夕_鉱山
――――さて、そろそろかね。
男は、億劫げに、腰を上げた。
本当に昼メシを食ったのは、間違いだったかもしれない。
充分とは言えずとも腹は満たされて、陽射しはむしろ昼を回って穏やかになり。
要するに、眠いのだ。
このまま一眠りして、日が暮れる頃には、町へ帰ってやろうか。
丸一日も待ちぼうけを食わせれば、奴らの気力も切れそうなものだが。
「ふあぁ〜あ。このまま昼寝でもしちまいたいところですね」
馬鹿面で大欠伸をかます馬鹿に、先にそう言われてしまうと。
「行くぞ」
男は、そう言わざるを得ず。
やむなく、男は馬鹿どもを引き連れて、再び山を登る。
その光景は、まぁ、想像していたことは、していたのだが。
「……あちゃ〜」
やはり、人の壁は、変わることなく、そこに立っていた。
「ご苦労なこったね、まったく」
吐き捨てながら、男は人もなげに、壁に並んだ孔族を見て歩く。
――――こりゃ、厄介かもしれねぇなぁ。
内心ぼやきながら、頬をかく。
孔族の男たちは、ぴくりとも、動いてはいなかった。
よく見れば、人壁の前に、さっき歩いた男の足跡が残っている。
だが、それだけだ。孔族の間にも、その後ろにも、一切ない。消した跡もない。
つまり、移動も、交代も、組み替えも、小便も、全くしなかったということだ。
男たちが悠長に飯を食っている間中、こいつらは、馬鹿正直に、ここでこうして突っ立っていた。全員が、一糸乱れることなく。
「……戦争だ、って、言ったよな?」
今さらにすら感じるその言葉にも、動じる者はいないようだ。
本当に、時間を与えたのは、間違いだったか。
「おい」
男は、後ろの馬鹿を呼ぶと。
「はがせ」
短く、そう指示を出した。
馬鹿どもが、一斉に歓声を上げる。ショベルやツルハシを持ち出そうとする馬鹿までいるが。
「おいおい、こっちが先に手ェ出してどうする」
思わず、男が本音で止めた。
「最初は、優しくだろうが。傷めず、傷つけず、そっと、向こうから開いてくれるのを待つんだよ」
自分でも何を言っているのかわからないが、馬鹿どもには通じたようで。
物色していた得物を放り、太い腕をまくり上げると。
にやにや笑いながら、人壁へ近づいて。
手近な孔族に、手を掛ける。
「よいしょお!」
思い切り、引いた。
馬鹿ではあるが、鉱山で働こうという山男たちだ。すぐにその腕に筋肉が盛り上がり、人の壁が揺さぶられる。引かれた孔族が、顔をしかめた。
だが、敵もさる者。遊牧でどれだけの力が鍛えられるのか、男は知らないが、両側も含めた三人が、全身の力を振り絞って、耐えてみせる。
そこへ、もう一人がその脇の孔族の足を引いて。さらに一人がその逆に取り付いて、組んだ腕を剥がしにかかり。
「大人しくしろぉっ!」
「もう諦めなぁっ!」
「ぐぇっへっへっへ、、、」
なんだか、馬鹿どもの口から出てくる言葉が、無駄に下卑ている気がする。
だが、もちろん、それに対する孔族は必死だ。歯を食いしばり、声も出さない。
男には、その必死さが悲愴に映るから、見ようによっては、それも卑猥だった。
「乱暴にすんなよぉ」
投げやりに、そう声を掛けてから。
「そうは言っても、初めて開く時にゃあ、血が出ることもあるだろうよ」
一人、そう呟いて。
馬鹿なことを言った、と悔やむ。やっぱり、一眠りしてくるべきだったか。
ため息をつき、一歩下がって、改めて、逞しい男どもが揉み合う様を眺めた。
「……冷静になると、見栄えのするもんじゃねぇな」
まさに、組んず解れつ。
馬鹿どもがヘラヘラしているせいか、遊んでいるようにも見える。手を持ったり、足をつかんだり。と思えば、一歩引いて、なにやら考えている馬鹿もいた。
「馬鹿だねぇ」
自分で命じておいて、馬鹿にする。
正直なことを言えば、別に孔族なんぞ、ボコボコにしたっていいのだ。それで孔族が訴え出ようと、問題ない。どこへ訴えようと、どうせ孔族の味方なんていないのだ。証拠なんていくらでも捏造できるのだし、それを逆手に、孔族の全鉱脈を奪うことだってできるだろう。あの、依頼主ならば。
だが、それは馬鹿どもには言わない。言ったら、すべてがめちゃくちゃになる。
綺麗に筋を通して、ことを収めて、依頼主に報告する。それが、男の美学だ。
だから、馬鹿どもが、必死で、無傷でことを収めようとするのを、男は馬鹿にしながら眺めていた。
やがて、馬鹿どもは馬鹿なりに狙いを絞ったようで、三人ほどの孔族にわらわらとたかり始めた。入れ替わり立ち替わり、数人がかりで足を引く。
だが、壁は開かない。孔族は誰一人崩れることなく、立ち続けている。
そこへ。
「どりゃあッ!」
掛け声とともに、一人の馬鹿が、孔族の壁の隙間を目がけて、滑り込んだ。
攻撃が集中していたのとは逆の方。その油断を狙ったのだろうが。
「いてッ! いてててて、おい、痛い、痛いから!!」
両側から膝で潰されて、結構本気で痛そうな悲鳴を上げる馬鹿。
「痛いって、本当に痛い! 折れる、折れちゃうから! 離して!」
「……折られちまえ」
男の呟きも、虚しく。
のしかかられていた膝が離れ、馬鹿が転がるように逃げ帰ってきた。
それにつられたのか、いい加減、途方に暮れたのか。
少しずつ、壁を遠巻きに眺める馬鹿が増え始める。
――――ったく、糞の役にも立たねぇ、馬鹿どもが。
やれやれ、といった様子で、男が立ち上がった。そして。
「おらおらぁっ! ちんたらやってる暇ァねぇぞ!!」
唐突に、男の怒声が飛ぶ。
ついさっき、自分で、優しくしろ、と言ったくせに、男はもう苛々としていた。
状況が動かないのが、許せないのだ。動かせない馬鹿どもにも腹が立つ。
「いつまでかかってんだぁ!? こんな仕事にゃ、金出せねぇぞ!!」
男が出すわけではないが。
その声に焦ったのか、単純に焦れたのか。
「くそがァッ!」
馬鹿の一人が、強く腕を振った。
その肘が孔族の額に入り、目の上が切れる。鮮血が飛んだ。
「……あ。」
顔をしかめた孔族に、強く睨みつけられて。馬鹿の動きが止まった。
馬鹿は、許しを乞うように、救いを求めるように、男を見て。
だが、男は。
「あ〜あ。お前、犯人な」
そう、責任の所在を、明確にすると。
再び、怒鳴った。
「どしたァ! やっちまった以上、一人も二人も同じだろうがッ!!」
それは、馬鹿どもの獣性を解放する、解錠の合図だった。
「うらァッ!」
明らかに狙って、馬鹿の頭が孔族の男の鼻を打つ。
「どらァッ!」
思い切り助走をつけて、動けない孔族に飛び蹴りをくれる。
「せらァッ!」
今度は肩で。全体重を乗せた体当たりが、孔族の腹に食い込んだ。
一列に並んだ人壁の前に、やはり一列に並んだ馬鹿が、一方的な暴力を振るい始める。そこに、壁を崩そうという動きはもはやない。ただ、今までの憂さを晴らすように、自らの暴力性を爆発させるように。
だが、男は、ただそれを眺めているだけだった。
立っていられなくなれば、自然に壁は開く。
やはり血は出たが、この手の仕事にはつきものだ。
その上で、向こうが手を出してくれるなら、それはそれ。
もう今さら。男の美学など、男の頭のどこにも残ってはいない。
「折るなよ。殺すなよ」
付け足しのように、それだけ指示を下して。
男は、そこいらの石を椅子代わりに、座り込む。
後は、どうとでもできるだろう。馬鹿どもの、最も得意な作業なのだから。
ゆっくりと腰を据えて。男は、自分が命じた暴力行為の行く末を眺める。
その目の前で、ついに。
孔族の一人が、膝を着いた。




