夜_集落2
「あれ。碧流っぽい人がいる」
酒瓶片手にバタバタしている紅兎に、ようやく声を掛けられて。
「っぽい人、じゃなくて、本人ですが」
相変わらず、長の隣に座らされたままの碧流が、じと目を返す。
顔も見せないと思っていたら、来ていることすら知らなかったか。
「何してんの?」
「ちょっと。いろいろあったんです」
今さらくどくどと説明するのはめんどくさい。その上、相手は紅兎だ。
「コト〜。次、お願い〜」
「はいよ〜。じゃあ、また、後で?」
それすら疑問系かい。まぁ、紅兎に会いにきたわけではないので、いいけど。
「のんびり話す時間もないな」
バタバタと去っていく紅兎を目で追いながら、長が優しげに微笑む。
こうしていると、ただのおじいちゃんだ。
「いえ。急に来てしまったのはこちらですし、目的は別でしたし」
「そうか。わざわざ、我らのために、すまなかったな。ありがとう」
改めて、丁寧に頭を下げてくれる。
「やめてください。それは、先ほど充分にいただきました」
先ほど。会議が終わった後で、碧流は長を始めとする孔族の重鎮と思われるお歴々に囲まれて、順に頭を下げられることになった。
感謝されるのはやぶさかではないが、相手の年齢が随分と高い上に、礼節を問わない孔族らしく表現もストレートだったので、なんとも面映ゆいものでもあった。
それも終わって、ようやく宴が始まる。
先ほどまでいがみ合っているようにも見えたロウたちとも、皆、何事もなかったかのように杯を交わしている。気持ちのいい呑み会だ。
ただし、こちらでは酒壺を持っての酒呑ませが最初から始まるようで。
「おう。お客人、呑んでおらんではないか」
などと、気を抜けば、すぐに酒を注ぎにくる御仁が後を絶たない。どころか。
「杯を空けぬと、次が注げぬぞ」
「……僕、あまりお酒は」
「ん?」
やんわりとした拒絶では、突きつけられる酒壺の圧には勝てず。
――――明日、帰るつもりなんだけどなぁ。
帰りは、またも半日の馬車移動。しかも、まぁまぁのぐわらぐわらで。
二日酔いで、あれは、是非とも避けたいところだったのだが。
「お客人。わざわざ遥々すまなかったなぁ。助かったぞ。ほれ。」
「……ははは。」
次々に酒精で満たされていく肚とは裏腹に、笑いは乾いていくばかりだった。
と、そこで。
「――――あれは」
ふらり、と。宴席を離れて、広間を出ていく人影が。
それは、気になっていた人でもある。後を追って、碧流も席を立つ。
「便所なら、出て左だぞ、お客人」
「ありがとうございます!」
違うが、丁度いいので利用させてもらおう。
慌てている振りをして外へ出て。
人影は、早くも靴を履こうとしていた。
ここで声を掛けるのはまずい。
外に出るのに合わせ、碧流も靴を突っ掛けて飛び出して。
「アイさん!」
振り向いたその顔は、会議の時から変わらず、真っ青だった。
「……お客人」
「お帰り、ですか?」
「あ、いや、ははは……」
笑って誤魔化す。
碧流は靴を履き直しながら、もう一歩近づくと。
「――――まだ、なにか隠してますね」
ぐ、と。息を飲む音がした。
「今なら、まだ間に合います。全員の前が難しければ、長にだけでも」
なにを隠しているのかは、わからないが。
とにかく、一刻も早く、白状させなければならない。
碧流の勘がそう告げている。
「隠してるって、一体、なにを……」
アイはなおも笑ってみせるが、見返す碧流は笑わない。
深刻な表情で、見つめ続ける。
アイは、たぶん、腹黒い男ではない。臆病なだけだ。
だが、こういう男は、相手に押されれば、なにをするかわからない。
「は、はは……」
次第に、その笑みが強張っていって、やがて消える。
碧流は、厳しい表情を変えることなく、もう一歩、近づくと。
「今なら、まだ、間に合うんですよ」
そのひと押しで、膝が崩れた。
地面に両膝をつき、両手で顔を覆う。そして。
「――――もう、ダメなんです。もう、間に合わない」
震える声で、そう呟いた。
「なにを、したんですか?」
「……地図を。一部分だけです。ほんの、少しだけで」
地図?
それは、想像を超える。
「なんの、地図ですか?」
「私の村の鉄鉱脈の。でも、本当に、少しだけなんです。まだ売ってもいない」
――――なぜ、そうなるのか。
アイの行動が、碧流には理解できない。
「売ってもいないのに、なぜ地図を渡したりしたんですか!」
「手付けがいるって! 大きな金額になるから、手付け代わりに。でも、ほんの少しでいいから、って。そう、言われて……」
確かに、それではもう、間に合わないかもしれない。
明らかに、意図的に、騙されている。
それでも。
「アイさん、戻りましょう。長に報告しなくては」
「ダメです。どうせ、もう、間に合わない」
「ダメでも!」
ぐい、と。
碧流は、うずくまろうとするアイの襟首を引っ張り上げて。
「最後まで、責任は取りましょう。まだ、間に合うなにかもあるかもしれない」
間近で睨みつけられて、ようやくアイも頷いた。のろのろと、立ち上がる。
とりあえず家の中へは戻るが、このままあの広間へは連れてはいけない。まして、一人にもできない。そこへ。
「あ、碧流。」
何度も案内してくれた、あの女性が通りかかった。
碧流も今は、藁にもすがる思いで。
「すみません。お願いがあるのですが」
碧流は、アイを連れて、夕方に案内された部屋に戻った。
広間では、今も宴会は続いている。そんな中、長に出てきてもらうのは、難しいかもしれないが。
「――――どうした、碧流」
意外と早く、扉は開いた。
長と、ロウが立っている。念のため、ロウも呼んでもらったのだ。なんらかの事情を知っているかもしれない。
二人は青い顔でうずくまるアイの姿を見て、ただならぬものを感じたのか、すぐに部屋に入って、扉を閉めた。
「アイさんが、朱家の者に、鉄鉱脈の地図の一部を渡してしまったようです。これ以上は、僕では判断がつかなくて」
碧流から状況を説明する。
アイがその都度ビクつくが、この際構ってはいられない。
二人も、あまりのことに目を見開いて。
「……なぜ、そんなことを」
「手付けが必要だ、と言われたようです。ですが、今さらそこを責めても仕方がありません」
今にもアイに掴みかかりそうなロウを、碧流は理屈で止める。
ロウも、握りしめた拳を、自分の腿へ打ちつけて。
「取引は、必ず、オレを通せ、と、あれほど……」
どれほど悔やんでも、取り返しはつかない。
相手は弱みをこそ狙ってくるものだ。
「どこだ」
長に問われ、アイがぽつぽつと地名らしき単語を並べた。
「確かに、外れだし、数も少ない。だが――――」
そこで、口をつぐむ。
問題は、連中に山へ採掘に入る口実を与えてしまったこと。
そこを手掛かりに、山ごと掘り返される可能性すらある。向こうには、金ならいくらでもあるのだ。そして、掛けた費用を、間違いなく取り返せるあてもある。
「申し訳ありません、申し訳……」
アイが泣き崩れた。
だが、それに優しく掛けられる声も、手も、なかった。
責める筋ではない。責めても仕方ない。だが、慰められる余裕もない。
だから、その震える背中を、ただ見下ろすことしかできなかった。
そこへ。
「――――碧流〜。いる〜?」
鍵など元から付いていない。すぐに、ノックもなく、扉が開けられて。
「あ。」
なんとも、場違いな顔が登場した。
「……あ〜、紅兎。今はちょっと」
「って、どうしたの!? アイ?」
そっと碧流が退出を促す前に、強引に部屋へ入り込んでくる紅兎。
彼女はそのまま、アイに駆け寄って、その背中を撫で始める。
「よしよ〜し。もう大丈夫だからね〜。長にいじめられた?」
「……いじめるか」
ぼそり、と。
長のツッコミって、レアなんじゃないだろうか。
「アイは、朱家の連中に騙されたんだよ」
端的に、ロウが結果だけを説明した。
隠していても仕方ない。影響は族全体に及ぶのだ。
かと言って、紅兎に話してもどうなるものでもない、と思ったのだが。
「朱家? なら、朱真じゃん!」
紅兎が、スパッと解決案を提示した。雑に。
「あの、紅兎。朱真にもできることと、できないことが……」
「じゃあ、碧流。なんとかできんの?」
できませんが。
「こっちでも、打つ手はないんでしょ?」
長と、ロウとを、順に見回して。
良策が出ないのを確認すると。
「じゃあ、朱真を殴ってでもやらすしかないじゃん!」
「……ごもっとも、ですね」
この、打ったら響く、瞬発力がうらやましい。
「長。明日の朝、僕は景芝に戻ります。朱家に知り合いがいますので、なんとかならないか、相談してみます」
そう。最初から、なんとかできるとすれば、この手しかなかったんだ。
余計にやってくれなくなるから、殴りはしないけれど。
長は、ただただ静かな瞳を、碧流へと向けて。
「――――頼む」
と、深く、頭を下げた。
方針が決まると、力も湧いてくるもので。
「こっちでも、できることはなんでもやっておく。とにかく、山に人を入れさせないのが肝要だ」
両手を打ち鳴らしながら、ロウは今にも動き出しそうで。
「絶対に、手は出さないでください。怪我でも負わせたら、こちらが不利になります」
「わかってるよ。ったく、腹黒いこと考えさせたら逸品だな」
余計なお世話です。
「すみません、皆さん。本当に……」
謝り続けるアイを、ロウが抱え上げて。
「本当に、迷惑をかけるが……」
「言いっこなしです」
またも頭を下げようとする長を、碧流が抑えて。
三人が、広間へと戻っていく。
恐らく、あちらではもう一悶着あるのだろう。しかし、それは孔族の問題だ。
「――――で、碧流。なにしに来たの?」
「……なんでしょうね」




