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過労死寸前だった営業マン、幽霊を味方に成り上がる  作者: ゲンタ
第1章 ミナト精密パーツ 営業マン

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第34話 今日はゆっくりと、眠れると思いますよ

人事部・会議室。


「山城部長、協力業者にキックバックを要求していましたね。協力業者の社長の証言は、すでに取れていますよ」


山城の額に、じっとりと汗が浮かぶ。

「し、社長に無理やり命令されて——やらなければ、課長に降格させると言われたんです」


「その時点で、NSG本社に報告しようとは思わなかったのですか」


「そ、それは……」


「あなたは、社長から指示されたキックバックに加え、ご自身の取り分も、別途要求していましたね。裏は取れています。誤魔化しは通用しませんよ」


山城の肩が、がくりと落ちた。

「申し訳ありません」


「あなたがキックバックで手にした金額、すべて会社に返還していただけますか」


「いや、それは——ほとんど社長にお渡ししていましたから」


「では、社長にいくら渡し、ご自身がいくら受け取ったか。書面に、正確に記入してください」


山城は、渡された書類に、震える手で金額を書き込み、判を押した。


「で、ですが、私が手にした分は、本当に、微々たるものでして……」


「使ってしまった、ということですか」


「はい——申し訳ありませんでした」


「では、返還は結構です。あなたは懲戒免職となります。本来受け取るはずだった退職金を、その返還に充ててもらいます」


「そんな——懲戒免職では、再就職もできません。せめて、自主退職という形にしていただくことは……」


「できるはずがないでしょう」

加賀谷の声は、静かなまま、少しも揺るがなかった。


「あなたに命令したのが社長だと言うなら、次の仕事は、社長に世話をしてもらえばいいのでは——」


山城は、うなだれたまま、二度と顔を上げなかった。


***


午後二時。

ふたつ目の社内一斉メールが来た。


件名

―【極秘】役員および管理職の処分に関する通知


再び沈黙が広がった。


本文には——

社長、部長、そして部長の腹心の課長三名が 懲戒免職となっていた。


理由は簡潔に添えられている。

『調達プロセスの不正操作』

『業務上の重大な背任行為』


社内は、一瞬で騒然となった。


「うわ、やっぱりか……」


「背任行為とか——マジかよ……」


「これ、マスコミとか来るやつじゃない……」


フロアが一気にざわつき、中には青ざめた顔で転職サイトを開き始める者もいた。

そして……一部の社員が、俺の方をちらっと見た。

俺を、スケープゴートにしようとした、あのグループだ。


「いや——田中に押し付けといて正解だったな。無傷で済んだな……」

「だろ——あれはヤバい仕事だと言っただろ……」


会話が聞こえて——胃の奥がぐっとひねられるように痛んだ。

胸の奥で、熱いものがボコッと泡立った。

握った手が、震えそうになった。


こみ上げる怒りは、少しでも気を抜いたら爆発しそうだった。

——その瞬間。


小早川さんが、そっと俺の袖を引いた。

「田中さん……大丈夫ですか?」


小早川さんの声が、ふっと降りてきた。

横からのぞく彼女の瞳は、『戻ってきて』と静かに訴えるような、優しい色だった。


その一言だけで——張り詰めていた弓の弦が、ふっと緩むように。

胸で暴れていた怒りが、すっと引いた。

(危なかったな)


あのまま怒りに飲まれていたら、あいつらと同じ人間になるところだった。

(小早川さんが——止めてくれた)


「ありがとう。助かった」


「えっ、は、はい……」

小早川さんは、頬を赤くして微笑む。


その隣で、古谷さんが小さく肩を揺らした。

「田中さん。ひとは怒っても、場所は選ぶべきものです」


(刺さるな……)


思わず苦笑が漏れた。


***


二通のメールが来たことで、営業フロアの空気は、ある意味で平和になった。

朝までの、探るような視線はもう向けられてなかった。


俺や小早川さんのことなんて、気にしている場合じゃないのだろう。

周りを見渡せば『処罰を受けた社員の話』『転職するならどこがいい』という話ばかりが飛び交っている。


もう、誰も仕事をする気がないようだ。

外部からの電話が鳴っても、誰も出ようとしない。

呼び出し音がしつこく続くものだけ、渋々といった様子で誰かが取った。


いつもなら、俺に回すのだろうけど、会社に変化の兆候を感じる中で、そんなことをしようとする社員はいなかった


「この会社が潰れたら行く先はあるのかよ……」


「明日には、追加の懲罰辞令が出るんじゃないか……」


「いい転職先知ってたら教えてくれよ……」


そんな会話が、あちこちから漏れ聞こえてくる。

仕事の話は一つもない。


定時になった。

人事部はきっと、修羅場だろう。

けれど、今日の営業部は——残業しようとする者は、一人もいなかった。


帰りのエレベーター。

二人きりになった瞬間、小早川さんが言った。

「田中さん、今日は、ありがとうございました」


「いや、俺はなにもしてないです。動いてくれているのは、NSGの加賀谷さんたちですから」


「でも、田中さんが声を上げてくれなかったら、私は……ずっと苦しいままでした」


胸に、ずしんと響いた。

(古谷さんがいてくれたからなんだけどな)


でも——彼女が言ってくれた『ありがとう』は、うれしい言葉だ。


「これからも……一緒に、よろしくお願いします」

彼女は、恥ずかしそうに、でも覚悟を決めたような笑顔を浮かべた。


「こちらこそ」


エレベーターの扉が閉まっていく。

彼女の笑顔だけが、鮮やかに残った。


***


マンションの部屋に戻ると、古谷さんが笑顔で迎えてくれた。

「お帰りなさい、田中さん。今日の懲罰辞令で、スッキリしましたね」


「会社——これから、どうなるんでしょう」


「裏金作り、無理なキックバック、部品の品質低下という流れが改善されますから、倒産したりはしないと思います。管理職が入れ替わり、再発防止のためのルールが作られる、というところでしょう」


「会社は生まれ変わりますか?」


古谷さんは、少しだけ苦い顔で笑った。

「組織というものは生き物です。ときが過ぎれば、再び腐る可能性があります。ルールで縛っても、運用するのはひとですから……」


「ですよね」


「だからこそ、田中さん。あなたのような真面目な人間が、組織が腐らないよう、踏ん張らなきゃいけないんです」


「でも、俺は辞めます」

思わず、口に出していた。


古谷さんは、ふっと目を細めた。

「それでいいです。あなたには、あなたの道があります」


部屋に、古谷さんの優しい声が落ちた。

(俺の道か……)


この会社とは違う場所で、誰かが困っているときに、手を差し伸べられる人間になろう。胸の奥に、ゆっくりと暖かい炎が灯った。


「今日はゆっくりと、眠れると思いますよ。私は寝落ちしてそのまま死にましたが——田中さんは大丈夫でしょう」


(怖いこと言わないでよ)


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