第62章 誤想
「──その数日後、あなたはこの”天獄”に送還され、それ以降4年間、変わらないままここに居る。
ある手段を使って」
私──愛翠 杏紅は、ただ話し続けた。
眼前で話を聞き続ける、その人物──夜川 涼美の、”過去のこと”を。
「この”天獄”から”天獄之外”に解き放たれる順番は、その実力の高さに同じ。実力の高い機体ほど早くに解放される仕組みになっている。そして、その指示に従う以外には道は無い。
たった一つを除いては」
念のために申し出ておくが、この説明は全て、私が読んだ”記憶”を基にしている。
だから彼女にとっては、こんなわかりきった説明など不要であるが、それでもこんな話をしているのは、
彼女に、”あなたのことは全て読めている”と知らしめるために他ない。
「あなたは、再びこの島に舞い戻ってきたとき、その唯一の残存方法に気付いた。”聖貨”という手段に。
しかし、自分が此処に居られる時間はそう長くない。だからコツコツ”貯金”している時間も無い。
なのであなたは、その力の使い道を、
他人の”聖貨”の強奪に使った」
「……」
「そしてあなたは初めに、この島での最強を捜した。名はヘイジ。あなたと同じ、『SHAT』を追い出された元軍人“人造人間”だった。
あなたはその実力を確かな物として認識するために、ヘイジを実験台にした。その最強に勝てば、あなたは事実上の最強になる。そうなれば、必要なときに必要なだけ、あなたは”聖貨”を奪うことが出来る。
果たしてあなたは勝利した。そして、ヘイジ自身も同じように奪い集めていた“聖貸”を全て我が物にした」
そこまで言ったところで、涼美は突然、
私に向かって襲いかかってきた。
だが、感覚が研ぎ澄まされた今の私には、十分に対応可能な範囲だった。
「その時にあなたが手にしたものがもう一つある……
その『勇戦状態』だ。
他の“人造人間”には無い特別な能力。あなたはそれを目一杯使って、あらゆる“人造人間”から“聖貸”を奪い取った。
……しかし今の私には、それも通用しない」
「……!」
彼女の精一杯の瞬撃を、私は赤子の腕をひねるような態度で受け止め、その事態に、涼美は息を呑んだ。
「そしてあなたは抱くはずだ。
恐怖を」
涼美の眼を睨むようにしてそう告げた途端、彼女の額に、大雨をかぶったのかと錯覚しそうなほどに大量な汗が流れ始めた。
そこから涼美は、一瞬で私から距離を取り、ある種“彼女らしい”行動に出る。
それは、“逃亡”だった。
「……そうすると思ってましたよ」
私は思わず笑んでしまった。
恐らくそれは、とてつもなく不敵だったろう。
「……だから既に、そこに行く準備はしてある」
私は独り言のようにそう呟いてから、その驚異的な脚力で、3秒ほどで私から数十メートルは距離を取っていた彼女の前に降り立った。
「ひっ……!」
そんな覇気の無い声を出してしまった涼美に、私は現実を突きつける。
「あなた自身も理解しているんじゃないんですか……?あなたの恐怖は”死”に対するそれではない」
彼女のガクガクと震える唇を見て、瞬時気が引けたが、それでもいずれ判る──或いはもう判っているかもしれない事なのだから遠慮などいらないと、私はその事実を言い放った。
「”敗北”……それを恐れているんですよ、あなたは」
「うわああぁぁぁっ!!」
敵わないと判った上で、半ば自暴自棄的な拳を放ってくる涼美。
それを丁寧に受け流しながら、私は話を続ける。
「あなたは裕福で不自由ない家庭に購入され、それ故に大きな敗北も無かった。訓練学校の時も、”戦闘式”のあなたにしか与えられていない力が活きたお陰で負け知らず。
しかし4年前の事件で、あなたは初めて、”敗北”を味わう寸前に追い詰められる。そしてそれに恐怖した。
今まで知らなかった恐怖を、あなたは”死”に対する恐怖なのだと解釈した。
それ以降、あなたにとっての”敗北”は”死”に直結している。”死”から逃れようとするのは人間、ひいては生物として当然の行動。4年前の事件の中で”天獄”行きを志願したのも、”聖貨”奪取の手始めにヘイジを狙ったのも、皆、その理論のもとで起こした行動。
……だからあなたは何も間違っていない……あなたの中では」
「黙れェっ!」
そう叫んで彼女がやけ気味に振り翳した手が、優勢に立つと油断しがちな私の頬を掠めた。
が、だからといってどうと言うことも無い。
「それ以上……何も言うな……!」
言葉は命令調であるが、その身体で行う所作に現れていたのは懇願の意。私に対する反逆心や、微かに存在していた勝利の可能性を信じる様子は、全く見受けられなかった。
「…………私の”敗北”で良い……もうアンタに勝てる見込みなんてこれっぽっちもないよ」
それは、彼女にとっての成長の瞬間だったと言えるだろう。今まで”死”と同等に扱い、受容することを拒み続け、遠ざけてきた”敗北”を今、克服して受け容れたのだから。
「これからのワタシのことは、アンタに任せる。もう二度と”天獄之使”と呼ばれるような事はしないし、それでも不安だって言うならアンタに24時間監視されたって良い。何なら今すぐに管理総本部に告発ったって構わない。
けど、そうするには1つ、答えて欲しい事がある」
「……答える……?」
「これだけは知っておかないと死ぬにも死にきれない、って事があるんだ。
選り好み出来る立場じゃないって事は重々承知しているけど、それでも言う。
嘘は吐くな」
「……良いですよ」
と私は応じたが、その内容は言わずもがな把握済みである。しかしそれを訊いてくるかどうかまではさすがに知り得なかったが、それまでに答えを熟考する時間は十二分にあったので、この場で彼女の質問を待たずして答えてもよかったが、あえてそうはしなかった。
「…………海凪 希良梨のことについて、知っていることを全部教えて」
そして、私はこの問いに、嘘偽り無くこう答えるのだった。
「海凪 希良梨は…………私ですが──?」




