第57章 惨島
「──”人造人間”管理局、残存体収集課、局員番号1522番、緒張 万李です。島への立入許可を願います」
人工ドームの中に続く、重そうな鉄製のドアの前で、万李がドアホンのような機械に向かってそう告げている。
数秒ほど待って、
『──用件は何だ』
と、男性の声が、私たちの頭上に取り付けられたスピーカーから聴こえた。
間を置かずに万李は、
「人体番号、NHFW-1000、”国民名簿”上登録名、愛翠 杏紅の送還に参りました」
『……入れ』
スピーカーの向こうから、男の声は答え、それと同時に、島の唯一の出入口である扉がスッと開いた。
「……行きましょう」
そう私たちに向けて呟いた万李に続いて、彼女の秘書、波間部 水零と、手に枷を付けられた──それは罪人であることを示す──私、愛翠 杏紅は、
“天獄”と比喩される島──広楽島に、足を踏み入れた──。
「──以上が、広楽島でのルールだ。後は何をしても許される。この広大な島の中で、自由気ままに暮らすがいい」
恐らく先程スピーカーの向こうで喋っていたのはこの男だ。名前は聞かせてくれなかった。もう会わないだろうから、名など告げる必要も無い、ということだろうか。
管理総本部内の一室で、島内での規則を聞かされたが、既に知っているものばかりであった。
殺人、窃盗、放火など、島外での法に触れることは勿論してはならないこと。
月ごとに一定額貰える“聖貨”を用いれば、様々な特典を得られること。
島から逃亡してはならないこと。
そして、島内管理員の指示──特に“天獄之外”が決まった場合──には必ずそれに従うこと。
以上に従えない場合、外にも出られないまま、壊されてしまうのだという。
「……わかりました」
私は、半ば上の空状態でそう返事した。
規則を破れば外にも出られない、というが、万李曰く、私が島の外──”天獄之外”に出るのは3日後、ベラルーシの戦場に赴く為。それまでの短い間だけで、規則を破る方が難しいのではなかろうか。
「君の住む家の住所はE-413だ。同居人は居ない。何か不明な点はあるか?」
男は問う。私は首を横に振る。
「……それでは緒張殿、そして波間部殿。送還の任、ご苦労様でございました」
「…………」
万李たちは黙ったまま丁寧に頭を下げると、部屋を立ち去ろうとした。
しかし、扉の前で万李はふと足を止め、振り返って男に言った。
「……誠実な対応をお願いしますね」
と。
彼女の言う誠実な対応という言葉に込められた意味を、諦めで一杯だった私の頭は理解しなかった。
それは男も同じだったようで、小首を傾げて、
「は、はい」
と、何のことやらと言わん表情で答えた。
万李は、それまでにはなかった真剣な表情で、何か念じるように私を見つめた後、静かに部屋を出て行った。
私は何故か、立ち去る彼女のその背中に、友に対して抱くのと同じ頼もしさを感じた──。
──E-413には、つい先日まで居住者が居たらしい。気性が荒く、他人のことを平然と嘲り笑う、それ故か喧嘩っ早い、初老の“男性人造人間”だったらしい。
家の中は、言葉で説明するのと遜色ない程、彼の性格を表していた。ゴミ箱に捨てられた数々の領収書からは“聖貨”の荒使いが判る。床にも無数のガラスだか容器だかの破片。あと心做しか、妙に埃っぽい。身の回りの事には一切関心なし、というその見知らぬ男の性格がひしひしと伝わってくる内装だった。
ではそんな彼がどうなったかというと、隣人であり、男女の関係にあった“女性人造人間”の浮気が発覚したことを理由に、彼女の首を絞めつけ殺した為、容赦なく鉄屑化──人間でいう死刑に相当する──刑に処されたそうだ。
それが僅かに一ヶ月前のこと。そんなことにはならないようにな、と係員に釘を刺されたが、
あんな男を愛していたのだというショックが、私をそうさせないだろう。
さて、今からどうしたものか。うすら汚れている家に来たはいいものの、何もすることがない。とりあえず、この埃っぽい空間を何とかしようと、掃除を始めるが、1時間もしないうちに終了してしまう。
次にすることもない私は、半自動的に、窓の外を見ていた。何かを探しているわけでも、たそがれているわけでもない。頭を留守にして、虚空を見る目で窓の向こうを見ていた。
「……歩いて、みるか」
私の口は、例えば、捕球できないと判っているボールを咄嗟に避けるように、この状況下ではそうするのが当然であると言うふうに、私の意思とは関係なしにそう呟いていた。
けれど私は結局、自分の口が勝手に発したその言葉に従って、沈んだ心と共に、無知で純粋な子どもの持つような探究心を携えながら、家を出た──。
──目的もゴールも定めぬまま、私は歩いた。
ずんずん突き進んでいくうちに、私の家の周りでは見かけなかった、他の“人造人間”に出くわすようになった。
遅れて入って来た新米なのだし、挨拶ひとつぐらいすべきだろうかと迷ったが、この島で暮らす時間は大して無いのだからそんなことをしても見返りは期待できないと考え、ただ通り過ぎるだけにした。
私はさらに突き進む。信号も無い、ただ真っ直ぐ続く舗装道路だから、歩くことにストレスは感じなかった。
それに連れ、周りの景色も変わっていく。9年前の、皆木家やその周囲の住宅地を思い出すような、平和的な景色だったのが、
修復不可能と言わざるを得ないような、荒廃した街に変貌した。
灰色の小高いビル型の建物の壁に背中をもたせかけて地面に倒れている人や、公共のゴミ箱の中身をガサゴソと、さながら獣のように漁る人。ほぼ直角に等しいくらいに背中を曲げながら歩く人の目にはまるで生気がない。
同じ島の、ましてや歩いて到達出来る範囲内でこうも変わるものかと、私は自分の目を疑った。
一言で表すなら、地獄、それに尽きる。
突き進めば突き進むほど、その荒廃した景色はむごたらしさを増していく。最初は1人や2人程しか見かけなかった苦しむ人々も、気付けば辺り一面に数え切れぬ程居た。
しかし、頭で辛いと思っていても、私の足は止まらなかった。見えない何かに引っ張られているように、自然と前に歩んでしまう。
私の中の何かが、この先にある結末を欲しているのだろうか。
足並みが早くなる。2倍、3倍、4倍と。
そのまま直進して行くと私は、行き止まりに突き当たった。寂れたビルの壁は、私が来ることを意図してそこに建っているかのように思えた。
随分歩いたが、結果的にただずっと直進して来ただけだ。いま引き返せば、家には戻れるだろう。
しかし帰って良いのだろうか。この先に待つものを、見逃してはならない気がするのは、今まで歩き続けて来たからだろうか。緊張度が上がっているからだろうか。
私は戸惑ったが為に足を止めた。左右を交互に見返す。両方ともほとんど同じ。荒廃しているのに変わりはない。
どうせ大差ないのならば、迷わずに右に行こう。私は結局、直感に従った。
そうして私が、止まっていた右足を、前に放り出した時であった。
ガシ…………ッ!
右足の首を、何かが鷲掴みした。
あまりにも突然のことだったから、私の背筋は一気に凍った。
反射的に、私は足首を見た。それを掴んでいる何かの正体を明らかにするために。
それは、手だった。人間──もとい”人造人間”の、右手だった。
そう知った瞬間、光速にすら等しい速さで、私の脳裏に、ある記憶が蘇った。
あの時──16歳の夏、希良梨という”大金”に目が眩んだ人間たちから逃げた、あの瞬間の記憶。
自らの手から逃れていく大金を、何が何でも捕らえるために、無我夢中で、傷負いの私の足首を、さながら命綱のように掴んだ女性の顔が、瞼に浮かんだ。
と同時に、その時の足首の皮膚が得た感覚も思い出した。激しく走る痛みの裏で、確かに身体中に流れていた不快感を。
そして、あることに気付いた。
──違う。あの女と。
彼女の方が力強かった。いくら藻掻いても手放しそうにないくらい。
だが今のこの手なら、足に少し力を加えて前に放り出せば逃れられそうだ。
となると、愛翠 杏紅だから掴んだというわけでもないのか?
……と、次の瞬間だった。
手の掴む力が、急に弱まった。
否、この力じゃ、最早掴んでいると言うよりも、手を添えているだけである。
足首を握り続けるのを、疲れて諦めたとでも言うのか?私はそんな風に考えながら、その手からゆっくりと逃れ、
その手を伸ばしてきていた“人造人間”を見た。
──醜悪。その“人造人間”を一見した時に憶えた感情はその一言でしか表せない。
まず目に飛び込んでくるのは、その皮膚の右半分が剥がされている顔だ。無邪気な子どもが遊び心でビリビリに破いた紙のような、デコボコな切れ目を境に、血に塗れる左側と、“堅構骨”が露わになった右側に分かれる。その蒼く光る眼のランプは、今にも切れてしまいそうだ。
身に纏う服は、多くの爪痕や穴をあけられたような跡でボロボロだ。しかもよく見れば、その傷だらけの布の奥に、それ以上に傷ついた身体があった。その傷跡からも、“堅構骨”が見える。
そして、どう考えてもおかしな形に曲がった脚。脚には膝以外の関節はない。なのに、その脚は確かに、3つのポイントで曲がっていた。
否、折れていた。ちょうど、アルファベットのMの形にそっくりだ。
そんな凄惨な状態で、私の足首を掴む──のではなくそれに手を添えていたのは、1人の”男性人造人間”だった。
這って来たのか、彼の後ろに血の道が出来上がっていた。
その様を見て、私は重ねてしまった。
海凪 智を喪った後の、私の姿を。
──しまった。呆けている場合ではない。
救助と共に、何があったのか知る必要がある。
「あのっ……大丈夫ですか……!?」
そう言って、私は彼の元に駆け寄る。
対して彼は、何か言おうとしているが、うまく口を動かせないようで、
「うう…………うぅ……!」
とただ唸って顔をもたげるだけ。
これ以上訊くのも酷なことかと思ったが、しかし何があったのか訊かねばならない。何かあるから、彼は私の足首を掴んだに違いない。
「どうしたんです!?せめて救護を呼ばないと!」
私は辺りを見回す。彼は助からないと知りながら。
彼自身も、自らの死期は承知しているようで、余った力を振り絞って、今度は私の腕を握り、首を大きく横に振った。救護なんか呼ぶな、ということだろうか。
さらに彼は、震える唇を噛み締めながら、こんなことを言ったのだ。
「行く…………な……!死…………ぬぞ…………!」
行くな、と言うのだ。私が足を出しかけた右方向に、突き進むなと。
「どうして…………です?」
私は訊ねる。
すると彼は答えた。
「…………”天獄之使に、殺さ…………れる……!」
と。
息の絶え絶えだった彼の額から冷や汗が流れ出てくる。その汗は、すぐに”堅構骨”に到達し、そこを伝っていく。
ただ事ではない。私は、彼にさらに問い詰める。
「”天獄之使”って?誰のことなんです?」
「そいつはもうすぐ死ぬのよ。放してあげなさい」
私の問いに応えたのは、男の声ではなかった。
ちょうど私が向かおうとしていた先からやってきた、”女性人造人間”だった。
「それがそいつのため、そうじゃない?」
女は、自信ありげにそう言った。
彼女が何故そんなことを言っているのか理解できないまま戸惑っていると、私の腕を握っていた男の手が離れ、それはゆっくりと上がった。
手は、人差し指だけをピンと伸ばし、その指先は、
女を差していた。
「あい…………つだ…………!」
「えっ……?」
「……”天獄之使”…………だ──!!」




