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血の契約は鼻血から ~封印の古龍をうっかり目覚めさせたら美少女になりました~  作者: 渡部安恵
第1章

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第7話 慣れという名の狂気

「……嘘だろ」


 帰宅した俺を待っていたのは、父さんからの非情な宣告だった。

 アパートの管理会社曰く、あの「爆発」の影響でガス管がイカれ、壁の補修も含めると、ゴールデンウイーク明けまで入居は不可能。つまり、俺の「一人暮らし」という避難シェルターは、二週間以上も使用不可能になってしまった。


「というわけだ、あらた。……まぁ、お前の部屋はそのままにしてある。琥珀こはくさんと紅羽くれはさんも、あそこなら落ち着けるだろう」


「……俺の部屋って、六畳だぞ」


 その六畳に、今や世界を揺るがす黄金比の美少女と、生命力の塊のような赤髪の美女、そして俺。……密度が、地獄だ。


「いいじゃない、創。アタシはアンタの近くにいられるなら、狭い方が都合がいいわ。ベッドも一緒で良いわね、きっと跳ね心地もいいんでしょ?」


 紅羽くれはがソファの上で既に弾む予行演習をしながら、妖艶に微笑む。


「マスター。狭隘きょうあいな空間は防衛の観点からも理に適っています。それにマスターの机の上……あの未完成の粘土像。あれはマスターの魂の初期衝動ですね。不器用ですが澱みがありません。近くでじっくり分析したいと思っていました」


 琥珀こはくは、まるで既に部屋の主であるかのように、俺の造形物への興味を語りだす。


……俺のプライバシーは、ガス管と共にどこかへ吹き飛んだらしい。


「ちょっと待って! 絶対ダメ!! 却下!!」


 リビングに結愛ゆあの絶叫が響き渡った。彼女は手に持っていたファッション誌を放り出し、食卓を叩いて身を乗り出す。


「お兄ちゃんの六畳部屋にこの二人を押し込むなんて、正気!? ただでさえお兄ちゃんの部屋、石粉まみれで粘土臭いのに! こんな『歩く美術全集』みたいな二人を、そんな劣悪な環境に置くなんて……モデルに対する冒涜よ!」


「結愛、落ち着きなさいな。賑やかになっていいじゃない」


 そう鼻歌まじりに茶菓子を運んできた母さんの顔には、隠しきれない期待と高揚感が張り付いている。


「創の部屋なら、お母さんの目も届くし安心だわ。それに見て、琥珀さんも紅羽さんもあんなに楽しそう! 若い男女が一つ屋根の下、それも狭い部屋で身を寄せ合って過ごすなんて……これ、完全にラブコメの黄金展開じゃない! お母さん、明日から毎日お赤飯炊いちゃうわよ?」


「お母さん、思考回路が腐女子化してるから黙ってて!!」


 結愛は母を黙らせると、鋭い眼光で俺を、正確には俺の隣にいる「神々」を睨みつけた。その瞳には兄への心配を一割、そしてモデルの『質感』を損なわれることへの恐怖が九割ほど混ざっている。


「いい、お兄ちゃん。この二人は、今やアルカナ・モードの佐藤店長や世界中のクリエイターが注目する『人類の至宝』なの。お兄ちゃんの汚い部屋で肌が荒れたり、寝違えて首のラインが崩れたりしたら、あんた一生かかっても賠償しきれないんだからね!」


「俺の部屋、そこまで汚くないだろ……」


「うるさい! 琥珀さん、紅羽さん、悪いことは言わないから私の部屋に来なさい。スキンケア用品も揃ってるし、お兄ちゃんの加齢臭から物理的に距離を置けるわよ」


「……加齢臭?」


 琥珀が俺の首筋にスッと鼻を近づけた。冷たい髪が俺の頬を撫で、心臓が跳ねる。


「いえ。マスターからは、陽だまりに干した古い紙と、よく練られた土の匂いがします。……不快ではありません」


「私は創の匂い、好きよ。野性味があって落ち着くじゃない」


 紅羽が俺の腕に豊満な重みを預け、勝ち誇ったように結愛を見た。だが、そこでふっと不敵な笑みを和らげると、空いた方の手で結愛の頬を優しく、けれど抗えない力強さで包み込んだ。


「……それに結愛。アンタもなかなか良い香りがするわ。創を構成する血の一部を共有しているからかしら? アンタを弄るのはアタシの役目だけど、他の雑魚に傷つけられるのは許さないわよ。アンタのその『強気な美しさ』、アタシは嫌いじゃないわ」


「なっ……ななな、何を、急に……!」


 結愛の顔が、今度は怒りではなく純粋な動揺で沸騰した。

 兄の腕を独占する紅羽への嫉妬。けれど、その紅羽から向けられた「一目置いている」という眼差しと、至近距離で浴びせられる圧倒的な女神の熱量。


「ぐっ……。お、お兄ちゃんの肩を持つわけじゃないけど、この人たちが……この人がそう言うなら、仕方ないわよ……っ!」


 結愛は視線を泳がせ、真っ赤になった耳を隠すように顔を背けた。

 彼女にとって、紅羽は「兄を奪う天敵」でありながら、同時に「自分を認めてくれる強大な存在」として、抗いがたい引力を持ち始めていた。


「あらあら、結愛ちゃんたら。本当はお兄ちゃんが変なことされないか心配なのと、紅羽さんに構ってもらえて嬉しいのとで、もうお顔が大変なことになってるわねぇ」


「お母さんは黙ってて!! あーもう、とにかく! 部屋が汚かったら承知しないんだからね!」


 母のポジティブ暴走と、妹のモデル防衛本能、そして女神との奇妙な距離感。

 三つの巨大な圧力が渦巻く中、俺は自分の部屋を見上げた。


 あの六畳。

 明日からあそこは、神々の寝所であり、俺の造形魂が焼かれる試練の場となる。

 ……とりあえず、掃除機だけは入念にかけて、明日からボディソープ変えることに決めた。



@@@@@



 翌朝。結局、俺の部屋に布団を三枚並べて川の字で寝るという、母さんの「ラブコメ脳」が具現化したような夜を越え、俺たちは再び大学へと向かった。


 通学路の各駅停車。車内の空気は昨日と何一つ変わっていなかった。

 ドアが開いた瞬間に訪れる、あの「物理的な静寂」。乗客たちの視線が琥珀こはく紅羽くれはに吸い寄せられ、車両中のスマホが音を消して一斉に起動する。


「……相変わらず、視線の密度がえぐいな」


「マスター、昨日より『念』が強まっている気がします。私の髪に触れようとした者の端末を、遠隔で過熱させてもよろしいでしょうか」


「ダメだ、放っておけ。壊したらまたニュースになるだろ」


 一般社会にとって、彼女たちはまだ「画面の向こう側の奇跡」であり、消費されるべきコンテンツだ。だが、大学の最寄り駅に降り立った頃から、周囲の空気は目に見えて変質していった。


 正門をくぐった瞬間、俺はその「異変」を確信した。


 結愛ゆあが必死に流した「留学生設定」という嘘と、昨日の「学食のクヌギ落雷」という伝説。それらが一晩かけて学生たちの脳内で化学反応を起こした結果、俺たちの扱いは「珍客」から「移動する重要文化財」へと昇格していた。


「おい、来たぞ! 彫塑ちょうそ科の結城と、あの『二人』だ!」


 正門付近にたむろしていた連中の動きが、軍隊のように統制されたものに変わる。

 だが、昨日とは少し違う。無遠慮にスマホのシャッターを鳴らす奴は目に見えて減り、代わりに、小脇にスケッチブックを抱え、首から高価な一眼レフを下げた「ガチ勢」たちが、適切な距離を保ちつつ、一斉に俺たちの後をつけ始めた。


「……マスター。後方に二十四人、左右の物陰に十二人の観測者を確認しました。昨日より殺気が削げ、代わりに……執着が混じっています。排除……は、しませんよね?」


 琥珀が冷静に「敵」の数を報告する。


「ああ、気にするな。あいつらは、お前たちの『ライン』を網膜に焼き付けたいだけの無害な変態どもだ。美大生に目をつけられたら、もう諦めるしかない」


 俺は琥珀と紅羽の歩幅を調整し、キャンパス内の光が最も美しく当たる順光のルートを選んで歩いていた。さらに背景に余計な自販機や看板が入らないよう、少し回り道をして噴水広場を経由する。


(……ここで琥珀が少し顎を引けば、水面の反射で首のラインが浮き出るな。よし、完璧だ)


「動く美術資料」の護衛兼、演出家。

 造形オタクとしてのスキルが、斜め上の方向へ無駄にレベルアップしていくのを感じて、俺は乾いた笑いを漏らす。


 彫塑ちょうそ棟の実習室に辿り着くと、そこはもはや他学科の学生も入り混じる「聖域」と化していた。本来、粘土の粉と油の臭いが充満する野郎どもの溜まり場だった場所が、今は「美の求道者」たちの戦場だ。


「結城! 頼む、一枚だけ! 日本画科の課題で『鳳凰の擬人化』を描かなきゃいけないんだ! 紅羽さんのあの、炎が凝固したような髪の質感……近くで参考にさせてくれ!」

「あっち行け! 俺は油絵科だ! 琥珀さんのあの『透明感のある影』をどう表現するかで、昨夜から教授と一晩中議論したんだよ! 結城、お前は後でいいから場所を空けろ!」


 押し寄せる同級生や先輩たちの波を、俺は愛用のスケッチブックを盾にして捌いていく。


「並べ! 騒ぐな! 資料にしたいなら、まずは管理者の俺を通せ! ポージングの指定は一回五分までだ! あと、琥珀に指先一つでも触れたら、その瞬間に『静電気による機材故障』が起きても文句言うなよ!」


 実習室の隅では、デザイン科の資料整理を手伝わされていた結愛が、山積みのファイルから顔を上げてこちらを見ていた。


「……お兄ちゃん。あんた、いつの間にそんな敏腕マネージャーみたいな顔できるようになったのよ。昨日まで、石ころ相手にブツブツ言ってただけの陰キャだったくせに」


「陰キャじゃねえ、彫塑家だ。……それより結愛、そっちの学科の奴らが『望遠レンズ』でこっそり狙ってるのを何とかしてくれ」


「分かってるわよ、あいつら後でデータ共有させるから。……でも、まぁ。お兄ちゃんがちょっとだけ頼もしく見えるのが腹立つわね」


 結愛は呆れたように、けれどどこか誇らしげな視線を俺に向け、再びデザイン科の「火消し作業」へと戻っていった。


 周囲の喧騒を余所に、紅羽は「アタシを鳳凰に見立てるなんて見る目があるじゃない」と不敵に笑い、琥珀は「マスターが私を定義してくれるなら、私はただそこに在るだけです」と、静かに目を閉じてポーズをとる。


 日常は既に壊れている。

 だが、この美しすぎる「狂気」を管理することに、俺は奇妙な充実感を覚え始めていた。



@@@@@



 閉門間際まで続いたデザイン科の撮影会を終え、俺たちはようやく家路についた。

 行きとは違い、帰りは結愛ゆあも一緒だ。四人で歩く夜の道。最寄り駅の改札を抜け、住宅街へと続く緩やかな坂道に差し掛かった時、俺はその「異変」に気づいた。


「……あれ。なんか、おかしくないか?」


 立ち止まって鼻を突くと、肺の奥まで洗われるような感覚に襲われた。

 ここは都心へも電車一本で行ける、それなりに排気ガスも騒音もあるはずの場所だ。なのに今、俺たちの周囲に満ちているのは、標高三千メートルの高山か、あるいは太古の原生林にしか存在しないはずの透明で瑞々しい潤いに満ちた空気だった。


「お兄ちゃんも気づいた? 私、さっきから喉と肌の調子が良くなってる気がするんだけど……。っていうか、見てよ、あの街灯」


 結愛が指差した先、古びた街灯の周りを舞う虫の姿はなく、代わりに光そのものが結晶化したかのように澄み切って見えた。


「マスター。この土地の『気』が少しよどんでいたので、歩きながら整えておきました。ついでに、地下を通る水脈の詰まりも、先ほどの紫電の余波で浄化しておきました」


 琥珀こはくが、排気ガスを浴びて黒ずみ、花を落としきっていた生垣のツツジに、そっと指先で触れる。

すると、どうだ。

 パキ、パキ、とかすかな音を立て、枯れていた蕾が目に見える速さで膨らみ、鮮やかな紅色の花が次々と開花したのだ。まるで彼女の歩みに合わせて、真っ暗な道筋に生命の灯火が灯っていくような光景だった。


(……細胞の一つひとつが、本来あるべき正しい場所へと収まっていくような……。石に命を吹き込むなんて、比喩じゃなかったのか)


「……整えたって、お前。これ、道端の草花どころか、町一つ浄化してないか?」


 空を見上げれば、夕闇の向こう側に広がる夜空が、かつてないほど鮮明に輝いていた。いつもはネオンに掻き消されるはずの小さな星々までが、まるで宝石を撒いたように自己主張している。


 二人の神が歩くだけで、この国の物理法則が、環境が、そして人々の運命が、音を立てて書き換えられていく。


「いいじゃない、創。アンタの住む場所が綺麗になるのは、アタシたちの気分もいいわ。不浄な空気は、美しい作品を濁らせるもの」


 紅羽くれはが俺の腕を抱き寄せ、その豊かな熱量が、冷えた夜風を心地よい微熱へと変えていく。隣を歩く結愛は、もはやツッコミを入れる元気もないのか、「……これ、明日の朝ニュースになるレベルの環境変化じゃない?」と力なく呟いている。


 俺の「平凡」は、もう二度と戻ってこない。

 けれど、腕に伝わる女神の体温と、奇跡のように澄み渡ったこの夜景を前にして、俺の心はどこかで「もうどうにでもなれ」と、心地よい諦めに身を委ね始めていた。







 ――だが、この時の俺たちはまだ知らなかった。

 少し離れた電柱の陰で、特殊な遮光コートを纏った一台の高性能レンズが、この「浄化の瞬間」を克明に記録していたことを。

 そして、内閣府の地下にある一室で、一人の男が「……環境省を叩き起こせ。これは自然現象じゃない!」と怒鳴り散らしていることを。


 俺たちの知らないところで、国家という巨大な歯車が、この静かな住宅街に向けて回り始めていた。

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