第60章 仲間
──2112年 7月21日
「──瓦田部隊からの応援要請なんて、珍しいこともあるものね」
他の部隊員が慌ただしく準備を進めている中、先にその準備を済ませていた女は言った。
「そうですね……」
その言葉に、彼女の相方である“女性人造人間”──夜川 涼美は応える。沈んだ声と顔で。
「ふぅ……どうしたの?そんな顔して」
「……いえ」
相方の問いかけに、涼美はそう応えるも、さらに俯く。
すると相方──泉 真妃瑠は、母のように優しく尋ねかける。
「……心配?あの2人のこと」
あえて真妃瑠は、“あの2人”とはぐらかした。
それが却って、涼美の感情を刺激した。
「そりゃ心配に決まっているじゃないですか!」
傍にあったアクリルガラス製の机を激しく叩きながら、勢い良く立ち上がった涼美。
彼女の怒声に、準備をしていた隊員たちの手は止まり、皆が彼女の方を見つめた。
その視線に気付いた涼美は、自分の犯した過ちをひどく後悔しながら、縮こまるように座り直した。
「……ごめんなさい、そんなに怒るなんて思わなかったのよ」
少し反省の色を見せるために、眉を八の字にしつつも微笑む真妃瑠。
「1年前から実戦任務に赴いている2人と違って、涼美は今日が初陣なのだものね……」
彼女は、涼美の肩の上に手を置いた。
「……でも、余計な心配は逆効果よ。肝心な時に頭が働かなくなって、悪い方向に戦況が動いちゃうわ」
涼美は、これまで見たことのなかった真妃瑠の真剣な眼差しを前に、気を引き締める。
かと思うと、再び真妃瑠の目には笑みが戻り、
「それに、あの2人なら負けないわよ!でしょ?」
と涼美を励ました。
「隊長。準備、整いました」
真妃瑠のもとに、一人の隊員が歩み寄って報告した。
「了解。……さあ、涼美、行くわよ」
母のように優しく促してから、報告係の隊員を追うように出発する真妃瑠。
彼女の背中を見た涼美は、母のような彼女に対する頼もしさと、得体の知れない胸騒ぎを、その心に抱えていた──。
──今日、涼美に課せられた任務は、先に出発した二個の小隊の支援。
一つは瓦田小隊。近距離攻撃を得意とする、戦闘のエキスパートが集まった小隊だ。
もう一つは、この瓦田小隊をサポートする形で出動した、林道小隊である。冷酷であることで有名な林道 澪を筆頭とする、“暗殺ヘリ”からの遠距離狙撃専門の一隊である。
この2つの小隊は今晩、ある“人造人間”の対応に向かった。
何らかの方法で“国民名簿”を偽造して、【強制返還法】適用後も2年間逃げ回っていた、少女の“人造人間”。
まず瓦田小隊が、強制回収に向かった。
しかしその瓦田小隊が苦戦を強いられたのか、支援要請の一報が舞い込んできた。
あの瓦田小隊が、たった1人の“人造人間”相手に支援を要請するなんて、と、要請を受けた本部は一瞬どよめいた。
だが、報告と違う何かが乱入したのかもしれない、と、瓦田小隊の屈辱的敗北を考えないようにした本部は、すぐに2個の小隊を派遣。
まずは状況報告と後方支援を兼ねた林道小隊が先にヘリで出動。その後、涼美の属する泉小隊が敵勢力掃討及び捕獲の支援に移るというのが作戦だ。
そして忘れてはならないのは、先の二小隊に属している“人造人間”。
2年ほど前から、警察署管轄の特殊部隊には、『SHAT』から一体ずつ、“人造人間”が派遣されるようになった。その一隊、そして隊長の実力に相応する“人造人間”が雇われる。
先の二小隊に配属された“人造人間”──遊賀 高貴と美影 秋柊は、『SHAT』訓練生時代、涼美と切磋琢磨し、共に高みを目指した仲間なのだ。
苦戦を強いられているというのなら、彼等の身の無事も案ぜられる。
彼等は、訓練生時代の成績こそ涼美に劣っているが、その性格は尊敬すべきものだったので、当然涼美も尊敬していた。
──学校を卒業し、実力名高い瓦田小隊への入隊が決まった日、高貴がこんなことを言っていたのを思い出した。
「建前でも何でもなく、オレは林道小隊に入れて嬉しい」
「どうして?」
同期で、同じく林道小隊への入隊が確定していた秋柊が尋ねる。
「事件を解決していくうちに、オレは人間と交流を深めたい。そうすれば、人間と、“人造人間”のオレたちが共存する世の中を創る近道になるんじゃないかって……バカバカしいけどよ、思ってるんだ」
何の穢れもなく、ただ純粋な気持ちで夢を語る彼を、涼美は全力で支えたくなった。
「バカバカしくなんかないです」
きっぱりと、涼美はそう言った。
「私も……元の持ち主のような人はきっといると信じてます。今は辛いことばっかりだけど……それが終わったらきっと待ってますよ、そんな世の中!」
彼女は、彼女自身から溢れ出る言葉で精一杯、高貴を鼓舞した。
それを聞いた高貴は、やけに熱情的に語る涼美に一瞬たじろいだが、その後微笑んで、
「……だよな。ありがとう」
と優しく言った。
この後、彼女の頬が赤らんだ理由を、涼美はまだ解っていない──。
「──ズミ?……涼美?」
「…………はっ、はい!」
「大丈夫?ボーッとしてたわよ」
真妃瑠に指摘され、反省する涼美。
「……ああは言ったけど、心配なのは仕方ないわよね」
対する真妃瑠も、先程の言動を省みる言葉を放つ。
「私だって、澪のことが心配だもの。あの子ったら、自分の身体なんて無いみたいに無茶するんだから……こっちの気も知らないで」
そう言って頬を膨らます真妃瑠。彼女のその仕草を涼美は、茶目っ気があって可愛い、なんて思ってしまった。
「……だから、その心配な気持ちを押し殺せ、なんて言わない。けど……可能な限りそうするべきよ。
他人のことを、見てもないうちから心配するのは、敵に触接した時の戦闘に支障を来すわ」
夜の“空高速”を駆ける車の中で、真妃瑠は冷静に涼美を諭す。
涼美も、信頼を置いている真妃瑠の言葉に、真摯に耳を傾ける。
……が、それだけに集中してはならないのが、『SHAT』訓練生としての決まり事。移動中でさえ、何処から襲い来るか判らない刺客に、常に万全を期しておかねばならない、という決まり事が、彼女たち訓練生の身体に染み付いているのだ。
彼女は、ふいに窓の外を見る。そろそろ現場と報告を受けた埠頭倉庫も視認できる距離に来た。
不幸にも、涼美の不吉な予感は的中した。
約50メートルに及んで立ち並ぶ倉庫の一部が、激しく炎上していた。近辺の繁華街の光が、炎が作り出す黒煙を照らしている。かなりの煙だ。
涼美の胸騒ぎが、途端に激しくなる。
最初に出動した高貴──ひいては瓦田小隊の安否が思いやられる。
更に辺りを見回す。すると見つけたのは、林道小隊が乗っていると思われる“暗殺”ヘリ。
──良かった、彼女たちは生きている──。少しだけ安堵する涼美。
「随分な状態じゃない……!」
涼美と同じく、現場の状況に驚く真妃瑠。
「運転手さん、もう少し飛ばせないかしら」
「申し訳ありません、これが限界です」
そう返した運転手の座る前にある速度計を覗く。
時速180キロメートル。確かにこれ以上加速してしまうと、万が一の事態に備えることができないかもしれない。
浮いているからと言って飛行出来ているわけではないから、“空高速”を離れる事もあってはならない。浮遊走行システムは、規定されたルート上でしか機能しない。今の場合に“空高速”を離れるなんてことがあれば、真下にある海に真っ逆さまだ。
歯痒い。ただ到着するまでの時間を、仲間の身を案ずるだけで終わってしまうだけで終わるこの状況が。
180キロメートルという速度で走っているなら、適切なルートを通ったとしても、せいぜいかかるのは3分程度。待てない時間じゃない。
だが、あの瓦田小隊を苦戦させて、挙句増援を呼ばせるような相手に、3分なんて時間は必要以上。檻も枷も与えられないまま大都会に解き放たれた肉食獣と類似している。
取り返しのつかない事にならないことを、涼美は祈るばかりだった。
が、その祈りも虚しく、悲運な出来事は続く。
悲運で、そんなことが起こると誰が予想できたろうかと訊ねたくなるような出来事。
ッパァァァァン!!!!
爆発音。窓を隔てているというのに、まるで傍で聞いているかのような大きな音に、
「──何っ!?」
と、涼美たちは反応した。
その音の元が何だったのか知った瞬間、彼女たちは自らの目を疑った。
あの無類の攻撃力と、それに匹敵する耐久性を有するはずの“暗殺”ヘリが、
恐らく爆発による炎に燃やされながら、クルクルと旋回して散っていく様が、そこには在った。
涼美も真妃瑠も、初めは、あの“暗殺”ヘリが散るなんて、という、ただただ信じ難いという気持ちだけだった。
しかし、涼美は違った。
彼女の場合は、そんな戦力的なことだけに留まらなかった。
その瞬間、彼女の脳裏を過ぎったのは、紛れも無く、あのことだった。
──秋柊──!
彼女の思考はその瞬間、良からぬ方向に回転した。
──この“空高速”の真下……海だよね……なら、今は好都合──!
「……っ!ちょっ、涼美、あなた何のつもり!?」
安全用シートベルトを徐ろに外す涼美に驚く真妃瑠。
だが、そんな彼女の言葉も、目の前の事しか見えていない涼美の耳には届かない。
彼女は、車の窓の上部分に手を引っ掛けると、首だけを真妃瑠に向けて言った。
「私、先に行かせて頂きます!皆さんは、後から追いかけてきて下さい」
「後から追いかけて、って……涼美!戻りなさい!」
「…………ごめんなさい、泉隊長。……でももう、背に腹は代えられないんです」
涼美は、ただきっぱりとそう応えた。
その直後、彼女はぐっと身体を丸め、自分の足を顔の元に持って行き、その足で、
車の強化ガラスを蹴り砕いた。
その破り砕かれた窓から、案の定と言うべきか彼女は、
黒く染まる海に沈んでいく“暗殺”ヘリ目掛けて、飛び降りた。
自分の名を叫ぶ真妃瑠の声が、だんだん遠ざかって行く。
否、遠ざかっているのは自分だ。
そんな当たり前のことに気づくことすらままならない程、彼女の意識は、
恐らく海中を漂っているはずの秋柊と、
あの炎の中で彷徨っているかも知れない高貴に向いていた。
──今の落下速度……212キロ──。
皮膚で捉えた感覚を、電脳が正確な情報に変換する。
──ダメだ……!もっと……もっと速く!
1秒でも速く……“暗殺”ヘリに行き着くために──!
涼美の電脳内の思考は、その考えだけに集約された。
その結果引き起こされたのは、涼美の“人造人間”としての長所だった。
彼女の身体は、速さを求めるあまり、人間では叶え得ないような、完全水平状態になった。前を向いている顔と肩以外の部分に、一切の空気抵抗を受け付けなくなり、結果、300キロという驚異的な速度を叩き出した。
彼女は、30秒足らずで海面に到達した。
彼女は宛ら魚を啄まんとする翡翠の如き勢いで水中に突入し、
魚雷と錯覚しかねない程のスピードで水中を泳ぎ進んだ。
ヘリの元に到達したのはわずかに7秒後であった。
──何処にいる……?声は出せない……自分で捜すしかない──!
ゆっくり、重々しく回りながら、水を掻いているプロペラの間をくぐり抜け、機体の中に潜入する涼美。
機体の中はいたってシンプルで、操縦室と、機関銃砲を操る為の機銃室、電力統制室の3つの部屋に分かれているのみだった。
その中を捜してみたが、居る気配すらしない。代わりにあるのは、他の隊員のものと思われる、赤い血のこびり付いた跡だけ。
外に放り出されたのか、そう考えて辺りを見回す。
彼女の予想通り、そこら中に死体が浮かび漂っていた。それらの殆どが、爆発に焼かれた痕を背負っていた。
特に酷いのは、その身が爆ぜ、その身の破片がプカプカと浮かんでいる隊員の屍。爆発源の近くにいたと推測されるが、それにしても凄惨な光景である。
……と、そんなことに気を取られている場合ではない──涼美は我に返った。
今の目的は秋柊だ。早く捜し出さないと、地上でまだ生きているかもしれない高貴の生命も危ぶまれる。
そう言えば、隊員たちの身体は見つかったが、肝心の秋柊も、その相方である澪の姿も見当たらない。
墜落してから時間も経っていない。となれば、仮に放り出されていたとして、そこまで遠くに行ってないはずだ。
そう考えた涼美は、エネルギーを、その眼に集中させた。視力の大幅な向上を図るためだ。
その高視力の眼で周辺を捜索したところ、新たな死体も数多く見つかった。
それらを一つ一つ確認して回る。その中に──
「──あっ……!」
胸元を貫かれた、澪の身体が在った。
身体の真ん中に大きく空けられた風穴の中を、黒い海水が通過していく。
数多くの死体を見てきたばかりの彼女の感覚は鈍っていたので、その明らかな異変に気づかなかった。
しかし、冷静になった時、彼女はそれに気付いた。
なぜ爆破による死を遂げたはずの彼女の胸元に、こんなにも大きな穴が開くのか。
爆破による塵破片が貫いたとは思えない。かと言って、そんな大きな穴を開けられるような鉄骨なり機体の骨格なりに貫かれたのならば、それが沈んでいく様が見られて当然だ。
つまり考えられるのは──
「他殺……!」
──犯人だってまだ遠くに行けてないだろう……今なら、追える──!
彼女は、先刻、潜水した瞬間の魚雷の如きそれと同等の勢いで、水中から脱した。
漆黒の海から抜け出した先で広がっていたのは、先程見下ろしていた炎の海。
メラメラと燃え盛るその炎を前にした彼女だが、微かほどもたじろぐことは無かった。
というより、そんなことをしている暇があるなら彼女は、
高貴と秋柊のことに専念するだろう。
埠頭に上って、彼女は叫んだ。
「秋柊さん!高貴さん!!」
が、その声も、炎のごうごうと燃える音に掻き消される。
ので、彼女は一歩一歩踏みしめながら歩き回る。
諦めずに、ただ必死に叫びながら。
そうしているうちに、あまり激しく燃えていない場所に到達した。
炎の熱も無くなったので、ここで作戦でも立てようかとしたその瞬間、
倉庫の奥に、誰かが走って入って行くのを、彼女は目撃した。
彼女が、
──あれは誰っ……?まさか……海凪 希良梨──!?
と考え出すよりも先に、その身体は反射的に、
飛び出していた。
『SHAT』訓練学校を、首席で卒業した彼女ならば、標的に追いつくのも容易い。
とうとう捕らえた……!逃がさない……!
そんなことで頭がいっぱいになりながら必死に駆けていく彼女の視界に、
ある物が映った。
「コ…………ウキ……さん?」
そう、それは、
背中をごっそりと削ぎ落とされた、
遊賀 高貴の、屍だった──。




