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過労死寸前だった営業マン、幽霊を味方に成り上がる  作者: ゲンタ
第1章 ミナト精密パーツ 営業マン

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第5話 このおっさん、ほぼすべての仕事を、若手に丸投げしている

翌朝、目が覚めると、枕元にスーツ姿の中年男性が、俺が起きるのを待ちきれない様子で、うずうずしながら立っていた。


「おはようございます。もう朝ですよ、田中さん」


「お、おはようございます」

(新入社員の研修を思い出した。あのときは一斉放送だったな)


「古谷さん、早いですね。ちなみに、幽霊って寝ないんですか」


「寝ませんし、疲れません。だからこそ——ひとりでいた時間が、苦痛で苦痛で……」

一瞬、声のトーンが落ちた気がした。


「部屋のあの辺りで、一晩中プカプカしてたんですか」


「いえ、朝までやってる工事のおじさんとか、徹夜で仕事しているサラリーマンとか見に行ったりするようにしてます」


「確かに、働いているひとを見てれば気が紛れますね」


「それにしても、朝から騒がしくしてすみません。でも、朝の挨拶は大切ですから」


「幽霊に朝の挨拶されるのは、世界で俺だけと思えば。特別感があります」


「ありがとうございます。田中さんが真面目な人で助かりました。改めてこれからもよろしくお願いします」


(古谷さん、ホントに真面目な人だよな) 


***


新しい部屋で迎える最初の月曜日。

カーテンの隙間から差し込む光がやけに眩しい。


「今日から、新たな環境で出勤ですね。気持ちが一新するといいですね。昨晩、練習した無茶振り仕事の断り方を実践してくださいね」


「……できるかな」


「まあ、住むところが変われば、気分も変わります。真面目な人ほど変わるものです」


「なるほど、なんか説得力を感じます」


「田中さん、うれしいこと言ってくれますね。帰ってきたら私の真面目論、もっと聞いて下さいね」


(いや、それは……)


***


ホームに立つと、人の波が押し寄せてきた。

扉が開いた瞬間、すでに車内は隙間なく人で埋まっている。

(え、これ、乗れるのか——)


背中を押され、押し返され、気づけば車内の真ん中。

両腕が上がらない。

顔の横に、知らないおやじのハゲ頭。


(俺に、もたれ掛かるのやめてくれ)


「電車、混んでますね。まあ、私は平気ですけどね」

どこにいるのかわからないけど、古谷さんの声がしてきた。


「『部屋から離れられません』って、言ってませんでしたっけ……」


「連続6時間まで大丈夫です。久しぶりに会話で、うれしくなっちゃって、つい、つい」


「姿は見せないでくださいよ。大騒ぎになりますから」


「わかっています」


「そもそも……。俺なんか見学しても、面白くもありませんよ。普通の会社員ですから」


「会社というのは、真面目な人間が最も疲れる場所です。そこを見学してみたいじゃないですか」


(幽霊が乗る満員電車とか笑えるな)


「と、とにかく、ここでは話しかけないでください——」

声を潜めたつもりだった。


でも、満員電車に、雑音なんてない。

みんな無言でスマホを見るか、無言で耐えているだけ。

その静寂の中に、俺のひそひそ声だけが、やけにクリアに響いていたわけだ。


隣のおじさんが、ぎょっとして俺を見る。

(え、聞こえてたか——)

(まずい——)


車内で独り言を漏らし続ける、変な会社員。

(会話の内容も変だしな)


じわり、じわりと、周囲との間に隙間ができていく。

満員電車のはずなのに、俺の周りだけ、少し隙間が。

(そりゃ、そうなるよね)


***


「田中さん、申し訳ありません。私が話しかけたために、危ないひとを見る目で見られてしまいましたね」


「終わったことはもういいです。俺も不用意でしたから……ところで会社までついてくるんですか」


「田中さんの職場を見ておきたくて、昨日の話で、どんな会社なのか、気になったものですから」


「見るのは構いませんが、姿は絶対に見せないでくださいね。それと、社内で話しかけられても、返事はできませんからね。電車の中みたいなことになりますから」


「田中さん、幽霊は耳がいいです。誰にも聞こえないような、本当に小さい声も聞こえます」


「わかりましたけど——俺には、そんなにうまい切り替え、できませんよ。話しかけるのは、周りにひとがいないか、緊急の時だけにしてください」


改札を出ると、人の流れが一気にばらけた。

「田中さん、この辺りは緑も多くて、なかなかいい街並みですね」


「まあ、自分が住んでるわけじゃないので……」


「そうでした。あなたは、通うだけの人でしたね」


「その言い方だと、なんか俺——可哀想な感じがしません……」


信号待ちをしていると、古谷さんが感心したように呟いた。

「あの会社ですね。けっこう大きい会社じゃないですか」


「あの建物全部が、会社じゃありませんから。それに、中身は、もっとこう……」


言葉を選んでいると、古谷さんが先に言った。

「ブラックってことですね」


「……古谷さん、直接的すぎませんか」

そんな話をしているうちに、会社の前に到着した。


「では、私は、黙っていますね」


声はしなくなったが、隣に気配を感じる。


***


会社があるフロアーに着くと、空気がどんより重い。

蛍光灯の光は冷たく、パソコンのファンが唸る音が耳に刺さる。


「田中くん……」

聞こえた瞬間、背筋がぞわっとした。


荒木課長が、コーヒー片手に近づいてくる足音。

(嫌な音——きた来た……)


近くで見ると、ワイシャツの襟元が、微妙に黄ばんでいる。

汗と、安い整髪料の匂いが混ざって、独特の臭気を放っている。


「田中くん、昨日の資料どうなってる」


(近い。息が臭い。あと、髪の生え際に、白いものが——)


五十代半ば、独身。自称、現場主義。

だがこのおっさん、ほぼすべての仕事を、若手に丸投げしている。

(現場主義じゃなく、ご都合主義だろ)


「修正版、朝一でメールしましたけど」


「お、そうか。助かるよ。じゃあこれもついでに頼むな」


分厚いファイルを、どさりと机に置いた。

指先が、ファイルの角にわずかに触れた。

(うわ、爪の間に、なんか黒いのが——見なかったことにしよう)


「え、これ別部署の案件じゃないですか。すみません、それはできません」

(よし、古谷さんに教わった断り方——使ってやった)


「似たようなものだろ。田中くんは——仕事が早いだろ」


(スルーすんな)


荒木課長はにやりと笑い、去っていった。

今日も、後頭部に浮き上がるフケが、蛍光灯の光でキラキラしている。


(頭、洗ってんのかよ。てか、そのフケ、俺の机にも落ちてくるんだけど)


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