閑話 内閣府直轄・異質事象対策課の最も長い一週間 その1
【一日目:パニックと埃を被ったアラーム】
内閣府庁舎の地下深く。
そこには、表向きの組織図には決して載らない部署が存在する。
「内閣府直轄・異質事象対策課」。
かつて日本各地でささやかれた八百万の神や怪異、オーパーツの類を監視・収容するために設立された機関だ。
「……はぁ。また全クリしちゃったよ」
課員の吉田(二十四歳・新人)は、薄暗い部屋で携帯ゲームの画面を見つめ、大きなあくびを漏らした。だが、その瞬間。
――ジリリリリリリリリリリ!!!!!
鼓膜を突き破るような警報音が、地下室の沈黙を粉砕した。部屋の隅で神棚のように鎮座していた「神性エネルギー検知器」。最後に針が動いたのは百年前。真鍮製の針が、限界を超えて文字盤を叩き、激しく火花を散らしている。それはかつて『神風』や『帝都の霊的防衛線』を観測するために作られた、アナログだが最も信頼のおける遺物だった。
「うわぁっ!? な、なんだ!? どこだ、火事か!?」
慌てて椅子から転げ落ちた吉田は、音の発生源を見て目を見開いた。
それは、部屋の隅で神棚のように鎮座していた「神性エネルギー検知器」だった。最後に針が動いたのは百年前、公式記録によれば「空襲で装置が揺れただけ」と言われている代物だ。
真鍮製の針が、限界を超えて文字盤を叩き、火花を散らしている。それはかつて『神風』や『帝都の霊的防衛線』を観測するために作られた、アナログだが最も信頼のおける遺物。それが今、一人の美大生の目覚めによって悲鳴を上げている。
「……えっと。アラームが鳴ったけど、なにこれ? 故障?」
吉田は寝ぼけ眼をこすりながら、スマホで先輩の田中に連絡を入れた。
『吉田ぁ? 休み中に何だよ……え、アラーム? ああ、それ隣の工事の振動だろ。適当に叩いて止めとけ』
全く相手にされない。仕方なく、吉田はマニュアルを引っ張り出し、さらに上の上司――室井課長に報告を回した。
数分後。
バァン!!と防音扉が蹴破られるような勢いで開いた。
「課長!? どうしたんですか、そのフル装備!」
現れた室井は、寝癖だらけの頭にネクタイを鉢巻のように締め、脇にはボロボロになった極秘マニュアルを抱えていた。その瞳は、カフェインと焦燥で血走っている。
「……吉田、計測値を見ろ。この波形、この周期……間違いない。マニュアル第十七章、『神格位・原初の光』の覚醒だ!」
「えっ? 覚醒って、何がですか?」
「いいからモニターを出せ!!」
室井が端末を叩くと、日本地図の上に真っ赤な巨大な円が描かれた。
「なっ……なんだこのエネルギー反応は! 原発七基分!? 奴らが……数百年ぶりに『神』が、この極東の地に再起動したというのか!?」
「げ、原発七基分!? 課長、これ、場所はどこですか!? 皇居? それとも富士山?」
吉田が震える指で座標を特定していく。地図が拡大され、ピンポイントで場所が示された。
「……特定しました。えっと。世田谷区……の、古びた学生アパートの一室です」
「……は?」
室井が固まった。
国家を揺るがす未曾有のエネルギー反応。それが、家賃四万五千円(管理費込み)のボロアパートから発生している。
「待て、さらにもう一点、局地的エネルギー反応を確認! 場所は……住宅街のど真ん中! 先ほどの反応とは質が違う、これは……『破壊的な熱量』だ!!」
それは、結城創が紅羽を覚醒させた瞬間だった。
創が、美女二人と妹に囲まれて一睡もできない「地獄」に悶絶している裏で、国家の地下中枢はかつてないパニックに陥っていた。
「直ちに調査班を編成しろ! 警察、自衛隊には『特殊演習』と伝えろ! 総理には……いや、まだいい。まずは、その『現場』にいるのが何者か突き止めるんだ!!」
室井の怒号が響く中、吉田は呆然とモニターを見つめていた。
神々の圧倒的な存在感に創が翻弄されているその裏側で、狂乱の夜はすでに幕を開けていた。
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【二日目:10:30 家賃四万五千円のアパート班】
『いいか、これは国家の存亡を懸けた極秘任務だ。一分の隙も許されんぞ!』
室井課長の怒声が響いた対策課本部から一夜。
現場調査員たちは、黄色い規制テープが張られた世田谷区の古びた学生アパートへと急行していた。
「……こちらアパート班。現場に到着。……報告します、既に『事後』です」
アパート周辺を封鎖し、ガス漏れ点検を装って集まった調査員たちは、現場の惨状を前にして呆然と立ち尽くしていた。
創の住んでいた202号室。そのドアは、内部からの凄まじい圧力と衝撃によって、まるで内側から巨大なハンマーで叩かれたかのように外側へひしゃげている。
「見てください。このドアの歪み……爆発物による破壊ではありません。空間そのものが膨張したような痕跡です」
残留エネルギーを測定していた技術員が、手元の測定器の針が振り切れているのを見て悲鳴を上げた。
「な、なんだこの数値は!? 課長! 壁面から検出された波形、マニュアル第4章に記された『建御雷』の励起波形と一致します! ガス漏れなんてレベルじゃない、神話級のエネルギーがこの狭いワンルームの中で暴れ回ったような数値です!」
通信機越しに、室井課長の息を呑む音が聞こえる。
『何だと!? バカな、屋内だぞ! 避雷針も機能していない場所で、なぜそんな高出力が……。おい、住人の大学生はどうした! 炭になって転がっているのか!?』
「……いえ、それが。近隣住人の聞き込みによれば……」
調査員は、信じられない報告書に目を落としながら言葉を継いだ。
「『昨日の夕方頃に、なんか銀髪っぽいめちゃくちゃ綺麗な外国人のモデルさんみたいな女の人と、ボロボロの鞄を抱えた兄ちゃんが二人で歩いて行った』……とのことです。兄ちゃんの方は、ピンピンしていたそうです」
『……ピンピン? 神の力を至近距離で浴びて無事だったのか? その大学生、結城創……一体、何者なんだ……』
焼け焦げた畳と無残に砕け散った石膏の粉が舞う部屋。
そこには、一人の美大生が「究極の美」をこの世に繋ぎ止めてしまった凄まじい痕跡だけが、静かに、そして雄弁に刻まれていた。
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【11:30 結城家付近:空振り】
「こちら室井、結城家付近に到着。……ダメだ、もぬけの殻だ」
室井たちが調査を始めたころには、既に結城家の住人は外出した後だった。近所を回って情報を集めたものの、得られたのは「あら、創くん? さっき綺麗な人たちと出かけていったわよ」という、のんびりした返答のみ。
「……作戦変更だ。一度付近の駅前まで引き上げ、昼食を摂りつつ待機する」
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【12:45 駅前:SNSでの捕捉】
駅前の牛丼屋。若手の吉田が、牛丼の並盛りを口に運びながらスマホを眺めていた、その時だった。
「課、課長! これ見てください!」
SNSのタイムライン。数分前に投稿されたばかりの動画には、青空の下、駅前のベンチ付近で激しく明滅する「紫色の雷光」が映し出されていた。
「場所は……ここから二駅先の駅前にあるブランドショップ『アルカナ・モード』の目の前です!」
「なんだと!?」
画面越しでさえ、室井はその光の放つ神々しいまでの圧迫感に気圧された。
天から降り注ぐ紫の雷光は、罪を裁き、穢れを払う「神域」の顕現に他ならない。
「よりによって白昼堂々、あんな御業を……! 急げ、昼飯は中止だ!」
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【14:00 新宿・ブランドショップ:入れ違い】
息を切らして店に突入したものの、そこにいたのは「魂を抜かれたような顔をした店員たち」だった。
「……遅かったか。吉田、店員に接触しろ!」
「はい! ……あの、さっきここにいた女性二人の行き先は……」
「……あ、ああ……。素晴らしい……。あれは服じゃない、光を纏うための器だったんだ……」
店員も客も、強烈な美の暴力にさらされて語彙力を喪失している。
「課長、ダメです。『モデルとして最高』『この世のものとは思えない美貌』といった証言ばかりで、移動手段や目的地のヒントが全くありません!」
「美しさで精神汚染を受けているのか!?」
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【15:00 結城家周辺:監視への切り替え】
日が傾き始め、住宅街に夕闇が迫る。
「……クソッ、後手に回ったな。この時間からの聞き込みはかえって目立つ。方針を変更する。夜間の監視に切り替え、接触の機会を待つぞ」
◆
【20:00 結城家付近・路地裏】
夜の帳が下りる住宅街。少し離れた電柱の陰で、吉田は最新鋭の赤外線サーモグラフィ双眼鏡を構え、結城家のリビングを凝視していた。
「……信じられない。原発数基分のエネルギー体が、あんなに穏やかにリビングで過ごしているなんて。結城創……君は、何者なんだ……」
吉田が通信機に向かって、シリアス極まる口調で報告を入れようとしたその時だった。
「……あ、いたいた。あの人だよ、さっきからずっと電柱の陰でブツブツ言ってるの」
「マジだ、不審者じゃん。超不審者。これTikTokに上げよーぜw」
背後から聞こえてきた、コンビニ帰りの大学生らしき二人組のひそひそ声。スマホのレンズが吉田に向けられる。
「えっ……!? いや、僕は怪しい者じゃ……」
焦って振り返った瞬間、住宅街の静寂を切り裂くように、赤色灯を回したパトカーがスッと吸い込まれるように吉田の横に停車した。
「はい、こんばんはー。ちょっと君、こんなところで何してるのかな?」
「ち、違う! これは内閣府の機密任務で……! ほら、この身分証を……」
警察官は懐中電灯で身分証を照らし、怪訝そうな顔で鼻を鳴らした。
「『異質事象対策課』? ……聞いたことないなぁ。内閣府の偽造身分証ね、最近多いんだよね。とりあえず署まで行こうか。あ、その怪しい望遠鏡も預かるよ」
「ま、待って! ちょ、離して! 僕は本当に政府の者なんっ! うわぁぁぁ!!」
神々が夕食を終えてくつろぐ傍らで、国家の守護者は「不審者」としてパトカーに押し込まれていった。




