5.復讐[6]
男に追いつき、弘文が足にタックルを駆けて倒し、上背のある正樹がその上に覆い被さった。恭一が追いついて加勢しようとしたその時、男はいきなり正樹の顔面を肘で殴り、弘文の頭を蹴りつけ、起き上がって走り出した。
「大丈夫か!」
二人がぐったりしているのを見て、とっさに恭一は男を追うより彼らの安否を確かめた。
「あいつ、すげえ力だ」
正樹が鼻血をぬぐいながらつぶやいた。弘文はうめくだけで、すぐには言葉が出ないようだ。恭一は改めて男が刃物を持っていなかったことに胸をなで下ろした。
三人は走り去った男を捜した。男は、雑木林のはずれの柵を軽々と跳び越えるところだった。その向こうには国道の車のライトの光が流れていた。
俺って、結構やるもんだな。
男はすっかり気分が高揚していた。前の時と同じ、いや、それ以上に俺は幸運だ。こんなに身体が自由に軽々と動き、力がみなぎっているなんて、自分でも信じられない。
男の身体はこの十年ほどで次第に膨れあがり、一方で筋肉の衰えが進んでいた。ここ何年もスポーツとは縁がなく、けんかなどはもちろん、走ったことさえ全くなかった。
それなのに火事場の馬鹿力というものなのか、若い男を三人も易々と片づけてやった。
自分は、実は大したものなのかもしれない。ピンチになっても必ずうまくいく。前の事件で自分が逃げ切れたのもそうだ。警察に捕まるならそれでもいい、ぐらいに思っていたが、その余裕がかえって良かったのかもしれない。そうだ、余裕だ。余裕が俺に幸運をもたらすのだ。今までも、そしてこれからも。
振り返ってみたが、奴らはもう追ってこない。勝利の感激が男を満たす。だぶついた腹でクマザサの茂みをかき分け、軽々と斜面を上りきる。まるで映画のヒーローのように軽々と柵を跳び越した。
その時、男は両肩に冷たく細い何かがくくっと食い込む感触を感じた。なんだろうか。男は肩越しに振り返る。そして、そこに若い女の顔を間近に見てぎょっとした。青白い月の面のような白い顔は、さっき見たグロテスクな風貌とうってかわって、鼻筋の通ったぱっちりした瞳の、整った美しい顔立ちだった。けれどもそのまなざしはぞっとするほど冷たい光をたたえて、まっすぐ彼に注がれていた。
彼女は男の肩に顎を乗せて、にっこりとほほ笑んだ。涼やかな歌うような声が男の耳元でささやいた。
《私があなたを連れて行ってあげる。》
狭い歩道とガードレールの向こうには、街灯に照らされた国道のアスファルト。歩道を国道に沿ってしばらく行けば、入り組んだ住宅街があるのを男はよく知っていた。あの辺りは昔叔母の家を借りて住んでいたから、追っ手をまく隠れ易い場所も熟知している。
だが、男の足は彼の意に反して舗道を曲がろうとしなかった。
《そのまままっすぐ走るの。あなたの足は速いわ。とても。誰も止めることなんかできない。》
歌うようなささやきが再び男の耳をくすぐった。
男は自分の手首を細い掌がしっかりつかんで、前に差し伸べさせるのを見た。 その手がガードレールをしっかりとつかむと、男の腰が軽々と宙に浮き、ひょいと飛び越える。
男は慌てた。必死で身体をひねって後戻りしようとする。上半身がねじれて、ガードレールをつかみそこなった手のひらが助けを求めるように大きく開いた。男は見えない力の助けを借りて再び体勢を整え、まっすぐ国道に突っ込んだ。車のライトが近づく。昼間ほど交通量はないが、空いている分スピードを増している。そしてふいに男の足は道路に吸い込まれたように動かなくなった。男は大きくのけぞって恐怖の叫びを上げたが、両足はびくともしない。すぐにそれは激しいクラクションと急ブレーキの音にかき消された。
恭一達はライトの光の中、ずんぐりした人影が軽々と跳ね上がり、対向車線で別の車のボンネットにたたきつけられて再度こちら側に放り出され、急ブレーキをかけて止まった車と間に合わず追突した車にはさまれてぐしゃりとつぶれるのをまるで夢でも見るようにぼんやりと見つめていた。
やがて、遠くからパトカーと救急車の音がこちらに近づいてきた。




