第58章 傲慢
「──”天獄之使”だなんて、可愛い名前付けてくれるじゃない」
その”女性人造人間”は、着々と私たちの方に接近してくる。
身に纏う服の胸元はこれみよがしに大きく開いており、そこから、豊満な胸を象徴する谷間が露わになっている。
膝上どころか、太腿すら覆いきらないほど短いスカートを履いており、程よい肉付きの脚は、如何なる男性でも誘惑してしまうのではないだろうか。
そして何より、彼女の身体を上から下まで染め上げている鮮やかな赤。ショッキングピンクならぬショッキングレッドとでも名付けようか。
彼女のような格好をした女性の写真は、2度3度見つけたような気がする。1980年代の、バブル、とか名付けられた時代だったはずだ。
「……アナタ誰?ここら辺じゃ見ない顔だし、随分綺麗な顔してるじゃない」
女は訊ねる。
私が応えようとして口を開きかけた時、
私の視界に、何かが表示された。
空中に浮かぶ、画面のようなもの。
いろんな数字や、細かい文字がつらつらと書かれているようだ。
そのはじめに大きく書かれていたのは、夜川 涼美という、名前と思しき4文字。
その他にもいろいろ記載されている情報を見ているうちに、確信した。
これは、この女の機体情報だと。
「ねぇ聞いているの?アナタの名前、訊いているんだけど」
無言だった私に催促する女──涼美。眉を少ししかめている。
「…………愛翠 杏紅。散歩がてらに寄りかかっただけです」
「なら急いで帰ることをオススメするわ。でないとアナタ、
死ぬわよ」
台詞の内容と表情がまるで一致していない。脅迫と受け取って間違いない言葉を話しているのに、顔には満面の笑み。その不一致が、妙な恐怖感を生んでいる。
しかし私は怯まない。これまでの時点の涼美で足をすくませるようなら、今まで戦ってきた豹堂や絢の時には失神していたろう。
私は、疲弊しきって息も切れかかっている男の身体を、静かに地に置き、ゆっくりと立ち上がった。
「……此処に来た時点で、私は死んだようなものです」
涼美を睨みながら、私は落ち着いた表情でそう言った。
すると彼女の目から、笑顔が消えた。
「もう一度だけ警告するわよ……今すぐに!此処を立ち去るべきよ。私はただの通りすがりに襲いかかるような悪趣味の持ち主じゃないの。アナタみたいなお嬢ちゃんにかまってる暇も無いわ」
彼女の本性と思しき部分が見え隠れしている。だが物怖じしてはならない。
「もちろん私もそうですけど……いざとなれば、」
私は、
ゆっくりと身構えた。
「戦う準備は、できています」
涼美の眉間に、さらにしわが寄った。
「その妙な自信の根拠は何なのかは知ったことじゃないけど……」
涼美の身体を覆っていた雰囲気が、苛つきのそれから、私に対する”圧力”に変わった。
「……そっちがその気なら、仕方ないわね」
彼女はその勢いで、いま私たちの居るこの荒廃した市街地に漂っていた陰鬱なムードすらも緊張感に変えてしまった。
涼美のそのムードメイクに少し気圧されながらも私は、彼女に向かって近づいていく。ほんの僅かな隙も見逃さぬように、目を凝らして。
だが、その瞬間、
私の右腕が、彼女によって持ち去られた。
あまりに一瞬の出来事を認識しようとしたが為に、私の全神経は、痛みを忘れた。否、感知するのを忘れた。
だが事態を把握した途端、優先順位が下位になっていた痛覚が力を発揮し、私に一時の激痛を与えた。
「痛っ……!」
私は、切断された部位を押さえてうずくまった。
「アナタは自分の力量は判っているの?もし判っているなら、その差、いま判ったでしょう?なら逃げるべきだわ……。
判ってないのなら、それでも逃げるべきだわ。実力差も把握できない弱者の為に割くような時間も無いのよ」
確かに彼女は、速い。
もたもたしていては、殺されてしまうのは確実。
「……そこに転がってるソイツ」
ソイツとは、さっき私が見送ったばかりの“男性人造人間”だ。
「ソイツも、アナタみたいにヒーロー気取って、私に戦い挑んで、無様に散っていったの。……そんなザマにはなりたくないでしょう?」
涼美が嘲笑しながらそう言う。
私は、そんな彼に蔑むべきことなどないと証明するように、涼美を睨んだまま、その場で動かなかった。
「……ホントにキライなのよね。……アナタみたいな、自分の実力も知らないで、悪だけは許さないって感じで戦おうとする向こう見ずなヤツ」
苛つきもピークに差し掛かろうとしているのか、彼女の声が徐々に低くなっている。
彼女は、私から奪った右腕を高々と振り上げた後、乱暴に地面に叩きつけた。
「今から5つ数える。その間にアンタが逃げないのなら、今度はその左手を奪いにかかるわ。尤も、そのまま戦いを続けたとして、両腕がないようなヤツに負けるつもりもないけどね」
涼美は、再びゆっくりと歩みを進める。恐らくその宣言は本気だろう。脅しではない。
──だから何だ。竦んではならない。
殺されぬように、戦う他無い。
「……2……1……0…………ふうん……ホントにイイのね。じゃあ……遠慮なく」
その声がした次の瞬間、涼美の姿は消え、
突風のように私の左側を通り過ぎた彼女は、私の左腕を持ち去った。
無理やり引き千切られたような感覚は一切無く、私の腕が元々着脱可能だったかと錯覚してしまいそうな程に、スムーズに私の腕は奪い去られた。
「ぐあっ……!」
遅れて来た痛みに耐える時に漏れる声。患部を押さえる手はもう無い。
涼美の手にある私の左腕が、力なくだらんとしているのを見た時、
右腕の切断部に、鋭い痛みが走った。
じわじわと続く鈍い痛みじゃない。電気が走ったみたいな、一瞬しかない痛みだった。
そのもとは何なのかと、痛んだ右肩を見ようとした時、
私の期待していた事態が、そこで起きていた。
「──何よ……ソレ……!?」
今まで自信満々でいた涼美の顔が、一気に蒼白になる。
当然だ。目の前で、
自分が切り落としたはずの右腕が、ありえない速度で再生されていくのだから。
まるで蜥蜴の尻尾の如く、みるみるうちに治っていき、1分もすれば元通りになってしまった。
その光景を、口を開けたまま見るしかなかった涼美だが、私の腕の修復作業が終わると、気を取り直したようで、
「……面白いじゃない?……治癒機能の付いた“人造人間”なんて……知らない世界も沢山あるってことかしら」
と、どう聞いても強がりにしか聞こえない台詞を発した。
だがその直後、彼女は焦りを見せ始める。
まず彼女は、大事そうに握っていた私の腕を地面に投げつけ、両手を自由に動かせるようにした。
そして次に、左腕も治癒しつつある私に向かって駆け出した。
力を手に込めたからだろうか、今の通常状態の私でも目で追えるくらい、遅い。一挙手一投足、しっかり把握できる。
「なら……コレでどうかしらっ!?」
そう叫んで彼女が振り翳してきた両手手を、私は、右腕1本で受け止めた。
刃物のように硬化された彼女の手が、私の腕の皮膚を少し切り裂いたが、いずれ治癒するなら気にかける必要も無い。痛みも走るけど、腕を持ち去られた時のそれに比べれば、どうということもない。
この間に反撃を仕掛けてやろうかとも考えたが、それよりもまず、
彼女の心を揺さぶってやろう。
「……ふうん。人体番号NHFW-1350、夜川 涼美、29歳か……10歳は若く見えますよ」
そう言って見上げると、彼女はあからさまに驚いた顔をしていた。
「身長は182センチ、スリーサイズは上から90、65、82……羨ましい身体ですね」
「……どうやって……!?」
「スキなのは人肌の手触り、キライなのはヒーロー気取りのヤツ、趣味は……うわ、悪趣味」
「ヤメろ……!」
涼美は、彼女の手を受け止めたまま離さなかった私を、乱暴に払い除けた。
「……随分、気持ちの悪い能力を持っているのね。どういうタネか知らないけど、すぐに回復したり、人の情報見抜いたり……」
彼女の顔色がやや悪くなっているように見えるのは、気のせいだろうか。
目尻にクマも見える。
しかし、ある一言で、彼女の雰囲気は一気に変わることになる。
「そうよ、アタシの趣味はとても悪趣味。だから知られてはいけない。……アタシは、それ知ってしまったアンタを」
彼女から放たれる気迫が、一気に強まった。
「狩らなきゃいけなくなった」
初めて見る、強い気迫。
けれどこの感じ……身体が覚えている……。
その身体が、警戒しろと叫んでいる。
図に乗って無防備でいれば、命はないと、感覚で察知して、警告している。
そこまで言われて、何もしないわけにいかない。
彼女を少し下に見る態度から、真正面から向き合う姿勢に変えた途端、
目の前──私の顔から僅かに数センチだけ前に、涼美が現れた。
私に照準を定め、大きく拳を振りかぶった状態でそこに居た彼女の姿を認識した私は、驚愕した反動で、本能があんなにしろと叫んでいた警告を、あっさり解いてしまった。
一気に無防備になった私の腹深くに、
涼美の拳が、突き刺さった。
「……ぐっ……!」
速い。そして重い。
耐えられないことはないが、それでも十分な痛みが与えられた。
彼女の拳が私に与えたのはそれだけではない。衝撃も、だ。
あの一瞬の攻撃で作られたとは到底信じ難いその衝撃は、私の背後にあった建て壊し寸前のビルに、私の身体を突き飛ばした。
「がはっ……!」
ボロボロとはいえ、コンクリート製のビルの壁に叩きつけられた時の痛みは厳しく、お陰で私は血を吐いてしまった。
自分の認識以上に身体は無防備だったのか、衝撃に耐えきれなかったせいで、意識が朦朧とし始めてきた。
そんな私に息つく間すらくれず、涼美はまたも突然、私の眼前に姿を現し、意識朦朧で壁にもたれかかる私の胸に、速い拳を2発も打ち込んだ。
「がふっ……!」
と声を漏らすことしか出来ない私。
微かに残る意識では、堪えることも、攻撃を受け止めるための手を出すことも出来ない。
5秒、たった5秒でいい。休息する暇さえあれば。が、何かが目醒めた涼美の前では、そんなことを願うのは夢物語を語るに等しい。
神童機になったからと言って、不死身ではないんだな──私は思った。
両腕を献上したのは、武戦機の力が私にあると知っていたから。彼女の個人情報をあれこれ暴いたのも、“敵知機”の力があったから。
今まで持ち得なかった、そして今も、私以外、誰一人として持ち得ない能力を持っているという事実に、私は驕っていた。それが敗因だ。
私は所詮“神童”。不死の“神”ではない。なのに私はそれを勘違いして、自分には敵などないと思ってしまっていたのだ──。
──否、まだ敗けてはいない。
私にはまだ、残っているモノがある。
敗北を察知しながらも私は、必死に頭を回転させた。
そして、唯一と言って良いほど限られた、
この窮地を脱する方法を見出した。
一方で、それを知ってか知らずか、涼美が私の顔面めがけて、渾身の拳を放ってきていた。
その唯一の敗北を免れる方法を実現するためには、絶妙なタイミングで行動に出なければならない。そのタイミングは誰も教えてくれないけれど、寸分の狂いもあってはならない。
……と、頭では判っていても、今の疲労困憊の私では、行動に移すのは難しい。
──ダメだ……このままじゃ──。
私はとうとうその身体を支えきれなくなって、ゆっくりと真横に倒れていった。
容赦なく拳を突き出してくる涼美に向かって、
懸命に右手を伸ばしながら──。




