4.過去[3]
恭一は試験休みが終わる少し前に家に戻っていた。しばらくは引っ越しのアルバイトで心身共にくたくたになった。沙織のことを考えるのもおっくうだった。いや、むしろ考えずに済むためにアルバイトに精を出していた。
休みが終わって大学が再開すると、恭一は重い腰を上げて、とにかく何か手がかりを探そうと思い立った。
伊知恵には敢えて連絡を取らなかった。伊知恵の祖母は時間がかかると言っていたから、あまり早急に伊知恵が祖母とどんな結論を出したのかも聞きづらかった。
試験後最初の講義は試験の解説だけと聞いて午前中の講義をさぼり、恭一はまず、事故現場の国道を訪れた。その場所を恭一はそれまで一度も訪れたことはなかった。沙織の事故は恭一がまだ幼い時分だったし、両親も敢えて連れてこようとはしなかった。母の実家から戻った恭一が沙織の事故現場を教えてくれ、と母に尋ねると、母はあからさまに眉をひそめた。
「今更そんなところへ行って何をしようっていうの?」
「別に。ただ、もう一度さあちゃんの足跡を辿ってみようと思って」
恭一はなるべく平静を装った。両親にも祖母にも、龍之口神社での出来事を話すつもりはなかった。
しぶしぶ教えてくれた母の言う場所には、今では狭い歩道がありガードレールも整備され、事故があった痕跡はもちろん何も残っていなかった。その場所にいくら恭一がたたずんでも、変わったことも起こらなかったし、何かの気配も感じなかった。そこはただ、車がせわしく行き過ぎる広い国道に過ぎなかった。
恭一はそこから振り返って、雑木林を見た。すでに色づき、落葉も始まった雑木林は、遅い朝の日差しを浴びてのどかに風に枝をそよがせていた。
足元の針金の柵をまたいで、恭一は林の奥へと足を踏み入れた。
途中から、遊歩道のような道がまっすぐ続いていた。そしてその先に、廃墟となった病院跡があった。
さすがに中に入るのには勇気が要ったが、ここまで来てただ引き返しても意味がない。恭一は生唾を飲み込んで、ガラスが割れて抜け落ちた古い木のドアの真鍮の取っ手を回した。
ドアは意外にもすんなりと開いた。三階建ての建物の一階部分は薄暗く、じめじめしてカビ臭かった。受付、待合室、診察室。薄暗い中を恭一はゆっくり進んだ。閉ざされたエレベーターの脇に階段があり、それを上るとレントゲン室や処置室に交じって、手術室もあった。開け放されたドアの向こうを見て、恭一は思わず背筋がぞっとした。
手術室の寝台の横に、テレビドラマで見るような手術用具一式がむき出しで並べられている。色あせて光は失われていたが、様々な種類の刃物がずらりと並んでいるのを見るのは気持ちのいいものではなかった。
(いくら廃業したからって、備品は普通売ったり処分したりしないんだろうか)
これではまるで、手の込んだお化け屋敷だ。よくよく考えたら、この病院自体は沙織の死とは何の関係もないのだ、と気がついて、恭一は急にここにいるのが厭になった。きびすを返して、足早に病院を出た。そしてそのまま、道なりに雑木林を突っ切ると、深夜バスが止まるバスの折り返し場に出た。
ここから、沙織の悲惨な運命が始まった。そう思うと、恭一は胸が詰まった。結局、何も手がかりを得ることは出来なかった。恭一は肩をすくめ、そのまま午後の講義に出席するために大学へ向かった。
午後の講義までまだ少し時間があったので、図書館に寄った。初めは暇つぶしのつもりだったが、選択科目である法律関係の本の背表紙を見ているうちに、もしかしたら沙織が見た幼女殺害事件の資料があるのではと思い、パソコンの資料検索画面に向かった。日付と場所、事件の形態別に検索を繰り返し、ようやくそれらしい事件に行き当たった。さらに詳しく新聞や雑誌にまで手を広げてみた恭一は、事件の全貌を知り、身体が震えた。
被害者の幼女は首をナイフで切り裂かれ、全身の血を抜かれたあと、鋭利な刃物で胸から下腹部にかけてまっすぐに切られた形跡があった。さらに異常なことに、その傷は丁寧に縫合されていたのである。いくつかの臓器の一部に加工された跡も見つかった。つまり、加害者は殺害したあとで被害者を「解剖」したのだった。
恭一は目を閉じた。冷や汗があちこちから吹き出してくる。瞼の裏に、あの病院のきれいに並べられた手術道具が鮮やかに浮かんだ。
加害者の男、沙織を死に追いやった男は、幼い少女を殺し、遺体を解剖してもてあそぶ異常な性癖の持ち主だった。
パソコンの画面をかろうじて消し、恭一はふらふらと図書館を出てそのまま大学を後にした。とても午後の講義を受ける気分にはなれなかった。




