第17章 慮外
第3部開始の前に留意しておいて頂きたいことがございます。
この章より舞台は大学に移りますが、作者は(作成当時)高校生です。大学については綿密に調べてはいますが、推測に近い点も多々ございます。
従って、実際の大学とは異なる点もございますが、フィクションだと思って大目に見ていただければ幸いの限りです。
よろしくお願いします。
──2115年 4月1日 AM.5:50
「……ふぁ〜あ……。……おふぁよう、杏紅」
おぼつかない足取りで、この白鷺家の古びた家屋には優しくない重たい足音を立てながら階段を降りて来たオジサン。
名を白鷺 京助。私と共にこの家に住むもう一人の住人である。
まあそれも、今日限りなのだが。
「……4:30に起きてお前を起こしてやるー、って意気込んでた人は何処の誰ですか?アクビしてないで、もっと早めに起きてくださいね」
私──愛翠 杏紅は、まるで彼の母か姉のような言い方で、彼を叱った。
へーい、と彼は身の入っていない、腑抜けたような返事を返して来た。
「……こんなんだったら、おちおちと家も出られませんよ。これからは一体誰が白鷺さんを看れば良いんですかね」
〔私がなんとかしたいんだけどね〜〕
「うわっ!ビックリした!……せめて挨拶くらいしてくださいよ、美依莉さん」
何処からともなく突然響く彼女の声に、私は未だに慣れないでいる。
〔ゴメンゴメン、おはよ、杏紅ちゃん〕
天に住まう神の声のように私に話しかけてくるその声の主は、ダイニングテーブルの前に腰掛け、まだ呑気にアクビをしている京助の妹、美依莉さん。
とある“事情”を抱える彼女の身体は、この世に存在しない。
いま生きているのは、彼女の電脳──つまり思考のみだ。
いや、彼女の身体がこの世に完全に存在しない、と言うと誤りがある。
彼女の頭、それは今、私が持っている。
私の、頭として。
そんなことが出来るのも、全て私たち2人に共通する、ある大きな特徴のお陰だ。
私たち2人は、“人造人間”なのである。
人間そっくりに造られた機械である私たち。その身体を動かすのは、電脳である。
十数年前に死を遂げた美依莉さんの電脳を、天才科学者である兄、京助が再生させ、更にその美依莉さんの知能が造り上げたのが、彼女自身が生きていた時の顔であった。
それが今、私の顔となっている、というわけだ。
“人造人間”の頭部は、人間における心臓部──“動力源”と接続さえ出来れば、どの頭部でも動く。但し、アナフィラキシーショックの様な拒絶反応や、接続不良による暴走など、様々な危険性も兼ねている。
幸いにも、私の身体と彼女の頭部の相性は良く、何事も無く現在も生活している。
ただやはり馴染むのには時間がかかるようで、一年目である去年の間は、首を回すのに苦労したのを覚えている。
そんなことを乗り越えた末の、2年目である。
〔でもさぁ、こんなやり取りも出来なくなるんだね、当分の間〕
ふいに、美依莉さんの声がそう言った。
「そんな……寂しくなるようなこと言わないでくださいよ、美依莉さんったら」
私は言いながら、朝食の味噌汁を2つ、食卓に置いた。
そう。私は今日、この家を離れる。
遠くの大学に通う為、その建物の傍にあるアパートに、一人暮らしすることになったのだ。
県境を幾つも越えないと辿り着けないようなその大学にしたのには、もちろん理由がある。
ある“サークル”に参加する為だ。
「大丈夫だ、今の時代、立体映像通話なんてものがあるんだから。全世界が近所みたいなもんさ」
〔……まあ、そうよね。……あーあ、なんだか一気に冷めちゃったなぁ。折角、しんみりしたさみしいお別れを演出しようとしたのにさ〕
「何ですかそれ」
微笑を交えて、私は言った──。
──AM.7:00
「それじゃあ、出発だな」
白鷺さんが、見送りに玄関まで来てくれた。
傍には美依莉さんの立体映像が投影されていた。
二人とも、優しい笑顔だ。
「大きな荷物は、今頃向こうの部屋に着いているはずだ。部屋、間違えるなよ?」
白鷺さんの笑顔が、人をおちょくるようなにやけた顔に変わる。
「ちょっと、私いくつの子だと思ってるんです?」
〔そうよ、兄さん。これからお別れだっていうのに、最後までバカにするなんてサイテーね〕
女子2人に責められ、小さくなる白鷺さん。
〔なんだったら、いつでも呼んでくれて良いのよ?移動費も時間も、私には無いんだから〕
胸をポンと叩いて軽くふんぞり返り自慢する美依莉さん。
「そうですね、また会いたくなったらいつでもそうします!」
私も元気よく返事した。
そして、暫しの間訪れる静寂。
私は2人の顔を、
2人は私の顔を、しっかり目に焼き付ける為の時間だ。
どれだけ時が進んでも、本人がそこにいなければ、お別れなのだから。
「じゃあ、行ってきます!」
「……ああ!」
〔行ってらっしゃい!〕
2人の言葉に背中を押され、私はドアを開いた。
その向こうにある眩しい光が、私を包んだ──。
──あの瞬間が、まるで何十年も前のように懐かしく思えてくる。
それくらい、この2週間は忙しかった。
掃除、洗濯、炊事。
白鷺家にいた時、それらを一人で難なくこなしていた私は、一人暮らしなんてへっちゃらとなめてかかっていた。
甘かった……。
いろんな所に挨拶は行かなきゃだし、バイトも見つけたりしないといけないし、何より荷物の整理に手間を取られた。
おかげでヘトヘトである。
大学の入学式も、学部のオリエンテーションも、はっきり言って記憶が無い。
魂だけ別のところで生きていたみたいだ。
そして、ようやく荷物も整理がつき、心にも余裕が出てきた4月14日。
私は、ある部屋の前に居た。
“人造人間”研究サークルの、研究室の前に。
「誰かいるのかなぁ……」
旧校舎にあるこの研究室は、昔の建築方法だからか、中の様子を伺えないような作りになっている。
人影も見えないし……今日は休みなのか。
仕方ない、出直そう。
そう思って、踵を返し、家に帰ろうとした時だった。
「どうした、君?この研究室に興味があるのかい?」
私の背後から、声をかけられた。
爽やかな、若い男性の声だ。
たぶんこのサークルの人。
「あっ、あの……“人造人間”研究サークル……って、此処で合ってま……すか?」
その人の顔を見ないまま、私は尋ねた。初対面にもかかわらず、実に無礼な行いである。
「……ああ、合ってるよ。入会希望かな?」
「あっ、はい!」
待ってましたとばかりにそう答えた私は、その反動で、下に向けていた首を勢いよく起こした。
その時に見た、その男性は、声から想像がついた見た目をそのまま具現化したような人だった。
きちんと整えられた黒髪に、端正な顔立ち。そのぱっちり二重は特筆すべきだろう。
その長身も魅力の一つ。
この容姿は所謂、イケメン、というやつだろう。
「そうか……!実は今年、新人は一人かと嘆いていた所なんだよ。まあ、全員合わせて5人っていう、小さなサークルなんだけどね」
「5人……!?私が調べた情報じゃ、もっと大きな、この大学を代表するくらいのサークルだと……!」
「ああ、あのホームページ古いからねぇ」
顎を撫でながら、驚くのも無理ないか、と言った風な表情を見せる男性。
「あれは多分、10年くらい前の情報なんだ。実を言うと、オレもあのサイトを見て憧れてこのサークルに入った。ちょうど君みたいな反応だったと思うよ」
10年前となると、正確な数字で言えば2106年。
法律によって返還された“人造人間”の数はピークを迎え、巻波氏を中心に行われたデモもより過激になり、国民の“人造人間”に対する関心が最も高かった年と言える。
それを踏まえると、彼の言うことにも合点がいく。
「世間の“人造人間”に対する興味も薄れ、それに比例してこのサークルのメンバー数も減った。今やたったの5人だけ。けどむしろ、人数が少ない方が、案外楽しかったりするけどね」
そう言って彼が作る笑顔は、私はともかく、世の女性のハートをギュッと掴むものに違いない。
「まあ立ち話も何だし、入って入って。たぶん、今は一人だけ中にいるんじゃないかな」
彼は言いながら、徐ろに研究室のメタリックなドアを開いた。
部屋の中には、赤みのかかった茶色の、お世辞にもフカフカとは言えなさそうな3人がけソファが2つ、見合わせるように並んでいる。
その間に、カップラーメンの容器がいくつか置かれた、食べカスのあとがいっぱいのガラス製のテーブルがあり、
奥には大きな机が一つ。
何処かの探偵事務所のようなつくりである。
そして、そのソファに一人座る女性が、こちらを見て、
「ひっ」
と言いながら驚いていた。
何でだろう。そんな奇抜な格好でもしていたかな、私。
「乾さん……身構えなくていいってば。入会希望の人だって。ほら、挨拶して」
小さな子を持つ母親みたいな口ぶりで、男性がその女性に言った。
身体を丸め、私から十分な距離をとったまま、その女性は私を見ながら自己紹介。
「い…………乾……寧音です。よ、よろしくお願い……します」
やっぱり小さな子なのか……?
と思ってしまうような、幼い声である。
丸眼鏡から覗くうるうるとした瞳に、胸を撃ち抜かれそうである。
「彼女は2年生。君の一つ上の先輩だね。言うまでもないケド」
いつの間にか私の前を行っていた男性はそう言った。そういえば、と前置きして彼は続ける。
「オレの自己紹介が遅れてたね。
オレは黒雨 凛。3年生で、一応このサークルの部長。
ちなみにだけど4年生はいない。ちょうど彼らの学年だけ、入会生がいなかったんだ」
ゆっくりだけど決して聞きにくくはない話し方の彼──黒雨さんへの(私個人の)好感度は、さらに上がった。
「さっきから何度も言うように、このサークルにはあと3人仲間がいる。3年はオレ1人。乾さんと同学年があと2人いて、そして、君と同じ1年がもう1人」
彼が『乾さん』と口にする度に、その名の主の肩はピクリと縦に震える。それもまた、オモチャみたいで面白くて、且つ愛らしい。
「その1年は、二週間前の入学式当日の2日前にここに来たんで、こっちも思わず驚いたよ。その日は特に予定は無かったんだけど、オレだけが此処にいた。正解だったよ」
「……その人、1時間前にこの部屋に居ました。講義があるらしくて、私が来た途端、すぐに出て行かれましたけど」
付け加えるように、小音量ボイスの乾さんが言った。
「確か他の2人も、この時間の講義を聞いているはずだから、きっと同じタイミングで来るだろうね。……その前に、君の名前を聞いておこうか」
はっ、と私は、人の紹介を聞いておきながら自分のことを全く告げていないという無礼講に気付き慌てた。
「わ、私、愛翠 杏紅と申します!不束者ですが、よろしくお願いします!」
「愛翠さん、か……。よし覚えた、よろしくね」
爽やかな笑顔がまた帰って来る。
それより、この一瞬で、この一風変わった名前を覚えたとしたらば、彼の記憶力はそこそこのものである。
「ところで君は、どうしてこのサークルに?」
何だか面接を受けているみたいだ。
「……昔、知り合いに“人造人間”がいたんです。学校が別になって別れたんですけど。それだけで、と言ってはおかしいですけど、“人造人間”には昔から興味があったんです」
「……デジャヴかな」
「へ?」
私の──嘘で取り繕われた──動機を聞いて黒雨さんが言った言葉に、私はそんな阿呆みたいな声を出してしまった。
「2週間前もそんな話を聞いたんだ。もう1人の新人から、ね」
つまりもう一人の1年生のことだ。
そんな嘘みたいな(嘘だけど)経験をした人間なんて、そうそういないはずだ。
これは気が合いそうだ。
「これは、今年の1年生2人は大物揃いかも知れないな。部長としては誇らしいことだよ」
うんうん、と頷きながら黒雨さんは言う。
何だか私も嬉しい気持ちになりながらその彼を見ていた時だった。
その、賑やかな女性が入室してきたのは。
「おっっはよーっ!」
必要以上に大きな声の挨拶と共に、その女性は登場した。
その風貌を見れば、なるほどそれだけ元気がいいのも判らなくはない。
黒をベースとした髪には、赤だの金だの茶色だのと、バリエーションに富んだ色味が加わっており、また爪もやたら長い。
これは一昔前に収束したものの、近年またブームの勢いを見せている、『ギャル』というやつだろう。
「初葉さん、おはよう」
黒雨さんは、その大きな声に全く動じないで挨拶を返し、
「美雪ちゃん……!」
と、乾さんは救世主でも現れたみたいな表情で彼女を見た。
「ちぃーっす、お二人さんっ。……んで、その子は?」
「ああ、紹介するよ、入会希望の……」
「愛翠 杏紅です!よろしくお願いします!」
黒雨さんの言葉を遮って、私はお辞儀と共にそう申した。
「やったじゃん!もひとりメンツ増えたじゃん、ぶちょーさん!5人はマジヤダだったからチョーうれし〜わあ〜っ!よろしくね、キョーカ!」
……と、文字にすると漢字がまるで──彼女の言葉を使うとするなら『チョー』少ない返しの挨拶だった。
「んでんで?今日はなんかすんの?」
「いや、まだ決めていないが。まあこうして新しい子も増えたし、今日は歓迎会でも……」
「かんげーかい!?やったマジうれし〜んですけど!!ネネ、何しよっか?」
「えっ……!?わ、私は、何でもいいよ……。み、美雪ちゃんが決めて」
この上ないくらい両極端な2人だな。
彼女らのやり取りを見ていて思ったのはそんなことだ。
はっきり言ってウルサイ初葉さんと、
囁くような声の控えめ少女、乾さん。
過去に何があったのかは知らないが、よく友だちになれたなと、驚きすら抱いてしまうくらいだ。
「えー、またウチが決めてってー?たまにはネネが決めてオッケーなのにー」
「ほ、ほんとにいいってば……」
頬を赤らめながら否定する乾さんがまた愛くるしい。
「2人はこんなやり取りばかりしている仲良し組さ。彼女たちを見ていると、癒されるだろう?」
黒雨さんの言葉に、初葉さんが過敏に反応した。
「ちょ、癒されてるんですか?楽しむんじゃなくて?アッハハハ!だってさ、ネネ。ウチらの会話、癒し効果があるみたいだよ」
アハハハ、と高らかに笑い続ける初葉さん。何がそんなに面白いのやら。
と、そんな私たちのところに、またもう一人、派手な登場をかましてくれた男性が。
ふいに研究室の扉が開いたかと思うと、
「うおっとっと……のわぁっ!」
という声と共に、5、6個の段ボール箱が床に転がり、その中身が散らばった。
何かの資料と思しきそれらは、一つはクリアファイルに入った紙だったり、また別の一つは対照的な分厚い本だった。
その中には、いつだったか、図書館で読んだあの『“人造人間”図鑑』も有った。
「あ〜らら……また大胆に広げちゃって……」
乾さんと話していた時の眼とは全然違う、蔑むような眼でその男性を見る初葉さん。散らばった資料をせっせと集める彼を、手伝おうともしない。
しかしその初葉さんのお友だち、乾さんは、
「だ……大丈夫ですか……?」
と慌てて向かった。
それを見た初葉さんは、
「も〜……しゃーなしだよ?」
と、むすっとした顔で、乾さんとその男性に手を貸す。
勿論、私と黒雨さんもそれに続く。
「このおっちょこちょいくんは、3人目の2年生、虹際 星剛。とても頼もしい子なんだけど、見ての通りドジなんだよ」
「ちょっと、その紹介はないんじゃないスか?凛さん」
黒雨さんのことを名前で呼ぶのか、この人は。
いやそんなことよりも、この人ガタイが良すぎる。
資料を拾っている時には気づかなかったけど、立ってみると見上げないと顔が見えないくらい背が高いことに気づく。私も決して身長は低いほうじゃないのに。
しかも肩幅も広い。私が両手を広げてやっとくらいじゃないか……?
筋肉も程よく付いている……。
どっちかっていうとこんなサークルよりも、ハードホッケー部とかみたいな、俗に言う体育会系って類の部活に入ってそうな人だ。
「君は見たとこ新人みたいっスね。以後よろしく頼みます」
「こんなドジ野郎だけど、仲良くしてやってくれ」
「だからその紹介──」
「ちょっとすみません!」
漫才みたいな二人のやり取りを断ち切るように、女性の声がした。負けん気の強そうな声だ。
「私も荷物持っているんで、ちょっと通らせて頂けませんかね!」
「ご、ごめん」
叱りつけるような声に驚いて、虹際さんが横に逸れる。
声の主である女性は彼の背後に立っており、その彼が退いたのを確認すると、大股で机の前までやって来て、確かに重そうな荷物を、
ドンッ
と、大きな音をわざとらしく立てつつ置いた。
曲げていた腰をゆっくりと起こし、同時に、緑色の目立つ短い髪を揺らしながら、
「うーん……」
と伸びをするその女性。
「悪かった、君がいたことをすっかり……」
「忘れてた、って言うんですか」
何だろう、ギスギスはしてないけど、妙に不快感を感じる、この二人の間に流れる空気は。
「ホントに重かったんですからね!しかも散々『避けて下さい』って頼んでいるのに、全く反応も示してくれないんだから!」
「まあまあ。新人さんもいるんだからその辺にしなよ」
黒雨さんがなだめる。
「部長まで……って、え?新人?」
虹際さんへの怒りのお陰で、私の方になど目もくれなかった彼女は、黒雨さんの言葉を聞いて漸く私の存在に気付いた。
「わあ!よかったぁ、私も1年なんです!一人で心細いなぁって思ってたところ。同学年が一人でもいてくれてとっても嬉しい!よろしくね!ってえーと……名前聞いてなかった」
怒涛の如く話す様は、いつぞやの何処かの誰かさんと完全に一致していた。
相手の名前を聞く前に自分の感情をぶつけるところも。あの人も妹いたのかなぁ。
「愛翠 杏紅。こちらこそよろしくね」
よそよそしさたっぷりで、私はそう返した。
「アイカワ……随分変わった名前だね。まあ、私も他人の事を言えた苗字でもないんだけどね」
そう前置きして、その女性が言い放った名前に、
私は、大声を張り上げざるを得なかった。
あげてはいけないのに──。
「私、花理崎 菜那。改めてヨロシクね!愛翠さん!」
「え……!えぇぇ〜〜〜っ!!──」
かくして、私のキャンパスライフ──ひいては私の人生をも左右する、思いがけぬ出逢いが成し遂げられたのであった。




