後、背後から父親と、そして……何より恐ろしい妹の気配が迫ってきた。
「ちょっとお兄ちゃん、何そのファンタジーな言い訳!? てか、なんでその人、お兄ちゃんのパーカーしか着てないのよ! 生足、めっちゃ生足じゃん! ……待って、それ絶対下になんも履いてないでしょ! 変態! 警察!? 警察呼ぶよ!?」
結愛の絶叫が夜の住宅街に響き渡る。
俺の「日常」は、この瞬間、音を立てて完全に崩壊した。
◇◆◇ 長いので分割しました ◇◆◇




