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2.怪異[7]

 翌日、午後五時からの部会の前に、伊知恵の部屋で香苗にスタイリストになってもらって、伊知恵は初めて化粧をした。

「・・・何だか化粧、濃くない?それにスカート短すぎ・・・」

 鏡に映った自分を見て、伊知恵は戸惑った。

 濃い青のシャドウは、わざとらしくて舞台女優みたいだ。アイラインとつけまつげで目が二倍に膨れあがっている。ワックスで髪を外に跳ねさせ、耳を出したのも初めてだった。香苗は伊知恵の小さな耳たぶにピアスの穴が空いていないことをしきりに残念がりながら、姉のお下がりだという金色のワイヤーコイルが揺れる大ぶりのイヤリングをつけた。ワインレッドの口紅は、ひどく毒々しく挑発的に見えた。金ラメの入った黒いセーターは、買ったときは気が付かなかったがかなり襟元が空いていて、少しずれると肩がむき出しになる。あわせた赤いミニのキュロットスカートは香苗にもらったもので、太ももぎりぎりまで短く、こんなに生足を出すのは初めてだ。化粧も服も、今までの自分からあまりにもかけ離れていて、伊知恵は鏡の中の自分を直視できない。

「何言ってんの。すごいステキだよ。いっちゃんは、自分の魅力がわかってないなあ」

 自信たっぷりに言う香苗に押し切られるように、伊知恵はそのまま大学へ戻った。

 二人で部室のドアを開けると、既に集まっていた旅研のみんなからおおっ、と口々にどよめきが起こった。

「どうしたの、いっちゃん?バイト先、替えた?」

 智志が目を丸くして真っ先にそう言った。

「イメチェンだね。女って劇的に変わるもんだな」

 三年生の部長が言う。

 いつになく注目を浴びて、伊知恵はぱあっと舞い上がって、何も言えなくなってしまった。

「あれ、そのスカート、前にかなちゃんがはいてたやつと同じじゃない?」

 二年生の先輩女子の一人がめざとく言った。

「あ、もらったんです、かなちゃんから」

「けっこう大胆だね、それ」

 もう一人の先輩にそう言われると、伊知恵は急に恥ずかしく、落ち着かなくなった。かなちゃんには似合っても、私には無理だ。

「私も買ったときはいいなと思ったけど、あんまり短いんで恥ずかしくなっちゃって、全然履いてなくって。いっちゃんみたいに足がきれいじゃないから・・・」

 そう言ってはにかむ香苗はいつになく控えめな女の子に見えた。先輩達はかなちゃんだって足きれいよ、このスカートがちょっとイタイだけだよ、と口々にフォローした。それを聞いていると伊知恵はますます自分が恥ずかしくなり、もう顔すら上げられなくなってしまった。

 所狭しと並べられた椅子の中の、部室のドアの近くの隅に座って、伊知恵は一刻も早く家に帰りたいとだけ思っていた。話されている内容など全く耳に入らず、気分は落ち込む一方だった。

 六時半に部会がお開きになると、伊知恵は逃げるように真っ先に部室を出た。

 薄暗い街を、ひたすら下宿に向かった。道行く人の誰もが自分をあきれて見ているような気がしてたまらなかった。恥ずかしさが伊知恵をひどく焦らせ、荒れた気分にしていた。出来ることなら今すぐ化粧をぬぐい取り、服も脱ぎ捨ててしまいたい。

 駅前の信号をやきもきしながら待っていたとき、後ろからぽんと肩を叩かれた。

「さっきから何度も声をかけたのに。これからバイト?ずいぶん急いでるね」

 振り返ると、恭一がいた。いちばん会いたくない人に会ってしまった。伊知恵は不機嫌さを隠しきれずに顔をしかめて黙って下を向いた。

「試験休みは、実家に帰らないの?俺は三重に行くけど」

 恭一から意外な言葉を聞かされ、伊知恵は思わず恭一を見上げた。

「あ・・、ど、どうしようかな、まだ決めてないんだ、けど」

 そう言いながら、さっき鏡で見た自分の顔が脳裏に浮かんで、あわてて伊知恵は再び地面に目を落とした。こんな顔、恭一に見られたくない。みじめさが一気に押し寄せ、心臓が厭な速さで脈打っている。

「もし行くなら、どっかで会おうよ」

 恭一はいつもののんびりした口調で言った。

「あ、う、うん、そうだ、ね」

「どうしたの?ひょっとして体調悪いの?」

 伊知恵の態度があまりにもいつもと違うので、恭一は心配そうに伊知恵の顔をのぞき込んだ。

「送っていこうか?」

「え、あ、い、いい」

 信号が青になると、伊知恵は恭一を振りきるように早足で渡り始めた。

「気をつけてね。じゃあ」

 恭一の声が背中に追ってきた。伊知恵は最悪の気分のまま、よろよろと宵闇を歩き続けた。

 自分の部屋に上がるなり、伊知恵は夢中で化粧を落とし、服を脱いだ。涙がこみ上げ、頬が熱い。寒いわけでもないのに、体が小刻みに震えていた。こんな風に自分自身を最大限に意識してしまうのは初めてのことだった。まだ頭が混乱している。

(かなちゃんみたく自然に自分をアピールするなんて、私には無理・・・)

 普段着のジャージに着替えて、温かいお茶を一口飲んだら、ようやく気持ちが落ち着いた。

(恭一くん、気を悪くしなかったかなあ)

伊知恵は少し反省していた。さっきは確かに心身共に絶不調だったけれど。

(試験休みか。帰ってみようかな・・・)

 そう思って目を開けると、伊知恵の膝の上にあの女の顔があって、無表情な目で伊知恵を見上げていた。


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