第27話 いかにも、やり手って感じのひとですね
加賀谷は驚いた。
田中という社員の口から語られる内容は、ミナト精密パーツ内部に潜む『二つの重大な問題』に絡むものだった。
ひとつは、協力会社を巻き込んだ不正スキーム。
もうひとつは、西垣による女性社員への嫌がらせが引き金となった、女性社員の大量退職問題。
どちらも——調査を進めるうえで、見逃せない、極めて重要な情報だ。
(もちろん……裏取りは、必須ですが)
「……続けてください、田中さん」
わずかに口元をゆるめた。
その仕草には、調査員としての手応えが滲んでいた。
***
話を聞き終わり、加賀谷はペンを置き、静かに言った。
「ありがとうございました。私の方でも極秘に確認しておきます。ところで、田中さん。あなたは、すぐれた情報収集能力をお持ちですね」
「いや、そんなことは……」
「あるひとが言っていました。『どの会社にも、必ず一人は有能で真面目な若者が埋もれている。そういう人間を見極めろ』と」
(あるひとって、だれなんだろう)
「遅れましたが、私の名刺をお渡ししますね」
男は名刺を差し出した。
——日本総合産機グループ(NSG) 人事戦略室 主査
加賀谷誠司
「私は、親会社NSGの社長直轄の調査員です。表向きは人事交流で来ていることになっています。目的は別にありますけどね」
急に話が大きくなって、心臓がぴょこんと跳ねた。
「田中さん。あなたの話は——NSGの社長に伝えます。この会社の腐敗は止めなければならない。それが私の仕事なのです」
(俺は、この人に信用されたのかな)
加賀谷は、柔らかい口調で締めた。
「また話を聞かせてください。あなたの情報に——嘘はないと、長年の直感でわかります」
***
田中が部屋を出たあと、加賀谷は一人、思考を巡らせていた。
(二つの問題——どちらも悠長に構えている余裕はない)
協力会社を巻き込んだ不正スキーム。
こちらは、証拠を固め次第、即座に処分と是正に動かなければならない。
一歩でも遅れれば、大槻専務が介入し、すべてをなかったことにされかねない。
もう一方の、西垣を起点とする女性社員の大量退職問題。
こちらも、対応を誤れば一気に外へ漏れるに違いない。
訴訟、そして格好のマスコミネタ——どちらに転んでも、会社の信用は致命的だ。
加賀谷は、ゆっくりと息を整えた。
(時間は、味方ではない。動くなら——今しかない)
実のところ、加賀谷はミナト精密パーツに乗り込む前から、すでに水面下で動いていた。不正スキームの証拠固めは、弁護士とも打ち合わせを済ませ、いつでも処分に踏み切れる段階まできていた。
この件は、単なる是正では終わらせない。
協力会社を使った不正を“起点”に、その背後にいる黒幕——大槻専務を追い詰める。
それが、最初から描いていた筋書きだった。
一方で、西垣の問題は、かなり扱いが難しい。
執拗な嫌がらせを原因とする、女性社員の大量退職。
訴訟に発展しそうなのだ。
マスコミにとって、これ以上ない餌になる。
対応を誤れば、NSG全体のイメージに、致命的な傷が残る。
だからこそ——訴訟の可能性を把握した時点で、加賀谷は即座に動いていた。
NSG側の顧問弁護士に極秘裏にコンタクトを取り、ミナト精密パーツ側の弁護士とも水面下で連携させ、事前調整を始めさせていたのだ。
(証拠が揃った瞬間、選択肢は一つしかない——即断即決の処分だ)
西垣を処分するだけでは足りないかもしれない。
被害を受けた元社員たちと、水面下で接触し、真摯な謝罪、そして相応の補償——示談という形で、静かに決着をつける必要がある。
それができなければ、会社はこの件に飲み込まれる。
訴訟という最悪の展開だけは、なんとしても避けなければならない。
(証拠と処罰、誠意と、金——使えるものは、すべて使う)
そこまでを、すでに視野に入れていた。
田中さんからは、もっと情報をもらう必要がある。
証拠を固めるための突破口になるだろう。
ありがたい人材がいてくれたものだ。
***
午後、席に戻ると、小早川さんが不安な顔で待っていた。
「田中さん……大丈夫でしたか?」
「大丈夫。むしろ……道が開けたかもしれないです」
「え……?」
俺は笑った。
(守るべき相手がいるって……こんなに勇敢に行動できるんだ)
***
定時後——。
古谷さんの声が聞こえてきた。
「田中さん。あの加賀谷というひと、さっそく動き始めましたよ。いずれ、会社の内情が明らかになるでしょう。いかにも、やり手って感じのひとですね」
古谷さんが続ける。
「加賀谷さんは、NSG社長の懐刀みたいですね。そういうひとが動き出した以上——社長、部長、部長の子分、西垣、西垣の子分は、一網打尽になるでしょう」
「そうなってほしいです」
(こんな腐った職場で——過労死ギリギリで働いていたなんて、馬鹿みたいだ)
(あいつら、絶対に許さない)
胸の奥で、静かな炎が灯った。
***
会社からの帰り、小早川さんからメッセージが届いた。
——田中さん。
今日も助けてくれてありがとうございました。
明日、私も——退職届を出します。
その文字を見た瞬間、俺は深く、ゆっくりと頷いた。
(西垣は、小早川さんを辞めさせたがっていたはずだ。それなのに、いざ本当に辞めるとなったら、あいつはどう出るだろう)
(とにかく。小早川さんは俺が守る)
こうして、ひっそりと、しかし確実に、粛清の歯車が回り始めた。
それを止める者は、もう誰もいない。




