2.怪異[2]
さらに小一時間後、突然自宅の電話が鳴った。今どき、家族のそれぞれが携帯電話やスマートフォンを持っており連絡先もほとんど自分の携帯番号を登録しているから、自宅の固定電話が鳴ることはほとんどなくなった。だから、わざわざ出てもどこからか仕入れた名簿でランダムにかけてくるキャッチセールスの電話がほとんどだった。
出ないでおこうか、としばらくためらった恭一だが、さっきの気味の悪い一連の出来事が尾を引いて何か胸騒ぎがしたので、受話器を取った。
「もしもし?和恵?」
電話の向こうで緊張した低い女性の声がした。和恵は、恭一の母の名だ。
「おばあちゃん?」
母の名を呼び捨てにする女性は、恭一の知る限り母方の祖母しか居なかった。
「恭一くん?恭ちゃんなの?久しぶりやねえ。おばあちゃんやけど・・・」
声がにわかに柔らかくなった。やはり祖母だ。久しぶりに孫の声を聞いて、嬉しそうだった。
「どうかした?」
恭一も少しほっとした。数年前に祖父が亡くなり、今は広い家に一人住まいの祖母は、七十を過ぎているが、まだ心身共にしっかりしていた。
「・・・お母さん、いてる?」
祖母は困ったように口をつぐんだ。恭一相手に言おうか迷っているようだ。
「お母さんに用だったら、携帯にかけてみれば?あ、でも今は仕事だから出ないかな。夜ならいるよ。こっちからかけ直すようにお母さんに言っとくよ」
母はあいにく週三日のパートの日で、留守だった。
「ちょっと、変なことがあってな、気になったもんで」
祖母は恭一にも話そうと思ったようだ。
「昼前に、おばあちゃん公民館に書道のお稽古に行ってな、お昼過ぎに家に帰ったら、お線香立てが倒れて、中の灰がお仏壇から玄関に向かってずうっと一列につながってこぼれとったに。朝、お水とお茶をお供えして手え合わせたときはどこも何もなっとらんかったが。こないなこと初めてやもんで、何や薄気味悪うて・・・」
恭一は息を呑んだ。話すべきか、こちらも迷ったが、思い切ってさっきのりんのことを祖母に話すと、祖母はますます不安がった。
「・・・沙織が何か言おうとしとるんかいなあ」
「うん・・・」
恭一は口ごもった。キャンプで沙織の話をしたことが、かすかにやましく脳裏をよぎる。「今日は沙織の命日やったもんね。お墓にもさっき行ってきたとこだに。そやけど、お墓は何もなっとらんかったのう」
(そうだ。今日はさあちゃんの命日だった)
恭一は祖母に言われるまで思いつかなかったが、沙織の事故は幼稚園の運動会の前日、十四年前の今日の出来事だった。沙織の遺体は損傷がひどかったためとりあえず火葬は東京で済ませ、その際身内だけの葬儀をしたが、お骨は実家へ祖母と当時まだ元気だった祖父が持ち帰り、先祖代々の墓に納めていた。
とりあえずもう一度お墓参りに行ってくる、と言う祖母に気をつけて、と念を押して恭一は電話を切った。
仏間に戻って、さっき落としたままだったりんを丁寧に仏壇に納める。
それから、きちんと正座して改めて鈴棒を手に取り、静かにりんを鳴らした。
リーン。
気の持ちようからか、さっきの悲鳴のような音ではなく、心を澄ませるような穏やかな音色だ。恭一が自分の命日に気がついて、沙織がほっとしているような気がする。
線香を一本、仏壇の下の小引き出しから取り出し、火をつけて香炉に供えた。
本来、恭一が生まれる前に亡くなった父方の祖父母のための仏壇だが、恭一達家族は、手を合わせるときは沙織のことも思う習慣がずっと続いていた。
(さあちゃん・・・)
手を合わせて目を閉じ、しばらく無心に祈った。次に目を開けたとき、ふすまの向こうですらっとした二本の足がゆっくりと狭い廊下を通り過ぎたのが視界の端に映った。
はっとして立ち上がり思わず後を追ったが、廊下には誰もいない。その時、背後の仏壇で再び小さくりんが一つだけか細い音色を響かせた。
恭一はすっかり気が重くなった。
ごめんよ、さあちゃん。俺は、さあちゃんを冒涜したのかな。そんなつもりはなかったんだけど。俺のこと、怒ってる?
気がふさいだまま、二階の階段を上り自分の部屋のドアを開けて、恭一は息が止まった。
さっきはわずかだった窓ガラスのひびが、放射状に無数の線を描いて窓一面に広がっていた。




