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泰皇国立皇統学院記 〜 一年目 春 〜  作者: 都月 敬
5日目
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18/30

夕_客室


 山の朝は、清々しかった。

 空気が澄んでいるからか、風がまだひんやりとしているからか。

 昨日の夕方に馬車を降りた場所に立ち、迎えに来てくれる馬車を待つ。


「あんた、もう帰るのかい」


 昨日と同じ御者さんに呆れられながら、最初の客として荷台へ乗り込んだ。


「ああ、こっちこっち。こっちの方が景色がいいんだ」


 適当に座ろうとする碧流の手を引いて、紅兎が反対側のベンチに押し込む。


「……こっちは昨日も見たんですけど」


 碧流の不満など、紅兎はとっくに聞いていない。

 早速、今日の先行きが不安になってくる。

 紅兎へは、あの後に、一通りの事情を話したのだが。


「なんで、碧流が苦労してんの? バカなの?」


 と、一笑に付された。

 その結果、どういう理屈かはわからないが。


「アタシも行く」


 と、なった。

 まぁ、孔族の問題ではあるのだし、断る理由もないのだけれど。


「お昼は碧流のおごりね」


 やっぱり、断ればよかったかもしれない。

 ちなみに、昨夜は、あのまま紅兎と同じ部屋で眠った。

 だが、朱家の屋敷で感じたような、気恥ずかしさや申し訳なさは感じることなく。ただただ、ぐっすりと熟睡することができた。

 布団を並べただけの雑魚寝形式がよかったのかもしれない。

 長たちはやはり昨晩の遅くまで話し合っていたようだったので、見送りはお断りした。それでも、昨日から何度も案内をしてくれた女性だけは、見送ってくれて。


「ヤン、碧流のこと、気に入ったみたいよ」


 と、紅兎に耳打ちされた。


「長にも、碧流と恋仲なのか、とか訊かれたけど」


 そこで、不覚にもドキッとしてしまうが。


「そんなわけない、って言ったら、安心してた」


 予想通り、あっけらかんと言われて、ほっと一息。

 なんの一息かはわからないけど。


「また、ヤンに会いに来たげて」

「……機会があれば」


 なんとなく、紅誠のことを思い出して、後ろめたくなったり。

 もちろん、碧流には妻子はいないので、後ろ暗いことはないのだが。



 そんなこんなで、昨日も通った道を、逆へ辿る。

 通る景色も、過ぎる町も、時刻が違うと、見え方も微妙に異なるもので。

 思ったよりも退屈せずに、馬車の旅は流れていった。

 紅兎は、眠っていたかと思えば、乗り合わせた客と盛り上がってみたり。

 昼食の時には、本当にたかられて、驚かされたりもした。

 所持金がない、というんじゃ仕方ない。後で、朱真にでも請求しようか。

 ちょっとだけ楽しみにしていたが、昨日と同じ乗客には巡り会うこともなく。

 夕方には、景芝の街に帰り着いた。



 また出かけているかと思ったが、予想に反して、朱真は屋敷にいるようだった。

 案内を断って、与えられた部屋へと入り、旅装だけ解いて、朱真を待つ。

 丸一日、会っていないだけなのに。

 どこか緊張が抑えられないのは、この前に話した内容のせいか。

 朱真の気持ちは、正直、わかるとは言えない。

 簡単に、わかる、なんて言っていいことじゃない、と思う。

 でも、そこに留まっていていいわけではない、とも思う。

 時間に解決してもらうのが、一番良い方法なのかもしれないけれど。

 残念ながら、刻は待ってくれなかった。

 なにより、これ以上、民を待たせるわけにもいかない。


 ――――こんこん、と。


 軽いノックの音が響いた。


「どうぞ」


 碧流の返事に応じて、扉が開く。

 入ってきたのは、当然ながら朱真だった。

 なにも言わず、この前同様、長椅子へ座る。


「お忙しいところ、すみません」


 こちらも同様に椅子を引いて、あえて簡単な謝辞から始める。

 嫌味と取ったのか、朱真が苦笑した。


「忙しいのはそちらの方だろう。二日で孔族まで往復するとは」


 苦笑は、呆れているだけだったのかもしれない。


「特に予定もありませんでしたし、これも良い経験ですよ」


 こちらも、笑って交わす。

 紅兎は、今のところ大人しく、寝台に座っていた。


「で、どうなったのだ?」


 本題に入ったのは、朱真からだった。一応、興味はあるらしい。


「孔族の総意として、鉄鉱脈の情報は売らない、と決まりました」


 ほう、と、驚いたような、感心したような顔が見える。


「では、お前の言う、孔族の危機は、免れたわけだ」

「朱家の大きな取引を、潰す形にはなってしまいましたが」


 申し訳なさそうな顔を見せる。しかし、朱真はそれにも苦笑して。


「最初からその気だったくせに、今さら言われてもな」


 ごもっとも。


「若殿の面目まで潰れないといいのですが」

「元々、オレの面目などロクなものではないさ」

「……放蕩だしな」


 脇から余計な声が飛び、碧流がじろりと視線を向ける。

 そっぽを向いて、鳴らない口笛を吹く紅兎。

 一つ咳を払って、気を取り直し、碧流は朱真へ向き直った。


「ただし、すべての危機が去ったわけでも、面目が守られるわけでもないようです。いえ、朱家の面目に関しては、ますますひどい状況に追い込まれるかと」

「……ほう」


 今度は声に出して。朱真が小さく反応した。


「今回の売買取引、成立したものはまだ一つもありませんが、すでに朱家側に渡ってしまった情報があります」


 わずかに、眉に怪訝な色を乗せただけで。朱真の表情は動かない。


「手付け、という形で要求されたようですね。全体からすれば、ほんの一部ですが。取っ掛かりにするには、充分なものだとか」


 九山連峰は、古くから孔族が住まう土地だ。部外者が勝手に手を出すわけにはいかないが、一部でも孔族から譲られたことで、朱家はそこに手を出す名目を得た。

 いかに、九山連峰が広くとも、取っ掛かりさえあれば、そこからいくらでも広げることはできる。金と人とを突っ込んで、強引に掘り進めてしまえばいいだけだ。

 孔族は村ごとに鉄鉱脈の所有権を定めているようだが、それも孔族内での取り決めに過ぎない。もし、それを盾に文句の一つでも付けてくるようならば。

 ただで済まないのは、どちらか。

 恥も、外聞も、ないものならば。もはや、やりたい放題だった。


「――――手付けだろうとなんだろうと、正式な契約であれば、仕方ないな」


 諦めたようなその言葉は、さすがに、ため息とともに。

 だが、仕方ない、で済むならば、碧流も二日で往復するような強行はしない。


「手付け、というには、随分と過ぎたモノかと思いますが。それも、まだ正式に成り立った契約ではないですし」


 契約を破棄して、取り戻せる手付けなら問題はない。

 ただし、モノが情報である以上、取り戻せるものではないのだ。


「だとして、どうする。どれだけ偏っていようと、民間の商取引を裁判所に持ち込むか?」


 それも正論。どれだけ一方的で、騙したに等しい内容だったとしても、両者が納得して取り交わされた契約は、正義だ。裁判所では裁けない。

 それは碧流も百も承知だった。だから、無理やり論を曲げる。


「それは、商売人の論理でしょう。政治家の倫理ではない、と思いますが」


 これには、朱真も鼻白む。碧流は続けて。


「まさか、三公家の一つである朱家が、政治家ではない、とは言わないでしょう。まして、旗を振っているのは当主の朱堅だという。知らないでは済まされない」


 朱真は、苦々しげに。


「これは、政治ではあるまい」

「私財を稼ぐためならば、庶民の弱みに付け込んで、何をやっても構わないと?」


 痛いところを突かれて、口を閉ざす。


「そんな家の者が政治に携わって、どこの誰に信頼してもらえるでしょうか。これは、国自体の信用問題に関わることだ」


 都合が悪くなると黙る癖は、もう身に染みついてしまったのか。


「単なる一商人が相手なら、隠しようもあるかもしれませんが、孔族を相手に鉄を奪ったとなれば、それはできない。噂が広まるのも早いでしょう。他国からも、白い目で見られるでしょうね。南須国の、南公も担うべき、あの朱家が、と」


 碧流は煽っている。

 朱真の、朱家としての誇りを。南須国への想いを。

 しかし。


「――――それだけのことをしでかすのだ。すべて覚悟の上なのだろう」


 ようやく口から漏れた言葉は、やはり諦観に満ちていて。

 碧流は、殴りつけたくなる気持ちを、なんとか抑えた。


「……朱真は、本当に、もうどうなってもいいんですか?」


 それでも。視線には、強くその思いを込めて。


「朱家がどうなろうと、南須国がどうなろうと、もうどうでもいいんですか?」


 碧流は立ち上がっていた。


「三年前、あなたは孔族を、無辜の民を救うために立ち上がったはずだ」

「それは違うと言っただろう」

「違わない! ……いいえ、違っていたっていい。結果としては、同じことだから」


 言葉とともに、一歩だけ、踏み進めて。


「あの時、あなたが止めたことを、また、今度は朱家が行おうとしている。それは、あなたにとって、見過ごしてもいいことなんですか」


 朱真までの距離は、あと一歩。


「皆が求めているのは、文武に優れた、品行方正な、完璧な英雄なんかじゃない。嘘を吐かず、誰も騙さない、ただの人なんです」


 それは、碧流が踏み越えられるものではなく。


「――――朱真」


 それが今、こんなにも遠い。


「……話は、終わりか」


 朱真が大きく息をつく、その寸前。


「終わってない!」


 跳ねるように。紅兎が立ち上がった。

 思えば、ここまで大人しくしていたとは、紅兎にしては驚くべき忍耐力だ。

 碧流も紅兎がいることをすっかり忘れていたほどに。

 だが、ここに出てきて、一体なにをしようとしうのか。

 まさか、本当に殴るわけでもないだろうが。

 そんな心配を他所に、紅兎は真っ直ぐ、朱真の目前に立つと。


「お願いします!」


 勢いよく、膝に額をぶつけそうなほどに、深々と頭を下げた。


「……紅兎」

「孔族を救ってください。お願いします!」


 何度も、何度も。繰り返し。


「お願いします! アタシでできることなら、なんでもやるから!」

「紅兎、お前はもう――――」

「アタシは孔族だ!」


 それは、そこだけは絶対に譲れない、紅兎の誇り。でも。


「アタシは、いつまでも、孔族だ。名前はもう、紅家だけど……」


 そこで、ぶるぶると頭を振ると。


「もっと、ちゃんと、紅家にもなる! 紅家の娘らしくする!」


 突然、威儀を正して。


「紅家の娘、紅兎として、心より御願い申し上げます。何卒、孔族を御救い給われますよう」


 改めて、静々と、頭を下げた。

 それは、孔族のために、仕方なく、だったとしても。

 初めて、コトが、紅兎と向き合った瞬間だった。

 ただ、それも、すぐに解けて。


「ほら、ちゃんとするから。できるから。だから、だから……」


 それ以上、出てくる言葉はなく。


「お願いします!」


 もう一度。深く、深く、頭を下げる。

 渾身の思いを込めて。

 これが、今の紅兎にできる、すべてだった。


「――――――――」


 朱真が、呆然と、その、紅い頭を眺めている。

 でも、碧流にはもう、わかっていた。

 碧流が届かなかった、あと一歩。

 それを縮めてくれたのは。


「……そうまでされては、仕方なかろうよ」


 やれやれ、と。

 朱真が肩をすくめた。


「朱真」


 顔を綻ばせる、碧流に向かって。


「できる、とは言わん。だが、やれるだけのことは、やってみよう」

「朱真!」


 やっぱり勢いよく、顔を上げた紅兎だったが。

 すぐに、その場にうずくまってしまう。

 両腕に、その顔を隠して。

 その頭に、朱真の大きな手のひらが載せられて。


「……触んな!」


 すぐさま、振り払われる。まだ、完全に和解したわけではないようだ。

 だから、今度は碧流が、ぽんぽん、と。


「……叩くな」


 こちらは振り払われることなく。


「ありがとうございました。紅兎」


 小さく、お礼の言葉を掛ける。

 人を動かすのは、やっぱり、理屈じゃなくて、気持ちなんだ、と。

 もう一度、気づかせてくれたから。


「礼を言われる筋合いはない」


 両腕の陰から、口を尖らせる横顔が見える。

 そして、ほの紅く染まった頬を伝った、一筋の線も。


 碧流が顔を上げて。

 朱真と目が合う。

 同時に、苦笑を交わして。


 さぁ、反撃を始めよう。


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