第56章 連行
「──ねぇ、姫花」
助手席に座る花理崎 菜那が、夜道の中で車を運転する私、愛翠 杏紅に訊ねかける。
「何?」
「……姫花はさ、莉央の話、憶えてる?」
「……うん」
「…………アイツが、自分と”交換”された人間だって知ったとき──自分の親が育てるはずだった存在って知ったときは、どう思った?」
声色からして、彼女は単なる好奇心からその質問をしているようだった。
坂巳根 莉央という女と同等といっても過言でない複雑な立場に置かれた皆木 姫花を前にしたことで、
事あるごとに質問ばかりする子どものようなキラキラした気持ちで、そう訊ねただけに違いないだろう。
「……罪悪感とか、そんなのは無かったけど……この人は……莉央は、私以上に苦しい思いをしながら生きてきたのかもしれないって思った。裕福であるからこその苦しみ……本来なら私が味わうはずだった苦しみを彼女は経験してきたんだって実感すると余計に、さ」
ちょうど赤信号の前に来たので、私は菜那の顔を見た。
不審そうな表情でこちらを見ていたので、初めは驚いた。
しかしその理由を瞬時に察して、私は慌てて手を横に振った。
「し、心配しないで!別に、莉央の代わりに私が苦しめば良かった、なんて絶対思ってないから!」
「……ホント?」
「ホントホント」
苦笑したのと同時、青信号になったので、私は前を向いて運転に集中した。
横目で菜那を見る。依然、訝しげな表情のまま。
何とも居心地が悪いので、私はこう切り出した。
「……でも、そうなったから今の私たちがあるんだし、これはこれで良いんじゃ無かったかなって。
もし莉央のお義父さん──まあ私の元父親なワケだけど。あの人が私と莉央を交換しなかったらさ、今の私たちは居なかったんだよ?きっと。
たぶん彼なら、【強制返還法】に従って私を手放していたと思う。サニレゾンの保身のために。それも間違いじゃないと私は思うわ。
そうなっていたら、私は菜那に逢えてなかった。何でって、住む所も地位も全く違う私は菜那と同じ小学校に通うはずはないし、中学校に行ける歳の頃には既に回収されているから。
まあ……そうなっていたら、雛乃も莉央も喪わずに済んだかもしれないけど……」
菜那を安心させるどころか、自己嫌悪じみたことになってしまった。
私が居なければ、雛乃が大人な対応をしたが為に殺められることもなかったかもしれない。
私が居なければ、菜那の目がないところで莉央が死ぬこともなかったかもしれない。
私が居なければ、菜那の前から、三人もの人が姿を消すこともなかったかもしれない──。
そうやってあれこれ思い出していくと、心が蝕まれて辛かった。誰かに胸をギュッと力強く握られているようで、苦しかった。
そんな私を解放してくれたのは、他でもない、菜那であった。
彼女は満面の笑顔でこう言ったのだった。
「姫花の言う通りだよ。訊いたアタシが間違ってた。
アタシさ……まだその”交換”のこと、納得しきれなかったんだ。会社が大事なのは判るけど、だからって子ども使うなんておかしい、って。
けど……今のこのカンケー見れば、そんなことどーでもよくなっちゃった。だって姫花とこうしてまた逢えたんだもん!」
筋の通っていない納得ではあるが、それもまた彼女らしさ。
道理や理由なんて必要ない、ただ自身の感情に素直に従うだけ。
そんな彼女らしさが、私は好きだった──。
「──聞いてるの?愛翠 杏紅?」
護送車内の狭い空間の中で、さっきまで触れ合えていた少女との記憶を懐古していた私を、
対面して座る、管理局から派遣された女、緒張 万李が目覚めさせた。
「……いえ」
私は正直に答えた。
万李は溜め息を吐くと、面倒そうに説明を始めた。
「NHFW-1000……“国民名簿”上の登録名、愛翠 杏紅……。
あなたの身柄は、拘置所ではなく、管理局所有の回収済“人造人間”居住区域のある広楽島に送還されることになるわ。
間もなく、島へ向かう護送船が出ている港に到着するけれど、島までは継続して、私と水零、そして警官2人が同行する……良いわね?」
良いわけなどないが、認めない選択肢などないので、うんと頷く。
「ちなみにだけれど、あのサークルのメンバーたちはメディアの取材対象にならないよう、報道機関規正法20条に従って保護してもらっているから安心しなさい」
報道機関規正法20条。
『警察及び政府が指定する建造物又は人物に対する報道機関の取材を禁ずる』。
半世紀ほど前にあったネットメディアによる過熱取材と、その結果相次いだ被害者遺族の自殺が社会問題として取り上げられた際に施行された法律である。
なるほど、学生であることや黒雨さんの就職活動を考慮した行動だろう。
「……その前に、あなたがどうやって、あれだけの大量殺人を起こす事が出来たのか、聞いておきたいんだけど」
万李が、やや声を低くして私に問うた。
半分は管理局──公に務める者として、
残り半分は、大切な兄を奪われた一人の女性として、彼女は尋ねているのだろう。
私は殆ど間を置かずに答えた。
「……『勇戦状態』……あれを使った」
それは事実とも言えるし、虚偽とも言える。
あの瞬間、私の身に起こっていたのは、“武戦機”の特別な機能であるが、言うなればあれは『勇戦状態』の機能が進化したもの。
その進化の代償として思考する機能は欠如しているが。
「……動機は?」
「……身体が、勝手に動いた」
「『勇戦状態』に切り替わるには契機になる事象がないといけないわ……何があったの?」
「…………」
「答えなさい」
「…………」
「答えろって言っているのが聞こえない?」
「…………」
「……チッ」
舌打ちをした彼女は、そっぽを向いたまま何も言わなくなった。
答える義理もない。何をどうしようと、私が広楽島に連れて行かれるという結果は変わらないだろうから。
2時間ほど経ったろうか。私たちの車は予定通り、港に到着した。
水鳥は高い声で鳴き、砂浜に乗り上げるさざ波はざあざあ吼えている。
寒かった、ということ以外は今年の1月に訪れた時と何も変わらないのに、別の国の何処かのように思えた。
護送車から降ろされた私の頬に、浜風が吹き付ける。昨夜はあんなに心地よく感じたはずの風なのに、今は何の感覚も生まれない。
「船の準備は?」
続いて降りてきた万李が、港で待っていた警官に問う。
警官曰く、港の到着までもう2分程時間がかかるそうだ。
「……まあいいわ、外で待ちましょう」
そう言った万李は、護送車の運転手に礼をしてから、私を船の乗り場まで誘った。
港の周辺は厳重な警備体制が敷かれており、おかげで、噂を聞きつけて来るはずの野次馬は誰一人居なかった。
私は万李と共に、乗り場で待たされた。
肉眼で見える距離には、あの日訪れた興土島がある。その先に私がこれから向かう広楽島があるということは、以前にも述べた。
興土島のことを思い出した時、私はあの家族のことも思い出した。
神多家。
あの2人は、そして他の皆はどうしているのだろう。
私が行ってしまうことは、寧音さんが伝えてくれたろうか。
近いからと言って、殴り込みなどしに来ないだろうか。そんなことをして彼らの生命が奪われてしまうのはあまりに切ない。
出来るなら、“コト”は起こさないで欲しいのが本心である。
「……来たわね」
私がそうこう考えているうちに、船は乗り場に到着してしまった。大きさは家庭用クルーザー程だが、護送車並の堅固な装甲が施されてある船だ。
電気のみで駆動するその船は、音もなく乗り場の傍に泊まり、私を招き入れるかのように、船体の中心にある乗船口が開いた。
錠をかけられた手を万李に引っ張られて、私はいよいよ、島への片道切符に穴を開けることになった。
「……どんな気分?」
「……何が?」
「おかしなこと言わないで。判ってるんでしょう?」
判っていないはずがない。それでもそうやって問うのは、
そんなことには答えたくない、という意思の表れだというのに、万李はそれを馬鹿にするように微笑んだ。
「さぞや楽な気分でしょうね。今まで、どうしてかは知らないけど、ずっと逃げ続けて、自分を人間だと装って生きてきたのが、いま終わるんだから。
自分を縛り付けていたモノが無くなる気分はどんなものなの?」
ちょうど子どもに話しかけるお姉さんのように、膝に手を置いて、
鉄製の椅子に座らされている私の目線の高さまで屈んでから、万李は尋ねた。
殴ってやりたくて仕方ない気持ちはあるのに、それよりも大きな脱力感がそれに勝って、結果、私は彼女から目を逸らすだけになった。
そんな私を意地でも振り向かせたかったのか、
万李はある一言を私に言い放った。
「……3日後、貴女達は戦場に赴くことになったわ」
「……戦場……?」
彼女の思惑通り、私は彼女の方を向いてしまった。
聞き捨てならないその一件に、身体は自然と動いてしまった。
「……あともう1人、生き残っている“人造人間”が居るの。名前は金子 結由、人体番号はNHFW-1500。彼女を今、私の同僚が血眼で捜しているわ。
その“人造人間”さえ見つかれば、この国に現存する“人造人間”は皆、広楽島に集結する……それは即ち、日本政府の統制下に下るという意味にも取れる」
彼女は立ち上がり、小さな円形の窓から、その話題の広楽島の方を見ながら続ける。
「そんな中、食糧難に見舞われた東ヨーロッパのベラルーシが、その食糧難の発端であるロシアに向けて兵を挙げる準備を整えているという一報が舞い込んできたの。
その上、ベラルーシと同盟国のアメリカが、最近独裁化が進みつつあるロシアに向けての制裁の意味も込めて、連合軍を結成する用意を進めている。
その中で、“人造人間”をアメリカが多額で購入し、指揮下に移すという計画も持ち上がった……。アメリカと癒着のあった日本はそれを承諾、近々輸送が始まるのよ」
とうとうと理由を述べる万李の目が、何故だかだんだんと沈んでいるように見えた。
どうしたのかと問おうとしたのと同時、それを見抜いたように万李の方から話を始めた。
「……勝手よね……管理下に集まった途端、世界の中で生き残っていく為の手段として……ただの道具として扱うなんて。
そうしているのが、痛みも辛さも知らずに上層部で偉そうにふんぞり返っているだけの官僚たちだと思うと、正直同じ人間として恥ずかしい……貴女達には心底同情するわ」
その切なげな顔は、彼女の優しさを体現していた。
彼女は今、私を“狂った殺人少女”として見ていない。
1体の“人造人間”として、その目に私を映している。
先程まで私に浴びせていた罵声や蔑むような言葉は皆、殺人鬼としての私に向けられていただけであって、
本来の彼女は、“人造人間”を守りたいと考えている側にいるのだと、私は悟った。
「このことを貴女がどう思うか……人間のエゴの極まった行為だと思うか、自分のした事の報いだと思うかは知らないけど、後で知るよりもマシでしょう?
せいぜい、もう1人の“人造人間”が見つからないよう祈っておくことね」
彼女の心遣いに、私は、罪人という立場を忘れて、
「……ありがとう」
と、礼を告げた。
彼女は照れることもなく、あるいは何の返事もなく、話を逸らすように、
「……もうすぐよ」
と私に知らせた──。




