3.帰郷[10]
「そう、あんたが伊知恵の想い人かい。ちょっと困ってはる様じゃね」
伊知恵の祖母にあっさりそう言われ、恭一はもはや素直にはい、と頭を下げるしかなかった。伊知恵の祖母のこぢんまりした家の中は、さっき訪れた龍之口神社の社務所によく似ていた。ここに来て恭一は初めて、伊知恵の祖母が神職を司っていることを知らされたのだった。
「おばあ、友達がこんな写真を撮ったんだって」
伊知恵が恭一から預かった写真をヨシノに差し出した。それがまがいものであることは伊知恵にも何となくわかったが、その写真には得体の知れない何かがべっとりと張り付いているのが感じ取れた。このまま放って置いていいはずがない。
「これは、おまんらには関係ないが」
そう言ってヨシノは眉をひそめた。
「これを細工した人間は、いずれ良くない目に遭うだろうねえ」
「細工した人間だけ?」
言い募る伊知恵を見つめて、ヨシノは軽く笑った。
「さあよ、思い当たることがあるんじゃったら、それはおまん次第」
そう言われてしまうと、伊知恵は顔を赤らめてうつむくばかりだった。
「おまんらぁ見て、なるほどわかったよ」
ヨシノはふと真顔になって二人を代わる代わる見つめた。
「おまんら二人とも、よお似とる。あんまし、自分の内側を見つめ過ぎたらあかんよ。そういうのを、あちらはんは素直に大きゅうする。きれいでいようとあがくのはやめんさい。それも、一つの欲や。欲にとらわれると、ろくなことあらへん。そのまんまの自分をよしとして、目の前のことをただ一生懸命にしんさい。そしたら、不愉快なことは向こうから去って行きよる。その上で、身に降りかかるものは不幸でも何でもない、生きている証みたいなもんじゃ」
そう言って、ヨシノは乙橋が突き返してきた写真をびりびりと気前よく破り捨て、傍らに置いた今時珍しい火鉢にくべるとさっさと燃やしてしまった。
「さて、恭一くん、あんたは今夜一晩ここに泊まりんさい。明日、駅まで伊知恵に送ってもらうといい」
「あの、それで、姉ちゃんが言ってたことは、これからどうすれば・・・」
恭一が遠慮がちに聞くと、
「それはこちらでまた考える。時間がかかるから、すぐには答えは出せない」
ヨシノはそう言うと屈託なく笑って、晩ご飯はみんなでうちで食べよう、伊知恵も手伝っておくれ、と颯爽と立ち上がった。
その夜、恭一はなかなか寝付けなかった。
仕事柄、時々遠方から人が来るらしく、ヨシノに出してもらったのりの利いた真新しい来客用の布団はまるで旅館のもののようにふかふかで豪勢だった。それが逆に落ち着かないのもあったが、昼間の出来事がしきりに頭をよぎって離れなかった。
伊知恵の口から語られた沙織の言葉は、残念ながら不明瞭で断片的で、ようよう事実のアウトラインがわかるだけだった。
どうして、沙織はわざわざ遅くなったのに無理をして家に帰ってこようとしたのだろう。恭一も大学生になったから解るが、地方から出てきて気ままに一人暮らしをしている学生は意外とたくさん居る。遅くなったら気軽に泊まらせてくれる友達には事欠かないはずだ。もしかして、翌日の自分の運動会のためだったかと思うと、申し訳なさでいっぱいになる。
それに、何故人気のない暗い道を通ってまで急いで帰ろうとしたのか。あの雑木林は、現在も半分以上まだそのままで残っていた。特にあの病院の辺りは、少女の遺体が発見されてからますます売り手が着かなかったのか、病院の廃屋までそのままで、テレビや雑誌にたまに取り上げられる、心霊スポットになっていた。
伊知恵に聞いても、あの時のことはよく覚えていないと言う。あんな風に「取り憑かれる」経験なんて、きっとひどく気味の悪いことだったに違いない。
ヨシノの言う「あちらはん」というものの存在は恭一にはまだ半信半疑ではあったが、何か人知を越えた範疇のものが、解る人には解るのだろう。人々は未だに身の回りに悪いことが続いたりすると、お祓いを受けたりお守りを買ったり、急に思い立っていそいそと先祖の墓参りに行ったりする。そういう気持ちになるのは、まだ人々の心の中に神仏の座がちゃんとあって、それに対局する忌むべきものの存在の座もあるということなのかもしれない。
伊知恵と自分が似ている、と言われて、恭一は内心嬉しかった。伊知恵の想い人と言われたことも、決して聞き逃してはいなかった。だが、伊知恵がそういう家系で自身にもそういった力があることに関して、香苗のように決して得意げではなかったこと、むしろ負担に思っているようなのが気がかりだった。ひょっとして、自分と沙織のことは伊知恵にとって重荷なのではないだろうか・・・。
すっすっと畳を忍び足で歩く足音がした。ヨシノだろうか。足音が止まり、ふすまが開いた。寝ているふりをした方がいいかな。だが、恭一はつい薄目を開けてしまった。
そこにいたのは、ヨシノではなかった。沙織が、恭一の枕元にきちんと正座して、恭一を笑顔で見つめていた。
恭一は、十四年ぶりに沙織の姿をくっきりと見た。なんて、寂しい笑顔だろう。今にも涙がこぼれてきそうな、切ない笑顔だろう。
(さあちゃん、もっと生きていたかったろう。悔しかっただろう。俺、絶対何とかしてやるからな。さあちゃんの恨みを、晴らしてやるから)
恭一は沙織の幻影に手を伸ばした。
すると。
(・・・恭ちゃん、あの子を、守ってあげて)
沙織は泣きそうに哀しげな笑顔のまま、そう恭一に告げて、闇に溶けて消えた。




