第41章 思案
──確かに、虹際 星剛の姿は、ホテル中何処を探しても見当たらなかった。
あれだけの巨体だ、そうそう隠れるなんて出来ない。
それにそもそも隠れる理由もない。
彼は人一倍、使命感の強い男だと私は思っている。その巨躯に見合わぬ臆病な所もあるが、他の仲間の為にやると決めた事はやり抜く強い精神を持っている。
だから逃げるはずがない。
つまりこの事態は、彼が独断による行動で引き起こされていないことは確か。
となると──。
「──虹際君も……何者かに襲撃されたのだろう……」
私たちの安全を任されたはずの男──増峨 晶は言う。
コテージのロビーに集められたのは、彼と、私──愛翠 杏紅、
そして私の友人──花理崎 菜那に、
一つ下の後輩──早房 絢、
初葉 美雪と、スヤスヤと眠る乾 寧音の6名。
私たちは皆、先程の事件も含め、最初にいたメンバーの4分の1を失ってしまい、衝撃を受けていた。
特に美雪さんに限っては、かつて見ぬほどに憔悴していた。
つい十数分前に、一夜を共に過ごすはずだった女の死体を目の当たりにし、
そして今、数少ない同期のメンバーを1人、失おうとしているからだ。
一方、ある種のパニック状態に陥り、何の証拠もなく、ある女を犯人だと決めつけている菜那は、
冷静にコトを対処しようとしている増峨さんに向かって吠えた。
「まだ連絡は取れないんですか!?いい加減、フロンティアの研究所との間の連絡機能くらい、復旧したでしょう!?」
「菜那、落ち着いて……?」
私は宥めようとするが、まるで効果はなく、
「落ち着けないわよ!早くここを出て、安全を確保して、莉央の仇をとらなくちゃ……!あの女の好きにさせて堪るか!」
と、いつもの優しさを欠片も残していない怒声を浴びせられる結果となった。
「すまない、もう少し待ってくれないか……!」
「増峨さんに少し任せましょうよ、花理崎さん」
増峨さんに続いてそう口を開いたのは絢だった。普段のはっちゃけたような声ではない、至極穏やかな声だ。
「余計な焦りは、人の不安やストレスを煽って、更に遠回りな結果を生むだけ。
ここに居る中で、この電波障害を解消できるのはたぶん増峨さんのみ……その増峨さんが無駄に動揺してしまえば、オレたちの安全は遠のいてしまいますよ」
そう諭された菜那は、何に対するものかは定かではないが、苛立ちの舌打ちを残して、無言になった。
しかしながら、この男性陣2人は何故こうも平静を保っていられるのだろうか。
1人はまだ不確定と言えども、2人を犠牲にしているというのに、これ程に泰然自若な態度で、大局を見て行動を取れるものだろうか。
かく思う私は今、疑念に駆られてならない。
日常なら陥りようもない、この場にいる全員に対しての疑念に。
まず当然として、増峨さんと絢に対しての疑いが挙がる。彼らの不自然に落ち着いた態度を疑わずしていられるはずがない。
ただ逆に考えれば、そんないかにも怪しい挙動を、この監視の目の厚い空間で人を殺せるような人間がするだろうか?却って危険性の増加を招いてしまうはずだ。
ともすれば、2人とも本当に冷静なだけ?
それか、内心は恐怖心で一杯だが、男としての意地が発揮され、ポーカーフェイスになっている……?
仮説が仮説を呼び、迷宮へと私を誘っていく。
私はその迷宮に足先を入れたところで我に返ったので、難を免れた。
仮に彼等2人が、私の思い過ごしによる濡れ衣を着せられていたとして、
誰がこの事件の犯人なのだ?
寧音さんの可能性は無くはない。
莉央の死体を初めに発見し悲鳴をあげたのは彼女。それが演技だったとしたら……可能性は無いどころか大いに有る。
しかしそれならば、あの虹際さんの巨躯を動かすことは可能とは思えない。
彼女の身体付きは、はっきり言って同姓の小学生のそれより弱々しい。私たちですら動かすのが困難な彼の巨体を動かせるわけがない。
……だが、彼女にもし、共犯の人間がいたとしたら?
初葉 美雪──彼女の力があれば、夢幻のようなその犯行に現実味が増す。
だが、それでも未だ、力不足であることも否めない。
しかし彼女にはもう1人、共犯となりうる人物──否、人格がある。
金子 結由だ。
一見、女性とは判断し得ないその筋肉質な身体を目にした記憶は、4ヶ月以上経った今でも鮮明に覚えている。それを行使すれば、単独でも十分に犯行可能だ。
だがだとするなら……今、眼の前で眠るその身体に宿っている人格は、金子 結由なのか?
もしくは今まさに、乾 寧音に移り変わろうとしている真っ最中の場合もありうる。
……いや、このケースであることはやや考え難い点もある。
私の知る限り、結由が覚醒める為の条件は、
・興土島に滞在している
か、
・過度のストレスを背負う
だけ。
結由自身がその意志だけで覚醒することは考えづらいし、仮にそうすることが出来たとしても、寧音がそれを防ごうとするはず。
となると、結由が犯行を行うことは奇跡に等しい確率である。
となれば……消去法で導き出される犯人は、
菜那。
私は初めこそ、真っ向から否定できた。
私たちはここに来てからの時間、行動をほとんど共にしていたのだから。
──そう、ほとんど、だ。
ほんの数分、私たちは分かれていた時があった。
それは、コテージのロビーで『話がある』と菜那に告げられた直後の数分。
菜那は、私を先に部屋に送り、たった1、2分の間、事務的なことをしてくるとの理由で部屋を離れていた。
もしその場で、彼女が人を殺す算段をしていたら……?
彼女は大学では物理を専攻していたはず。何らかの仕掛けを施すのは彼女の十八番と言っても過言ではない。
莉央を信じかけていた態度はまるきり嘘で、今日の日中の出来事に乗じて、莉央を殺した──そう考えれば辻褄も合う。
それとも……その出来事すらも虚偽……?
その可能性もまた、完全に否定出来ない要素だ……。
いや待て。
……犯人は、虹際さんであるかもしれない。
彼は今、あくまでも行方不明だ。行方不明とは何も、動けない状態でどこかに居るはずの人物に対する捜索願ではない。
彼が生きていて、私たちの捜索の目を逃れ続けているとしたら?
そうして逃れる理由はいとも簡単。
……彼が、莉央を殺した張本人だからだ。
何らかの理由からか、彼は犯人が自らだと知られることを恐れ、此処が山中のコテージだと言うことも利用して姿を晦ませた。
そんな仮説も、成り立ちようのないものではない。
「よし!」
私が様々な憶測を並べ、証拠もないそれに怯えていると、
増峨さんがいきなり叫んだ。
「フロンティアとのネットワークが開通した!」
この場にいた他の人間の待望であった、ネットワークの復旧が完了した報せだった。
「フロンティア経由で、通報をしよう」
増峨さんは早速、回復したばかりの腕取付型携帯電話を使い、フロンティアに電話をかける。
4回ほどコールがあった後、電話口に出る音がした。
すると。
『そっち…………連絡……と……たか……!』
『まだ……す……!!』
などと、スピーカーから僅かに漏れた、人々の慌ただしい音や声が聴こえてきた。
「こちら、増峨です!社員コード、LP-231!」
訝しむような顔をしつつ、増峨さんが己の名を大声で言う。
「……はい。こちら、フロンティア研究所山中、宿泊用施設です。
安全の確保は……やや欠落しています。死傷者が1名と……行方不明者が1名、確認されています」
彼は、今のこのコテージの現況を率直に伝えた。
「…………はい…………はい……えっ!?それは、本当ですかっ!?」
初めは、反省している顔だった。
しかし途中から、驚愕のそれに変貌し、彼はそれに続くように立ち上がった。
「……判りました!こちらはそれまで、安全確保に尽力致します!救助車の一刻も早い手配を願います!」
そう言うと増峨さんは通話を終え、その仰天した表情のまま、
とある衝撃的な事実を、私たちに伝えた──。
「フロンティアにて、かなりの死者が出ているそうだ。……殺人事件だよ」
「殺人……!?」
自分たちのすぐ近くでもそれは起きているにも関わらず、美雪さんがひどく驚いている。
「それも……“人造人間”研究課の研究員と、フロンティアとトレイル・ブレーザーの上層部の人間だけが狙われているそうだ。
ツアーでの君達の担当員だった閑香さんも含まれている」
「そんな……!?」
今夜は、美雪さんを精神的に追い詰めることばかり起きる。
しかし、追い詰められる──衝撃を受ける、と言う方が正確かもしれない──ことになったのは、彼女だけではなかった。
「フロンティアの所長、副所長……それに」
その次に伝えられた事実は、私に衝撃を、
そしてその私のそれ以上の衝撃を菜那に与えた。
「──今日、フロンティアを訪れていた、トレイル・ブレーザー社長秘書……界坂 花蝶氏も…………殺されていたようだ──」




