夜_集落1
「碧流〜」
しばらく放置された後、先ほどの女性がやってきた。
「こっち」
だが、碧流を別の部屋へ案内すると、やっぱりさっさといなくなってしまう。
そこは、やはり板張りの小さな部屋で、隅に積まれた布団と、なんとなく見覚えのある荷物以外は何もなかった。
小さな窓から射し込む陽射しで、まだ夕方であることはわかるが、それだけだ。なぜここに入れられて、なにをしろというのかもわからない。
薄暗い部屋に独り残されて、碧流はやむなく、置いてある荷物を見回してみる。
「……やっぱり、紅兎のだ」
意味もなく、口に出す。
どうやら、ここは紅兎が昨晩使った部屋なのだろう。
さすがに中身までは改めずに、触った痕跡を丁寧に隠して、元に戻す。
「これで、よし」
そしてまた、屋根の裏を見上げる。
特に、見るべきものはない。
要するに、暇なのだ。
まぁ、伝えるべきことは伝えたのだし、このまま明朝の馬車が来るまで寝ていたって、一向に構わないのではあるけれども。
かと言って、知らぬ家でごろごろするのも気が引けて。結局、身の置き場もないままに、扉の向かいの壁に背を預けて、ただただ、ぼ〜っと座っていた。
そのうちにも、射し込む陽射しは徐々に弱くなり、やがて、完全に消える。
代わりに降りるのは、夜の帳。
当然のことながら、碧流は腹が減っている。
着いた時に、もうかなり減っていたのだ。それは、彼女にも伝えたはず。
もちろん、彼女は侍女ではないし、そもそも孔族に碧流をもてなす義理などないのだから、文句を言う筋合いなど到底ないのだが、こうも軟禁状態が続くと理不尽なことの一つも言いたくなる。
「……行くか」
どこへ、とも決めずに呟いて、片膝を立てた、その直後。
薄い木の扉が開いた。
「晩ごはんだよ」
顔を出したのは、やはりあの女性で。
「ありがとうございます!」
手を握らんばかりに詰め寄る碧流に、彼女はやや驚いた表情を見せたものの。
「こっち」
と、また案内をしてくれた。
村の入り口で出会ってから、彼女の案内は、早くも三度目だ。
そろそろ、名前くらい訊いてもいいんじゃないだろうか、などと考えていると。
「どうぞ」
と、最初の広間を指して、彼女はさっさと行ってしまった。
長く独りでおかしくなった自分を戒めて、碧流も速やかに中へと進む。
先ほどと違って、広間の中は広々としていた。
何枚も垂れ下がっていた布を、一番外側だけを残して、取り払っただけのことではあるのだが、初めて見る碧流は、まず実際の部屋の大きさに驚く。
囲炉裏も、長の前のもの以外に後二つ切られており、大人数での食事が可能となっている。今は、長の他に誰もいないが。
「碧流。こちらへ」
長に呼ばれるまま、先ほどの席へと進む。
しかし、長はさらに手招きして、自分の隣へと碧流を座らせた。
丁度、それに合わせるように。
布をまくって、幾人もの男たちがどやどやと入ってきた。
皆、いかにも狩猟民族らしく、艶やかな獣の毛皮を羽織っている。気づけば、長も、袖のない上着を羽織っていた。正装なのだろうか。
男たちは、それぞれの席が決まっているのか、迷うことなく席に着いていく。
中央を空けて、円を描くように。それは、景芝の宴席と同じ形だった。
なにか、大変なことが起きている。
長の隣に座る碧流へも、ちょいちょい視線が送られてくる。
それでも、碧流は、視線を正面に固定して、ただ座っていることしかできない。
なにがなんだかわからない。事情が全くわかっていないのだ。
なのに。全員が座ったのを見計らって、長が口を開く。
「急な用件にも、皆が集まれたのは何よりだ。遠路遥々、ご苦労」
最後は、左の奥に座る数人へ向けて。彼らもそれを受けて、軽く頭を下げる。
「こちらは、碧流。彼が、重大な件を、もたらしてくれた」
長の紹介によって、全員の視線がこちらへ向いた。
なにがなんだかわからないまま、碧流も頭を下げる。
「景芝の鉄職人が、仕入先が変わる、と言ったらしい。我らから、朱家の者へ、と。これについて、なにか知っている者はあるか」
ざわり、と。
わずかに席がざわめいて。
互いに目を合わせる者たちの中、ただ一人、目を下げた者が。
「アイ」
長に名を呼ばれ、目を下げた男が、びくり、と肩を震わせた。
「なにを、知っている?」
「な、なにも、知りません。。。」
語尾は消え入るように。これでは、白状したのも同じだ。
「族長 (ゾクオサ)。今は、なんの話をしておられるのか?」
唐突に。右の方に座った男が発言した。
胸を張り、真っ直ぐに長を見返している。
他の男たちよりも若く見えるが、この男が、今回の中心か。
長は、アイから、男へと視線を替えて。
「鉄は我らの生命だ。それを勝手に、景芝へ売ろうとした者がいる」
「それは、いけないことなのか!?」
わざと、朗々と声を張って。
男は長の言葉を掻き消した。
「鉄は族のものではあるまい。村のものだ。で、あれば、村長 (ムラオサ) の権限でどうとでもできるはず」
どよどよ、と。
先ほどよりも大きく、広間が騒めいた。
「ことは村の内には収まらない! 一つ見つかれば、後は誰でも見つけられる。掘り返されてから、それは別の村のものだと訴えても、聞く者はおるまい!」
別の男が叫んだ。同意の声が続く。
しかし、右の男は余裕ぶった態度を崩すことなく。
「だとして、どうする?」
逆に聞き返した。
反論の声が、縮んでいく。
「もう一度言う。鉄は村のものだ。他に掘られたくなければ、村で守れ!」
叱咤するように、男が叫ぶ。
それは正論なのかもしれない。だから反論もしにくい。
だが。
「ロウ。お前の言い分は正しい。しかし、それはできないのだ。だからこそ、今までも族で守ってきたのではないか」
しかし、長にロウと呼ばれた男は、長ではなく、席全体へ向けて。
「なぜ、守る! 鉄で食っている者など、わずかだ。半分にも満たん。なぜか! 誰も厳しい山仕事などしたがらないからではないか」
両腕を広げて、自説を誇示する。
「皆も村で聞いてみれば良い。鉄が大切か、山で働きたいか。答えはこうだ! 金が大切だ、町で働きたい!」
論を反すべき男たちの、意気がしぼんでいくのを感じる。
それは、誰もが、身に染みてわかっていることなのだろう。
「勝手に掘り返されたくなければ、先手を打って、すべて売ってしまえば良いではないか! 族の総意で! 向こうは、その意志も、金も、充分にあると言うぞ!」
ぎり、と。
碧流の隣で、歯の軋む音がした。
「お前、もうそこまで話をしているのか」
一人が、呆れた様子で呟く。
ロウは、その愚鈍を嘲笑うかのように。
「当たり前だ。手札を出し惜しむなど、根性なしのやることだ」
誰も、言葉を返すことができない。
ぽつり、ぽつり、と。不満の声は聞こえる。だが、論にはならない。
それならば。
「惜しむことなく手札を出し切って、手のひらを返されれば、なんとします?」
背筋を伸ばし、腹に力を込めて。
負けじと声を張って、碧流が言い返した。
これには意表を突かれたロウだったが、それも一瞬のみ。
「お客人。ここは、族の会議だが」
「許す。碧流の問いに答えよ、ロウ」
わざとらしく、皆へ、不満げな態度を見せてから。
ロウはすぐに不敵な笑みを取り戻して。
「手のひら返し、ねぇ。それは、昔の話をしているのか? 景芝からの軍を、鉄を餌に、泰陽に追い払ってもらった、という」
「昔のこととは、限らないでしょう。売ったその日に攻め込まれれば、いくら貰おうとも使う暇もない」
腹黒いことを考えるもんだ。そんな質の悪い奴はアイツくらいだろうに。
ロウが、両脇の男と笑い合う。
しかし、碧流は意にも介さず、真っ向からロウを見据えて。
「金は使えばそれまでだ。そんなもののために、族の手札を使い切るというのは、とても利口なやり方とは思えませんが」
「……それまで、か」
ロウの、目つきが変わった。
「学院生だかなんだか知らないが、こんなとこくんだりまで来て、他人の問題に勝手に首突っ込んでおいて、そんなもの、か。どんだけ、他人を馬鹿にしてるのか」
上げていた顎を引いて、上目遣いで睨み上げ。
「アンタが言う、金を使う、そのために、オレたちがどれだけ苦労しなきゃならないのか、アンタ、知ってるのか?」
心底の怒りとともに、吐き捨てる。
「アンタには、そんなもの、なのかもしれないがな、オレたちには届かないもんなんだよ。垂らす汗水はあっても、働かせてもらえないんじゃ、金は稼げやしない」
悔しさと、哀しみを、織り交ぜて。
「孔族が金を欲しがって、何が悪いって言うんだ!」
思い切り、床に叩きつける。
が。
「それは関係ありません」
碧流はそれを、すっぱりと斬り捨てた。
「――――は?」
せっかくの長口上が斬り捨てられて、ロウが目を丸くする。
他にも、感極まっていた人たちもいたようだが、碧流は、さも当然のごとくに。
「孔族だから仕事が得られない、ということはありません。確かに文化の違いを埋める必要はあるでしょうが、町に出たいというなら、そこは勉強するべきです」
「べ、勉強なんて、お前」
「勉強には環境が必要です。その面では、確かに孔族は不利だ。しかし、近くの町へ出るなら半日もかかりませんし、多少の謝礼で来てくれる方もいるでしょう。族で力を合わせるつもりがあるなら、さしたる障害でもないのでは」
ぽかん、と。呆気にとられるいくつかの顔。だが、ロウはまだ収まらない。
「だからって、孔族ができる仕事なんて、ツラいばっかりの低賃金で」
「それは当たり前です。知識も能力もない人間を、いきなり高収入で雇い入れる仕事がありますか。だから勉強が必要なんです。孔族云々は関係ありません」
「だから、勉強なんぞしても、だな」
「景芝のとある雇い主が言っていました。孔族は教えてもらっていないだけ、だと。それでも彼女は孔族を雇っています。鉄を買い取る職人は、孔族に相場を教えるために、自ら値を上げたそうです。それでも、孔族の働く場所はありませんか? 勉強する価値は、ありませんか」
次々と論破されて、ついにロウが黙った。
同様に、感化されかけていた他の人たちからも。
「……まぁ、その通りだよな」
「……別に、孔族お断り、なんて仕事、見たこともないしな」
「……馬車の中でも、気のいいじいさんが話してくれたしな」
ぼそぼそと、小声で話し合う声が聞こえ出す。
そんな流れを引き戻そうと、ロウが腰を上げた。
「ちょっと待てよ! オレたちには鉄がある。それを高値で買ってくれる客もいる。やりたくない仕事を肩代わりしてくれて、大金もらえて、何が悪いってんだ!」
だが、それはもはや、ただわめき散らしているのと、なんら変わらず。
「代わりに、孔族は強みを失う。下手をすれば、朱家の言いなりになりますよ」
碧流は、もう声を張ることもなく。
朱堅なら、孔族を管理下に置いて鉱山を掘らせる、くらいのことはやりかねない。それこそ、生きていけるぎりぎりの低賃金で。
それでも、ロウは諦めない。諦めきれないのか。
「見たこともねぇくらいの、大金なんだ。出ていきたいヤツは、全員が、町で暮らせるくらいの」
「――――ロウ。もうやめよ」
長に静かな声で止められて、ロウが浮いていた腰を落とした。
「ロウ。皆も、聞け」
長が、ゆっくりと皆を見回して。
「山を出て、町を目指したい者が多いのは知っている。それに障害が多いことも。それが元で、此度のような問題が起きたというなら、族で考えねばなるまいよ」
そこで、咳払いを一つ。
「今後、それぞれの村で、町を目指したい、という者がいれば、ここへ来るように言いなさい」
帰ってきたのは、小さなどよめき。
しかし、長はどこまでも淡々と。
「金を与えることも、仕事を与えることもできないが、どうするべきかを考えることはできる。族として、すべきことは、なんなのかを、ともに考えよう」
男たちの反応は様々だった。
上手くいくはずがないと思う者もいるだろう。
孔族として、村を開くことに反対だという者もいるのだろう。
それでも、孔族も前に進まねばならないのであれば。
「ただし。どうあっても、鉄鉱脈を売ることは許さん」
断固たる決断。これが、長の長たる由縁か。




