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血の契約は鼻血から ~封印の古龍をうっかり目覚めさせたら美少女になりました~  作者: 渡部安恵
第1章

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閑話 内閣府直轄・異質事象対策課の最も長い一週間 その2

【三日目〜四日目:カフェインの泥濘と狂気の境界線】


 内閣府地下、第四会議室の空気は、もはや酸素よりも「微細な粉末コーヒー」と「強烈な合成甘味料」の粒子の方が濃いのではないかと思われた。

 

 デスクの上には、ラベルを剥ぎ取られたエナジードリンクの空き缶が、まるで要塞の防壁のように積み上げられている。その隙間から覗く室井課長の顔面は、土気色を通り越して、もはや古びた羊皮紙のような質感を呈していた。


「……三本目だ。吉田、三本目を持ってこい。翼を授かるやつじゃなくて、心臓に直接火を点けるような、もっとえげつないやつをだ」


 室井は震える手でパソコンのキーボードを叩く。指先が微妙に震えているのは、使命感ゆえではない。致死量寸前のカフェインによる神経の悲鳴だ。

 

 その横では若手の吉田が、高級栄養ドリンクの小瓶を逆さにして、最後の一滴を乾いた舌の上に落としていた。彼の目の下にはプロのボクサーが殴られたような黒々とした隈が居座っている。


「課長……もう、文字が読めません。報告書のフォントが琥珀色に見えて、ときどき紅い火花を散らして踊るんです。これ幻覚ですよね? 僕、まだ人間ですよね?」

「安心しろ吉田。幻覚が見えるのは、お前の脳がまだ現実を拒絶できるほど健康な証拠だ。……俺を見ろ。俺にはもう、この真っ白な『却下印』が、結城創の冷笑に見える」


 彼らがこの48時間で摂取したカフェイン量は、並の人間なら三回は救急搬送されているレベルだった。だが、彼らを突き動かしているのは、もはや薬理作用ではなく、「この状況を誰かに理解させなければならない」という呪いにも似た執念だった。


 四日目の深夜二時。報告書は第十四版に達していた。

 

 内容はもはや行政文書の体をなしていない。

『対象者を中心に都心部のPM2.5濃度がゼロを記録』

『随伴する個体・琥珀こはくが微笑んだ際、不治の病とされた入院患者十二名が、病院の中庭でスクワットを開始』

紅羽くれはが苛立ちを見せた瞬間、地質学的に存在しないはずの局地的な熱風が発生、都内の放置車両の錆が一瞬で焼き切られ、新車同様の輝きを取り戻す』


「課長、これ……上に持っていったら、また『精神科へ行け』と言われるだけですよ……」

「わかっている。だが、書かないわけにはいかないだろう! 今この瞬間も、地球の物理法則が二柱ふたはしらの気まぐれで書き換えられているんだぞ! 俺たちが記録を止めれば、この世界は本当にラノベの異世界に呑み込まれて消える!」


 室井は、最後の一缶をパチンと開けた。

 刺激臭が鼻を突く。もはや味などわからない。ただ心臓を無理やり動かすためだけの燃料だ。


「いいか吉田。俺たちはエリートだ。国家の安定を守る防波堤だ。……たとえ、防波堤の向こう側で神様がピクニックをしていようが、俺たちはこの泥水を啜りながら、最期までそのお遊びを監視してやるんだ。俺たちはこの泥水を啜りながら、最期までそのお遊びに注釈ルビを振り続けてやるんだ」


 そのとき、吉田が不意に、虚空を指差して呟いた。


「……あ、課長。あそこに琥珀さんがいます。……『お疲れ様』って、僕のコーヒーに、キラキラした粉を入れてくれてます」

「馬鹿を言うな。それはただの砂糖だ。……いや、待て。……俺のにも入れてくれているぞ……?」


 二人の官僚は、誰もいない会議室で、幻の女神に向かって深々と頭を下げた。

 そのあまりに情けなく、しかし気高い「国家の犠牲者」たちの背中を、深夜のLED照明が無情に照らしていた。



@@@@@



【五日目:超法規的「泥棒」作戦】


 午前二時四十五分。内閣府地下、第四会議室の照明は、電力節約という名目のもと半分が落とされ、不気味な薄暗がりに沈んでいた。

 室井課長は、ディスプレイの青白い光に照らされ、まるで悪魔と契約を交わす老魔術師のような形相で端末を睨みつけていた。


「……吉田。財務省の『緊急予備費』と官房機密費の『特別調査枠』……それから、各省庁が使い残した『不用額』の残骸をすべてリストアップしろ。一円たりとも見逃すな」

「……課長、本気ですか。こんな、帳簿の隙間から小銭をかき集めるような真似をして……。これ見つかったら即、懲戒免職ですよ。下手したら新聞の社会面に載ります」


 吉田が震える手でカフェイン錠剤を口に放り込み、強炭酸水で流し込む。喉が焼けるような刺激も、今の彼には心地よい「生の実感」でしかなかった。


「馬鹿を言え。上層部が『美大生のラノベ妄想』だと切り捨てるなら、我々も『妄想の予算』で動くしかないんだ。いいか、これは国費の横領ではない。……世界が『結城創』という特異点に呑み込まれる前に、彼をこちら側に繋ぎ止めるための『くさび』を鋳造する作業だ」


 室井の指が、キーボードを叩く。それはかつて「将来を嘱望された若手官僚」と呼ばれた男の、精密かつ迅速なタイピングだった。


「防衛省の……『新型煙幕弾開発費』の端数。農水省の『休耕地土壌改善助成金』の予備。それから……これだ。外務省が隠し持っている『国際親善用機密報償費』。……これらを一箇所の休眠口座へ集約させる」

「……あ、あの……課長。今、画面に『警告:アクセス権限が不足しています』って出ましたけど……」

「お前のIDを使え。若手の『操作ミス』なら一晩は稼げる」

「ひどい!!」


 午前四時。

 画面上の数字が、ついに『一億に千万』に到達した。

 日本の国家予算、一般会計百兆円超からすれば、それは砂浜の一粒に過ぎない。しかし、一人の大学生の玄関先に叩きつける「迷惑料」としては、国家の執念そのものだった。


「……集まったな。あとは、夜が明けたら日本銀行の地下金庫に繋がるルートで現生げんなまを引き出す。……吉田、アタッシュケースは一番頑丈なやつを用意しろ。それも、中身が1億超えだとバレないような、それでいて『ただ事ではない』重厚感があるやつをだ」


「……課長、僕、もう……手が震えて、ケースの鍵をかけられる自信がありません」

「安心しろ。十二キロの重みがお前の震えを止めてくれる」


 窓のない地下室。

 国家を欺き、法律を跨ぎ越し、彼らはついに「神」に差し出す供物を完成させた。

 室井は、最後の一缶となったエナジードリンクをゆっくりと開け、空に向かって……いや、数フロア上の「無能な上司たち」に向かって、静かに中指を立てた。



@@@@@



【六日目:黄金の津波と、折れた理性の鉛筆】


 午前八時四十五分。内閣府地下、第四会議室。

 室井課長は、一億二千万円の「貢ぎ物」が詰め込まれたアタッシュケースをデスクに置き、それを枕代わりに浅い眠りに落ちていた。だが、その微睡みは吉田の絶叫によって無残に引き裂かれた。


「課長! 起きてください! 地質調査所と経産省から同時入電、緊急レベル・レッド! いえ、これは……『レベル・ブラック』です! 資源統計のサーバーが計算不能で焼き切れました!」


 室井は跳ね起きた。充血した目にモニターが映し出す日本地図が飛び込んでくる。そこには、かつて「枯れた」はずの古い鉱山跡が、不気味なほど鮮やかな黄金色のドットとなって点在していた。


「……なんだ、この数値は。センサーの故障か?」

「いえ! 地震波、磁気、重力測定、すべてが一致しています。日本中の廃金山に、突如として『純度99.9%の金鉱脈』が再構成されました。それだけじゃない……レアアース、リチウム、プラチナまでが地層を突き破る勢いで増殖しています!」


 室井の顔から血の気が引いた。

 普通の官僚なら「日本の資源大国化」に狂喜乱舞するところだ。だが、この異常事態の「中心点」を知る彼は恐怖で奥歯が鳴った。


「中心は……どこだ」

「……結城邸です。彼らが昨日、アイスを買いに出かけた散歩ルートの『真下』を通る鉱脈だけが、ピンポイントで黄金に書き換えられています。……課長、これ、一晩で日本の対外債務がチャラになる額ですよ」


 琥珀こはくが歩き、地脈の淀みを清めた。

 紅羽くれはがその後を追い、大地の生命力を加熱した。

 神々の「散歩」の余波が、地球という天体の組成を強引に変換し、数百億、数兆円規模の富を勝手に産み落としてしまったのだ。


「課長! 経産省が『これは神風だ! 令和の黄金の国ジパングの復活だ!』と叫んで、既に採掘の特別予算案を作成し始めています! 閣僚会議も招集されました!」

「馬鹿者が……! 毒だ、それは甘い毒だぞ!!」


 室井はデスクを叩き、アタッシュケースをひっ掴んだ。

 

「いいか吉田、よく聞け。彼らにとって、金鉱脈を作るのは『通りすがりに花を咲かせる』程度の行為だ。そんな無自覚な神気にこの国が依存してみろ。彼らが飽きてこの国を去った瞬間、日本の経済はバブルどころか、地殻ごと崩壊するぞ!」


 室井は震える手でスーツのネクタイを締め直した。連日の徹夜とカフェインで、もはや立っているのが不思議な状態だったが、瞳には狂気にも似た使命感が宿っていた。


「……行くぞ、吉田。経産省がしゃしゃり出て事態をややこしくする前に、我々が結城創ゆうきあらたを『買収』……いや、『説得』する。この一億二千万を叩きつけて、『これ以上の改造は勘弁してください』と泣いて縋るんだ。せめて、せめて一ヶ月……。一ヶ月でいいから、この国の物理法則を休ませてくれと!」

「……課長。このケース、十二キロありますよ。持てますか?」

「持てるさ。……これは金札じゃない。この国が『人間だけの国』であり続けるための、最後の重りだ」


 地下駐車場へ向かう二人の足取りは、重く、しかし決死の覚悟に満ちていた。

 地上では、そうとは知らない都民たちが、かつてないほど美しく澄んだ青空を見上げ、「今日はいい天気だな」と呑気に笑い合っていた。その足元に、天文学的な価値の黄金が眠っているとも知らずに。



@@@@@



【七日目:神の家の玄関先にて】


 晴天。都内の大気は、精密機器のクリーンルームよりも清浄に澄み渡っていた。

 閑静な住宅街。結城家の古びた門扉の前に、死相の出た二人の男が立っていた。


 吉田の手には、ズシリと重い黒のアタッシュケース。室井の手には、何故か「最高級虎屋の羊羹《菓子折り》」が握られている。


「……吉田。いいか、あくまでも腰を低くだ。我々は『一週間分の迷惑料を持ってきた、気のいい近所の公務員』を演じるんだ。絶対に『お前たちがやっていることは国家存亡の危機だ』などと口走るなよ。……もし琥珀こはく様や紅羽くれは様が不機嫌になったら、この街どころか日本列島が消えると思え」

「わかって……わかってます。……でも、課長。インターホンを押す指が、言うことを聞きません……」


 ピンポーン。


 無機質なチャイムの音が、静かな住宅街に響く。

 その瞬間、二人は感じた。家の中から漏れ出してくる、圧倒的なまでの「清浄な気」。数百万年の時を一瞬で飛び越えるような、生命の源流そのもの。


ガチャリ、と扉が開いた。

 現れたのは、結城創ゆうきあらたの母親だった。エプロン姿で、手には掃除用のアクリルたわしを握っている。


「……はい? どちら様でしょう」


 その瞬間、室井と吉田は、かつてないほどのプレッシャーに晒された。

 母親の背後――リビングの奥から、黄金の髪をなびかせた琥珀が「あら?」と顔を出し、その横から深紅の瞳でこちらを無機質に射抜く紅羽が、まるで外敵を品定めするかのように凝視してきたからだ。


(ヒッ……!)


 一瞬で背筋に氷を流し込まれたような恐怖。室井と吉田は、反射的にアスファルトに額を擦り付けた。土下座を超えた、もはや生存本能による「平伏」だった。


「ひえっ!? な、何!? ちょっと、あなたたち大丈夫!?」


 母親の悲鳴のような驚き。

 無理もない。高級スーツを着たいい大人が二人、朝っぱらから玄関先で地面にめり込んでいるのだ。


「……ない、内閣府から参りました! 本日は、その……息子さんの、日頃の多大なる『環境改善』への感謝と……さ、ささやかなボーナスをお持ちした次第でして……!」

「ボーナス? 内閣府? ちょ、ちょっと待ってくださいね! 創! 創、起きなさい! 大変よ、なんか凄そうな人たちが玄関で土下座してるわよ!」


 母親が慌てて奥の階段へ駆け上がっていく。

 取り残された二人のエリートの目の前には、玄関マットを踏み締める琥珀と紅羽の、人間離れした美しすぎる素足があった。


「よし、吉田……ケースを……」

「は、はい……」


 一億二千万円が詰まった重厚なアタッシュケースが、震える手で差し出される。


「……えーっと。なんなの、これ」


 数分後、階段を下りてきたTシャツ姿の結城創が、眠そうな目を擦りながら首を傾げた。

 国家の命運を賭けた、世界で最も「情けない」買収工作が、こうして幕を開けた。

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