第61章 拒否
──背の肉をごっそりと剥ぎ取られたまま、力無くそこに在る、遊賀 高貴の屍。
その無惨な肉と鉄の塊が、
未だ実戦経験の無い、無垢という言葉すら似合うと思われるうら若き女性に与えた精神的苦痛は、ただならぬものであった。
“回収”前は、誰にでも人当たりの良い、ごく普通の家庭で、何不自由なくただ平和に暮らしていた彼女の心の器は、それを受け取るにはあまりに小さ過ぎた。
いくら彼女が、超希少な“戦闘用人造人間”であって、第3期『SHAT』訓練生の中で首席の実力を持っていたとしても、
その精神が、実力に追いついたということではないのだ。
彼女は、その背の抉れた彼の死体の前に、ただ呆然と立ち尽くした。
ほんの数秒前に彼女の眼前を通り過ぎた、ある人物の影を追う、
その目的すら忘れて。
一体自分はどうしたら良いのか、その答えの発見に追われた。
この屍を、自分は持ち去るべきなのか?間もなくやって来るパートナー──泉 真妃瑠を待つのが善策なのか?
普段の正常な思考なら、5秒ほど時間があれば導き出されるような答えも、醜悪な残骸が目の前に転がっている状況では、思考回転は阻害され、不必要な思考ループだけが永遠と繰り返され、結果、結論は帰結しないままで居た。
そうしているうちに、真妃瑠の乗る車が到着した。
彼女はまだ正常に停車しないうちに車を降り、その少女──夜川 涼美を叱りつけるつもりだった。情に任せて、『SHAT』らしからぬ無鉄砲な行動に走った新米隊員を。
だが、車の目の前に横たわっている亡骸を見た途端、そんな気は勿論無くなった。
「…………コレ……高貴……くんよね?」
恐る恐る訊ねる真妃瑠。が、そんな問いにすぐに応えられるのであれば苦労しない、と涼美自身判っていた。ので、涼美は応えなかった。
しかしながら、パニックになるとあれこれ喋ってしまうタイプの真妃瑠は、涼美の返事など要していなかった。
「彼の所在は確か瓦田部隊よね……!他の隊員の消息の確認に当たりましょう。
それから林道部隊は?実はよく判っていないのよ、彼女たち、“暗殺”ヘリに乗っていたので全員なのかしら?
あと犯人は何処に……!?涼美、教えてくれないかし──」
「──判りません!全部!!」
堪えきれずに、涼美は大声でそう訴えた。
今の彼女に、あれこれ考える余裕など皆無だった。
眼の前に横たわっている高貴の遺体を受け入れることが、水中で10分間息を止めていろと言われているくらいの苦行に思えた。
「……ごめんなさい」
なので、真妃瑠の静かな謝罪も、彼女の耳には届かなかった。
が、その冷ややかな態度が、一部隊を率いている真妃瑠に、冷静さを取り戻させた。
まず彼女は、その場の状況の把握に取り掛かる。
炎はごうごうと燃えているが、戦闘は現在小康状態。回収に差し掛かるには実に良い好機だ。
だが、もしもの時の為に、特殊部隊史上最強戦力と言われる自分たちは派遣された。なのに、“救助に全力を注いでいたから戦闘に備えられなくて敗北しました”なんて言い訳は通用しない。
なので、
「──カガヤ、マカベ。あなた達は死傷者と生存者の救出回収に回りなさい。他のみんなは、此処に残って、此処の周辺を哨戒しなさい」
と、分配を施した。
「「はっ!」」
隊員たちは、各々の役目に走る。
それを見送った真妃瑠は、未だ項垂れるままの涼美を見る。
涙一粒すら流すことなく、ただ無表情で、膝を地についたまま唖然としている。その凄惨な有様と、共に辛い訓練を乗り越えた友の殺害という衝撃に、感情が追いついていないのだろう、真妃瑠はそう推察した。
しかし、実際はそうではなかった。
涼美の中に、既に感情は生まれていた。
それは、恐怖。
正体の掴めていない少女への恐怖。
死への恐怖。
仲間を喪うことの恐怖。
数え切れない程の恐怖が、抱え切れない程の量で彼女の身にのしかかった。
その圧に涼美は耐え切れず、結果、無感情を貫くしかなくなったのだ。
「……涼美?」
その涼美に、真妃瑠は優しく問いかける。
彼女の温かくてふんわりとした声を聞いても、涼美は微動だにしなかったが、
無理矢理突き動かそうとするのは賢明ではないと真妃瑠は判断して、そのままの状態で話を続けた。
「……まだ目標も見つかっていないし、このまま時が過ぎるのを待つのは危険だわ。せめて……そうね……彼処」
そう言って真妃瑠が指差したのは、数メートル先にあった、炎上を免れていた倉庫だった。
「彼処ならきっと安全だわ。ね?移動しましょう?」
そう告げて、真妃瑠が、涼美の肩に手を置いた。
その時の涼美の反応を、真妃瑠は予想していなかった。
彼女は、その首をふるふると、横に振った。
それはつまり、
真妃瑠の命令を、拒否したということである。
「……どうして?」
真妃瑠の声は、戸惑いのあまり、震えていた。
彼女の問いに対しても、涼美は依然、仔犬のようにふるふると首を横に振るだけ。
このままだと埒が明かないので、真妃瑠は、彼女自身あまりしたくないと思っていた事をせざるを得なかった。
「答えなさい!どうして嫌なのか!」
真妃瑠の張り上げた声に、涼美の動きは止まった。
「……遠慮はいらないわ、あなたの言いたいこと、言いなさい」
真妃瑠の声は一転、これ以上なく優しくなった。
それを聞いた涼美は、ようやく心を開いたのか、首だけを後ろに向けた。
その瞼に、涙をたくさん溜めたままで。
「……嫌なんです……これ以上、誰かの死に遭うのが……」
「…………」
「私には向いてなかったんです、こんな仕事。私はただの少女で、こんな生死の狭間で戦えるような精神は最初から持ち合わせてなかったんです」
開き直ったような口ぶりだが、本心は決して居直ってなどいなかった。
彼女はこんな時、どう話すのが正しいのかを知らなかった。
「……ワガママだって……勝手だって思ってて下さって構わないです……それで死なずに済むなら」
「……涼美……」
「……もう……戦いたくないんです……!
……こんな気持ちで無理に戦っても……私は皆さんの足でまといにしかなれない……!
そんなことになって真妃瑠さんたちの手を煩わすのなら私……広楽島に居た方がマシ──」
そこまで言いかけた所で、彼女の言葉を遮るものが現れた。
背後からやって来て、そのまま彼女たちの傍を通り過ぎて行った車の走行音だ。
彼女の存在を知ってか知らずか、その車は、彼女を無視して去って行った。
その車を目で追いながら、真妃瑠は考えた。
生存者や死傷者の回収に向かうよう派遣されたのは、自分たち泉部隊のみ。それ以上の派遣を要請できるのは、各部隊長か、その相方”人造人間”だけ。
真妃瑠は要請など出していない。ましてやこんな状態の涼美が要請など出せるはずもない。
となれば、あの車に乗っている人物の正体は限られてくる。
あの車に居るのは──敵──!
「あなた達!あの車を追いなさい!車を……速く!」
車から目を離さぬまま、彼女は部下たちに指示を下す。
指示をなされた隊員たちは、急いで車に向かう。
そして、相変わらず微動だにしようとしない、涼美。
「ちょっと、涼美!其処を離れて!」
真妃瑠の声に、全く反応しようとしない涼美。
しかし彼女は、それまでのように単に項垂れ続けているわけではなかった。
「やめてください……!」
彼女は初めて、真妃瑠を制止した。
車の中に、あるモノを見つけたから。
しかし、命令を出した直後、そんなに急には止まれない真妃瑠。
慌てて準備していた隊員たちの乗った車も、既に発車していた。
「とにかく其処を離れて!」
なので真妃瑠は、涼美の命を選んで、彼女の首元を掴んで必死に退かせた。
隊員たちが分かれて乗り込んだ数台の車が、涼美たちの前を過ぎて行く。
それを見送った時、涼美は、数十メートル先にある、目標の乗っていると思しき車の傍に、
少女の影を捉えた。
車高と同じくらいの身長の彼女は、車に乗る運転手と、何やら話をしているように見えた。それに、遠目からでも判別可能なくらいに、疲弊していた。
その輪郭は、涼美が任務出動前に聞いていた目標の特徴に一致していた。
まさか向こうも、救出に駆けつけた仲間が居るのか……?ならば逃すわけには……!
任務達成を、そして、悲惨な結果に終わった友の仇を前にして、涼美は恐怖を無意識に拭い去っていた。
「真妃瑠さん、やはり私たちも──」
先程とは一転して、攻撃を提案しようと涼美が真妃瑠の方を向いた瞬間であった。
ガッシャアァァン……!
それを聞いて、不吉な予感をさせない人はいないと断言できる衝撃音が、涼美の耳を支配した。
反射的に、彼女はその方を振り向いた。
「……あっ……ああっ……!」
涼美の口から漏れ出す、後悔の念を含んだ声。
彼女が目撃したのは、
先頭を走っていた車が何らかの事故のせいで横転し、
それを避けようと努めた後続車が、勢い余って転倒していく、その様であった──。
その途端、せっかく抑えられていた彼女の中の恐怖心が煽られ、先刻以上の力を見せた。
「イヤ……イヤぁ……!!」
頭を抱えて、拒否の言葉を喚く涼美。
一方、傍らに立っていた真妃瑠も、驚愕したまま動けないでいた。
しかも彼女は、見ていたのだ。その一部始終を。
目標の車の右前の座席から、
狙撃銃を担いだ運転手が顔を出し、その銃で、
先頭車の運転手の胸を撃ち抜いた、その瞬間を。
硬直した真妃瑠を我に返したのは、音を聞いて駆けつけた、遺体及び生存者の救出回収に向かった2人の隊員だった。
「あっ、ああ……ごめんなさい……」
揺り起こされた真妃瑠。しかし彼女は、未だ呆けたままだった。
車の運転手を撃ち抜いた狙撃銃の正体を、彼女は知っていた。
それは、選りすぐられた特殊隊員にのみ配給される銃だった。
ともすれば狙撃手は、彼女の味方の中から生まれた、
裏切り者ということになる──。
範囲を絞った上で追いかけよう、真妃瑠はそう考えたが、その”裏切り者”は計算高かったようだ。
先ほど横転した車、そしてそれに巻き込まれた車が積み重なって、障壁となっていたのだ。
ナンバーや車種を把握することすら不可能。残っている2人を遣わせても構わないが、そうするといよいよ無防備。
万事休す。追尾する手段は、完全に絶たれてしまった。
それを悟った真妃瑠は、致し方なく、
「……周辺に残っている遺体及び生存者の回収に回るわよ。特に目前の複数車両事故を優先すること」
と、この激戦の収束に取りかかるよう指示した。
指示を受けた隊員2人も、真妃瑠のその心中を察したのか、静かにコクリと頷いて、行動に取りかかった。
「真妃瑠…………さん」
ふいに、落ち着いた声が、真妃瑠の耳に届いた。
この過酷な戦場にはあまりにも似合わない、穏やかな声。
「……どうしたの?……涼美」
真妃瑠はその声の主に、同じように落ち着いて訊ねる。
「この任務が終わったら……私を、
広楽島に送ってください」
涼美の中で何が起こったのか、真妃瑠は率直にそれが気になった。
しかしながら彼女は、それを呑み込んだ。
少しでも疑問を持つのは、僅かばかりでも否定の念を持ち合わせていること同義と取れる。
つまり、何故彼女が、”天獄”と揶揄される、皆が意地でも行きたがらないような島に送還されることを望んでいるのか──それを訊ねることは、彼女を否定する準備が出来ていると言うようなことになってしまう。
そう考えて、真妃瑠はぐっと堪えた。
「──判ったわ。……上にかけあってみる」
出会った頃は大きく逞しかったはずの涼美の背中が、
まるで小さな動物のそれのように、小さく、か弱く見えて、
真妃瑠の胸は、ひどく痛んだ──。




